光と茜の差分

裏組織のトップエージェントが超絶美少女になって世界を救う
天澤清二朗
天澤清二朗

第77話 ~変態垢舐め野郎~

公開日時: 2023年9月9日(土) 09:16
文字数:5,808


 セレナは耳を疑った。

 ギャリカはイヤーセットを通して剣にそんな事を言ったのだ。茜の声で、甘えるような声で、剣が茜の背中の汗をタオルで拭おうとしている直前に。

 普段の剣であればそんな言葉、鼻で笑って「何言ってんだ」と、軽く受け流してしまうだろう。

 だが今、剣は茜の艶めかしい姿と、特別扱いされている事によって気が大きくなっている。冷静ではない。

 冷静さを欠いた剣にそんな言葉を掛ければどうなるか。

 セレナは信じられないと目を見開き、ギャリカに再度目をやる。ギャリカは通信を切って、親指だけを天に突き上げ、握り拳を作りしたり顔だ。更に舌をペロリと出して。


「これでどんな男もイ・チ・コ・ロ・よ!」


 そんな言葉で先程の妄言を締めくくり、仕上げにウィンクを一つ。

 そうこうしている間にも茜の寝室では事が運んでいた。


「なっ、え? 今、茜が言ったんだよな……」

 

 冷静さを欠く剣はイヤーセットから聞こえてくる偽物の茜の声をまんまと本人の声と勘違いしたようだ。

 茜の背中を拭こうとする剣の手が止まる。


「茜……その……何て言うか、物事には……順序ってものがあるというか」


 剣のその言葉は理性と本能がせめぎ合い、しどろもどろになって呟くように小さな声。

 二人の仲が恋人同士の関係以上でなければ背中の汗を舐めるという行為は変態行為に他ならない。下手をすると犯罪になりかねないのだ。

 だがその剣の言葉は熱で辛い状態の茜の耳には雑音としてしか聞こえない。更に茜には聞き返す元気もなかった。


「はぁはぁ……どう、した剣?」


 いつまでたっても背中を拭いてくれない剣に不平を漏らす茜。

 まだ気温もさほど高くはない。汗ばんだ背中を丸出しの状態で放置されれば寒いに決まっているのだ。

 茜は肩越しに振り向いた。

 

「寒いんだけ――」


 すると剣は手を途中で止めて固まっているではないか。

 剣は茜の背中を舐めるという変態行為を本人にやってもいいと言われたのだ。だが良いと言われて舐めればどんな手痛い返しが来るか分かったものではない。最悪、茜との関係が悪くなってしまう可能性もある。だから剣は動けないでいたのだ。

 そこで茜はまたニヤリ。目標に向かってまた行動に移すことにした。


「ふふぅ……はぁ……怖く……なったのか?」


 その茜の言葉で剣は我に返ったようにびくついて姿勢を正す。

 ここに来て茜のそんな挑発。


「お、俺が怖がる!? まさかっ、そんなへんた……そんな事くらいで俺が怖気づく訳ないだろっ!」


 剣は気丈に振舞うが少し声が震えている。

 剣は女性に耐性がない。だから美少女の背中の汗を拭うくらいであたふたしているのだろう、と茜は勘違いしていた。

 だから茜は剣に見えぬよう片唇を釣り上げて笑う。


「さっきも言った……だろ……剣だから、剣なら……私はいい」


 と、茜。

 先程の茜の魅惑的な言葉と微笑みの罠が剣に投げかけられる。

 それは面白い事に、自分の背中の汗を舐めろと、剣であれば舐めてもいいという言葉に変換され剣の耳に届いてしまう。

 茜と剣、両者共にギャリカの罠にこれ以上ないくらいに嵌っているのだ。

 

「わかった……お前がそこまで言うなら」

「じゃあ……よろしく」


 剣は冷静さを欠いている。そして特別だと宣言もされているのだ。

 だから剣は舌を出し、茜の剥き出しの背中にゆっくり近づいていく。理性がやはり止めた方がいいと、そのスピードを抑えつつも、二人の距離は確実に埋まっていく。

 このままでは剣が変態になってしまう。

 危機感を感じたセレナが止めようとイヤーセットで剣に話しかけようとする。

 だがそれをセレナの耳からギャリカが奪い去った。


「ちょっと!? ギャリカさん!?」

「いいじゃん! 面白そうだし。もうちょっと見ていようよっ」

「駄目です! そんな変態行為は禁止です! 返してください!」


 セレナは手を伸ばすがギャリカがそれを引いて空を切る。

 更にギャリカが逃げ出し、セレナがそれを追いかける。ぐるぐると、机の周りを。


「ギャリカさん! 返してください!」

「セレ姉もウブねぇ、あ、剣が舐めそうよ!」

「ええ!?」


 モニターには茜の背中に剣の舌がもう少しで接触するかどうかといった所だ。


「おおお!? どうなるっ? どうなる!?」

「ああ、もうっ、見てられませんっ」


 セレナは手で顔を覆い、指の隙間からモニターを見る。

 理性と本能がせめぎ合う剣の舌が茜の背中にようやく触れる、その一歩手前だった。


「あのさ……寒いから早く――」


 その時、あまりの遅さに茜が振り向き剣を見る。

 どうやら最後の最後までせめぎ合った理性が時間切れという形で勝利したようだ。茜の背中が剣の舌の餌食になる事は無かった。

 だが問題はここからだ。

 何故なら茜の眼前には舌を出し、背中を舐めようとしている剣という変態がいたのだから。


「ひっ……!?」

「へ?」


 茜は小さな悲鳴を上げ剣を見下ろす。

 その目は睨みつけるでもなく、怒りでもなく、恐怖で色濃く染まった桃色の潤んだ瞳。

 茜は剣に告白させるつもりではある。だがそんな変態行為を許した覚えは無いのだ。

 そして次第に茜の瞳に怒りが灯り、ただでさえ風邪で赤い顔が更に真っ赤に染まっていく。更に茜の拳が強く、硬く握られる。


「こ、この垢舐め変態野郎おおおお!」


 などと訳の分からない事を叫びながら茜の見事な右ストレートが剣の左頬に突き刺さる。

 無理もない。熱で意識が朦朧とする中、垢舐め変態野郎に背中を舐められそうになったのだから。

 

「ぐっ」

 

 剣は茜の拳よりも気迫に押されて仰け反ってしまう。茜は勢い余って布団の上にうつ伏せに倒れてしまった。


「はっ!? へ? 何でだっ!?」


 剣は頬を手で押さえ信じられないと茜を見る。自分で舐めてみろと言ったくせに殴るとはどういう了見だと。

 上裸の茜は布団の上でうつ伏せに倒れ動かなくなり、これ以上追撃はしてこない様子。

 その時、イヤーセットから焦るセレナの声が。


『剣君、舐めろと言ったのは茜さんの声を真似たギャリカさんです!』


 その瞬間、茜の甘い言葉で火照らせた剣の赤い顔から血の気が引いていく。

 顔面蒼白とは事の事。剣はショックのあまり倒れそうになるが何とか壁に手をついて耐えている。だが剣の精神はもうボロボロだった。

 

「終わった……俺は……変態だっ」


 剣は頭を抱え込み、その場でうずくまってしまう。


『剣君? 剣君!? しっかりして下さい!』

「俺はずっと変態扱いされるんだ……運命ってなんだよ……俺の運命が終わるって事だったのかよ……」


 運命とはルイスが剣に茜をあてがう為の方便の事だろう。

 剣は絶望した。美少女で運命の相手だと思っていた茜との特別な関係が終わったと。そして茜に特別視されたり、ルイスに運命だとか言われて舞い上がっていた自分は何だったのかと。

 更に雪花や友人、弓にも剣の変態行為は茜を通して伝わる事だろう。そして剣に蔑むような視線を向けてこう呼ぶのだ。「変態」と。


「自殺を考える奴はこういう事を考えるんだろうな……」

『何を言ってるのですか剣君!? しっかりして下さい! 生きて下さい!』


 舐めるという変態発言はギャリカの言葉。

 剣は茜を守ると宣言したにも関わらず、ギャリカの罠に嵌ったとはいえ逆に襲ってしまった。茜に格好つけて宣言したにもかかわらずこの始末。


『剣君! それより茜さんが動かないですけど大丈夫ですか!?』

「え?」


 そのセレナの言葉に、剣は茜の状態を確認する。

 見ると布団の上で半裸状態のまま、うつ伏せになって動かない。


「おい、茜?」


 剣は呼びかけてみるが茜の反応がない。

 風邪で意識が朦朧とする中、今まで受けたことがない変態行為を受けそうになった事が原因だろう。茜は目を回して気を失っている。急激に上がる血圧と暴力行為に体がついて行かなかったようだ。


『茜さんの背中を拭いて服を着せて下さい』

「はい……あれ? この部屋そっちに見えてるんですか?」

『……はい』

「終わった……」


 変態行為がセレナに全て筒抜けだった事を知り、またしてもうずくまってしまう剣。


『終わっていません。先程の剣君の行為は茜さんの愚かな誘惑とギャリカさんの卑劣な罠によって操作された結果です。気に病まないで下さい』


 セレナの言う通り、人の心を弄ぶ茜に天罰が下っただけなのだ。剣が気にすることは無い。

 セレナは剣の味方でいてくれる。剣にとってこれ以上頼りになる味方はいないだろう。

 剣は何とか持ち直し、顔を上げる。


「は、はい……ちなみにギャリカの奴はどこに?」

『ギャリカさんは……』


 セレナは視線を落とす。

 その先にはうつ伏せに倒れているギャリカの姿が。そして頭には小さなこぶ。

 悪乗りが過ぎるギャリカをセレナが殴りつけ、イヤーセットを奪取したのだった。


『地球と熱い抱擁を交わし、熱烈なキスの最中です』

「……見境ないですね」


 ギャリカにも天罰が下ったようだ。

 剣はテキパキと茜の背中の汗を拭い、パジャマを着せていく。そして肝心なところは目を瞑って見ないようにした。

 そしてタオルを敷いて汗で布団が濡れないようにし、額に放熱シートを張り付ける。

 

「ふう、こんな所か」

『お疲れ様です。剣君』

「いえ……」


 一通り、茜の世話は終わったものの剣の表情はさえない。

 それはもちろん茜の事だ。目を覚ました茜は剣を糾弾するだろう。


『茜さんの事ですが』

「え?」

『私にいい考えがあります』


 それから数時間が経った頃だった。


「う……」


 茜がうめき声を上げ、剣が気づき緊張の面持ちで目を向ける。

 

「茜? 起きたのか?」

「剣……?」


 剣の心配する声に茜は目を開いてその方向を見る。


「こ、この、垢舐め変態やろ――」


 茜は剣を見るや掛布団を跳ね退ける勢いで上半身を起こす。

 しかしここで剣の表情を見るとニコリと笑って穏やかな表情。


「え? あれ……」


 茜の手には拳が握られている。

 茜は剣の変態行為が許せず殴ろうとしていたのだ。

 だが剣の表情は多少ひきつっているものの穏やかに笑っている。そんな剣の顔を殴るのは茜には抵抗があったのだ。


「どうしたんだ茜。悪い夢でも見たか?」


 剣はそう言って微笑み、茜に問いかける。

 まるで何事もなかったかのように。


「え、いや……剣が私の背中を」


 と言って途中で茜は口を閉じる。

 茜は自分の背中を剣に舐められそうになった。しかしそれが剣の言うように悪い夢であったと仮定するとその先の言葉を茜が言えるはずがない。

 何故なら剣にそんな変態行為をされた悪夢を見た茜が変態になってしまうからだ。茜が剣に「背中を舐められた」などと発言しようものならそんな妄想を内なる願望として持ち合わせているという事になってしまう。

 剣は茜の事を変態とは思わないだろう。だが茜はそんな卑猥な事を考える美少女だと考えるだろう。それは茜の本意ではない。


「俺が? お前の背中をなんだ?」


 剣はあくまでも、笑顔を顔に張り付け優しく微笑みながらすっとぼける。

 普通ならばそんな演技、茜には通用しないのだが茜も熱で正常な判断ができないでいる。形勢は逆転したのだ。


「お前が……」

「ん?」


 茜はそう言って自分の顔を掛布団で覆い隠す。

 正常な判断が出来ない自分の顔を剣に見られたくなかったのだ。剣が自分の背中を舐める悪夢を自分が見てしまったのならそれはこの上なく恥ずかしい事なのだから。


「なんだ? どうした? 背中がなんだって?」


 しかしと、茜は考える。

 あれは本当に夢だったのだろうかと。あんな夢を本当に自分が見てしまったのだろうかと。

 茜はのそっと掛布団から目だけを出して剣を見る。だが相変わらずとても笑顔だ。気持ち悪いくらいに。


「な、何でも……ない」


 ここで茜の剣への追及は終わったようだ。

 そんな茜に剣はホッとして胸を撫で下ろすのだった。

 これはセレナによって剣に出された助け舟だった。剣の変態行為を全て茜の夢という事にすれば全て丸く収まる、と。更に変態なのは茜だとささやかな反撃もできる。


「そうか」


 ひとまずこれで先程の変態プレイがなかったことになり、剣は一安心だ。

 だが茜は未だに掛布団から目だけを出して剣をジーっと観察してくる。その様はとても可愛らしいのだが剣は嘘がバレないか内心ひやひやしている事だろう。


「そ、そうだ。お腹減ってないか? あれから結構時間が経ってるし」

「あれからって、どれから?」

「お前が――」

「ん?」


 これは茜の罠。危うく自分を殴ってからと言いそうになって剣は言葉を変える。


「眠ってから……だよ」


 剣は言って顔を背けた。

 茜に変に勘繰られない為に。


「ふーん……」


 そして茜は目を逸らす剣をじとり睨む。


「剣、何か隠してない?」

「は、はあ? 何言ってんだよ。何を隠すんだよ」

「まさか剣……」

「何だよ」

「私が着替える時に」


 剣はゴクリと喉を鳴らす。


「おっぱい見ただろ」


 と、茜はニヤつきながら、そんな卑猥な事を疑ってくる。

 これも茜の罠だった。茜は別に裸を見られたとしても気にしない。だがそれをネタに糾弾する事はできる。

 

「パジャマ違うし」


 茜は着替えようとしたことは覚えているのだろう。しかしそこの記憶があいまいなのだ。

 だが茜の胸を見たどころの話ではないだけに剣は落ち着いて対応できた。


「そんなわけないだろ。俺がそんな事する変態に見えるか?」


 と、茜の卑猥な言葉をサラリと受け流す変態。

 そんな剣の冷静な反応に逆に茜が驚いてしまう。いつもの剣であればあたふたして取り乱す所なのにと。

 今の剣はそんな事で取り乱したりはしない。もっと過激な変態行為をしようとしていたのだから。

 茜は剣の目をしばらく見つめてため息をついた。


「そ、そうだよな。剣がそんな事するわけないか……」


 と剣を信じ、更に謝罪まで付いてきた。


「ごめん」

「ははっ、いいってそんな……俺の方こそ……ごめん」


 剣はつい謝ってしまった。それは茜に対する変態未遂について。


「何で剣が謝るんだ?」

「良心の呵責というかなんというか」

「はぁ? まあいいけど、これも剣がやってくれたんだろ?」


 茜はそう言っておでこに張り付けてある放熱シートを触りながら「ありがとな」と付け加えてくる。


「あ、ああ。まあな、当然だろ? それよりちょっと元気になったな。お腹減ってるだろ? お粥暖めてくる。食べるだろ?」


 犯罪者程良くしゃべるを体現する剣。

 茜は頷くと剣はいてもたってもいられなくなり部屋から逃げるように出て行った。


「何だか優しすぎて気持ち悪いな……」


 寝室を出て行く剣を尻目にそんな事を呟く茜。


「はぁ、しかし……剣が背中を舐めようとした夢を見るなんて……風邪って怖いな」


 茜は自己嫌悪に陥り、風邪の怖さを改めて知るのだった。

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