「おい茜」
「ん? うぁっ」
背後から声を掛けられる茜。だが振り向くよりも早く顎に手を回され、強引に顔を真後ろに向けられる。
茜は首を走る激痛に急いで体を反転させると、そこに居たのは剣。
いつもは茜に触れる事すらおどおどする剣だが、この時だけは、扱いが少し雑で配慮に欠ける力加減だ。顔には出さないものの、恐らく剣も雪花達と同様、怒っているのだろう。
「……なんだよ、剣もとやかく言うつもりか?」
茜は剣を置いて昇降機で上に行ってしまった。下に戻って来たと思えば今度は一人で行ってしまう始末。あまつさえ自分の命を犠牲に、父を助けた。
茜を護衛する剣にとってそれは頭の痛い行動に他ならないだろう。
「じっとしてろ」
剣は不服から逃げるような茜の顎を強引にグイっと持ち上げる。そして困惑する茜の頬に手を当てた。
「俺も多少は使えるからな」
剣は茜の赤く腫れた左頬に手の平を押し当てる。
以前ジュリナにぶたれた時、雪花がしたようにヒーリングで腫れを取るつもりなのだろう。
予想外の行動に茜は剣の目を見つめるが剣は頬の腫れ具合を確認している為、視線が合わない。
「剣は、怒らないのか?」
突飛な剣の行動に、茜はお礼を言わずそんな事を吐く。
「……事情を、俺は良く知らないからな。父親を命懸けで助けて、ぶたれた茜がいるだけだ」
剣の行動理念は単純だ。
怪我をした人がいる。だからその怪我を治癒するだけ、ということなのだろう。まさに聖人の如しだ。
そして剣は飛空艇アシェットで身を挺して雪花を守っていた事もバンカー王国でルークを守った事も知らない。今回が初犯の為、大目に見てくれているのだろう。
「それに……正直、茜の父親が着て焦ったけど、すぐにお前が降りてきたしから怒りはそれほどない」
「その割に首が千切れそうだったんだけど?」
「心配してないと言ったら嘘になるからな」
「そっか……」
「でもお前は凄いよ。親父を助けて自分も助かった。ヒーローものの最終回みたいなオチだぞそれ」
そして最後に「よくやったよ」と言って微笑む剣。
ここで茜は少しだけ笑顔になる。
それは剣に褒められたからではない。ましてやその行動を肯定されたからでもない。
茜は昔、友達だった剣とヒーローごっこと称していじめっ子達を退治していた。それを思い出したのだ。光に「ちゃん」を付けて呼んでからかってくる輩や、融通の利かない唯に心無い言葉を吐くいじめっ子は後を絶たなかったのだ。
だが次に出てくる剣の言葉に茜は表情を消してしまう。
「それに、お前の気持ちも、少しなら理解できる」
その剣の言葉には目を細める茜。
剣は相手を安心させる為に心にもない事を言う事がある。それは海底の飛空艇アシェットで脱出手段を思いついていないのに励ました事もそのうちの一つだ。
そして剣には父親がいる。離れ離れになった父親の事等分からない筈なのだ。
そんな剣に不服な茜だったが意外にもその根拠はあった。
「俺の友達に、小さい頃お前と同じように父親と離れ離れになった奴がいるんだけどさ」
その友達に茜は心当たりがあった。それは友達の友達であれば知っているという事ではない。
「そいつも父親を憎んでた。自分を放置して、家族を残して勝手にどっか行ってしまったらしい」
「それって――」
「あ、聞いてたか? 光の……事なんだけどさ。あいつも茜と同じだった」
名前を伏せていたことが恥ずかしかったのか、剣は照れたように笑う。
そして茜と同じという発言は的を的確に射ている。感がいいのか悪いのか、茜と光は同一人物なのだから。
「でもお前は憎んでた父親を助けただろ? だからもし光がまた戻ってきたら……会えた時に伝えてくれないか?」
「何を?」
「久々に父親に会ったら、やっぱり大事なんだって思い直したって」
「なっ……私は別に大事だなんて思ってないしっ」
「え? だって父親を本気で憎んでたら助けないだろ?」
「いや、……まあ、そ、う、なんだけどさ」
それを言われると茜は反論できない。もちろん多少、大吾の事を大事に思っているかもしれないが自分の命を犠牲に助けた理由は他にあるのだ。
大吾の妻である瑠衣菜を殺してしまった事への贖罪と父と暮らしたいという雷地の言葉。それが皆の避難を浴びる、雪花に言わせればダサい自己犠牲の行動に繋がったのだった。
反論できなければこれ以上この話を続けるのは茜に不利だ。
だから茜は黙って剣をじっと睨むように見つめた。
「な、何だよ」
「剣って時々、大胆な行動するよな」
「は?」
そして話をすり替え、茜の計画に移行する事にしたのだった。
茜は目を細め、頬を治癒している手の平に軽く体重を乗せると剣の目が見開かれる。
「こんな美少女の頬に軽々しく触れたりしてさぁ」
そしてこの一言。
剣はかかった魔法が解けてしまったかのように顔が見る見るうちに赤くなっていく。
茜はハニートラップにも精通している。どの程度の所作や頬のもたれかかり加減で相手の心にどんな効果を与えるのか熟知しているのだった。
「いや、これはっ……て、ていうか自分で美少女って言うなよ!」
「私が美少女に……見えない?」
更にこの駆け引き。
茜の表情は場面によってコロコロと変わる。憂うように、少し寂しげの表情で剣に流し目。
押して引いての鍔迫り合いと茜の超絶的な美少女加減に世界中のあらゆる男は成す術がないだろう。
「見える! 見えるけど!」
「一緒に風呂入るとか言ったりさぁ」
「あ、あれはお前が言いだしたんだろっ」
剣はここで気づく。自分がどれだけの事を茜に対してしているかと。美少女の柔らかい頬に、長く、密接に、広大な面積で触れている事を。
(俺はまた、とんでもない事をしているのでは!?)
剣は思わず目を逸らす。だがそれが悪かった。剣は気づいてしまったのだ。茜の胸が小さすぎるワンピースによって圧縮されてはみ出んばかりに盛り上がっている事に。
「どこ見てんだよ」
「これは――」
そして剣の視線に意地悪く微笑みかる表情は小悪魔のそれ。
たまらず剣は上半身を逸らし、手を放そうとする。だがまだ茜の頬は治っていない。雪花やフォンとはヒーリングの熟練度が違うようだ。
だから茜は剣を引き留めるように鍔を引いた。
「まあ、お礼は言っておくよ、ありがとう」
「え」
「お前だけだよ、私の味方をしてくれるのは。お前の頬に熱いディープキスをしてやりたいところだ」
「き、き、き、キス!?」
「なんだ、して欲しいのか?」
「そ、そんなわけないだろ!」
「じゃあしない」
「あ……うん」
剣への攻めを一旦引かせてからの攻め。
剣に告白させる為に好意を見せつつ消して一線を越えない周到さは流石である。
茜にはわかっていた。イノセントボーイシンドロームを患っている剣が茜の唇を絶対に要求しない事を。
全て茜の手の平の上だ。
そして遠目から二人の動向を見張る者達が。
「ねぇ、何だかあの二人いい雰囲気じゃない? ていうか、どうしてあれで茜は落ちないのかしら? やはり美少女のガードは硬いの?」
ルココはニヤニヤしながら二人を生暖かく見守っていた。
そしてルココが言うように、剣は一人だけ茜の味方をし、治癒している。あまつさえ頬に触れて。だが生憎、茜の中は男。剣が惚れる事はあっても茜が惚れる事は絶対にないのだ。
「甘やかしてるだけよっ、もうっ」
雪花は不満げだ。
先程はぶつ事も出来ず、文句だけを垂れて去ってしまっただけ。傍から見ればいい所を全て剣に掻っ攫われた感じだ。茜に反省を促したい雪花としては面白くはないだろう。
「ルココ様! 何故私を止めたのです!」
そしてそれはルココの執事であるフォンも同じ事。
美少女の茜に好かれるチャンスがふいにされ、あまつさえライバルになり得る剣にお株を奪われる結果になってしまったのだから。
「な、なぁ雪花ちゃん……あいつ心も女になってないよな?」
茜の実の父親である大吾は雪花に小声でそう尋ねる。
剣に告白させるという茜の作戦が大吾の目にはそう映ってしまうのだろう。実の子供が異性に頬を触れられて微笑んだりからかったりしていれば親としては心揺さぶられる想いだろう。
「そうですが?」
「あの海パン野郎が好きとかはないよな!?」
「え、ああ。まあ、ないと思いますが? あ、でもちょっとした事情がありまして」
とは茜の作戦の事。
「なんだそれは詳しく! 詳しく!!」
「あ、嘘です。ごめんなさい」
「何が!? どう嘘なんだ!?」
もう大吾にはバレているのだが話すと長くなるので雪花は伏せておく事にしたのだった。
雪花達は治療を終えた茜達と合流し帰路へ。
茜はモフコを大事そうに両手で抱え、それを雪花とルココが物珍しそうにしげしげと見つめる。その背後には大吾が茜と剣の間に入って睨みを聞かせていた。
すると道中には兵士達の遺体を回収しているポルトと兵士達がいた。
「我々の役目はもう終わりました。兵士達を弔って本島へ戻ります」
との事で茜達は一足先にそこを後にする。兵士達の事を気にするそぶりを見せる雪花だったがポルトに「任務ですのでお気になさらず」と一言。そして悪魔を見たことが無かったのか、茜が大事そうに抱えているモフコをただの羊と思ったのか、一瞥しただけで埋葬の作業に戻ったのだった。
その途中、ミロワール城の中に入る。
「鑑定師団が来てくれるみたいだから浜辺へ――」
「もう来ています」
「へ?」
「あ」
以外にもミロワール城の中にルークやキリカ、ツクモの姿はなかった。
代わりに黒いスーツに身を包んだ南国には不釣り合いな服装の集団が。
更にその先頭には良く見知った意外な顔。
茜達に声を掛けてきたのは桃色の悪魔と謳われた、長い桃色の髪を持つ女性。黒いスーツにタイトスカートという南国には不釣り合いな服装。
「セレナさん?」
それはファウンドラ社の最高戦力にして茜達の所属する部隊の隊長であるセレナだった。その最高戦力であるセレナは茜の父、大吾を見るや否や驚くべき行動を見せた。
「え?」
意外な事にセレナは桃色の髪を長くなびかせながら茜を通り過ぎ、その背後にいる大吾の元へ。
そして
「隊長っ」
と、まるで長年離れ離れになったになっていた妻のように、大吾の胸に飛び込んだのだった。
「えええええええ!?」
そのあまりにも異様な光景に、茜のみならず雪花もまたそう声を上げて呆然と見守るしかなかったのだった。
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