光と茜の差分

裏組織のトップエージェントが超絶美少女になって世界を救う
天澤清二朗
天澤清二朗

第37話 ~悪魔との対峙~

公開日時: 2023年7月31日(月) 10:11
更新日時: 2023年8月1日(火) 00:14
文字数:5,024


「な、何か仕掛けてくるって――」


 と、雪花が茜に尋ねようとして止めたのは、茜がポケットから白いグローブを出し装着し始めたから。

 これは万力グローブ。握力を十倍にするファウンドラ社開発の装備だ。これはつまり開戦の合図を意味する。


「フードの女は金のかかるワープ装置を用意していた。そんな用心深い奴がこの現場を見た私達を生かしておく道理も理由もない」

「そ、そんなぁ……」


 茜は青桜刀を手に出現させ臨戦態勢だ。

 情けない声を出す雪花もそれを見てゴクリと唾をのむ。

 クリスもバドルを警戒しながらも、その会話を耳に入れる。

 普通であれば一般人の少女二人に戦わせず応戦したい所だろうが事態は切迫している。今は猫の手も借りたい所だろう。しかもこの二匹の猫は多少の武術を心得ているという。足手まといにならないというだけで地獄に仏だ。

 その時、バドルに動きがあったようだ。

 

「くるぞ!」


 バドルを注視していたクリスが叫ぶ。

 雪花が顔を上げると一つ上のフロアにもかかわらず、フェンス越しに大量の触手が既に目の前に押し寄せてきていた。うねうねと宙を泳ぎながら、茜達に触手の先端を向けている。


「避けろ!」


 触手の先端が茜達を次々に襲う。

 茜は雪花の腕を掴んで横っ飛び。自分より大きな雪花を抱えて守り、床上をゴロゴロと回りながら避ける。

 クリスはキルミア特殊部隊の隊員だ。当然レゾナンスでもある。

 襲い来る触手をクリスは共鳴強化で拳を強化し一度に五本程、叩き落としていた。


「さっきの部屋へ!」


 クリスがそう叫ぶと茜は立ち上がり、雪花を引っ張って走る。


「先に行って!」


 しかし無数に襲ってくる攻撃を全て叩き落すことなど不可能だ。

 更に十発叩き落としたところで躱し、茜達の後を追う。

 金属の床を蹴り鳴らして三人は船室へひた走る。


「くそっ、目でもついているのか!?」


 もう既に下の階にいるバドルからはクリス達の姿は見えない位置。距離もかなり離れたはずだ。そんな状況にもかかわらず、触手はどこまでも追いかけてくる。

 クリスは傭兵団から支給されたであろうBG-47を乱射し触手の追撃を撃ち落としていく。だが触手は無限に増殖してくるのだ。倒しきれるわけがない。

 

「くそっ、弾切れかっ」

 

 弾の無くなった銃はただの鉄くずに成り下がる。人質を移送するだけだったため予備のマガジンもさほど持っていなかった。

 クリスは弾切れになったBG-47を投げ捨て廊下を走る。

 防水シャッタ―をこじ開けた穴には茜と雪花が先に飛び込んだ。

 そこで茜は雪花に指示を出す。

 

「雪花、船室の扉開けて待ってろ!」

「分かった!」

「クリス! 早く!」


 そして茜は青桜刀を抜き、船室に向かわずシャッターの前でクリスを待つ。

 茜がその場でクリスを待つには二つの理由がある。

 一つは船室に入る際、触手を遠ざけておかなければ無理やり扉の間に入られ、扉をこじ開けられる可能性があったからだ。

 扉は重厚な金属製だ。更に曲がりくねっており、かつ遠い距離では先程の威力の突きは出せないだろう、と茜は高を括っている。ここまで来てあの威力の突きを出されでもしたらもう逃げる場所がない。

 やがてクリスも追いつき、歪んだシャッターの穴に身を投げる。

 あとは船室に入り扉を閉めるだけ、だった。


「うおっ!?」


 クリスは短い声を上げ、体を前に投げ出して倒れてしまった。

 目をやるとクリスの右足首に触手が絡みついている。

 その間にも触手は追撃の手を緩めず迫ってくる。絶望的な状況だ。


「うぐっぅ……うあああ!」


 更にその触手の握力が強いのかクリスが悲鳴を上げる。


「クリス!?」


 加えてクリスの体がシャッターの方へ引きずられて行く。このまま連れて行かれたらクリスの命はない。

 クリスは腰に備え付けていた拳銃を探り当て、引き抜いて構える。

 

「くそっ」

 

 乾いた音と共に銃弾が四、五発連続で打ち込まれる。

 しかし体制が崩され更に引きずられている為、照準がなかなか定まらない。キンっと金属音と火花を散らして弾がめり込んでいくだけ。

 茜がクリスを待っていた二つ目の理由がこれだった。

 シャッターがある為、ここでクリスは減速せざるを得ない。その場合、掴まる可能性があったのだ。

 その茜の悪い予想が当たってしまった。

 だが予想ができれば対処のしようもあるというもの。

 クリスがもうすぐシャッターの穴に引き込まれそうになったその時だった。引きずられるクリスの体に影が落ちる。

 

「う」


 クリスは嗚咽と引きずられる体が止まったのはほぼ同時。みれば自分の腹に細く長い脚がめり込んでいる。

 続いて青い閃光が光った。


「あ、茜!?」


 青い閃光と共にクリスの足に絡まった触手の引っ張る力が消える。

 引きずられるクリスを止めたのは茜の体重。そして青桜刀が触手を斬り捨てたからだ。

 

「立てるかクリス!?」


 クリスを急き立てる茜。

 しかし踏んずけて止めるとは、顔に似合わず随分と荒々しく粗暴な止め方だ。

 他に止めようがなかったのか、などと野暮な注文はこの状況で言えやしない。

 

「げほっ……いい足だっ」


 クリスは咳き込み、そう言って感謝の意を示す。

 腹痛を伴いよろよろと立ち上がる。が、触手に脚を掴まれたからか、右足に激痛が走り悶えるクリス。

 

「く、さっき掴まれて……」


 そんな様子を見て茜はクリスの前に立ちはだかる。

 このままでは茜が触手に襲われ死んでしまう。そしてその後クリスも同じ運命をたどるだろう。

 このままでは共倒れだ。

 

「茜! 僕の事は良いから逃げろ!」


 見かねたクリスの怒声が薄暗い廊下に響き渡る。

 だが茜は逃げない。

 襲い来る無数の触手を斬り、時には弾いて受け流し、その反動で体を回転させて叩き斬る。加えてその先の展開を見据えて構える。


「立てクリス! 弱音なら後で聞く!」

 

 それはつまりこの状況で誰も死なずに生き残るという強い意志に他ならない。

 その言葉に目を丸くするクリス。そして同じくらいにクリスは茜の剣術に驚いている。

 何故なら人の体を簡単に貫く触手の突きを細い腕で斬り伏せているのだから。

 万力グローブの効果もあるだろうがそれは握力が増えるだけで腕力が増えるわけではない。それでも茜が勢い負けしていないのはきっと青桜刀のおかげだろう。茜の振る、青桜刀の一撃一撃に雪花が持った時のような重量が乗っているに違いない。


「君は一体」


 そしてこの危機的状況に一切臆することはない胆力。髪を振り乱し立ち向かう姿はとても十代の少女のものとは思えない。美しさと逞しさを兼ね備える少女の姿はまさに歴戦の勇士とさえ感じられる程。


「何者なんだ?」


 クリスがそう思うのも無理はない。

 その少女の正体は世界を股にかけ、正義を掲げる秘密の組織に身を置いている指折りのエージェントなのだから。

 しかし茜達は多数の触手に襲われている最中だ。その問いに答える余裕はない。


「いいから走れ! ……もうっ、抑えきれない!」


 茜はそんなクリスに再度檄を飛ばす。教官が弱音を吐く訓練生に叱咤するように。

 その教官は訓練生を守るために必死だが限度がある。シャッターの穴から次から次に触手が入ってくるのだ。それを茜が順番に斬っていくが既に呼吸が荒くなっている。少女の姿になり体力が減っている為余裕がないのだ。


「早くっ!」

「分かった!」


 クリスは立ち上がり、痛みを堪えて船室に走る。

 船室の前には既に雪花が待機しており扉を開いている。速度の出ないクリスと触手を抑えながら少しずつ後退する茜に焦っているようだ。


「ちょっとあんた達早く――」


 部屋の前で扉を開き、茜達を呼ぶ雪花。だが、短い悲鳴で言葉が途切れる。

 そして船室から人影が現れた。

 その人影が雪花の腕を後ろ手に締め上げ、喉には短いナイフが光る。


「おっと、大人しくしなっ」

「あ、うぅ……助けて茜ぇ」

「雪花!?」

「雪花ちゃん!?」

 

 それは先程、クリスが倒したハイジャック犯達だった。毛布でぐるぐる巻きにしておいたのだがそれを解いて出てきたらしい。


「お前らさっきはよくもやってくれ……た……な?」


 雪花を締めあげたのは茶髪の男。

 だがその男の目の前にはフィクションでしか見たことが無い映像が映し出されていた。何本もの触手とそれを着る少女の姿が。

 

「なんだこりゃ!?」

「どうした?」


 更に奥からもう一人、腕をバキバキに折られた男が出てくる。

 茜がちらりとその方向に目を逸らしたその刹那、何本もの触手が一気になだれ込んできた。


「やばっ、クリス! 躱せ!」

「ぐっ!?」


 茜はクリスに体当たり気味に抱き着いた。足を痛めているクリスは簡単に押し倒される。

 なだれ込んできた触手は茜達の頭上を勢いのままに通過し、ハイジャック犯の頭を捉えた。

 

「う、うわあ――」

「何だこ――」

 

 短くちぎられた悲鳴と共に、ハイジャック犯の二人の頭が一瞬で消え去った。

 

「いやああああ」


 触手に驚いた為か、数舜の間に雪花は解放され体を投げ出して何とか難を逃れたようだ。だが雪花の顔にハイジャック犯の鮮血がいくらか散って悲鳴を上げている。

 触手はといえば二つの死体を触手で覆って、やがて球状の塊となった。それはシャッターの穴につっかえながらも、バドルの方へ戻っていくようだった。

 だがまたシャッターの穴から触手が茜達の方へ向かってくるのが垣間見える。

 

「雪花! 船室に入れ!」


 茜はクリスを立たせ、雪花の腕を引いて船室に押し込んだ。


 最後に茜が船室に入り、背中で押して扉を閉めた。

 

「ふぅ、やばかった」

 

 茜は肩で息をし頬を蒸気させて白い息を吐く。そのまま滑るように落ちて床に尻をつける。

 鉄製の重厚な扉だ。頭を吹き飛ばす触手でも簡単には入れはしないだろう。


「はぁ、助かった……のか」


 クリスが一息ついて腰を下ろす。

 

「あの二人の死体を持って行ったみたいだ。私達と間違えてくれてたらラッキーなんだけど……足はどう?」

「ああ、大丈夫。一応ヒーリング出来るし」


 クリスの言うヒーリングとは自然治癒力を活性化させて傷を治す能力だ。レゾナンスでも出来る者は限られる。流石はキルミアの特殊部隊といったところだろう。

 雪花も一安心と床にへたり込む。


「もう、無理……」


 そんな弱音を吐きながら。

 茜が雪花を見ると、ハイジャック犯の頭が飛ばされた時に散った血飛沫が花弁のように顔に咲いている。その雪花の目には涙が溜まっていた。

 この場面でいい経験が出来た、なんて言う程茜は鬼ではない。同情するように眉根を下げて雪花の前に膝を突いてしゃがみ込む。


「ごめんな雪花。あの時、お前を無理やり人質に引き込んだばっかりに」


 そう言って茜は万力グローブで雪花の顔に散った血飛沫を拭ってやる。

 普段あまり雪花に優しい言葉を掛けない茜が珍しく気にかけてくれたからか、雪花の目から溜まっていた不安の涙が急に溢れて零れ落ちる。


「全くよっ、本当に迷惑っ」


 雪花は涙を拭って憎まれ口を叩く。震えるような涙声で。

 本来なら人質は茜一人だったはずなのだ。それを茜が雪花の態度が気に入らないからと無理やり連れてきてしまった。それを茜は後悔している。

 見通しが甘かった。悪魔は想像を絶する力を持っていたのだ。

 男の姿であれば雪花も守れたかもしれない。だが今は自分の命さえ守れるかどうかも怪しい。

 そんな自分のふがいなさに、雪花の顔を拭う手にも力が入る。


「雪花、お前は私が守る。だから心配するな」

「茜……」


 雪花は茜を見つめ、茜も意を決したように雪花を見つめている。

 そんな光景をクリスは生暖かく見守っていた。

 この場にクリスが居なければ、世界が終わりそうな時に恋人二人だけの時に話されるような会話だ。

 そしてそんな心地よい数舜の沈黙を雪花が真っ先に破る。


「痛い……」

「え?」

「痛い! めっちゃ痛い!」

「あ」


 それは茜が雪花を拭ってやっていたグローブに問題があった。

 そのグローブは万力グローブ。握力を十倍にするファウンドラ社の発明品。

 拭う手に力が入ったため雪花の顔の皮膚が今にも破けてしまいそうだったのだ。


「痛いつってんのよ!」


 雪花が茜を両手で押し退けた。

 茜は尻もちをついて小さなお尻が真っ二つに割れてしまう。

 その直後だった。

 何故か船室の扉がひとりでに開いたのだ。

 扉があると思い込んでいた茜は、雪花に押されたその勢いのまま外に転がり出てしまう。


「何で、扉が――」


 雪花は立ち上がって、そう言いかけて止めた。

 雪花は更に目を丸くして、その光景に口をぽかんと開けたまま固まってしまう。

 扉の下の隙間から平たい触手が這い出し、内側のドアノブを器用に回している。

 そんな変哲の無い、おぞましい光景が雪花の目に飛び込んできたのであった。

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