男の声にクララが玄関から出ると、そこには小太りの初老の男。その後ろには黒いスーツに身を包んだ強面の男が四人睨みを聞かせて立っていた。
クララは睨むような視線を初老の男に向けて口を開く。
「これはこれは、市長さん。こんな無法地帯に何度も足を運ぶなんてよっぽどの物好きなんですねぇ。怪我をしないうちに帰られてはどうですか?」
小太りの男は桜之上市の市長らしい。
市長自らの訪問にクララは恐縮するどころか嫌味たっぷりに言い返した。
「まあ、そう邪険にしないで下さい。それで考え直してくれましたか? ここを手放して頂くこと」
「何度来ても同じですよ。どうぞお帰りになって下さいな」
「でもねぇ――」
「どうしたんですか?」
玄関のドアから五人の男の姿を認め、雪花も玄関から出てきたようだ。
「より良い街創りの為にここにリゾート施設を立てたいんだとさ」
不穏な空気を察し遅れてやって来た雪花に、クララはそう吐き捨てる。
前置きは市長譲りなのだろうが口調が馬鹿にしている。クララはかなり市長を嫌っているようだ。
それも当然だろう。この場所をリゾート施設にした場合、アルドマン孤児院は潰れてしまうのだから。
「じゃあここの子供達はどうなるんですか?」
と、雪花が問うと市長がニンマリと笑う。
「大丈夫ですよ。受け入れ先はあります。ここよりも裕福で整った施設に送るつもりです。しかもクララさんには相応の金額を用意してありますよ」
その市長の表情は満面の笑み。
眉尻を下げ、口角を上げお手本のような笑み。そして作り物のような笑みだった。
市長の笑みに雪花は少しの恐怖を感じつつも「それならいい話では」と何気なく言葉を吐くと市長もそれに便乗してくる。
「でしょう? でもこのクララさんがどうしても言うこと聞いてくれなくてですねぇ」
「それって子供達は皆一緒の施設なんですか?」
「あー……そうしたいのはやまやまなのですが、ここの施設には六十三人の子供がいるんですよ? それを全員同じ施設に、というのはねぇ」
その市長の問いに、雪花は「ああ」とだけ。
「だったらお断りだね」
「そうですね。皆一緒じゃないと可哀そうですよ!」
今度はクララの言葉に雪花が便乗する。
それを聞いて、市長の塗り固められた笑みの仮面にひびが入るような表情の崩れ方をする。
眉尻が動いた事に連鎖して口角が下がり、笑みが崩れる。
「しかしねぇ、お金はあるんですか? 援助も無しにどうするんですか?」
「それはあんたが打ち切ったからだろ!」
「それは誤解です。ただ孤児院の長であるあなたが虐待をしたと言う事で一時的に止めているだけですよ」
虐待という言葉に、クララは黙ってしまう。
「え? 虐待って?」
それに雪花が訝し気に尋ねると市長は待ってましたとばかりに饒舌に口を開く。
「そうなんですよ、ここの児童を正座させたり、お尻をひっぱたいたり、頭に拳骨を見舞ったりと酷いものです」
先程、韻句が唯の物を盗み出し割ろうとした時も言っていた事だった。尻を叩くだけで許すと。
「それって教育的指導なのでは? 私も悪い事をしたら拳骨食らう事もありますもん」
「今と昔では違うのですよ。今そんな事をすれば虐待となります。海外なんて親が子供を叩いたら虐待で捕まるのですよ?」
「でも、愛がある指導なら問題ないと思います!」
と、雪花はここで愛という言葉を口にする。
そんな雪花に市長は一度驚いた直後に苦笑した。
論理的に話す市長に対し、愛という感情論では話がかみ合わなくなるのは当然だ。愛という壮大な言葉が急に陳腐な言葉に聞こえてしまう。
流石のクララも目を瞬かせ「雪花ちゃん、ちょっと」と言って、雪花を奥に引っ込める。
「全く、何なんですかあの子は?」
「あんたには関係ない……あと、お金は何とかしますよ。お引き取りを」
クララは腕を組んで仁王立ちし、市長を睨みつける。
だが市長はまだ引かない。それどころか更に口を開きクララの痛い所を突いてくる。
「最近、お金がないからって万引きした子供がいるらしいじゃないですか」
「……何とかします。お引き取りを」
「何とかできてないから万引きなんてするのでは? これは由々しき事態ですよ? あなた分かってます?」
「分かってます。お引き取りを」
頑として引かないクララに「やれやれ」と首を振る市長。
踵を返す市長だが帰るわけでは無かった。後ろで待機している強面の男の一人が何やら紙の束を市長に手渡してくる。
「ではこれを」
「何ですか、これは?」
見れば多くの名前が書かれた紙。
数十枚あるだろうか、クララが次々にめくっていくとすべてにびっしりと名前が掻き込まれている。
「これはここにリゾート施設を建てて欲しいという周辺住民の署名です」
「へ? これが?」
「それはほんの一部です。全部で十万人の署名がありますよ」
「じゅ、十万!?」
「万引きの件が効果あったみたいですね」
「効果的だと!? あんたっ」
まるで万引きが良い効果でももたらしたかのような市長の言い草。
さすがのクララも怖い顔をして市長に詰め寄るがすぐ後ろで待機する強面の男が間に入って睨みつける。
「ああ、いやいや、私ではなく周辺住民の皆様が……ね。周辺住民の皆様も、万引きするような子供達が近隣にいたのでは不安でしょうし」
クララは市長に今にも殴りかかりそうな表情だ。
ただ市長の言う事も最もだった。
お金がなく万引きをする子供、そして虐待を行うであろう孤児院の院長。これが事実であれば市長としても放っておくわけにはいかないだろう。
周辺住民の心象も悪いとなれば、この孤児院は一ヵ月も経たない間に潰れてしまうかもしれない。
だが一つ、クララは気になる事があった。
「万引きの件……もしかしてあんた達が」
「はい?」
「やった子に聞いたんだよ。そそのかされたって」
「はぁ?」
「万引きした物を眺めてた所に、知らない奴が近寄って来て金がないならこうすればいいって言われて入れられたって。迷いに迷ってやっぱりやめようとした所を店員に取り押さえられたって」
クララの言う事が本当であれば万引きをした子供がお金がない事を知っていた事になる。更に店を出てもいないのに普通は取り押さえることなどしない。
ただそれを市長がやったという証拠は何処にも無い。
そんなクララの言葉を鼻で笑う市長。
「それを? 私が? はっ、追いつめられた人間は得てして大それたことを言うものですなぁ。全く、罪の擦り付けなんてやめて欲しいものです」
「だっておかしいだろ? 店を出ていないのに捕まるなんて! どうせその店員ともグルなんだろ!?」
「学生鞄に詰め込んだ時点でそれはもう盗んだのと同じでは?」
「あんた……何で学生鞄って知ってんだ?」
「あ、いえ、そりゃあ学校から帰る放課後の時間帯なのですからそうではないかと予想したまでで」
「放課後の時間帯? 何で知って……あんたまさか狙って――」
喋れば喋る程ぼろを出す市長。間違いなく市長の差し金だろう。
だがそれを指摘するクララに市長の顔がタコように赤くなっていく。
「いい加減にして下さい! 何を根拠にそんな事を言っているのですか!? 侮辱罪で訴えてもいいんですよ!?」
「はぁ!? 逆切れしてんじゃ――」
「あなたが本当に子供達の事を思うのならこんな家族ごっこは止めてここを手放した方がいい!」
「家族ごっこだと!? あんたがここを潰したいだけだろ!」
正義は自分にありと、クララは強面の男を押しのける。
更に市長の胸倉を掴むと後ろにいた他の強面の男達がクララを引きはがし、更に突き飛ばした。
「え? クララさん!? どうしたの!?」
玄関の先で騒いだことから子供達や唯も何事かと、駆け寄って来た。
そこには突き飛ばされたクララを雪花が抱きかかえていた。
「ちょっと暴力は止めて下さい!」
雪花が叫ぶが市長の前には四人の強面の男達。
そのうちの一人が肩を怒らせて歩み寄って口を開く。
「掴みかかるのは暴力じゃないのか? ああ!?」
男に凄まれた雪花はおずおずと下がってしまう。
「雪花ちゃん、下がってて」
「院長さんよぉ、あんたも早く首縦に振らねぇと」
男の一人が近くに落ちていた石を拾って思いっきり孤児院に向かって投げつけた。
見事窓に命中し、ガラスの割れる音と子供の悲鳴が響き渡る。
「どうなっても知らねぇぞっと」
更に他の男達も次々に石を拾って投げつけ、窓が次々に破らていく。
続いて男は玄関のドアを思い切り蹴り飛ばす。くの字に曲がったスライド式のドアはもう使い物にならないだろう。
「あんたら! よくも!」
「お? やんのか!? かかってこんかい!」
男は怖い顔をして、ポケットからナイフを取り出して威嚇してくる。
雪花も流石に四人は相手に出来ない。更にビビりな為、ナイフに怯え、クララの後ろに隠れる始末だ。
「くっ、卑怯者! 市長が市民にこんな事していいと思ってんの!?」
「はぁ……嫌ですねぇ。市長たる私が守らなければならないのは善良な市民です。あなた達のような不良の市民ではありませんよ? 市民の民意に反する事をしているのに、こんな時だけ善良な市民面ですか?」
強面の男達が市長を守るようにクララと市長の間に陣取っている。
それで市長は安心したのだろう、落ち着いて襟を正し冷静に言い放つ。
「恥を知りなさい」
と。
そんな市長の言葉にクララ達はどうする事も出来ない。
だがその後ろから一人の少女声。
「銃刀法違反、婦女暴行」
それは最近、雪花が良く聞くようになった声。
「器物破損に恐喝行為」
「あ?」
強面の男達が振り向くとそこには青い髪の少女。
「お前ら全員歯ぁ食いしばれ」
茜だった。
茜は眉間に皺を寄せて怒りの表情。手には鞘に納められたままの青桜刀が握られている。
「ひっ」
市長はその茜の刀に恐れをなして男達の後ろに引きこもる。
「何だてめぇ、やんのか? ああ!?」
茜の手には青桜刀があるものの、茜自身は小さく恐怖の対象たり得ない。
更に日和の国は法治国家。こんな所で刀で切り付けてくるわけがないと高を括っているのだろう。男達は声で威嚇しながら肩を怒らせて近づいてくる。
そして男が刀で届く間合いに入った瞬間だった。
「ふんっ」
「ぐっ」
茜は躊躇なく、男の脇腹に鞘に納めたままの青桜刀をめり込ませる。
だが茜はか弱く、男の体格は屈強だ。
脇腹にめり込んだ鞘を握って掴み、茜の動きを封じた。
「へっ、へへ、捕まえたぜ。良く見りゃ可愛いお嬢ちゃんじゃねぇか」
男は青桜刀を取り上げようと鞘を引くがそこに重さは無い。
「あれ」
男が引いた事で抜身になった青桜刀は既に青い閃光を描いていた。
茜は体を回転させ、青桜刀を再び男の脇腹にめり込ませていたのだ。しかも抜身にしたことで茜以外には青桜刀の特性で重くなる。それはレゾナンスである雪花でも持っていられない程に。
「ぐぁあっ」
男は膝を突いて脇腹を抑え頭を垂れる。血は出ていないので峰打ちだろう。
その男の頭を茜が思いっきり蹴り上げた。
「がっ」
茜の蹴りは男の脳を揺らし気絶させた。
そんな茜の流れるような剣技と蹴りに残りの三人は恐怖を感じたのか怒らせた肩をすぼめて立ち止まってしまう。
「こ、この女っ」
「ただもんじゃねぇ……」
「ど、どうする?」
男達は顔を見合わせてどう対処するかを目で示し合わせているようだった。
だがそこへ市長の声。
「何してんだ獄道組! 相手は一人! しかも女だぞ!」
市長は叫んで男達を茜へけしかける。
獄道と言えばジュリナの姓だ。組という事なので何かの団体なのだろう。
「ちっ、分かったよ」
と、市長の方を向いていた男が前を向いた時、既に茜の姿はなかった。
「え?」
よそ見をしていた男の横に茜はいた。
男の側頭部には既に、青い閃光の軌跡が辿り着いている。
男は側頭部を青桜刀で殴打され声なく倒れた。
「あと二人」
茜はニヤリと笑うと男達は一歩後ずさってしまう。
それを茜は見逃さない。
「あら、戦意喪失? 戦場では怖気づいた奴から死んでいくんだよ?」
「な、なめてんじゃねーぞ!」
自分よりも一回りも二回りも小さな少女に挑発され、一人の男が飛び出していく。手にはナイフが握られている。
「死ねっ!」
ナイフの切っ先を茜に向けて振り降ろす。
「あー、ダメダメ」
茜はその手の甲を青桜刀の腹で弾く。
「いっつっ!?」
その衝撃でナイフは手から離れる。そして青桜刀の重量は男の予想をはるかに超えたもの。
男の体制は崩れ、茜に倒れかかってくる。
茜は避ける事なく、身を屈め、その男の懐に入り込んでいく。
「そんな振り方じゃ人一人殺せないぞっと」
懐に入り込んだ茜の右足は男の股間を的確に蹴り上げていた。
「うぉおお……」
男は声にならない声を這い出しながら涙を流し、地面に突っ伏し悶えている。
そして最後の一人に剣先を向けて笑顔で睨みつける茜。それはさながら最後の得物を逃がすまいと狙いをつける暗殺者の様相。
「お兄さんは? まだやる?」
「そ、そんなもんで俺がビビるわけねーだろ! なめてんじゃねーぞ!」
「じゃあ真剣で」
茜は青桜刀の刃を返し、男に向ける。
「す、すみませんでした!」
その刃を見せただけで男は土下座し、降参したのだった。
「ん、よろしい」
茜はその男をスルーし、市長に近づいていく。
茜が前に来ただけで市長は腰を抜かし、地面に尻をついてしまった。
「あ、茜ちゃん?」
そう声を掛けてきたのは雪花に支えられていたクララだ。
クララには不思議だっただろう。自分よりも小さな体で、か弱く、儚い美少女が何故屈強な男を薙ぎ倒せるのか。
茜は元裏組織のトップエージェントなのだ。そこら辺のチンピラなど取るに足らない存在なのだ。
「お風呂一足先にもらいました。子供達は門の前で待たせています」
「は、はあ」
と、クララに丁寧にお礼を言う茜。
すると先程土下座をしていた男が起き上がっていた。
「あ、茜! 後ろ!」
雪花が声を上げるがもう遅い。男は思い切り茜を取り押さえようと飛びつく構え。
「おい」
その茜の声はとてもどすの効いた低い声。
更に茜の手に握られた青桜刀の剣先は寸分違わず、男の眉間に向けられていた。
かくして、男は止まるしかなかった。
「こ、こいつ……目が後ろについているのか!?」
「ねえ、お兄さん」
「へ?」
「ど・げ・ざ」
茜は男を見もせずにそんな事を言う。
「はいっ、すみませんでした!」
男は額を地面に擦りつけて見事な土下座を見せつけてくる。
手下はもういない。市長はもう裸の王様状態だ。
だがそこで、尻もちをついている市長は不敵に笑う。
これは気がふれたわけではない。市長はこの状況を狙っていたのだ。
「ふ、ははは、これで孤児院は終わりだ! 暴力で民主主義を歪めた! 周辺住民の十万の署名もある! 万引きにいじめ、暴力行為! この孤児院は問題大有りだ! がははは!」
市長に対して暴力を振るう。
これが知られたら孤児院は一ヵ月もせずに潰れてしまうだろう。
「な、何言ってんだい! あんたらが先に仕掛けて来たんだろ!」
クララは抵抗するが市長はそれを鼻で笑う。
「こんな小汚い孤児院の事を誰が信用するというのだ」
「そんなの警察に……言って……」
そんな市長の言葉にクララは警察という言葉を出すがその先は出てこない。
警察は唯のいじめを握りつぶした過去がある。市長の自信はまさにそれを暗示している。正当防衛だと警察に言ったところで立場が悪くなるのは孤児院の方だろう。
「ふ~ん」
「あ」
と、市長は自分の手から周辺住民の署名が記載された紙が無くなっている事に気づく。
それは茜の手の中にあった。
先程土下座した男の背中に腰を下ろし、足を組んでその署名を熱心に読み込んでいる。
「ねぇ、この署名本物?」
「な、何を! 本物に決まってるだろ! いや、決まっているでしょう。ほら、返しなさい」
「筆跡が同じ人多くない? しかもこっちには同じ名前あるし。そもそもここって人口十万人くらいだよね? 全員が署名書いたの? 結構広いけど」
桜之上市の人口は十万人程。その全員が署名した事になる。その人口の中には子供や赤子もいるはずでそれも署名したのだろうか。そこにもし不正があったとしたら立場が悪くなるのは市長だろう。
「あ、当たりま――」
「これ、録音してるからね? 偽造だとしたら犯罪だけど大丈夫? そもそも個人情報をこんなところに持ち出して大丈夫かって話もあるけど」
ここで市長を黙らせず、全て録音し公開してもよかったのだがそれだけでは生ぬるいと、茜は遮ったのだ。
「さっき起きた事も全部録画しているし、警察に突き出してもいいんだよ?」
「ふ、ふん。突き出したところで何も変わらんさ! 試しに出してみると良い! どうせ」
「警察は動かないんだろ? 後ろにはこわーいおじさん達がいるもんなぁ」
茜にはもう大方の想像がついていた。この桜之上市を取り巻く情勢について。何と何がどうつながっているのか。
「お、お前……何故それを……」
「ふふっ、警察になんか出さないよ。警察が動いたとして、それであんたが逮捕されたんじゃ生ぬるい」
「は、はあ? 何を馬鹿な――」
「万引きも、暴力行為も、唯へのいじめも私は絶対に許さない。あんたには……それ相応の罰を受けてもらう」
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