「いいか? ちゃんと見ておけよ?」
『うん』
茜はお手本を見せる為、雪花が逃走し空いた席に向かう。
「まずは席の座り方だ。まずはターゲットではなく最初は違う方に声を掛ける」
『何でですか先生!』
「ターゲットにどんな奴が隣に来るのかをまず考えさせる。すると自然にどんな人なんだろうと興味が湧くだろう? そして最後に話しかけた方と会話を続けることになるからだ」
『なるほど』
茜はまずターゲットとは逆の男に声をかける。
「すみません。この席大丈夫ですか?」
「え? あ、どうぞ……誰もいないので」
「ありがとうございます」
茜はターゲットとは逆の席に座る男に了解を得る。どうでもいいが男は茜の可愛さに釘づけで、ずっと茜を見つめたままだ。茜は茜で直ぐに視線を外すのも不自然なので首を傾げてニコリと笑って男の視線を自ら外させる。内心では何見てんだと言いたいだろう。
そして雪花はターゲットの方をちらりと見るとターゲットの男は次自分が話しかけられると思っているのかテレビと二人のやり取りを交互に観察している。
茜はターゲットの男に向き直る。
茜はターゲットとの身長差で見上げる形になる。その茜の表情は少し怖がっている様子だ。
『あれ、何も言わないの?』
男はその視線に気づいて目を瞬かせた。
「誰も座ってないから、座ったら?」
その言葉を待っていたとばかりに茜は隣の逆側の男とは違い、不安の表情から一転、ぱっと満面の笑みに変える。
「ありがと」
更に首を傾げる。それにつられて前髪も傾き可愛らしいおでこが小さく顔を覗かせる。
「ど、どういたしまして」
『何という破壊力!』
ターゲットの男はこの時点で茜の可愛さに心打たれ動揺している。
自分を落ち着ける為だろう飲み物を口に運ぶ。だが自分が頼んだコーヒーではなく、雪花が頼んだアイスティーを間違えて飲んでしまう程に。
この時点でもうハニートラップは成功したようなものなのだが、雪花の為にお手本を続ける茜。
まず他の人には了承を求めるのにターゲットへは見つめるだけで何も言わないのは理由がある、と茜は男に見えないように口を動かす。
「これは私がターゲットを怖がっていると思わせる事が重要だ。自分は怖くない、害の無い男だよと、心をターゲット側から開いてもらう手法だ」
『成保!』
「因みに体格がでかい奴と強面にしかしたらダメだ」
『勉強になります!』
そして自分からではなくターゲットから席を勧めさせる。そうする事で席を茜にプレゼントした男は茜のお返しを無意識に期待する形となる。これによって後の展開がスムーズに運ぶのだ。
「すみません、ミルクココア一つ。ホットで」
『あざと!』
ここでコーヒーやアイスティ等、甘みのない飲み物を選択しては駄目だ。茜のように見た目の年齢が低い場合、酒類なども悪手となる。茜は自分の見た目と周りからどう見られているかを既に掌握している。
というよりも最近まで男だったのだ。まだ実感がわかない為、客観的に見れているのかもしれない。
「ホットミルクココアですね。お待ちください」
そして男はあざとい飲み物であればある程、心躍るのだ。
茜は飲み物を待つ間、右肘をカウンターにつく。拳は口元に。ここではすぐに話しかけず、焦らす。
目線は男ではなく、男が見ていたテレビの方へ。視線は合わせるのではなく、併せるのだ。
「ホットココアです」
「ありがとう」
出されたホットココアは片手で持ち上げられない大きさではない。しかし茜は両手で包み込むように持つ。か弱さと手の小ささをアピールするのだ。
『あざと! しかもこの暑いのにホットって!』
男はテレビを見ている体を装うが、ふとした瞬間に茜をチラチラとみている。すこし気になっているようだ。
自分が勧めた席に可愛らしい子が座り、同じテレビに興味を持っていれば気になるのは仕方がない事。
茜は一口ココアを飲み、ため息をつく。甘さでだろうか茜は目を細める。目を細める効果は横顔が年齢に反して大人び、妖艶にみえるのだ。
『なるほどため息をして目を細める……か』
男が茜から目を離し、そしてまた横目に見た時だった。茜も横目に男を見ていた。細めた目で。
「あ」
思わず男が出した言葉に茜は唇を釣り上げ、ついた肘を視点に顔の正面を男に向けた。
そして口を開く。
「好きなの?」
『あんた何言ってんの!?』
そんな男を誘惑するような一言。
「え? 好きって……」
男を翻弄し、勘違いさせる言葉を吐く。
そして頬を支える手はいつの間にかテレビを指さしている。
「サッカー」
「あ、ああ。そう、サッカーね」
テレビに映っているのはサッカーの試合だった。
「好きだよ」
「どっちが?」
そして矢継ぎ早にまた思わせぶりな態度に男は息をのむ。
男が何も言えないでいると茜は男をのぞき込むように首をかしげる。
「ど、どっちがというと?」
「どっち応援してるの?」
茜が効いていたのはテレビか茜かということではなかった。
冷静に考えればわかる事なのだが、茜の妖艶さと主語を省いた問いが男を翻弄する。
「ああ、えと……キルミアだよ。出身がキルミアなんだ」
こうなればもう男は茜の掌の上だ。現に自分の出身国を自ら吐露してしまっている。
「キルミアか、強いよね。相手はオーランか。オーランに一人強い人いるけど相手が悪いね」
「メフティ選手だね。彼はアスラマに所属してるけどキルミアはタレント揃いでしかも連携も取れてる」
そして相手の興味がある話題へ迎合。
「詳しいね」
「昔サッカーやっててね」
「だから体格いいの?」
「いや、これは仕事柄鍛えているんだよ」
「へぇ、そうなんだ」
雪花のようにがっつかず、しかし興味はあるぞと言わんばかりに茜はまじまじと筋肉を見つめる。
すると男は見せつけるように、更にTシャツの腕を肩までめくる。
「触ってみるかい?」
雪花とは違い自らさらけ出してくる。
「うわーすごい! 私もこれくらい筋肉欲しいなぁ」
『うわぁ……』
茜は感情を込めた「うわーすごい!」で端を発し、筋肉を触ったり握ったりしている。
今は夏、クーラーの効いているフロアでさらけ出されている腕は冷たくなっているもの。
そんな冷えた腕にホットココアで暖められた手の平を押し当てられるととても気持ちがいいのだ。これによりボディタッチの効果が倍増する。
『なんだか、あんたを見てると女としてへこむわ……』
雪花がへこんだところで茜は手を離すと男に手を差し伸べる。
「あ、私は茅穂月茜です。十六歳」
「クリストファ=ハーランド、クリスでいいよ。俺は二十歳だよ」
ここで男の名前をゲットする。更に年齢を付け加える事で相手の年齢も自然にゲットできるのだ。
「じゃあ、私も茜で」
「茜は日和の国出身かい?」
「そう、サッカーはなかなか強くならないけどね」
「あはは、でも日和の国って一度は行ってみたいなぁ。神社やお寺があるっていうし」
「春には桜、秋に紅葉見ながら回るともっと綺麗だよ?」
「でも俺貧乏だからいけないなぁ」
「あはは、お兄さん面白いね」
「へ?」
男は今笑うところがあっただろうかと自分の言葉を頭で反芻するが何も思い浮かばない。雪花もまた何かの策かと思ったが違ったようだ。
茜は男が思い出す前に口を開く。
「だってこの船、日和の国行きだよ?」
「あ」
『あ』
「ん? 何か変な事いったかな?」
茜は笑顔で首をかしげると、男は急に立ち上がった。
「俺そろそろ行かないと」
「そっか、楽しい時間をありがと」
「ああ、こちらこそ」
「じゃあ、またね」
「また」
男は慌てるように席を立ち、足早にその場を離れる。
茜は少しして、バーを離れて窓際の空いている席へ移動する。外を眺めていると、雪花が周囲を警戒しながら駆け寄ってきた。
「やるじゃない」
「ふふん、少しは見直したかね」
「うんうん! あんなに猫なで声で男に媚びるなんてすごいわ。私にはできないわね」
ため息交じりに茜の前に座る。
鼻高々だった茜だがその言い方には釈然としないようだ。眉根に皺を寄せるがため息をついて話を変える。
「でもこれで確定したな」
「何が?」
「あいつがこの船に紛れ込んだハイジャック犯だってことがだよ」
その茜の言葉に雪花はただただ茫然とするばかりだった。
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