茜は天井から降って来た機動隊員の衝撃に地に伏せってしまう。
それは物理的な衝撃ではなく、機動隊員の恰好に。
「プククッ……ぷわっはあはぁ」
我慢しながらも吹き出し、息ができない程の笑いが茜を襲う。
茜は機動隊装備のサイズ確認を怠っていた。
その為、図らずも茜は弱点を突かれ身動きが取れなくなってしまった。
そしてその青鬼に変態と揶揄される機動隊員はもちろん剣だ。
四年越しとなる機動隊突入の失敗は許されない。だから保険をかけておいたのだ。
だが茜に合わせて用意されたその装備が剣のようながっちりとした体に合うはずがないのだ。
「ふん、今更機動隊員が……もとい変態が一人増えたところで、何だってん――」
青鬼は太い腕を振りかぶり剣に向かって拳を繰り出した。
「だ!」
青鬼の大きく重く、早い剛拳が剣に命中した。
青鬼は森島や長島のように吹き飛んでいくものだと思っていた。
だが剣は吹き飛ばない。それどころかその拳を片手で止め、フェイスガードの下から鋭い眼光で青鬼を睨みつけてくる。
「な、なんだこの変態は!?」
青鬼の拳を片手で難なく受け止める剣。何か巨大な岩石でも殴りつけたと勘違いしている事だろう。
そのうろたえる青鬼の腹には既に剣の拳がめり込んでいた。
「うがっ!?」
それは茜を守る為か、それとも変態と揶揄された事への腹いせか、周囲にもその衝撃と肉体と肉体が衝突する音がこれでもかと鳴り響く。
機動隊員達を絶望に突き落とした青鬼は簡単に膝を突き、腹を抱えて床に突っ伏した。
そしてちょうどいい所に顔があると剣はは思いっきり青鬼の頭を蹴り上げた。
「ぐはっ!?」
蹴り上げられた青鬼の頭が天井に突き刺さる。頭だけが突き刺さり、体はぶらぶらと力なく揺れて。
更に剣は飛び上がり、青鬼の腹にめがけて十数発の拳を空中で見舞っていく。青鬼はその衝撃で天井を横断し、壁を激突し、突き破って吹き飛ばされていった。
「だ、誰だあの隊員は!?」
「知らんな……」
「知らないっす」
長島が問うが小島も中島も首を傾げるだけ。森島に至ってはぽかんと口を開けている。
「あれはふふ……どう見たって機動隊員……じゃないですかっ、ぷっははは」
ついに茜は腹を抱えて笑い出した。
「い、いやしかし……何だか装備のサイズあってなくないか?」
「な、ながしまさ……や、止めて……はあはあ……苦しっ」
長島が言うと茜は更に笑って転げて回る。
だが剣も剣だと茜は笑いながらに思う。
サイズが合っていなければ言ってくれと。
昨日、茜は剣の家に機動隊員の装備を配達したのだ。そこで任務の事は言わず直ぐ帰った。一般人の茜がそんな事を言うのは変だからだ。
だから任務の詳細はセレナに伝えてもらった。だがセレナも装備のサイズが合っていないとは夢にも思っていなかっただろう。
セレナはその装備を着て茜が驚異の前に立ちはだかったら飛び出すように指示を出していた。
剣は余計な事は考えず、忠実に依頼をこなす。飛空艇アシェットでも茜の釣りをしたいという提案を断っていたくらいだ。そこが仇となった。剣は忠実にセレナの指示を守っただけなのだ。
「くっ……何で俺だけ……」
サイズ違いから剣は仮想大会か何かと勘違いした事だろう。
だが周囲は普通の機動隊の装備の姿で溢れかえっている。剣としては今すぐにでも逃げ出したいに違いない。
「オラァ! オラオラオラアアアア!」
現に剣の追撃は今まで経験したどの任務よりも激しい。
そして茜はそれを見てただ大笑いしているだけ。
「めちゃめちゃ強いなあの隊員は」
「あの人だけで良かったんじゃないっすか?」
と、中島も小島も青鬼を圧倒する剣を見て脱力し腰を落としている。
「確かに……あれほどの力を持った隊員がいるなら……」
最初から出せばいいのにと長島は思っただろう。
だが茜の先程の言葉を思い出す。
「成程、そうか……茜さん」
「はぁはぁ、ふえぇ?」
自分の名前を呼ぶ長島に、笑い転げていた茜が息も絶え絶えに振り向いた。
「ありがとう」
そう言って長島は茜に微笑んだ。
それは茜の思惑を全て分ったうえでの表情。そんな長島に茜の笑いのツボを刺激する指圧師がゆっくりと姿を消した。
「はぁはぁ……いえ、まだ礼を言うのは早いですよ」
茜は息を整えて立ち上がり、微笑みながらそう言った。
そして次に視線を向けたのは森島だった。
「森島さん!」
茜は急に呆然としている森島の名前を叫ぶ。
「え? 何?」
「玄とジュリナは追わなくていいんですかっ?」
森島ははっと思い出す。自分は長島に何を命令されていたか。
小島と中島は立つのもやっと。現在動けるのは茜と森島しかいない。
「そうかっ、獄道玄を追わないと!」
「動けますか?」
「ああ、多分大丈夫だ!」
「私も行きます」
「分かった」
茜と森島はそう言って、バリーが作った穴から玄達の後を追った。
青鬼を連打する変態を横目に。
「君! ありがとう!」
「機動隊員さん、青鬼は任せた!」
去り際に茜がそう言うと青鬼に突き立てる変態の拳が一つだけ親指を立てたのだった、
青鬼は剣に任せておけば大丈夫だろう。その間に茜と森島は獄道組の組長である玄とジュリナを追う。
だが獄道組の事務所はちょっとした豪邸で広く、まるで迷路だ。
「どこ行ったんだろ?」
「さあ、こっちの方へ逃げてはいったんだが」
事前に図面は見ているものの隠れ通路などは分からない。
茜と中島はすぐに行き詰ってしまう。穴から少し走るとそこには長い廊下が続き、いくつもの十字路があり、どこへ行けばいいのか分からない。
恐らく事務所の外へ続く隠し通路か何かがあり、今頃は敷地外へ逃亡している頃だろう。
「姐さん! こっちです!」
「あねさん?」
その時、茜を呼ぶ男の声。
茜が振り向くと行き過ぎた十字路の角に一人の男がいた。
「こっちこっち!」
「誰だ!」
森島は銃を引き抜いて男に向ける。
見ればタンクトップにダボダボのズボンをはいている。獄道組の部下だろう。
道を教えてくれているようだ。
「お、俺は怪しい者じゃないです!」
「怪しい……」
茜は目を細めて訝しがる。
だがすぐに茜は目を見開いた。その男はアルドマン孤児院で茜が椅子にしていた男だったからだ。その時も確か茜の事を姐さんと呼んでいたのだ。
「あ、あっしは姐さんの強さと可愛さと男気と尻に惚れやした! だから何かお手伝いさせて下さい! あとこれ姐さんの靴でございます!」
正当な理由に織り交ぜて艶めかしい理由を交える男。
それに警官である森島は反応せざるを得ない。
「尻!? まさか君! この男と――」
茜は靴を履きながら勘違いする森島に慌てて取り繕う。
「ち、違う! 私が孤児院で椅子にした奴だよ!」
「椅子?」
椅子と聞いて困惑する森島。そう言えば森島が大広間に突入した時、茜は獄道組の部下達に土下座させていた。その一人を椅子代わりにして。
「それもどうかと……」
「行こう!」
だが説明が面倒なのか、靴を履き終えた茜はその男について行く。
「この男……信じていいのかい?」
「いいのでは? この世界は意外と単純な人多いからさ」
茜に絆された男の動機は不純だ。だが茜の可愛いお尻は世界を救うのだ。
男に案内されたところは地下につながる階段だった。入口は床と同化しており、一見しただけでは分からない。部下の男が開いてくれなければ分からなかっただろう。
「こっちへ」
男は先に入る。
二人を先に入らせれば閉じ込められる危険性もあったがそれは無いようだ。
三人は薄暗い階段を駆け下りていく。
すると降りた先には長い通路が。
あまり使われていないのだろう、少しカビっぽく夏であるにも関わらずひんやりしている。だが一定間隔に灯りがついている為、最近誰かが通ったのだろう。
三人はその通路をひたすら走っていく。
やがて扉があり、開けば目の前には夕日が浮かんでいた。
意外な事に眼下には多くの人が利用する駅が確認できる。帰宅の為に列をなして電車を待っている人々が多く蠢いている。
「こんな所に繋がってたんですね」
男もここまで来たことはないようだ。この先は分からないのだろう。
「ありがとう! あんたはちゃんと警察に捕まるんだぞ!?」
「はい! 姐さん! お気をつけて!」
男はまるで組長でも見送るかのようにキレのある一礼をして茜達を見送ったのだった。
「森島さん、あの人の罪軽くしてやってよ」
「あとで掛け合ってみるよ」
茜達は冗談交じりにそう言いながら階段を駆け下りていく。
階下には扉があり、そこを開けると駅のホームだった。
帰宅ラッシュのようでホームには多くの会社員の姿。
「こんなに多いと探すのは――」
「あ、居た! あそこ!」
「え?」
と、森島が諦めかけていたその時、茜が目ざとく玄とジュリナの姿を見つけた。
青鬼に手間取ってしまったがどうやら追いついたらしい。
二人は電車で逃げるつもりだったのだろう。
茜が指さす方向を見るのと、袴姿の玄とジュリナが森島に気づくのはほぼ同時だった。
機動隊の恰好はとても目立つ。
「あ、逃げた!」
玄とジュリナは茜達を見つけるや否や階段を駆け下りていくのだった。
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