『黙って聞いてくださいね』
そんなセレナの音声が茜と雪花、そして剣の耳に入ってくる。
雪花が一瞬、小さく身じろきし、ダニアがそれを目ざとく察知し疑いの視線を送る。
「はっくしゅっ!」
「寒いかい?」
「だ、大丈夫です」
たが合わせて茜がくしゃみをしたせいで、雪花がびくついた。そのせいで雪花の反応はうやむやになり、ダニアの疑いは晴れる。ダニアは雪花から視線を外す。
そしてセレナの言う人質の皆さん、というのが気にかかったのか、剣は一般人である茜を見る。そこには茜も入っているのだろうかと。だが茜は一瞬ちらりと剣を見ただけでそっぽを向くだけ。後で何とでも説明できるとでも思っているのだろう。
『雪花さん、力を抜いて自然に振舞ってください』
「は、はいっ」
そんな返事をしてしまうと茜が思いっきり雪花の足を踏んずけた。
「いっったあああ!」
「あっ、ごめーん雪花、大丈夫だった?」
痛みに顔をゆがませる雪花。だが茜の顔も笑顔だが歪んでいた。これ以上余計な事をするなということだろう。
『本題に入ります。先程剣君が送ってくれた画像の兵士はバドル傭兵団の一員です』
バドル傭兵団は飛空艇アシェットで古代の遺物を護衛していた傭兵団だ。既にダニアというバドル傭兵団副団長が顔を晒しているので茜も剣も分かっている。
『先日とは別働体のようです。そして先程新たな情報がハウンドより寄せられました』
ハウンドとはバドルを追っていた追跡専用班だ。犠牲を出したものの任務はこなしているようだ。
『殺害されたハウンドの映像を解析したところ、ブラッドオーシャンという組織と接触があったようです』
これには流石の茜と剣も目を見開いた。
ブラッドオーシャンとは、犯罪組織としてとても有名だ。様々な国の政権交代や時代の節目に現れ大きな事件を起こしている。
そう噂されている。というのも、不思議な事に未だにその全貌や動機は不明。犯行声明もない。何を目的に活動しているかは不明なのだ。
更にその組織自体は何百年も前から運営されていると噂され、構成員は全世界に無数に散らばっているともいわれている。
全て噂程度の情報しかなく、殆ど伝説に近い組織だ。それが今この飛空艇アシェットの古代の遺物に関連しているという。
ではなぜその名前があるかというと未解決事件をその組織の仕業だと報道した、とある国が決め命名したからである。
『皆さん、目を瞑って下さい。視神経経由で映像を流します』
茜と雪花、剣は皆目を瞑る。
すると瞼の裏に映像が映し出された。これは各々のイヤーセットから流される電気信号が視神経に直接干渉し、映像を映し出す技術だ。目を開いていると現実の映像とごちゃ混ぜになってしまうからだ。
そこにはバドルの背後を追う映像。そしてとある建物に入っていこうとするバドル。そこで画面が地に落ちバドルを見上げる形になっている。
恐らくこの時に死角から刺されたのだろう。心臓を一突きという事でこの時、既にこのハウンドの一人は絶命している筈だ。だがカメラだけが回っている状態。
その直後、背後に気づいたバドルが口を開いて何か話している。音声は聞こえないが裏組織のトップエージェントである茜と剣には何と喋っているのか読唇術で分かる。それは先程セレナが話した組織の名前「ブラッドオーシャン」。
映像は終わり皆、目を開く。
『真偽は定かではありません。しかし、もし本当だとすれば終末の悪魔などというオカルトじみた話にも信憑性が出てくるというものです』
と、都市伝説級の組織の名前が出たものの、セレナの声は普段と変わらずだ。
都市伝説として謳われるブラッドオーシャンの名前とオカルトじみた終末の悪魔。それぞれが個々で語られるのであればそれはただの伝説程度。しかしその二つが交われば一気に真実味を帯びてくる。
『それと、盗まれた古代の遺物には悪魔の名前が書いてあるとの事です。紐の悪魔と』
そんな単純で何の迫力もない悪魔の名前を告げ、セレナは最後に『ではご武運を』と言い残して通信を切った。
ブラッドオーシャンという組織の名前が出たことによって剣と茜の表情に変化はない。
二人とも知っている伝説の組織だ。子供のころ聞かされるおとぎ話のようなものなのだが、それがここにきて存在する可能性が出てきた。
恐怖こそ無いだろうが内心わくわくが止まらないだろう。悪魔を餌に大物が釣れたと。
「ねぇ、ブラッドオーシャンって何?」
と、雪花が小声で聞いてきた。この世界に身を置いて数時間なのだ。知らないのも無理はない。
茜は雪花が心配しないように傭兵団の一つだと簡単に説明してやった。
雪花はそれを聞いてそんなものかとあまり興味なさげだ。接触があっただけでここにいないのであれば害はないと踏んだのだろう。
「それにしても紐の悪魔って何だろ。あんまり怖そうじゃないね」
「どうだろうな。でも紐って言うからにはやっぱり」
「やっぱり?」
「働かずに家でダラダラしてる悪魔なのかもな」
「それはヒモでしょ。ある意味怖いけど」
下降し始めて十分程度でバブルエレベータはバブルトンネルを抜けた。
バブルトンネルは飛空艇アシェットをドーム型に包むバブルドームに直接つながっているようだ。トンネルを抜けるとドームの頂点からゆっくり下降していく。
バブルドームリングの照明はバブルリングのそれとは違い強烈な光を放っている。沈没した飛空艇アシェット全体をライトアップ出来る程に強力だ。
「こんな所初めて来たな」
人生の中で海底六千メートルを訪れたことがある人はそうそういないだろう。
現在観光用にバブルトンネルを用いた海底遊覧はあるにはあるがそれでも安全性を考慮して三千メートル程度だ。
バブルトンネルの動作・耐久確認が取れている深度は約五千メートルと言われている。しかし現在は六千メートル。有識者によれば理論上七千メートルまでは行けるとも言われているが誰も試したことはない。
「雪花! 海底が見える! 飛空艇ちょっと沈んでるぞ! 見てみろよ」
ハイジャック犯に囲まれながら、手すりのないバブルエレベータの上ではしゃぐ茜。
「ちょっとあまり動かないでよ! 落ちるわよ!?」
今まで狭いトンネルを通っていたからか気が付かなかったが海底が見えるとそこはかなり高い。なのに何の手すりも命綱もないエレベータの上に乗っている。落ちたら命はない。安全性は良いとは言えないだろう。
バブルドームの照明で海底と思われる地面が見えている。柔らかいからだろうかアシェットは三分の一程船体が沈んでしまっている。
「ほら見てみろよ! 白いもやもやで雲みたいだぞ?」
手もかじかむような寒さで茜は楽しそうに雪花に話しかける。白い息が小刻みに湧き出ては消える。
雪花は海底六千メートルに連れてこられた事を改めて認識しただろう。恐怖からか、はたまた寒さからか雪花の体は小刻みに震えている。
「ちょっとあんた黙ってなさいよ! こんな時に!」
曲がりなりにも人質としてここにきているのだと。茜にもその役割を忠実にこなせと小さく睨みつけるが茜は周囲を見渡して目をキラキラさせている。
周囲のハイジャック犯もバブルエレベータから身を乗り出して周囲を見回している。皆初めての経験なのだろう茜並みに目をキラつかせている。
「これがバブルドームか」
「よくできてんな」
「初めて来たが周りは暗くてよく見えねぇな」
「俺は一度観光で行ったな。三百メートルくらいだけど」
「お前、女と一緒に行くっつってたな。あれからどうなった?」
「別れた。浮気がバレてな」
「お前何回目だよ」
カップルが別れた事が発覚してすぐ、バブルエレベータは飛空艇アシェットの屋上に到着した。
「荷物を降ろせ。それと滑って落ちるなよ? 下はヘドロみたいにドロドロだ。埋まったら窒息する」
安全性皆無のエレベータから皆降りるがまだ安心はできない。飛空艇アシェットの高さは百五十メートル近くある。表面は濡れていて滑って落ちれば命はない。命があったとしてもヘドロに埋もれて窒息してしまうだろう。
「イエッサー」
エレベータの上から荷物を降ろしているとハイジャック犯と同じ軍服を着た男が一人、防寒装備で駆け寄ってくる。恐らく先行して降りていたハイジャック犯達だろう。
先に海上でバブルドームリング内に空気を入れて下へ運んでいく。そしてバドルリングを繋げて行き来できるようにしておくのだ。
「ダニアさん、お待ちしてました」
男は駆け寄ってきて話しかけてくる。
「ああ。お前ら、荷物は全部下ろしたな?」
「全て完了しました」
バブルエレベータの上に何もない事を確認し、ダニアは端末を操作する。するとバブルエレベータはすぐに上昇し海上に戻っていった。上からまた何か運んでくるのか、それとも大物がやって来るのかは後のお楽しみだ。
「それで、首尾は?」
「はい、内部に侵入した海水は全て抜き終わりました。主電源は破損がひどく修復不可能。予備電源を起動し船内は灯りがついています。メインエレベータは問題なく」
ダニアと海底で待っていた男は話しながら屋上にぽっかり空いている穴へ歩いていく。そこにはまたしても金属の板が顔を出している。これは飛空艇アシェットの全フロアを行き来できる巨大なメインエレベータだ。戦闘機五台が並んでも問題ない広さ。使用用途は荷物の運搬だ。もちろん戦闘機などの運搬にも使用できる。
「最上階は着水時にシステムが反応し、防水シャッタ―が降りていて通行不可です。壊そうにも頑丈で」
そのメインエレベータに機材をハイジャック犯達が詰め込んでいる間。ダニアは現状報告を受けていた。それに茜は聞き耳を立てる。
「まあいい。で、例の物は?」
「無事だと思います。運搬していた船の甲板上で鉄の箱に入ったままです。どうされますか?」
「その箱を優先して開けろ」
「ここでですか?」
「そうだ、あの方がここに来るらしい」
「わ、わかりました」
あの方とは一体誰の事だろうか、と茜は考える。バドルだろうかと一瞬思ったが自分の団長をあの方だなんて呼ぶだろうか。それにマスクを外しているのだから隠す必要もない。ただでさえハウンドに追われて警戒されているバドルがわざわざ来るとは考えにくい。だとすればその上位となる存在なのだろう。もしかしたらブラッドオーシャンの誰かなのかもしれない。
「他の奴らはどうしてる? サボってるのか?」
「ええと……水で濡れていない船室をこじ開けて暖をとってるとの事です」
「それをサボってるっていうんだ、全く……」
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