そんな光景を羨ましく見つめながら雪花とクリスももう一つの座席へ移動する。
クリスと雪花は後部座席だ。ベルトを締めて雪花を迎え入れる。
「失礼します」
「どうぞ」
雪花は恥ずかしそうに後部座席に乗り入れる。茜のように小さくないので横向きに、お姫様抱っこの要領でクリスの膝の上に座った。
雪花達が座席に座ったのを確認し、剣はキャノピーを締めてコックピット内部を密閉する。
更にパチパチパチと小気味よく音を立てながらコックピット内部の側面に備え付けられているトグルスイッチを倒していく。
コックピット内部がライトで照らされ、数種類あるディスプレイに緑色の文字が浮かびあがる。
更にエンジンが動作し始めたのだろう。機体が僅かに振動し始めた。
続いて剣はつまみを回し、それぞれのスイッチの名称が緑色に点灯する。
「よし」
剣は脇にあるレバーを操作すると、エンジン音が更に唸りを上げる。回転数が上がり、出力が増したのだ。
機体の振動が更に力強さを増していく。
「オートバランサー起動、多角操作手動に切り替え、ストッパー解除、バランスホバー起動」
剣はぶつぶつと呪文のように確認事項を唱えている。
その間にもエンジン音が大きくなり、更に高音の回転音が聞こえてくる。
離陸準備が確実に進んでいく。そんな中、雪花の耳にセレナの通信が入る。
『雪花さん』
「は、はい!?」
びくつく雪花に、びくつくクリス。
何事かと雪花を覗き込むクリスだが雪花はその視線を頬に当ててやり過ごす。
『ランチャーホークで脱出するという事でフェリーから人を遠ざけます。それを剣君に伝えてくれますか?』
「は、はい! 分かりました!」
セレナは雪花の返事を聞いて通信を切った。
今剣はイヤーセットを喪失してしまっている。であれば剣の膝の上の茜に言えばいいのにと一瞬雪花は思ったが、茜は一般人の扱いだ。その茜がいきなりそんな事を伝えれば剣は混乱するだろう。何故茜がセレナと通信しているのかと。
「剣!」
「何だ雪花!?」
「セレナさんから伝言!」
雪花は剣にセレナの伝言を伝えると、剣は「分かった」とだけ言って作業に戻った。
だが雪花がそんな事を言えばどうなるか。剣の混乱は避けられたがもう一人の男の混乱は避けられない。
「君と剣は同じ組織と繋がりがある、と?」
と、クリスは端的に雪花に問いかけてくる。
クリスは雪花の頬に視線を突きさしながら目を細めて疑いの眼差し。
「さ、さあ~、何のことか私にはさっぱり」
クリスから見れば雪花は連れてくるはずではなかった人質。それが何故剣と繋がっているのか分からない。
更に雪花が顔を背けた事でクリスからはもう雪花の後頭部しか見えていない。
「まさかこの飛空艇を落としたのって……」
「私はただの幼馴染で……何も知りません」
剣は強力な共鳴力を持ち、戦闘機を操作できるほどの技術を持っている。更にハイジャック犯に扮して潜入していると思われる。あまつさえこの戦闘機で脱出するつもりだったと発言した。
それは当初は不問にしていた。だがそれをつなぎ合わせて行けば飛空艇を落とした犯人におのずと辿り着くというもの。
その時、剣の脇の下から茜が雪花を覗いていた。
雪花は茜に助けを求めるように視線を送るが、茜はニヤリと笑っただけで姿をくらましたのだった。
「あいつ……」
茜の助けは来ない。自分でどうにかしろという事だろう。
だがクリスは一つ笑って口を開く。
「でもまあ、僕も人の事を言えた義理じゃない。お互い詮索は無しで行こう」
「は、はい」
クリスも潜入捜査をしている身だ。逆にそれを詮索されたら困るのはクリスになる。だからそれで手打ちだとばかりにそんな事を言う。
茜であればそれを交渉に使うだろうが、雪花にはそんな柔軟性はない。雪花にはクリスが自分で引いてくれてラッキーだっただろう。
「動かすぞ!」
戦闘機の設定が終わったらしい。
剣はエンジンレバーを少し戻し、トグルスイッチをパチッと倒すと機体が浮かび上り、少しずつ前に進みだした。
「このまま大エレベータの昇降口からバブルトンネルを通って海上に脱出する」
剣はハンドルを操作し戦闘機はメインエレベータに方向転換し、進みだした。
雪花はおっかなそうにクリスに抱き着いて周囲を見渡している。戦闘機のライトで少し映し出された床は海水で覆われている。ライトの光が弱いせいか、黒い何かが蠢いているように見えて少し不気味だった。
それに触れれば冷たく、潜ってしまえば息も出来ない海水。黒さも相まって雪花にはとても恐ろしいものに見えてくる。
だがそれを剣は意に介さない。操縦に専念しメインエレベータの昇降口に到着する。そこは戦闘機がその場で回転しても差支えもないくらいの広さがある。
「打ち上げ離陸モードを作動する」
剣が言うと戦闘機は角度を変える。
「うわっ、ちょっと!」
先端を糸で吊るされたように、機体は真上を向いてクルクルと回転する。
正面にはメインエレベータの昇降路と小さな穴が見える。茜達がバブルエレベータで降り立った飛空艇アシェットの屋上へ続く穴だ。
「何これっ」
「これがエルヴェイストール仕様の打ち上げ離陸モードさ。カタパルト無しで真上に発射できる戦闘機なんだよ」
「へ、へえ~」
茜の体重も全て剣の腹にのしかかってくる。剣は顔を赤くしながらも確認作業を怠らない。
「じゃ、ジャイロ抑止っ」
トグルスイッチを跳ねるように倒すと回転がぴたりと止まる。
剣はレバーを倒し更にエンジン出力を上げる。
「発射用重力エネルギーチャージ完了」
キィンというスイープ音が五秒程度続くと剣は操縦用のレバーををギュっと強く握る。
重力制御装置で機体に掛かる重力を一時的にゼロにする。そして一気に戦闘機の最高速度で垂直発射するのだ。発射速度そのままにフェリーまで一息に飛び上がる作戦だ。
エンジン出力が限界に達したのか、凄まじい揺れと高音のエンジン音が一定の間隔でリズムを小刻む。
「発射する! Gがきついから思いきりいきめ! 五秒前!」
突如剣がそんな事を言う。
茜もクリスも頷いて体制を整える。ただ一人雪花を除いて。
「え?」
「四」
「いきむってなに!?」
「三」
「顔真っ赤にするくらい力入れろって事」
それに茜が短く答えてやる。
剣の言うGとは重力加速度の事。ジェットコースター等で加速した時に体にかかる負荷のようなものだ。
あまりに強いGが掛かると頭に血が巡らず失神する事がある。
「二」
「え? 何で?」
「一」
何故そうしなければいけないのか分からない雪花。
だがもう遅い。無慈悲にも剣のカウントダウンが終わりを告げる。
地鳴りのようなエンジン音と揺れ、更に唸りを上げるエンジン音と共に四人の乗る戦闘機は垂直に発射した。
重力制御装置で機体へかかる重力は数秒の間無重力。
それを利用して爆発的な加速で既に飛行速度は時速二百キロを超え、今もなお加速中だ。
あっという間にアシェットのエレベータ昇降路を通って屋上を抜けた。
「剣! 穴がちょっとずれてる!」
メインエレベータの昇降路からバブルドームリングの穴は真っ直ぐ繋がっているわけではない。少しずれている。
このままではバブルドームを突き破って海中に突っ込んでしまう。
「わかってる!」
茜がそれを指摘してやると剣は見事なレバー捌きで戦闘機を操作し、軌道を修正する。
時間にして僅か一秒にも満たない刹那。戦闘機の幅二機分くらいしかないバブルドームリングに高速で戦闘機をくぐらせたのだった。戦闘機は僅かに軌道を変えて吸い込まれるようにバブルドームリングを抜けてバブルトンネルに入る。その際、破損したバブルドームリングから漏れる海水を多少受けはしたが問題はないようだ。
戦闘機にバブルトンネルをぐんぐん上昇していく。時速は既に三百キロに到達している。
そして雪花はというとGに耐え切れず、気を失ってしまった。力ない雪花の体をクリスが一生懸命支える。
「時速三百キロで六千メートルだと後七十秒程度で地上に到達するぞ剣!」
「あ? ああ!」
発射し、トンネルとのズレを修正したのも束の間だった。
凄まじいGに屈せず、茜は的確な状況分析を行う。少し気後れしながらも剣は返事をした。
『こちらセレナです』
そこへセレナから通信が入る。
雪花は現在気を失ってしまっている為、茜にしか聞こえない。
『避難が完了しました。いつでもどうぞ』
フェリー内の人質や捕まえたハイジャック犯達をディラン達が遠ざけてくれたのだろう。
だがこのままハイジャック犯達が空けた穴から出てしまうと天井に激突してしまう。この速度で激突したら剣でも助からないだろう。だからそれを破壊しなければならない。
「剣、ミサイルは?」
「準備できてる」
剣は目の前にあるディスプレイの照準をバブルトンネルの中央に合わせる。
フェリーの天井をミサイルで吹き飛ばし脱出するのだ。
それにはタイミングがとても重要になってくる。ミサイル発射が遅すぎると天井に激突してしまう。しかし早すぎると跳ね返った破片などが落ちてきて機体が損傷してしまう。最悪、空中で爆発四散してしまう事になりかねない。
「天井は二つあるからな?」
と、茜は剣に確認しておく。
天井は二つある。ホールの床とその上のフェリー甲板へと続く天井だ。
「ああ、分かってる! って、何でお前がそんな事を……」
「死にたくないし」
「まあ、そうなんだが」
剣は右手のレバーの上部に取り付けられているキャップを取り外す。
「これを押せばミサイルが飛んでいく。二発続けて発射すれば破壊できはずだ」
「おお! このボタンかぁ」
茜は興味津々にその赤いボタンをまじまじと見つめる。
「一回ミサイルを生で撃って見たかったんだよなぁ」
と、不穏な発言をほざきながら。
茜は振り返って剣を見る。自分に撃たせろ、という事だろう。
ただ茜がどれだけ美少女でも、剣がどれだけ女性に耐性が無くてもそれだけは許容できないだろう。
「……触るなよ? 操縦が狂う」
「えぇ? この? 赤いボタンを?」
茜は言ってそのボタンを小さく細い指で指し示した。
剣が言うようにそのボタンが付いているのは操縦レバーの先端。バブルトンネルは真っ直ぐではなく、少しだけ曲がっている。その為繊細な操作が必要なのだ。だから茜の指す指から操縦レバーを遠ざける事が出来ない。
茜はニタニタ怪しい笑みを浮かべながら剣を見つめている。
「押したら駄目?」
「だ、駄目に決まってるだろ!? 押すなよ!? 絶対押すなよ!?」
動かす事が出来ない剣は張り付けにされたダーツの的になった気分だろう。自分では動けず、射手のダーツの針に怯えるだけの的だ。
だがそのダーツの射手が可愛らしく剣を見つめてくるものだから許容してしまいそうになってしまう。
美少女のお願いとあらば仕方ないと、剣の心が揺れ動く。だが先に折れたのは意外にも茜だった。
「分かった。私だって今がどんな状況か分かってるよ」
「そうか……ならいい」
茜は小さく細い指をしまって握り、膝の上に置いた。
この状況下でも茜は茜だった。だが最後はきちんと皆の安全を取ってくれる。生死のかかった状況でやっていい事といけない事くらいわきまえているのだ。
茜はミサイルのスイッチを押そうと前傾姿勢になっていた体勢を一度元に戻す。剣の腹に背を預け、小さなお尻も元に会った場所に戻す。それは剣の膝の上なのだが、現在垂直飛行を続けている為、茜のお尻がその奥に押し付けられる。
「う!?」
その時、茜の尻と剣の股間、そして剣の親指が連動しミサイル発射用のボタンが押し込まれた。
何やらモーター音が鳴った直後、一発のミサイルが爆炎と煙を吐き散らしながらバブルトンネルを上昇していく。
茜と剣はそのミサイルを沈黙したまま、ただただ見送っていたのだった。
「……え? 何で今撃ったの?」
茜は剣を見もせずに、ただミサイルの綺麗な上昇の軌跡を眺めながら呟くように訪ねる。
「物の弾みというか、お前のおし……いや」
「おし?」
「お、お前がはしゃぐから当たっただけだ!」
「はぁ!? 私のせいかよ!」
発射されたミサイルはそんな二人事等我関せずといった具合にバブルトンネルを上昇していき既に見えなくなってしまった。
まだあとフェリーまで二十秒はかかるだろう。
「ど、どうすんの?」
ここにきて初めて見せる茜の少し焦った表情。それが剣の正常な判断を奪っていく。
「お、押してみるか?」
もうどうにでもなれと、破れかぶれになっているのだろうか。
それとも失敗した責任を二人で分け合おうという腹積もりなのだろうか。
いずれにせよ魅惑的な餌を目の前に吊るされて黙っている程、茜は慎ましくはなかった。
「押す!」
茜は剣の握る操縦レバーの赤いボタンを、意気揚々と押し込むのだった。
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