光と茜の差分

裏組織のトップエージェントが超絶美少女になって世界を救う
天澤清二朗
天澤清二朗

第38話 ~茜、捕まる~

公開日時: 2023年8月1日(火) 10:26
文字数:4,711


 茜はあると思っていた扉が無くなった事によりそのまま背中から倒れてしまう。


「いっ――」


 痛みと、背もたれがない事に気づいた茜は尻をついて出る言葉を止める。そして扉を開けたであろう犯人に対抗する為、青桜刀に手を掛ける。

 だが一呼吸遅かった。青桜刀に伸ばす茜の手首に触手が巻き付いて拘束する。

 抵抗しようともがくが茜は腕力があるわけではない。茜は触手に手を取られ青桜刀を抜けないでいる。


「くっ、やば」

「茜!」


 すぐさまクリスが銃を構え照準を定めようとする。

 だが茜が近すぎる上に抵抗してもがくので下手をすれば弾が当たってしまう。しかしこの状況でもがくなと言うのは無理がある。このままでは他の死体と同じように連れて行かれてしまうのだから。

 だが当ててでもその触手を排除するべきだったとクリスは後悔する事となる。

 直後、無数の触手がうねりを上げて入り込んできたのだ。


「くそっ」


 クリスは立ち上がって迎撃しようとするが足の激痛でつまずき転んでしまう。

 触手は茜を逃がすまいと、手だけでなく、体や太もも、首に触手が絡みついてくる。

 やがて茜はその何重にも絡みつく触手によって玉のように包まれて抵抗できなくなっていった。

 雪花は一歩足を出す。だがその次の足が出てこない。

 目の前の恐ろしい光景に足がすくむ。

 

「あ、茜……手を……伸ばしてっ」


 雪花の弱々しく震える声。

 動けない雪花はせめて手だけでもと茜に手を伸ばす。茜もその手を取ろうと手を伸ばすが触手に拘束されている。物理的に体の自由が利かない。

 

「雪花!」

 

 そんな雪花の恐怖に歪んだ顔。それを見てだろうか、茜が雪花の名前を呼んだ。

 微かに見える茜の表情は不思議な事に笑っていた。

 

「……は?」


 雪花には分らなかった。茜が何故笑っているのかが。

 

「大丈夫、心配するな」

「え? どういう――」

 

 茜の笑顔はそういう事だった。一番危険な飲んは自分であるにも関わらず、雪花を気遣って笑顔を張り付けたのだ。

 そして雪花の問いから逃げるように、茜は船室から引きずり出され姿を消した。

 

「……こと」


 静かになった船室。ただクリスと雪花の同様の息遣いが聞こえてくるだけ。白い息がその息遣いを体現するように膨らんでは消えていく。

 最後の茜の表情。クリスはその表情が雪花を心配させないためのただの強がりに映っただろう。

 だが雪花はその意味をまだ理解しあぐねていた。

 茜が普通の少女であればクリスが感じた通りなのだが、茜は普通の少女ではない。裏組織のトップエージェントなのだ。何か勝算があるのかもしれないと。


「多分茜は……大丈夫ですよ」

「え?」


 茜はよく全てを見透かしているかのように不敵な笑みを浮かべ、実際にそれを実現している。

 クリスへのハニートラップも口だけではなかったし、ハイジャック犯二人に暴行されそうになった時も助けてくれた。だから今回も何か策がある。大丈夫だと。


「だって、あいつは……強いし……」


 だがそれはただの希望的観測であると雪花は重々承知していた。それは多くの人を殺害した触手への恐怖から。

 金属を破壊するような強力な突きを無数に放ってくる触手。そんなものに対抗できる手段など、今の茜にあるはずが無いのだ。

 そして一撃で頭を吹き飛ばす触手に何重にもくるまれ拉致されたのだ。もう茜が助かる見込みなんてない。


「あいつは……」


 そして最後に、茜が自分の顔についた血を拭いながら言ってくれた事を思い出す。私が守ると、茜は言ってくれたのだ。そこで雪花はある事を思い出した。


「護衛対象だった……」


 それがセレナから言い渡されていた表向きの任務だ。

 そして裏の任務は雪花を助ける為に自分の命を犠牲にする茜に二人で助かる道を模索させること。

 雪花は目をギュっと瞑って目に溜まっていた涙を絞り出す。

 そして目を見開くとほぼ同時に走り出していた。目の前で立ち上がろうとするクリスを押しのけて。


「雪花ちゃん何を!?」


 雪花は息を短く吐きながら茜が連れていかれた軌跡を辿る。金属の床を打ち鳴らし静寂に包まれていた廊下にこだまさせながら。


「絶対死なせない!」



 その頃、触手に包れた茜はバドルの目の前にまで運ばれていた。


「ほう……一人、ツワモノがいると思ったら」


 茜を包んでいた触手が解かれている。だが両手両足、そして口を塞がれた状態でバドルの前に宙吊りにされていた。バドルの背中から生えている平たい触手によって。


「まさかこんな小娘が……」


 バドルは眉根に皺をよせ、髭をぞりぞりと触っている。

 触手を送り込み、皆殺しにしようとするも抵抗され殺しきれない。それがバドルには不思議だったのだろう。

 その場にいなくても触手によってある程度の状況が理解できるようだ。だが視覚は無く、その抵抗をしている者が誰なのか分からなかった。その疑問によって茜は生かされていたようだ。

 そしてその原因が年端もいかない少女だったとはバドルは夢にも思わなかっただろう。驚いていた、というよりも感心の方が強いかもしれない。


「だが……うーむ」


 舐めまわすように茜の体を見回すバドル。どう見ても触手を斬り捨てる事が出来る強靭な肉体には見えない。であればレゾナンスなのか、と思考を巡らせているとある一点に目が留まる。茜の左手に未だ握られている青桜刀だ。


「その刀を見るとあの忌々しい小僧を思い出すな」


 独り言のように苦々しく呟くバドル。そして年齢に刻まれた皺が深さを増し、更に茜を睨みつける。

 忌々しい小僧というのは茜の元の姿、光で間違いない。光は以前、ファウンドラ社支給の刀でバドルを斬っている。

 その少年が今目の前にいると分かればバドルはどんな顔をするかと、茜は考えているかもしれない。

 

「妙に落ち着いているな」


 そんなバドルの睨みにも茜は表情一つ変えない。

 一般の少女であればこの異形の姿を見ただけで叫んで暴れまわり、恐怖で涙を流している事だろう。


「見たところ人質……のようだが?」


 茜は軍服ではない事から一般人であることは明白だ。防寒着の間から覗くのはフリルの付いたワイシャツとミニスカートに赤いスニーカー。

 茜は口を塞がれて喋ることができない。だから抵抗せず、もがきもせず、どうにでもしてくれと、ただ遠い目をして虚空を見つめているだけ。

 

「すまんが、この姿を見たものは全員殺すことになっている」


 それは先程のフードの女に命じられたのだろう。バドルはフードの女よりも位は下のようだ。

 そして茜は殺されるらしい。クリス、雪花も例外ではない。やがて探し出され殺されてしまうことだろう。

 こんな絶望的な状況下。

 しかし茜はまだ諦めてはいなかった。茜はある人物を待っている。それは長年コンビを組んできた相棒、剣だ。茜と同じくファウンドラ社に所属するトップエージェントである。

 恐らく先程の触手によってクレーンごと吹き飛ばされ飛空艇アシェットの外に吹き飛ばされたのだろう。

 外はヘドロのような柔らかい堆積物で覆われている。そこへ突っ込んでしまったとしたら移動する事も浮上する事も出来ず、窒息しているかもしれない。生きていたとしても出てくるには時間がかかるだろう。

 これは茜にとって誤算であった。剣が現れる前に茜の命が尽きそうなのだ。時間を稼ごうにも口は塞がれてしまっている。どうにかしてこれを解かなければいけない。


「敵であれ味方であれ……一般人でも、な」


 バドルは自分で言って少し寂しそうな顔をする。

 それはバドルが今と昔と、殺した部下達の事を思い出しているのかもしれない。

 茜はその言葉で虚空を見つめていた目をバドルに向けた。バドルを見下すような冷たい目を。

 バドルの灰色の瞳に茜の桃色の瞳が映し出され、茜の瞳にもまたバドルの瞳が映しだされる。

 

「ほう、そこで反応するか」


 その時、意外にも茜の口を塞いでいた触手が解かれた。

 敵であれ味方であれ殺す、それはバドルにとって少し特別な意味を持つ。ずっと虚空を見つめていた茜がそのフレーズでバドルを見つめれば嫌でも目を引く。茜はそこにつけ込んだのだ。

 茜はぷはっと口を開け、大きく息を吸い込んで長く吐いた。


「何か言いたいことがあるなら言ってみろ」


 発言権が茜に委ねられた。これはチャンスだ。剣が窒息していない事に掛け、時間を稼ぐ事が望ましいだろう。

 であれば、バドルが興味を引く要素を言葉に混ぜてやればいい。

 それは茜にとって朝飯前だった。

 にやりと笑みを一つ。その笑った口から出た言葉はバドルの興味を引くには十分すぎる程だった。


「敵味方問わず……昔も今も何も変わってないなぁ、あんた」

「なっ」


 分かりやすく目を見開いて動揺するバドル。

 昔、そして現在、多くの仲間を殺したバドルにとって茜の言葉は言霊となって心を揺さぶる事だろう。

 どちらかといえばバドルを挑発するようなそんな言葉。下手をすれば自分の死期を早めてしまう。


「満足かよ。そんなに人を、自分を慕ってくれていた仲間を殺して」

「貴様っ」


 流石にバドルの逆鱗に触れてしまったようだ。茜を拘束していた触手の締め付けが強くなる。

 茜はたまらず声を漏らしてしまう。触手は茜の手首や太ももをこれでもかと締め付けてくる。


「何故それを知っている!?」

 

 一般人が知っているわけがない情報。これでその答えを言わない限り茜が殺されることは無くなった。

 茜は激痛を何とか堪えて口を開く。


「あんたが答えたら私も、答えるよっ……あとこれ、凄く痛いから緩めて下さい、お願いします」


 茜は苦痛に顔を歪めながらバドルに頼むと触手の食い込みが幾分か和らいだ。


「意外と素直?」

「ふん、女をいたぶる趣味はない。そして満足かと聞いたか小娘?」


 それは茜の挑発ともとれる質問。茜の答えがよほど知りたいのだろう。いったん質問を確認するバドル。

 茜は頷いてバドルの答えを促す。


「満足なわけが無かろう……昔のキルミアの部隊も、今の傭兵も皆よく働いてくれる有能な部下達だった」


 昔を思い出すように目を細め、バドルは語る。

 バドル自らが殺しておきながら意外と評価がいい。もしかすると部下達を殺した事は自分の意に反する事なのかもしれない。


「なら何故――」

「殺したのか、か?」


 当たり前の疑問にバドルは先手を取る。そんなバドルの口から出てきた答えは何とも肩透かしで抽象的な言葉だった。


「仕方がなかった。不運だった。ただそれだけだ」


 自分を慕う部下を殺した理由をそんな肩透かしの言葉で片付けるのかと、茜の表情は不満げなものに変わる。


「ふっ、お前もかなり出来るのだろう? ならば分かるはずだ。自分よりも大きな力に命を握られた時、取捨選択を迫られる。何を取り、何を捨てるか」


 つまりバドルは自分の命を取り、仲間を捨てたという事だろう。

 大きな力とはブラッドオーシャンで間違いない。


「私は何も捨てない」


 ここで茜は気丈に言い張る。その答えは理想ではあるが多くの経験をしてきたバドルからすれば子供の戯言に映るだろう。

 現にバドルは笑い、口を開く。

 

「強欲な娘だ。だが今、貴様は自分の命を握られ、捨てようとしているぞ?」

「仲間の命を捨てるよりマシだ」


 仲間の命を捨てたバドルには耳の痛い話だろう。


「やはり若いな」

「悪いか?」


 茜の真っ直ぐな視線にバドルは喉を鳴らして笑う。

 若いと吐き捨てるのは簡単だ。過ちも無謀も若者の特権なのだから。

 だがそんな特権を無くしたバドルはそれが羨ましく思ったのだろう。意外な一言を茜に向けてくる


「ふっ、歳はとりたくないものだな」


 硬さが売りの金剛石をいとも簡単に砕いてしまったような、そんな感覚に茜は襲われる。否定されるでも肯定されるでもないそんなバドルの返し。

 その時、イヤーセットから何やら叫ぶような怒声が聞こえてくる。

 

『茜! 聞こえる!? 聞こえてるんでしょ!?』

 

 それは雪花からだった。

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