それは茜の悪癖だった。
生への執着の薄さ。
セレナが危惧していた事だ。
自分の命を軽んじ、すぐに投げ出してしまうと。
先程のルークの件もそうだ。他人を救おうとするあまり、簡単に命を投げ出していく。それは自己犠牲という皆が思い描くであろうヒーロー像。それが悪いのか正しいのか、議論は未だに平行線を辿っている。
そんなヒーロー像に取りつかれた茜は面白いように竜巻に巻き上げられ弄ばれていた。上下左右に振られて回されて、竜巻から竜巻へ玉遊びのように投げ渡されて行く。
そんな中、幸運だったのは竜巻が発生した場所が海だった事。
木片や石は無く、ただ巻き上げられた海水が頬を叩くくらい。だから茜はまだ意識を保てていた。
だがくるくるくると、何度上下が入れ替わったかも忘れ、茜の平衡感覚が壊れかけた頃、茜の全身が強く何かに叩きつけられた。更に全身を包み込む冷たい液体。
口にも入って来たそれは少ししょっぱい。
(海か……)
茜の意識が海を認識する。
やっと竜巻の玉遊びから解放されたはいいが茜は泳げない。
雷地に引き落とされた時は剣が助けに来てくれた。だが剣は今漁の真っ最中だろう。来れるわけがない。
その間にも茜の体はどんどん沈んでいく。
(何だか冷たくなってきたな……)
南国の海でも深度を増すと海水は冷たくなる。
茜は何とか手足を動かして浮上しようと力を入れるも体が上手く動かない。そして深度が増すごとに思考が吸われるように頭が真っ白になっていく。
(まあいいか……母さんの所へ行けるなら)
茜はそうやって前向きに死を捉え目を瞑る。海水の圧力と静かな海中のざわめきに包まれながら。
そして、目を開けると澄み渡った青い空。
「お、起きたかお嬢ちゃん」
そこへどこかで聞いたような声。
更にぱちぱちと何かがはじける音。
加えて先程まで冷たい海水で包まれていた茜の体は柔らかな毛布で包まれている。下は砂浜だがその上にも丁寧に毛布が敷かれている。
「ここは……天国?」
起き抜けの茜の一言。
茜は海の底に沈んで意識を失った。だから死んだと思っていたのだ。
だがそれに傍にいたであろう男が吹き出し、ゲラゲラと笑いだした。
「おいおいっ、大丈夫かお嬢ちゃん? まあ確かにあの竜巻はヤバかったからな」
竜巻と言えば死ぬ前に茜を弄んだ複数の竜巻。
「え?」
それを聞いて茜は体を少し起こす。
声の方向に視線を向ければ昨日、ルークにお金を恵んでやっていた仮面の男が胡坐をかいて座っていた。パンツ一丁で。筋肉隆々の大きな体を惜しげもなく茜に見せつけて。
その前には焚き火。薪がくべられて炎がユラユラと揺れている。
「……おじさんも死んだの?」
「死んでねぇよ。足があるだろ」
「確かに……」
ここは何処なのか、何故自分は生きているのか、茜は仮面の男に尋ねてみた。
「俺もよくは知らねぇが、ここはさっき浮上した島って話だ」
「へ?」
茜はその島へ向かう途中、ツクモの言う防壁に阻まれてしまった。そして茜だけその防壁となる竜巻に吸い込まれ、海に落ち、今いる場所が何故かその島のようだ。
竜巻に巻き込まれた茜はどうやら島側にはじき出されたようだった。
「竜巻が消えてる?」
茜が周りを見渡すと、うねりにうねっていた竜巻は全て消え失せていた。
「ああ、お嬢ちゃんが目を覚ますちょい前にな」
仮面の男も辺りを見てそう言った。
防壁を消すにはギカ族とディアン族が必要だとツクモは言っていた。ギカ族はキリカ達がいる。だとすればディアン族であるマリーを乗せた雪花達の船が近くに来ているのかもしれない。
横になっていたせいか、頭がふら付くこともない。状況を把握しようと茜は更に体を起こす。すると衣擦れの音と共に茜を包んでいた毛布が滑り落ちた。
「おっと、お嬢ちゃん。落ち着けよ?」
仮面の男は何故か焦った様子でそっぽを向いた。
「え? 私は落ち着いてますけ……ど」
茜は仮面の男がそっぽを向く理由がすぐに分かった。
茜が着ていたであろう純白のワンピースが脱がされ上半身が露わになっていたのだった。
「いやぁ、その、なんだ……かなり体が冷えてたからな? やべぇなと思ってだなぁ」
仮面の男はそっぽを向いたままばつが悪そうに頬を掻いて話す。
恐らく溺れた茜を仮面の男が助けてくれたのだろう。だから仮面の男もパンツ一丁になっていると予想できる。なぜなら焚き火の向こう側には枝で作った物干し竿に茜のワンピースと仮面の男のものだろう服が干されているから。
「まさかおじさんが私を……」
「お、おうよ」
「脱がせたの?」
茜が「助けてくれたのか」と聞かなかったのはこの為。時間差の戯れだ。
「ぬ、脱がせたは脱がせたんだがな、別に変な事はしてねぇからな!? 俺には妻も子供もいる! 断じて変な事はしてねぇ!」
茜の戯れに保身に走る仮面の男。
そのあまりの慌てぶりに茜はぷっと吹き出してしまった。
「あはは、すみません。助けてくれてありがとうございます」
「お、おうよ」
仮面の男は言ってため息をついて茜に向き直る。
だがすぐにそっぽを向いてしまう。
「と、とりあえず胸を隠せ、胸を」
「あ」
茜は女である自覚に乏しい。じろじろと一方的に見られるのは流石に恥ずかしいのだが目を逸らしてくれる者に対してはガードが緩くなってしまうのだ。
茜はすっと毛布を持ち上げて胸を隠す。
「それで、助けてくれた理由を聞いても?」
茜がまず疑問に思う事はそれだろう。
あの竜巻の規模は凄まじく、しかも複数あった。そこに巻き込まれた茜を助けるなら命懸けだ。その命を懸けて助けた理由を知りたかった。
「そんなの当たり前だろ。目の前で困ってる奴がいるなら助ける。それが人の性ってもんだ」
仮面の男は腕を組んで自信満々にそう言った。
意外にも理屈無しの実直な行動。それに茜は目を瞬かせる。
「自分が死ぬかもしれないのに?」
「それはお嬢ちゃんも同じだろ?」
「へ?」
「ガキが一人、竜巻に巻き込まれるのを助けてただろ?」
仮面の男が言っているのはルークの事だろう。ルークを助ける為茜は身を投げ出した。だが漁船の縁が腐ってショットナイフが抜けそうになった為、茜は自分の身を顧みずルークを投げてよこしたのだ。
「若くて勇敢なお嬢ちゃんの命が散るのを大の大人が指を咥えて黙って見ていられる訳がねぇだろ?」
その言葉に続いて仮面の男は「美人だしな」とおどけて言って笑う。
茜はそこで気づく。ルークを助けた場面をなぜ男が見る事が出来たのか。なぜあの場にいたのかに。
「あと昨日、アイスクリームの金を恵んでやってただろ?」
仮面の男が言って茜は確信した。仮面の男の所属する犯罪集団を。
茜は油断なく男を睨みつける。
「おじさんは……どうしてあんなところにいたの?」
「ああ、それがな、島が浮上したからって寝てるところを叩き起こされてなぁ。船に乗り込んで寝ながら向かったはいいが、その船がいきなり爆散してな」
そして海に落ちると目の前に複数の竜巻と飛ばされる茜を見つけたから急いで泳いで助けに行ったという事だった。
茜が青桜刀で返したRPGの弾頭がクルーザーに直撃した。そのクルーザーに仮面の男は乗っていたようだ。
仮面の男は恐らくキックス犯罪集団。ルーク達にお金を恵んだ目的も茜と同じだったのだろう。
だが茜の意識は全く違う所にあった。
「ぷっ……あははっ」
茜はあることを想像して思わず吹き出してしまう。
寝ている所に撃ち返された弾頭によって飛び起きる仮面の男の姿を。
茜を吹き出させる面白さがそこにはあった。テレビで見る寝起きドッキリなどちっぽけに映る「RPGによるクルーザー爆散☆寝起きドッキリ」が。
「ど、どうしたお嬢ちゃん?」
「いや、だってフクク……船が爆散って……あはは」
クルーザーの爆散は茜によるもの。
だがそれを補って余りある面白さが茜を笑わせてしまう。
「おいおい……死ぬほど驚いたんだぞ? 爆風で吹き飛んで空中で五回転はしたんだからな?」
「あはははは! や、やめっ、もうやめてっ! ひぃひぃ……」
「こう、ぐるんとな!?」
茜の爆笑に仮面の男が悪乗りして五回転し砂浜に背中から落ちる。
こうなったら茜の笑いのツボは際限なく広がっていく。もう仮面の男が何をしても笑い転げてしまう程に。
「はぁはぁ……」
「はは、お嬢ちゃん笑い上戸だな。まあ落ち着け」
茜がひとしきり笑うと、仮面の男が湯気の立ったコップを手渡して来る。茜がその匂いを嗅ぐと生姜湯だと分かった。体の冷えた茜の為に作ってくれていたようだ。
「ありがとうございます」
茜はそれをグイっと一飲み。
だが仮面の男は茜達が今敵対しているキックス犯罪集団に所属している。もしくは何らかの関係があるはずだ。呑気に話をしている場合ではない。
しかし茜は疑問だった。茜を命懸けで助ける仮面の男がどうしても悪人だとは思えなかったのだ。
キックス犯罪集団と言えば強盗に詐欺、人攫い等の犯罪を大規模に行っていると聞く。何故そんな集団と関係を持っているのか聞き出さなければならない。
だから茜は仮面の男の情報を聞き出す事にした。
「おじさん、名前は?」
一息ついたところで自然に茜は切り出した。
「ああ、俺は……」
「ん?」
「内緒だ」
何だそれは、と。茜は思うが男は仮面をかぶっている。素顔を晒せない理由があるのかもしれない。
「お嬢ちゃんは? なんて名前なんだ?」
「私は茜って言います」
茜は素直に自分の名前を口に出す。
これ自体が仮の名前のようなものだし別に隠す必要もない。そして自分の情報を開示する事で相手から情報を引き出しやすくする作用もある。
だが不思議な事に仮面の男はその名前に一瞬目を見開き、口を開く。
「茜か……いい名前だ」
「それはどうも」
「親が名付けてくれたのか?」
「いえ、私の……師匠から」
意外なところに食いつくなと、少し首を傾げながら答える茜。
茜の名前はセレナが付けた。そして別段珍しくもない名前。
「そうか」
「何か変ですか?」
「ああ、いや……俺の二番目の子供にな、女の子だったら茜って名付けようと思っていたからな。それに」
「それに?」
「……いや。何となく懐かしくなっただけさ」
「へぇ」
仮面の男の意味深な食いつきに、何か聞き出せるかと思い聞いてみたのだがそんな事か、と茜は溜息だ。
「ふーん、それで? 息子さんにはなんて名前を付けたんですか?」
茜は生姜湯をすすりながらダメもとで聞いてみた。本名を話せないなら息子の名前もダメだろうと。
だが意外な事に仮面の男はその名前を口に出す。
「光だ」
「え?」
「光って名付けた。丁度お嬢ちゃんと同じくらいか少し上かなぁ」
「……私は今十六です」
「お! 同じ歳じゃねぇか! その名前、まさか日和の国出身だったりするか?」
「はい。日和の国の桜之上市出身です」
茜は生まれ育った国と出身地の桜之上市を口に出し生姜湯をすする。
その茜の表情からは言葉を発する毎に先程の笑いの余韻である笑顔から暖かさが消えていく。
だがそれと反比例するように仮面の男の表情に驚きと興奮、そして笑顔が溢れていく。
「なに!?」
「もしかしたらおじさんの息子さんと会ってるかもしれませんね」
「ああっ……ああ! そうだな! お嬢ちゃん!」
そう言って仮面の男は茜ににじり寄って来る。
「まさか光という子供……少年っ、男を知っているのか!?」
「一人だけ」
「今どこに!?」
「名前も教えられない人にそんな情報教えられるわけないでしょ」
さも当然の茜の主張。
仮面をつけた犯罪集団に属していそうな男に他人の情報を教えられるわけがない。
「そ、それもそうだな。分った。俺は……俺の名前は」
だがそれは表の理由。
裏では自分の本名を早く言えと。茜が思いつく最低最悪の男の名前を。
「葵大吾だっ」
そして茜の表情からは完全に暖かさが消え、冷徹な笑みが張り付いていた。
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