唯は実技の教室につくまで茜に学校の事を教えていた。
そして別れ際、学校に来るときは自分も来ると言い張って連絡先を交換し、途中で別れたのだった。
その後、茜達は結構歩いたのだが敷地が広過ぎて、まだ半分も回り切れていない。
そうこうしているうちに昼になり、学食で昼飯を食べることになった。
茜を間に挟み、各々食事をとる。
「雪花……お前、唐揚げ好きだな」
雪花は唐揚げ大盛定食を頼んでいた。
雪花の実家と同じく、唐揚げを次々に口に放り込んでいく。大食いファイターも真っ青の食べっぷりだ。
「本当はとんかつにしたいんだけど、痩せなきゃね」
「……剣、翻訳を頼む」
「長く一緒にいるが、俺には分らん」
「あんただってカレーじゃん。カレーってカロリー高いのよ?」
「私は太らない体質だから。それにカレーは美味しいだろ」
トップエージェントには体調管理も大事になってくる。
肉や野菜を中心とした健康的な食事が求められる。それ故、カレーライスなどのカロリー多めの食事は避けられることが多い。
だが、今や一般人となった茜に制限はない。好きなものを好きなだけ食べれるのだ。
「は? 剣、こいつ喧嘩売ってるのかな?」
「カレーは美味いだろ」
茜が剣の食事を確認するとやはり体に気を使っている事が分かる。
「剣は蒸した胸肉のバンバンジーか」
低脂肪、低糖質で高タンパクのメニューだ。
剣は筋肉に只ならぬ執着を持っている。飛空艇で茜を待っている時も筋トレをかかさなかったくらいに。
剣は得意げに鼻を鳴らし口を開く。
「筋肉はタンパク質で出来ているからな」
「ふーん……雪花は剣を見習った方がいいな」
「私は筋肉バカになりたくない」
「褒めるなよ」
「……茜、翻訳を」
「人の一生は筋肉に始まり、筋肉に終わるのだ」
「茜、結構いける口だな。お前も筋肉を鍛えてみるか?」
茜は少女の姿になった当初、痩せすぎた事を嘆いていた。だからそれは渡りに船。
茜は頷いて口を開く。
「ああ、なら剣のタンパク質、少し貰ってもいいか?」
「もちろんだ」
その剣と茜、男と美少女の会話に、雪花はたまらず吹き出してしまう。
「ちょ!? 今食事中なんですけど!?」
その雪花の言葉に剣は首を傾げ、茜は同じように首を傾げる。
だが茜の頭の回転は速い。数舜で雪花の勘違いした内容を理解し、ニタァと笑った。
「何言ってんだ雪花?」
剣は天然で。
「雪花、何を想像したのか口に出して、いや、口に何を出すのか言ってみて、出来るだけ詳しく」
茜は悪意に満ち溢れ。
「だ、だから剣の……あれを、茜の口に……」
雪花は変態だった。
雪花が二人を見ると、剣は箸で胸肉のスライスを持ち上げ、茜のカレーライスの上に載せてやっている所だった。
「あ」
そこで剣は雪花の言った意味を察したらしい。
剣は思わず声を漏らし、目を見開き、顔を真っ赤に染めていく。
「あ、茜っ」
「ん?」
「お前は口に……その……平気なのか?」
「何のこと?」
あくまでも茜は純粋無垢な美少女を気取るようだ。
だが次の剣の言葉に茜は肩を落とさざるを得ない。
「その、か……間接き……キス」
剣は雪花の勘違いを理解しているわけではなかったようだ。
「気にしない。小学生じゃないんだから」
茜はカレーの上に置かれた胸肉のスライスをスプーンで器用に持ち上げて口に放り込んだ。
「そ、そうだよなっ……雪花、変な事言うなよっ」
「あ、ああ、あはははは! ごめんごめん! そうよね! もう子供じゃないんだし!」
「うるさい。食事は黙って食べろよな」
一人テンション高く空回りしている雪花を茜が一喝する。
「じゃあ雪花のタンパク質も貰っていい?」
「え? い、一個だけよ?」
そう言って茜はまたしてもスプーンで、器用に唐揚げを救い上げる。
するとそこで茜の動きが止まる。
「?」
雪花が首を傾げると茜が意地の悪い顔で見上げてくる。
「変態」
という、可愛らしい囁き声のトッピング付きで。
「……」
雪花は何も言えず、自分の変態さを恨むのだった。
そんな事を話していると昼時という事もあり、学食にはどんどん生徒がなだれ込んでくる。
家で完結できる教育方針なのだが学校に来ている生徒も多いようだ。
「ん? 何かあっち騒がしいな」
「ああ、芸能科の人達かな。デビューしたアイドルか歌手がファンに囲まれてるんでしょ」
アイドルや歌手、俳優といった芸能関係の専門教科も存在する。若くしてデビューする生徒達もいるのだ。
そして彼らも例に漏れず昼時には腹が減る。
遠くに聞こえていた黄色い声援が徐々に近くなってくる。恐らく、その中心にいるのは男だろう。
見ればなだれ込んで来た生徒達を蹴散らしながら、その集団が破竹の進撃を見せている。
「面倒くさそうだな」
茜達は昼食を受け取ってすぐ近くの席に陣取ってしまったのがいけなかった。食べ物の注文先がその延長線上にあるからだ。
「前に立たないで下さい! 引っ付かないで下さい! 邪魔になるので止まらないで!」
どうやらもう交通整備係がついているようだ。恐らく親衛隊かファンクラブといった人種がその係りを務めているのだろう。
テレビの力は恐ろしい。デビューした生徒は次の日にはもう学校中に噂が広がり注目の的となるのだ。
十数人程の取り巻きが人混みを押しのけ、泳ぐように掻き分けながら茜達の方へ近づいてくる。
丁度、その集団が茜達の後ろを通った時だった。一人の女子生徒が押し出され茜と剣の間から机に飛び込んできた。
その際、茜の食べているカレーライスの皿に女子生徒の手がぶつかってしまう。その拍子に皿と共にカレーライスが宙を舞った。
「あ、カレーが!」
飛び込んできた女子生徒はすぐに起き上がり群れに戻ろうと無我夢中だ。
「邪魔よ! どいて!」
「いてっ」
と、茜の背を手で押しのけて、あまつさえ呪いの言葉を吐きながら。
突き飛ばされた茜は雪花が両腕でキャッチする。
「ちょっとあなた! 待ちなさいよ!」
「あ!? 何よ! 今それどころじゃないの! 雷地君が行っちゃうでしょ!」
「え?」
その言葉に茜が反応する。それは自分の兄の名前。
そして次に聞こえてきた声に茜は戦慄することとなる。
「誰だ、カレー投げてよこした奴」
「雷地君! カレーライスをこぼさずにキャッチするなんてすごい!」
「カッコイイ!」
そこには宙に舞ったカレーライスを綺麗に受け止めた仏頂面の雷地いた。仏頂面なのはこの動き辛い取り巻きにうんざりしているのだろう。
雷地はカレーライスが飛んできた方向にいた茜達の所に向かって歩いてくる。
黄色い声援がぱっと開いて茜達の前に空間が出来る。
「誰よ! 雷地君にカレーをプレゼントしたのは!」
「プレゼントは違反でしょ!?」
「ルールを守りなさい!」
そんな訳の分からない事を抜かしながら取り巻きの女子生徒達が茜達に向かって口々に言う。
「あ、そのカレーは……」
茜のカレーライスだと言おうとして雪花は止めた。
何故なら雪花が受け止めている茜が一切雷地の方向を見ないからだ。
だが雷地は茜の兄。
その茜と親交のある雪花と剣の事も雷地は知っているのだ。普段はあまり見かけない二人に雷地が気が付かない筈がない。
「お、雪花じゃん、久しぶりだな!」
「お、お久です」
見知った顔を見つけたからか、雷地は仏頂面をぱっと笑顔に変えて雪花に近づいてくる。
まとわりついていた女子生徒達は雷地のやることを否定できないのだろう。一瞬で大人しくなるが、雷地が親しく接する奴は誰だと嫉妬の視線を雪花に向けてくる。
「視線が痛い……」
「剣もいるじゃん。あはは、お久だな」
「うっす」
剣もほどほどにあいさつした所で雷地は一つ尋ねる。
「光は?」
茜はその言葉にびくついて雪花の豊満な胸に顔を埋める。
普通なら雪花はその顔を掴み上げる所だろう。しかし雪花もそこは察したようだ。茜の背中をポンポンと叩いて安心させてやる。
「今日も……いないっす」
「そっか。ま、いつもの事――」
ここで雷地はある事に気づく。
雪花と剣を挟んだ席の前にだけ食事がない事に。
そして次に目が行くのは雪花が抱えている茜。
「剣、こいつは?」
「あ、えっと茜っす」
「茜? 初めて聞く名前だな」
「今日からここに登校してて」
「ふーん」
剣に紹介されても茜は振り向きもしない。
茜は雷地にどんな顔をして会えばいいか分からなかった。女になってしまった今でも合わせる顔がないのだ。実の母を殺してしまったのだから。
「あ、ええと、雷地君、この前テレビ出てたよね。おめでとう」
「ああ……」
そんな雪花の祝いの言葉にも気もそぞろで生返事。ただ茜の後姿を見つめているだけ。
その茜は雪花の胸に顔を埋めたまま動かない。
それでも雷地は茜が気になるようだ。雷地は茜を覗き込む。だが茜は反対を向き、逆側から覗き込むとまた顔を逸らされる。
「どうした茜? 具合でも悪いのか?」
そんな茜を剣が心配て問う。
心配して言ってくれた剣を茜は苦々しく睨む。
「え?」
この状況でよくも自分に話しかけてくれたなと。このまま雷地が興味を失うまで逃げ切ろうとしていたのに、雷地が話しかけてきたらどうするのかと。
「大丈夫だから……」
「そんなにきつく突き飛ばされたのか? それともカレーか? 雷地が持ってるから大丈夫だぞ?」
もうここまで来たら剣の顔面をパンチし、面食らったところで剣を一本背負いして全力疾走で逃げたいところだろう。
しかしそこで雷地の前に一人の女子生徒が割り込んでくる。
「ちょっとあなた! 雷地君を呼び捨てにするなんて失礼よ!」
恐らく取り巻きの一人で熱狂的な雷地のファンだろう。その女子生徒以外、誰も追及しない事からファンクラブのリーダーなのかもしれない。
剣が雷地を呼び捨てにするのは昔、光の事で雷地と剣が喧嘩をした事があったからだ。和解はしたのだがそこから剣は雷地の敬称を省いている。
「それにあなた! 雷地君が話しているのだからこっちを向きなさい! 失礼よ!」
と、茜に標的を変え、声を張り上げる女子生徒。
それでも頑として雪花の胸から顔を上げない茜。
だがここで自分が振り向かなければ不自然か、とも茜は思う。
振り向くか。
そうすれば事が大きくならずに早く済む。
そんな茜の迷いの一瞬、雷地が動く。
「いいんだエリナ。ちょっとどいて」
「え?」
雷地は茜との間に割り込んでいるエリナという女子生徒を片手で押し退ける。そしてその勢いのまま茜の腕を雷地が掴んだ。
「うぇ?」
雷地は少し強引なところがある。
昔、茜が雪花によく愚痴をこぼしていた。がさつで力任せで強引に事を進めることがあると。小さなライブを開くと無理やり寝ている茜を起こしたり、ライブのステージで無駄に駄弁っている学生達に喧嘩を売ったり枚挙にいとまがない。
雷地はそのまま強引に腕を引いて無理やり茜に正面を向かせ自分の前に引き寄せた。
「ちょ、雷地君!?」
茜を抱きしめていた雪花の抵抗虚しく、茜は雷地の目の前に引きずり出されてしまったのだった。
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