◇昨日
獄道組に誘拐される前日、茜はある者の協力を得る為、外出していた。
場所は駅前。
現在は六月。徐々に夏の様相を呈し、アスファルトで出来た地面には既に逃げ水が出来る程の熱を帯びている。
朝の通勤ラッシュの時間は過ぎており、人通りはまばらだ。にもかかわらず、一か所だけ人だかりができている場所があった。木陰の下に設置されているベンチを遠目から取り囲むように。
果たしてその中心にいたのは茜だった。
それは別に茜が特別な事をしていたわけではない。ただ単にベンチの上で仰向けになって、腕で枕を作り眠っているだけだった。木の葉から染み出る日の光が茜の顔を迷彩柄に塗りたくる。
風も吹いていて心地よく、昼寝するには最適なのだろう。
「おい、あれ見ろよ」
「ああ」
人だかりの殆どは男だった。
そうなるのも当然だろう。
茜は靴を脱ぎ、自宅のソファでそうするように足を組んでリラックスして眠っていたのだから。しかも制服姿で。
「見えそうで見えねぇ」
「な、何故見えないんだ!?」
「なんて素晴らしい光景……」
「おい、撮影は止めとけって」
ざわつく周囲。
そして茜はミニスカートを履いている。その状態で仰向けに横になればどうなるか。更に足を曲げて組み、楽な姿勢をとればどうなるか。
ニーハイソックスとミニスカートの間から茜の細く白い太ももが披露され周囲の男の視線を独り占めにしていたのだ。更に茜は超絶美少女ときている。その人だかりは道行く人の邪魔になる程に膨れ上がっていた。
そんな茜のスカートの中を覗こうと男達は必至。だがそこはファウンドラ社開発部の総力を挙げたスカート。下着は大衆の目に一切曝される事は無かった。
そんな折、すぐ近くで何やら金属音。
自転車のスタンドを上げる音だ。
「ちょっと君」
そして茜はトントンと肩を叩かれて目を覚ます。
見れば膝を突いてしゃがみ込んだ男の姿。青いキャップの帽子。その真ん中には金色に光る星の形をした紋章。
警官だった。
恐らくこの周辺を自転車で巡回している警官だろう。
「大丈夫? 何処か具合でも悪い?」
それは三十代半ばといった男の警官。寝そべる茜に視線を合わせて尋ねてくる。
「いえ、別に。ただ影が気持ちよくて寝てただけ」
「はぁ、ならいいんだけど」
「けど?」
その警官は周囲を見て茜の視線を誘導する。
「こんなに男の人集まっちゃってるからその、気を付けたほうがいいよ?」
「何に?」
「その、ほら……君、結構短いスカート履いてるでしょ?」
「それで?」
警官も男だからか、中々言いにくい言葉だが茜は何のことか分からないというように首を傾げる。
「だからほら、中が見えちゃったり」
「中って?」
これだけ言っても分からないか、と警官は苦笑いで頬を掻く。
ズバリ言ってしまうとセクハラになってしまいそうで警官もあまり言えないのだろう。
だがここまで鈍感だと逆にわざと茜が言わせようとしているのではないかと警官は勘ぐってしまう。
しかし警官も暇ではない。言うべき事は言わなければいけない。
「君が履いている下着とかが見えちゃうかもだから」
「パンツ?」
「そ、そうだね。うん、それが見えちゃうと困っちゃうというか」
「何が困るの?」
「な、何がって……ほら、君の周りに覗きたい人達が集まってきちゃうでしょ?」
多少集まって来たところでどうせ見えないのだから茜は痛くも痒くもない。
だが茜が周囲を見ると撮影会でもあるかのように人だかりができていた。手にはカメラを持って。
「別に……気にしないので」
茜は予想以上に人が集まり過ぎていた事に気づく。そして恥ずかしかったのか、組んだ足をあまり見えないように伸ばして座る。
「ええと……学校はどうしたの? それとも家で嫌な事があったの?」
現在の学校の教育体系からすればこの時間に学生が出歩くことも別に不思議ではない。
だがどこに行くでもなくベンチでミニスカートを履いて通行人の注目の的になるような寝方をしていれば、職務質問せずにはいられないだろう。
「学校でちょっとイジメられていまして」
「イジメか……それは辛いね」
茜は俯き加減になって正直に打ち明ける。
イジメと聞いて、警官の顔が心配そうなそれに変わった。
警官はしゃがみ込んでおり、茜の表情は把握できる。茜は悲し気な表情。それを見上げて眉をひそめた。警官としては何とかしてやりたい所だろう。しかも美少女である茜に対する庇護欲は一般のそれを凌駕する。
だがそんな助けたいという想いが次の茜の一言で消え去ることになった。
「少し前に獄道ジュリナって子に頬をぶたれまして」
「獄道っ」
警官はそう言うと顔を背けてしまった。
しかも先程までの茜を心配していた表情を愛想笑いに一変させ、あまつさえ目を泳がせる。
「そ、そっかぁ、学生の時は色々あるからねぇ、あはは……」
警官はズレを直すように、ズレていない帽子のつばを掴んで何度か細かく動かした。
やはり獄道組には手を出せないのだろう。獄道組の娘の名前を出すだけでこのありさまだ。
「でも……学生の本分は勉強じゃなかったかな? 勉強は家でも出来るし」
そしてイジメの話を逸らす始末だ。
だがそこに茜は痛烈な一言。
「警察の本分は犯罪者を取り締まる事じゃなかったかな?」
「え?」
そんな言葉が一般の少女の口から出るとは意外だっただろう。更に先程まで俯いて悲しい表情をしていた美少女は警官を見下ろし、睨みつけていた。
そして警官には獄道組に手を出せないという後ろめたい事がある。だからその警官は直ぐに反論できず、息を飲むだけ。
だがその警官は何か言わなければと思ったのだろう。何とか反論しようと口を開いた時だった。
「ん?」
そこで何かが地面に落ちる音。
その音の質から重量とその弾力性が分かる。人の体だ。
茜と警官はその方向へ視線をやる。
「きゃあああ!」
直後に女性の悲鳴。
「ひったくりだよ! お巡りさん!」
続いてさっきまで茜を取り囲んでいた男の一人が警官を呼ぶ。
遠目にバイクを二人乗りをしている男がバッグをひったくる所だった。ひったくられた引っ張られたのか女性は倒れている。
逃走経路は茜達の前の道。ひったくりのバイクは茜達の方へ真っ直ぐ猛スピードで向かってくる。
「おいお前達! 止まれ!」
「やべ、サツだ」
警官がその二人を止めようと立ち上がろうとした時だった。
「どけっ!」
茜が立ち上がろうとする警官を押しのけて飛び出していく。
「ええ!?」
体制を変える時の体幹は脆い。
立ち上がろうとした警官は簡単に体制を崩し、ゴロゴロと転がって行ってしまった。
「お、ラッキー! そのまま走れ!」
警官の醜態を目にし、バイクの二人組は目の前の道を通り過ぎようとする。
だがそのバイクの前に茜が走り込む。
「な、邪魔だ!」
「どけこらぁ!」
バイクはいきなり飛び込んでくる茜に突っ込んでくる。というよりもあまりの突然の事で避ける事が出来ない。
このままでは茜はバイクに轢かれてしまう。
だが茜は飛び上がり、信じられない事にバイクの運転手の腹にヒップアタックを仕掛けた。
「ぐえぇ」
茜の可愛らしいお尻が運転手の腹にめり込んだ。
そしてひったくり犯の二人共、バイクの外に押し出されゴロゴロと夏の日差しに焼かれたアスファルトの上を転がっていく。
茜と言えばバイクが転ばぬよう、ハンドルを制御し、コントロールする。
茜は裏組織のトップエージェントである。これくらいは朝飯前なのだ。
「いてて……くそっ! 何だあの女!」
「舐めやがって!」
反省のない二人組。茜はバイクのエンジンを切って降りる。
「鞄返すか私に斬られるかどっちか選べ」
茜の手には既に青桜刀が抜身の状態。剣先の方向はひったくり犯に向けられている。
「て、てめぇ、何もんだ!」
どうやら二人は獄道組らしい。
手には小さなナイフが握られ茜に向けられている。だが茜の持っている刀とやり合うにはリーチが違い過ぎる。
「く、くそがっ、やんのかっ!? 俺達は獄道組だぞ!?」
「獄道組?」
その言葉に、押し退けられて転がされた警官の動きが鈍る。
警察は獄道組に頭が上がらない。その為二人を逮捕も出来ないのだろう。
だが茜は違う。
「だからどうした」
茜はゆっくりと二人に歩み寄る。青く美しい輝きを見せる青桜刀を向けて。
「こちら森島! 駅前でひったくり! 応援願います!」
警官の名前は森島というらしい。
森島が応援要請を大声で叫んだ。
「くっ、やばいっ」
「おい、逃げるぞ!」
二人は森島の言葉に怯み、逃げて行った。
森島という警官が応援を呼んだことで駅前に血の雨が降らなくて済んだようだ。
だがひったくり犯の二人は取り逃がしてしまった。盗んだバッグを持ったまま。
いくら茜が裏組織の元エージェントだとしても今は少女の体。追いつくことは出来ないだろう。そして犯人を捕まれるのは仕事ではない。警察の仕事だ。
「私のバッグが! あなた警察でしょ! 何とかしてよ!」
ひったくりの被害者であろう女性が警官の森島に詰め寄ってくる。
「い、一応応援は要請しましたので」
「あなたが一番近いんだから今すぐ追いかけなさいよ!」
ひったくられた女性は森島の服を掴んで猛抗議する。
だが森島は女性をなだめつつ、別の所に視線を向ける。
「それよりも君っ」
猛抗議の女性を抑えて、森島は茜の方に向き直った。
「ん? 私?」
「その刀だけど」
恐らく茜に銃刀法違反の容疑をかけているのだろう。
アルドマン孤児院の時と言い、さすがの茜もあきれ顔だ。
「それよりひったくり犯追わなくていいの?」
「許可証を確認します。提示して下さい」
「ちょっとあなた! 私のバッグは!? 普通そっちが先でしょう!」
ひったくり犯を追わない森島に不満を覚える女性。
だが肝心の森島は聞く耳を持たない。茜は渋々スマコンをポケットから出して認証させる。
「携帯理由は」
そういえば、前回アルドマン孤児院でも刀の携帯理由を見ていなかった。自分でも見ることが出来るものの面倒で見ていなかったのだ。
そして森島も前回の警官同様、茜とその携帯理由を交互に見比べる。
「許可の確認取れました」
と、一言。
セレナの作った携帯理由は茜を見ただけで分かる理由のようだ。
茜は便利だなと笑みをこぼすと警官も笑みをこぼす。
「許可証はあるけどむやみやたらに振り回したら駄目だよ」
「でも犯人を足止めする為だし」
「あくまで自衛目的だからね」
「はーい」
茜が呑気に返事をする。
だがまだ事件は終わっていない。
バッグを奪われた女性はたまったものではないと森島に詰め寄って抗議する。
だが森島は、警察としては動けない。だから茜がひったくられた女性にある提案をする。
「そうだ、私がその獄道組に乗り込んで取り返してきてあげるよ」
「え? 本当!?」
「いやいや、君ね……冗談でもそんな事――」
「でも警察は動けないんでしょ? だったら私が取り返してくるよ。刀もあるし。私強いし」
「スマコンやら財布やら色々取られちゃってるから助かるわぁ」
茜は二人組から取り上げたバイクのキーをくるくる回して「足もあるしね」と意気揚々とバイクに向かって歩いていく。
「ま、待ちなさい! そんな事認められるわけないでしょ」
「じゃあ森島さん、あんたも一緒に来る?」
いきなり自分の名前を呼ばれ、森島は目を見張る。
さっきの応援要請を聞き逃さず、名前を憶えて呼ぶ少女は只者ではないと。
「それは……」
だが一緒に来るかと問われて行ける程、現在の構造は単純ではない。
やはり警察としては獄道組に強く出れないのだ。
「怖いんなら他の人達も連れて来てよ」
「……」
「……できないならいいや。獄道組ってどこ?」
茜は森島を無視し、女性に獄道組の場所を尋ねる。
「ああ、町外れのちょっと高台にあるでっかい屋敷よ」
「おっけー」
「待ちなさい!」
軽く返事する茜に当然森島が待ったをかける。
「何を馬鹿な事を! 相手は獄道組って言って――」
「うるさい」
そんな森島を、茜は青桜刀の剣先を向け、更にどすの効いた声で威嚇する。
茜のその一言と青桜刀を向けられ、森島は一瞬喋れない。
「あんた達が何もしないから私が行ってやろうって言ってんだよ! 出来るのに何もしない警察の代わりに、立ち上がったか弱い少女をあんたが止めるのか!?」
客観的に見過ぎていて自分をか弱い少女と発言する茜。
しかしその芯を突いた威風堂々の声明に、茜のスカートの中を覗こうとして集まった男達は目を輝かせた。
「おお! お嬢ちゃんかっこいい!」
「美少女でかっこよくてエロいなんて最高だぜ!」
「警察は引っ込んでろ!」
と言いたい放題だ。
だが森島はこのまま引き下がるわけにはいかないのだ。
それはもちろん獄道組の事もあるがこのまま行かせては茜の身が危ない、と。
「君を公務執行妨害、及び銃刀法違反で逮捕する!」
言って分からないのであれば公権を利用するまで。
警察の前に立ちはだかり公務を妨害した。更に公務の妨害に青桜刀を利用した事で茜を拘束するつもりだろう。
しかし茜はそれを見て鼻で笑い飛ばす。
「やれるもんならやってみろ! 青二才の警官風情が!」
「はい」
茜は両手首に手錠を掛けられ、逮捕されたのだった。
そしてこの森島こそが茜が言う協力者の一人であり、獄道組襲撃のキーとなる人物だった。
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