それは背筋も凍るような薄ら笑いだった。いち警官がする表情ではない。
ますます怪しいと、茜はその男性警官の素性を探りたい所。だが茜の姿を認めたジュリナがそうさせてくれない。
「てめぇ! このブス! あんたは絶対許さないかんね!」
身を乗り出し、女性警官が手を放せば茜に嚙みついてきそうな勢いだ。
男性警官はそんなジュリナの様子を笑い、口を開く。
「君の知り合いかい?」
「まあ……人の髪の毛を切ろうとしたり、学校では脅しをかけたり、銃で脅したりするただのいじめっ子だよ」
「ふふ、ただのいじめっ子か」
数々の悪行を並べ立た総評が「ただのいじめっ子」と揶揄する茜が面白かったのか、男性警官は笑って言い「物騒な子だ」と呟いた。
茜は肩をすくめて溜息をつき、男性警官に同意するのだった。
「てめぇ! 何言ってんだ! ぶっ殺すぞ!」
「銃刀法違反、暴行罪、恐喝にその他諸々。色々あるだろうし、しっかり豚箱で反省させてもらっていいですかね」
「了解しました」
茜が笑顔でお願いすると男性警官は爽やかにそう言って軽く敬礼する。
だが肝心のジュリナに反省の色が全く見られない。それどころか拘束されている状態にもかかわらず、笑みを浮かべて茜に言い迫る。
「ふん! あーしは未成年だから数年で出てこれるんだよ!」
更に得意げな顔をして茜に向かってそんな事を言う。
「茅穂月茜だったよね……あんたの名前忘れないかんね! 出たら何が何でも探し出して捕まえて監禁してぼこぼこにしてやる! あんたの人生全部狂わせてやるかんね!」
「ちょ、ちょっと君! そんな事言うもんじゃないよ!」
応援の要請を終えた森島が帰って来てジュリナを諫める。流石に聞き流せなかったのだろう。
刑務所に服役するのは罪を償い更生する為だ。憎しみを募らせる場所ではないと。
「ふん! でもそういう風にできてんだよ! この国の法はな!」
「相変わらずの趣味の悪さだなぁ」
だがそんなジュリナの言葉に茜はどこ吹く風。
茜は裏組織のトップエージェントなのだ。レゾナンスでもないジュリナなど脅威にはならない。
「せいぜい粋がってれば!? あんたに未来なんてねぇんだからさ! あんたも、あんたのお友達の唯って奴も雪花って奴もさぁ! 全員不幸な目に合わせてやる!」
まるで末代まで祟る勢いのジュリナ。
それを言われると流石に茜は困ってしまう。
茜自身は良い。
だが唯や雪花、果てはその家族まで狙われるとなるとカバーしきれない。
本来であれば国の法でそんな危険な思想を持つ者は野放しにしないよう定めて欲しいものだ。しかしジュリナの言った通りそうはなっていない。
更にジュリナは未成年。減刑されもっと早くに出てきてしまうだろう。
「君……」
正義に熱い森島も何をどう説得すればいいか分からず次の言葉が見つからない。
ジュリナの恨みは根が深そうだ。今まで好き放題やってきたことを茜によって全て断たれてしまったのだ。仕方のない事だろう。
大昔であれば斬り捨てるような輩。しかし今は法によって統治される平和の世の中。そんな事、出来はしない。
だがそこで口を開いたのは意外にも男性警官だった。
「そうか、なら君が死ぬべきだね」
と、正義を語る警官にあるまじき言葉。
「は? 脅しのつもりかよ!? うぜぇんだよ! 何もできねぇポリ公が! 獄道組に何も出来なかった雑魚がよぉ! やれるもんならやってみろっつうの」
「では」
そして警官にはあるまじき行為にでる。
そこで一発の銃声。
「うっ!?」
銃声とほぼ同時、ジュリナが右肩を急に強い力で引っ張られるよう跳ねて倒れた。
「……は? 何で?」
流れるように、自然な動作で、それが当たり前の動作であるかのように男性警官は銃を抜いて、寸分のためらいも無くジュリナの右肩を撃ち抜いたのだった。
そんな一連の動作に、発砲音がするまで森島も茜も動けずにいた。
父親である筈の玄も小さな悲鳴を上げてジュリナから距離を取ろうとしてすっ転び、足だけで後退っていく。
見ればジュリナの肩に風穴が空いていた。そこから白いブラウスを鮮血が徐々に染めていく。
「何でよっ……何であーしが撃たれんのっ?」
ジュリナは目を見開いて撃たれた右肩を恐る恐る見る。
血で染まるブラウスを見てジュリナは目を見開いた。そして体を震わせ、声を涙に染めて喚きだす。
「わけわかんない……わけわかんないっての! こんな事許されるわけないっ……それでもてめぇは警官かよ!」
ジュリナは腕を拘束されている為、倒れた体を起こせない。
だからか長い金髪の髪を振り乱し、泣き叫ぶ。男性警官に向かって抗議しながら。
「何故自分が撃たれたか分からない……か」
「なっ、何? 何の事だよ!?」
男性警官は更に銃口をジュリナに向ける。
「お、お前何をやっている!」
森島は茜に銃弾が及ばないよう、前に立って盾となり警戒する。
「僕が知る日和の国の民は優しく、穏やかで、知性的だった……でも君は自分の罪を悔い改めもせず、何が悪いのかも分からないときた」
男性警官はジュリナの頭に照準を定める。
「は? え? ちょっと? おい! 何とかしろよポリ公よぉ!」
ジュリナは傍にいた女性警官に涙ながらに助けを求める。だがその女性警官の表情は無い。
人が撃たれたというのに何の驚きも感情もなく、ただジュリナを見下ろしている。それは人を人として見ていないような目。
「ちょっと君! 銃を置きなさい!」
森島は叫んで銃を取り出そうとするが一足遅かった。
「君は日和の国に相応しくないね」
茜色に照らされる田園風景に一発の銃声が轟き、ジュリナの眉間に風穴が空いた。
周囲にはこだまする銃声が幾度か聞こえて消えた。
騒がしかったこの場も、シーンと静まり返る。
銃口からは天に上る硝煙と、辺りにはジュリナの鮮血が地面を赤く染めている。
「お、お前は何を……」
森島は男性警官に向かって銃口を向ける。
「お前は何をやっているんだ!」
森島は叫んで男性警官に問うが、反応は乏しい。
「死刑を執行したまで」
と、短く一言。
男性警官は悲しむでもなく、怒るでもなく、ただただ無表情。
「な、なぜ!? なぜ殺さなければならなかったんだ!? まだ分別のつかない子供だぞ!」
「……分別のつかない? 彼女はこの国の法を語っていたようだけど?」
その言葉に森島は言葉を詰まらせ「だが」と苦し紛れに言って口を閉ざす。
ジュリナはまだ子供。善悪の分別がつかず間違いを犯す事もある。
だがその子供が知恵をつけ法を語った。更に悪を悪と認識しながら法を盾にやりたい放題していたのだ。だとすれば分別がつかないという森島の言葉は筋が通っていない。
「更に彼女はそこの少女、茅穂月茜さんの人生を潰す気だった」
男性警官はジュリナの死体に向かって視線を落とす。
「そして彼女の言う事は正しい。この国の法では、彼女は数年で開放されてしまうだろう」
「しかし……だからといって……」
森島としてはやるせないだろう。目の前で成人してもいない少女が銃殺されたのだから。しかも警官の手で。
「彼女が解放されれば確実に茜さんの人生は狂う。彼女がもし、直接手を下さなくても茜さんはずっと彼女の陰に怯えて生きなければならなくなる」
先程ジュリナが茜に放った呪いの言葉。
それは茜をこの先ずっと恐怖させる事だろう。いつ来るか分からぬ恐怖を抱えて生きる人生など、およそ一般人が幸せに送るそれとは程遠い。
「善良な市民が恐怖に震え、憎悪にまみれた悪人が人生を謳歌する。それは果たして公正な判断なのだろうか?」
「それは……」
男性警官は両腕を開いて、ゆっくりと森島に言い聞かせるように問いかける。
そしてそれは獄道組と桜之上市民との関係に似ている。それを打破するために森島達は動いたのだ。
「茜さんに与えられた選択しは二つに一つだった。一つは今ここで茜さんが彼女を殺し、自らの人生を狂わせるか、数年後、出所した彼女に茜さんの人生が狂わされるか」
「それは……」
「どちらにせよ茜さんの人生は詰んでいる。でも僕は善良な国民である筈の茜さんの手を汚させたくはない。だから死刑を執行したまで……茜さんは僕の判決についてどうお考えかな?」
突如男性警官は茜に問いかけてくる。
それに茜は困ったように笑って返答した。
「私が一般のか弱い少女であれば、嬉し泣きしながらあなたに賛同していたでしょうね」
茜は一般のか弱い少女ではない。だがそうだとしたらどうか。
恐らくジュリナの死に、ほっと一安心している事だろう。
その答えは男性警官にとって満足いくものだったようだ。嬉しそうに頷いて言葉を紡ぐ。
「そうだね……森島くん、だったかな。君も被害者の立場になって考えてみたまえ。被害者である善良な国民が割を食う。そんな不条理で滑稽な様を」
「くっ、しかし……理由はどうであれ人を殺すだなんて間違っている! 殺人は絶対に許される事ではない! この国の法でそう定められている!」
「許される」
「え?」
「殺人は法によって許される」
「そんなわけ――」
「許されるさ。例えば正当防衛なら許される」
何を言うのかと思えばそんな事と、森島は肩透かしを食らった気分だろう。
ナイフを手に襲ってきた人を殺してしまっても正当防衛が適用され許される。
何を当たり前の事をと、森島が反論しようとすると更に男性警官が語りだす。
「子供なら数年で許される。警官が撃てば許される。車で人を轢き殺したとしても精神疾患があり、精神耗弱・精神喪失だと言えば許される。もっと言えば捕まったとしても十数年檻に入れば許される。権力者や関係者が殺人を犯したとしても身代わりを立てれば許される」
すらすらと男の口から紡がれる事象。まるですぐそこで見てきたかのような言い方。
男性警官のゆったりと間を持たせるような話し方は何故だか心地よく、間に割って入っていけないような、気品さえも感じられる。
もう少し遅ければもどかしく、だからといって早ければ説得力に欠ける喋り方だ。
「これらは君の言う法がそう定めている」
森島の言う法が殺人を許容している。
だから森島は抵抗する言葉が見つからず、反論できない。
「君は法を語り法を肯定しながら、実のところ否定しているんだよ? そしてその矛盾に気づかない」
「へ、屁理屈をいうんじゃない!」
そして森島が絞り出した言葉がそれだった。
男性警官は残念そうに溜息をついて一つ笑う。
「理路整然とありのままを伝えただけで屁理屈か……なら君に問おう。君は茜さんにずっと彼女の影におびえながら生きろというのかい? それとも茜さんを君が一生守ってあげるのかな?」
「そ、そんなこと……」
そんな事できるわけがない。だが森島の主張はそう言う事。それが出来なければ理想論を語るただの偽善者に成り下がり、茜は不幸な人生を送ることになる。
森島は茜を見る。だが茜は済まなさそうに首を傾げ笑い返すだけ。
「だから僕は撃った。茜さんを救う為に、法までも守るために」
「法も?」
「そうだ。国民を守る盾である筈の法。でも法を悪用し、その陰に潜む闇を僕達は絶対に許さない」
それはジュリナの言った方の穴をついて他人の人生を狂わせること。
そこで森島はふとある事に気が付いた。その男性警官の言っている言葉を過去にどこかで聞いたことがあるのだ。
「……え?」
それは過去、この国の中枢を武力によって改革した組織。善なのか悪なのか今でも議論が続いているあの組織だ。
「その口上はまさかっ」
「僕達はセブンアイズ。闇を照らすもの」
法という盾で出来る僅かな影を照らす。
それがセブンアイズの指針であり行動理念。
茜はそれを聞いて何故だか納得してしまった。
世間的には犯罪者と恐れられるセブンアイズが何故一般人の間で英雄と祭り上げられているか。
「あ、わ、ワシは」
思わぬセブンアイズの登場に玄は驚き思わず口を開く。
「君も死刑執行かな?」
「わ、ワシはその茜とやらはどうでもいい! それにこいつは実の娘ではない! 前の女の連れ子だった! 全く傲慢な娘で辟易していたところだ! ワシは大人しく服役するから殺さないでくれ!」
玄の言葉を聞いて男性警官は銃口を向けたまま動かない。
「た、頼む。そいつからいろいろ情報を引き出さなければならない。こちらに引き渡してくれないか」
これ以上死者を出したくない森島は男性警官に向けた銃口を天に向けて懇願する。こちらに攻撃の意思はないと。
その時、女性警官が男性警官と目を合わせ、頷いた。
「もとよりそのつもりさ」
男はあっさりと銃を引っ込めた。
「では行きましょう」
「ああ。そうだね」
小屋の脇道から白い車が一台近づいてくる。
「では正義感の強い警官と、美しい少女の茜さん」
男はキザっぽく、茜にウィンクし車のドアを開く。
「では、ごきげんよう」
すぐ横につけられた白い高級車にセブンアイズの二人は乗り込み走り去ってしまった。
「セブンアイズ……一体何をしに来たんだ?」
日和の国に手を出さないと宣言していたセブンアイズ。
だが今ここに来てやったことと言えば獄道組の逃走者二人を捕まえ、一人を射殺しただけ。
「まさか来るとは思ってなかったですね」
ジュリナを殺す為だけにここに来たとは考えにくい。
だがその目的は分からなかった。
もう見えなくなった車の方向を二人はしばらく眺めた後、茜が口を開く。
「では、私はこれで」
「え? これから応援の車両が来るから一緒に――」
「いえ、警察署に連れて行かれて色々聞かれるのは嫌なので」
「そんな事は……」
警察署に戻れば根掘り葉掘り茜に聞いてくるだろう。そんなことは長島達がさせないだろうが迷惑をかけてしまう。
だから茜は一人で歩き出した。
「では」
茜は既に歩き出し、帰路に就く。
森島としてはこの獄道組突入の立役者に歩いて返らせたくはないだろうが茜の嫌がる理由もわかる。
「き、気を付けてね」
だからそう言って茜を送り出したのだった。
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