予想通り、母を殺してしまったことを雷地は怒っている。
当然の結果だ。
しかし茜もそれは分かっていた。四年前からずっと。
だから謝罪しなければならない。雷地に謝罪を拒否されたとしても、許されなかったとしても。その光景をずっと思い描き、日々悪夢にうなされ続けていたのだから。
雷地が茜の事を許さないと言ってくれた。だから茜は素直に言葉にして謝罪出来る。そう思っていた。
だが次の雷地言葉がそれを許さない。
「そう、俺に言って欲しいと思ってたんだろ?」
謝罪の形になっていた茜の唇が次第に歪んで形を崩す。そこから声は一切出て来ることはない。
「あはは、やっぱお前は分かりやすいわ」
雷地は笑い、不敵な笑みを茜に見せる。
どうやら雷地はまだ茜の行動を予想するゲームに興じていたようだ。四年間培った対光シミュレーションの成果だろう。全てお見通しだったというわけだ。
「お前は昔からそうだった。人一倍自立心が強い、だから母さんを殺してしまった事も全部自分の責任って思ってんだろ?」
「……ごめん」
「それは……何に対してだ?」
雷地は話の流れから茜の謝罪がどれに対するものなのか分からなかった。
茜は雷地が言ったように自分の責任で母親が死んだと思っている。だが思っている事については謝罪の必要はない。だからこの謝罪は母親を殺してしまった事に対してだろう。
「母さんのこと……やっぱり謝らなきゃと思って」
「光、だからその事はもういい――」
「良くないだろ!」
母を殺してしまった事への謝罪は不要だと主張する雷地を茜が遮って言葉を紡ぐ。
「良くない……そんなこと言ったってどうしようもないってことは分かってる! 分かってるけどさっ」
茜は珍しく感情を露わにし、拳を強く握っている。
雷地は口を閉ざし、辛そうに茜を見守るだけ。
「何も言わずにはいられないだろ! でも……四年間ずっと言い出せなくてっ……兄貴に、どんな顔で会えば……いいか」
「分からなかった」と続いたのだろうが消えそうな程小さくなり、雷地の耳に届いたかどうかは定かではない。
そして感情的に言葉を発してしまったことに茜は恥ずかしそうに顔を俯かせた。
「だから……四年前のあの日から俺の前から消えたのか?」
四年前、母を殺してしまったあの日から、茜は雷地に一言も声を掛けず、会いもせず、セレナに連れられてファウンドラ社に所属することになった。自責の念に駆られ、罪悪感に押しつぶされそうになりながら雷地から距離を置いた。だから雪花の母、雪見に英雄と呼ばれる事も嫌がったのだ。
「怖かったんだ……兄貴にどんな顔されるか、なんて言われるか……」
「それで結論がごめん、か?」
「……それで許してくれるとも思ってない。殴られるのも覚悟の上だっ」
茜は雷地を見上げて目を閉じる。殴れと言う意思表示なのだろう。
だが今は茜は光の姿ではない。男でもない。これ以上ないくらいの美少女なのだ。雷地でも殴れはしないだろう。そして気丈に頬を差し出し目を瞑る茜はとても可愛らしかった。
そんな茜の頬に雷地の手が当たる。
それは殴るではなく叩くでもなく、ただ軽く触れるように。更に子供の顔に跳ねてついてしまった泥を拭うように指を動かす雷地。
茜は恐る恐る目を開くと、そこには今にも泣きそうな雷地の表情があった。
「むしろ……ごめんは、俺の台詞なんだ」
「……へ? 何を言って……」
わけがわからないと、茜は口をぽかんと開けて雷地を目だけで見上げる。
雷地は雷地ですまなさそうな顔で茜を見下ろしていた。その事から雷地は冗談を言っているのではない事が分かる。だが雷地が茜に謝る理由が一つも見当たらないのだ。
その理由を雷地はぽつりぽつりとゆっくりと語りだした。
「お前が……お前達が天空都市で、必死に戦っている時、俺は何をしていたと思う?」
「何をって……」
「俺はなっ、間抜けにも地上で寝てたんだぜ?」
天空都市が桜之上市上空に陣取っている時、住民は全員避難所にいた。雷地もその一人だ。
そして光達が天空都市に侵入し戦っていた早朝、雷地は避難所で眠っていたのだ。天空都市に乗り込んで戦っている弟を放って、一人地上でぬくぬくと。
だから茜の謝罪は筋違いで、自分こそが謝罪が必要だと。それが雷地の主張のようだ。
「そんな俺に……どうしてお前を攻める事が出来ると思う?」
「だってそれは――」
「それにだっ」
次は雷地が矢継ぎ早に言葉を紡ぎ、茜の言葉を遮る。
「それに……俺が間抜けにも、いびきをかいて寝てた時、横で寝たた筈の母さんはこっそり抜け出してたんだぜ? お前のことが心配で……どうやったかは知らないけど天空都市に忍び込んでたんだろ? 俺は母さんが抜け出した事にすら気づかなかった。強引だの無神経だのよく言われるけどな、それも考え物だって考えさせてくれたよ」
と、皮肉を込めて自分を揶揄する言葉を雷地は吐露する。
「だからな、俺にお前を攻める資格なんてこれっぽっちもないんだ」
雷地は言いながら、茜の頬をさする手から次第に力が抜けていく。言い終わる時にはもうその腕はだらんと垂れさがって揺れていたのだった。
「兄貴……」
その垂れ下がった腕を茜は見つめる。
だがそんな雷地になんて言ったらいいか、また分からなくなってしまった。
「俺が未熟だった。だから心配かけまいと母さんは未熟な俺に何も言わず抜け出した。母さんと弟は身を削って桜之上市を救った。それに対して俺はどうだ?」
雷地は笑っていた。悲しそうに。
そんな雷地を茜が見たのは生まれて初めてだったかもしれない。
雷地はいつも勝気で周りからは人気者だった。少し強引で無神経な所もあるが優しく、いつも引っ張ってくれていた。雷地自身自分が引っ張って言っていたという自負もあるだろう。
家のことは全く何もしなかったが茜にとって雷地はとても尊敬できる兄だった。そんな兄だったからこそ辛そうに謝る茜にとても深い罪悪感をもったのだろう。人気者でいつも人を引っ張るリーダーだと勘違いしていた、未熟で、惨めで、情けない自分に。
「そんな俺をどうか許して欲しい。光」
悲しそうな目で茜を見つめる雷地。
互いに謝罪し、互いに悲しい顔をしてしかめっ面で見つめ合う妙な構図だ。
「何だか私達、似た者同士だな」
茜は溜め息交じりに笑ってそう言い放つ。
夕焼けで焼かれ茜の表情は少しだけ笑顔が戻っている。
雷地の顔には影が落ちて少し暗い表情。それなのにその瞳には焼かれる茜の姿が煌々と映しだされ、少しだけ明るく見えるただろうか。
似た者同士と言えばまさにそうなのだろう。茜と雷地はこの世でただ二人、血の繋がった兄弟なのだから。
そして茜は口を吊り上げてにっと笑う。
「じゃあ、しょうがないから特別に許してやるよ」
慰みもへったくれもない茜の言葉。
立場を逆転させた、上から目線の言葉を茜は言い放つ。
冗談のようなそんな言葉は雷地もお気に召したようだった。ぷっと吹き出し、そして声を出して笑う。その雷地の目には涙が滲んでいた。
「ありがとう、光。俺にできることなら何でもする」
そういって雷地は茜をまた抱きしめる。
「あ、兄貴!? ちょっと」
「だからお前はもうがんばらなくていい」
またしても抱きしめられる茜。
周囲にはギャラリーもいる。きっとばたついている事だろう。
何より実の兄に抱き着かれるというのは気恥ずかしいものがある。だが力の差は歴然で、雷地の力が強く振りほどけない。
「いやぁしかし、お前は謝りながらボロボロ泣き出すと予想してたんだがなぁ。そこだけ外れちまった」
四年間のシミュレーションでもそこだけは当てが外れたようだ。
むしろ泣いているのは雷地の方だろう。
雷地の表情は見えないが涙声になっているので恐らく泣いているに違いない。泣き顔を見られたくないから茜を抱きしめ、顔を見せないようにしているのだ。
茜はポンポンと雷地の背中を軽く叩いてやる。
「母さんが死んだ時に散々泣いたからさぁ、どんな悲しい映画を見てもドラマを観ても泣けないんだよな」
「そうか」
「兄貴はちょっと泣き虫になったんじゃないか?」
「な、泣いてねぇよ……俺が泣くわけないだろっ」
「じゃあ放せよ。泣いてないなら」
雷地は茜を離さなかった。それどころか更に腕の力をきつく締め上げてくる。
「ちょ、兄貴……苦し」
「そういやお前泳げたよな?」
その質問はこれから泳ごうとする者の台詞に他ならない。
「まさかっ?、兄貴!?」
「久々に泳ごうぜ!」
雷地は茜を抱いたまま、コンクリートで出来た地面を蹴って海へ飛び込んだ。
「ちょ、まっ――」
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