「やるか海パン少年」
「茜、あいつ倒してもいいんだろ?」
「……いい、けど」
剣の問いに歯切れの悪い茜。剣の相手は茜の父親なのだから複雑だろう。
父親の強さはまだよくわからない。だが剣の化物級の共鳴強化に対抗できるレゾナンスはそうはいないだろう。
剣は茜の前に出て拳を握り、大吾を睨みつける。
「拳でやろうってか? なら俺も」
大吾はそう言って黒い刀から手を放し拳と拳をぶつける。
「うっし、いっちょやるか」
大吾が構え、剣も拳を前に出し、構える。
「一つ聞くが、お前は茜のなんだ?」
「ど、どうでもいいだろ! そんな事っ」
少し動揺する剣。
剣にとって茜は運命の相手かもしれないと、ルイスに言いくるめられている。そして剣もまた意識し、あまつさえ茜の誘惑にしどろもどろになっている。そこで問われた茜との関係。動揺するのも無理もない。
そしてその動揺した剣に大吾も気が気ではないと言ったように目を丸くする。
「ま、まさかお前……茜と付き合ってるとかじゃ」
「つ、付き合ってねぇよ!」
その光景に雪花と茜は目を細め呆れ顔だ。
「何言ってんだあいつ……」
茜の中身は光だという事はさっき話した。なのに剣に何を聞いているのかと。
しかし横にいるルココは何故か目を輝かせている。
「何々!? あなたをめぐる争い!?」
ルココも年頃の女の子。恋愛関連の話にはやはり興味があるのだろう。
そんなルココの期待に応えるように雪花は茜にあることを提案する。
「ほら言いなさいよ、私をめぐって争わないでって」
「言う訳ないだろアホ」
だがもう勝負が始まりそうだ。
剣と大吾がともに体勢を低くする。
「お前こそ茜のなんだっ?」
「俺に勝ったら教えてやるよ!」
両者一斉に地面を蹴って距離を詰める。
そして最初に拳を繰り出した剣。化物級の剣の拳を大吾は肩で受け止めた。
「なかなかやるじゃねぇかっ」
「あんたもなっ」
「だが」
次の瞬間、大吾は全身に力を込める。
そして膨張した筋肉で剣の拳が弾かれた。
「なっ」
大勢を崩す剣。
その懐にすかさず入り込む大吾。
「うぐぅ」
そして剣のうめき声。
潜り込んだ大吾が数発、剣の腹に拳を打ち込んだのだ。
「くっ、この」
苦し紛れに蹴りを繰り出す剣だが大吾に距離を取られ、空を切る。
だがそこで大吾は地に着いた足を少しも曲げずまた剣との距離を詰めて顔面や腹に拳を打ち込んでいく。
「おお、あいつ見かけによらず技巧派だなぁ」
茜は腕組みをして実の父である大吾を褒める。
だが悠長に褒めていていいのかと、雪花は心配になる。相手は茜の父親だがブラッドオーシャンと繋がっているのだ。
二人が戦っている光景を眺めているルココに聞かれぬよう、雪花は静かに茜へ話しかける。
「ちょっと、どういうことなのよ?」
「ああ、最初の剣の拳を弾いたり、ノーモーションで距離詰めたり、あれって共鳴放出の応用だよ」
「へー……どういう原理?」
「普通共鳴力で筋肉を強化して殴るけど、その時の威力のまま殴ると拳が壊れるだろ?」
「うん、だから共鳴放出で拳に膜を作るんでしょ?」
「そう、それを肩とか足の裏であいつはやってのけてる。セレナさんも使ってただろ? フェリーで空中歩いてた」
「え? 何それ、見てない」
茜が言っているのは飛空艇アシェットから脱出した時の事だろう。あの時、雪花は気を失ってしまって見てはいないのだった。
「まあ空中で歩くなんてセレナさんくらいしか出来ないけど、あの共鳴放出の制御は逸品だな」
「ふーん、じゃあディアン族の硬化も?」
「その類だろうな。でもルココと戦っていた時には全身を完璧にガードしてたからディアン族特有のものだと思う」
「へー……まあ原理は分かったけど……じゃあ剣よりもお父さんの方が凄いって事?」
「少なくとも、その制御だけで言ったら剣を上回ってる」
「え? じゃあ剣が負けちゃうんじゃ?」
見れば剣の拳は全て弾かれ、一つもまともに当たっていない。逆に剣は大吾の拳を受け続けている。
「それはない」
「え?」
「よく見てみろよ」
「よく?」
茜に言われて目を凝らして見る雪花。すると剣は殴られる直前に全て手の平で大吾の拳を防いでいた。
「最初の一撃以外まともに食らってないだろ?」
「本当だ」
更に剣はすまし顔だが大吾の表情から徐々に余裕が消えていく。
「海パン少年っ、中々味な真似してくれるじゃねぇか!」
「それ程でもないが」
苦し紛れに口を開いて剣の猛攻を緩めようとする大吾だが、剣が手を抜く事は無い。逆に剣の拳の連打に大吾が追い込まれていく。
「しかも剣はまだ本気出してないしな」
「え? そうなの?」
互角に見える勝負だが、剣は手加減している。先程茜が破壊した戦艦スカイゲイザーの四十六センチ砲弾を剣は撃ち落としているのだ。その時のような威力が剣の拳にはまだ見られない。
「私達の世界はだまし討ちでも初見殺しでも戦闘不能にさえすれば勝ちなんだけど、あいつは武道習ってるからなぁ」
「スポーツマンシップって奴?」
茜達が身を置く場所は勝った者が正義の世界。
「ああ、まあそれでも勝つから良いんだけどさ」
だが剣はそのハンディキャップをもってしても勝つほどの強さを誇り、茜にも信頼されているようだ。
「あ、ほら、剣がギアを上げてきたぞ」
茜の言葉に雪花は二人に視線を送る。
先程と同様に、共鳴放出の反動で距離を取る大吾だが、それを凌駕する速さで距離を詰めている剣が居た。
「ぐっ!?」
それに驚く大吾。しかしその時にはもう既に剣の拳が大吾の腹にめり込んでいた。更に先程とは違い、空気を弾きだすような破裂音と共に。
仮面の上からでも分かる苦痛に歪む大吾の表情。
更に剣の連打が腹に数発撃ち込まれる。
くの字に曲がる大吾の顔面を更に剣の蹴りが襲う。
「あっ」
と、喉をついて出る茜の憂慮。
大吾がしている仮面は生命の仮面。大吾は過去、命に関わる大怪我を負っていたという。それを生命の仮面で一時的に治し生きながらえている。そのせいで誰かもしれない男の言う事を無理やり聞かされているのだ。今ここで剣と戦っているのもその為。
だがそこは大吾も分かっていたようで手で防いで難を逃れる。
「茜っ、止めた方がいいんじゃないの?」
「……そうだな」
だが大吾も負けじと剣に拳を繰り出している、
しかし仮面を攻撃された事で心を乱したのだろう、功を焦り剣に懐に潜られてしまう。
「ちっ」
大吾は距離を取るも剣の方が早い。
仰け反る大吾の体。
そして足を滑らせ手を突いた。
「やっべ――」
剣が拳を振りかぶる。
その標的は大吾の顔面へ。
大吾は体勢を崩しており、万事休すだ。
「剣!」
「え?」
そこに割り込む茜の声。
「そいつは私の親父なんだ!」
「なに!?」
そんな茜の言葉に剣の拳の速度が緩む。
だが肝心の大吾は焦り、茜の声は聞こえてなかった。悪い事に緩む剣の拳をこれ幸いと蹴りを繰り出したのだ。
「ぐ!?」
剣の膝に大吾の蹴りが入る。そこは奇しくも光が蹴り込んだ膝と全く同じ場所。
まだ完治しきっていなかったのか、剣の足は変な方向に曲がり体勢を崩す。
「このっ」
そして悪い事は連鎖する。剣の緩んだ拳が勢いを取り戻した。
ばきっ、と何かが割れる音。
「あ」
「あ」
「あ」
その音は大吾の仮面、命を繋ぐ生命の仮面が割れた音だった。
剣の拳を受け大吾はゴロゴロと転がっていく。
「親父!」
「え? あの人、あなたのお父さんだったの!?」
そして顔を抑え仮面が無くなった事を確認する大吾。
「まずいっ」
大吾は焦ったようにきょろきょろと周囲を見回して仮面を探す。だが目に留まったのは真っ二つに割れた仮面の残骸。大吾はまたも情けなく急いでにじり寄ってそれを拾って顔に付けるが更に仮面が割れて手からこぼれ落ちる。それはもう元に戻ることはないだろう。
それを見つけた大吾は何度か荒く息を吐く。そして次第にその息の間隔が長く、ゆったりとしたものに。そして体を倒し、力なく手を広げて大の字になった。
「やっちまった……」
茜は目を丸くする。
大吾は会おう向けになったまま動かなくなってしまった。
「親父! しっかりしろ!」
だから茜はすぐさま大吾の元へ駆け寄っていく。
「嘘……」
呆然と立ち尽くす雪花だが焦る茜を見て直ぐに後を追う。足が折れて立ち上がれない剣の横を駆け抜けて。
大吾は仰向けになり、静かにこれから自分が行くかもしれない目の前の空を眺めた。その先には南国の青く、美しい青空。
だがその行く手を、女神のように美しい少女が邪魔をする。
「親父!」
茜が大吾の横に滑るように走り込み、覗き込んでくる。
「親父! 大丈夫か!? 過去の傷か!? どこを怪我したんだよ!?」
どこを掴んでいいか分からない茜の両てが宙を行き来する。その手は少し震えていた。
茜は実の母を亡くしている。そして今、十数年ぶりに再会した父親をまた失おうとしているのだ。手だけでなく、声も少し震えている。
「雪花! 雪花!! 傷を治せ!」
「う、うん!」
雪花が大吾の体の何処に傷があるか探す為服をめくり上げる。
その時、弱々しい大吾の手が茜に向かう。
「あ、茜……今までごめんな。どうにかしてお前達に会いに行こうと思ってはいたんだ」
茜はその大吾の弱々しくもごつごつとした太い腕を両手でつかみ上げる。そして強く握った。
「親父……」
強く握り過ぎてか、それとも父の死を目前にしてか、やはりその手は震えていた。
「何だよ……悲しい顔してるくせに涙は出ないんだな」
「出ないんだよ……母さんを……その殺してしまったから」
それは雷地と再会した時もそうだった。実の母を自らの手で殺してしまったショックで泣けなくなってしまったのだ。
茜のそんな悲しい事実を知って大吾は眉をひそめてゆっくり口を開く。
「そうか……お前には辛い想いをさせてしまったな。瑠衣菜にも……」
その言葉に茜が握った大吾の手が今までにないくらい大きく震える。
大吾が茜の表情を伺えば、これは怒りだという事が分かった。
「馬鹿親父! あんたを殴ってやろうと思ってたのに……こんな所で死ぬなんてっ」
「へへ、悪りぃな……だが自分の子供に看取られながら死ぬっていうのもおつなもんだ……」
大吾は優しく言って茜に微笑みかける。
その茜は今にも泣きそうな顔をして大吾を覗き込むのだがやはり涙は出ない。まるで雨の降らない積乱雲のように。ただそこからは雷のようにゴロゴロと激しい音が漏れてくる。
「何が自分の子供だよ! ずっと放置してたくせに! 今更父親面するなよ! ふざけんなっ……ふざけんなよ!」
「はは……最後くらい父親面させてくれよ」
残念そうな大吾の表情。
ドアナ大陸に開拓使として派遣された者達の中に、無事帰還したものはいない。
なのに家族を置いて一人出て行ってしまった。それは自業自得ともいえる所業。
だがやはり大吾は茜の父であり、茜は紛れもなく大吾の子供。死の際まで恨み事を言い聞かせるのは酷だろう。
だから茜は目を瞑る。
「本当は……本当はさ、子供の頃もし親父っていたらどんな感じなんだろうって思ってたんだ……他の子達には優しそうな父親がいてさ……思いっきり抱きしめられたら、どんな気持ちなんだろうって……」
「ははっ……辛い思いをさせたな……風邪……ひくんじゃねぇぞ……」
「親父?」
大吾は目を瞑り、口もつぐんだ。
茜は目を見開いて大吾を見る。だがやはり涙は出ていない。
その乾いた目で雪花み睨むような視線。
「おい雪花!」
「そんな事言ったって……手の打ちようがないわ」
「そんなっ……くそっ……親父ぃいい!」
茜は片手で大吾の手を握り、もう片方の手で大吾の胸を叩きつけた。
思いっきり、やるせない気持ちをぶつけるように。
「いてっ」
「……ん?」
茜のノックに応えたのは他の誰でもない実の父親、大吾。死んでつぐんだと思われた口を開く。
そして大吾は瞑った目を開いたのだ。
「……あれ? 死ねないな」
「雪花? どうなってんの? 手の打ちようがないとかなんとか言ってたけど」
「うん。だって傷なんてどこにも無いし」
「……え?」
大吾はむくりと起き上がった。
「んー……死ねないな」
「ほら、起き上がってるし」
茜は目をぱちくりと数度開いて閉じを繰り返す。そしてある物に目を止めた。片手で掴んでいた大吾の手だ。
憎んでいた父親のごつごつとした手。死に際のそれは茜にとってとても愛おしく思えたに違いない。だが死ぬ気のない大吾の手は愛おしさのかけらもないのだ。
茜はそれを憎たらしく睨みつけ、ぶんっと音が鳴りそうなくらいに振り払って立ち上がった。そして汚いものを触ったとばかりに手を手で打ち払う。
女神のように美しい少女、茜は南国の風で髪を揺らす。そして実の父親、大吾を害虫を見るような冷たい目で見下ろし
「ちっ」
舌を大きく打ち鳴らしたのだった。
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