バンカー王国から戻って数日、茜は雪花と桜之上学園にいた。
今日は雪花が受けている治癒師の実習を見学の予定。しかし雪花は先に打合せがあるとかで茜は一人中庭で放置されてしまっていたのだった。
茜は美少女。一人であれば視線の的、そして男子生徒に絡まれる事は必至なのだが、幸いなことにそうはなっていない。
「南の島!?」
「いいなぁ~、私はずっと部活だったよ……」
「夏はこれからなんだから今度皆で行こうよ。でも南の島って事は水着かぁ……少し痩せないとなぁ……」
「秋子、あんたずっと痩せるって言ってるけど、昨日ケーキ食べ放題行ったよね?」
何故なら放置された茜を見つけた春子達と話していたから。
数日ぶりに茜を見つけた春子達は茜を護衛がてら、雪花の準備が終わるまでの間、中庭でだべっていたのだった。
「別に遊びに行ってたわけじゃないんだけどさ」
「え? そうなの? なんで?」
「まさか、また秘密の仕事だったりして?」
「そう言えばバンカー王国も南の島だよね」
「ああ、少し前にニュースでやってたやつね。今の王様を前の王子が打ち取ったっとかなんとか。まさかあんたが裏で糸を引いてたりして、あはは」
「……あはは」
ピンポイントで茜の所業を言い当てる冬子。
そんな冗談のような真実を冬子は笑うのだが一拍置いた茜の空笑い。それは笑うに笑えない、と目を丸くする。
「え、あんたちょっと本当に!?」
「そ、そんなわけないだろ」
「あ! そう言えばニュースに考古学者のツクモ教授って人も出てた!」
「ツクモ教授って、前ここに来てたよね?」
「そう言えば茜ちゃん、ツクモ教授と一緒に逃げてたって噂が……」
「しかもニュースで青い髪の少女って……」
それは現地の取材をしていた女性リポーターの発言だろう。
「ああ、それ私も見たわ。でも顔は全然違ってたよ?」
「え~、なんだ~」
茜の顔は確かにカメラに撮られていた。しかし茜の顔は全く別人になっていたのだ。
それは別にファウンドラ社が差し替えたのではない。茜の着用しているネックレスに仕掛けがある。
茜達がしているネックレスにはもしもカメラに映ったとしても顔を別人に加工する顔認証阻害の仕掛けが施されているのだ。
人の視覚に対しては意味をなさないがカメラのようなデジタル処理される画像に対しては別人に映る。その為、茜達のような表舞台に姿を現さないエージェントは安心して任務を遂行できるし世界を闊歩出来るのだった。
「怪しいわね……」
だが冬子だけはまだ茜を訝しがっていた。だから茜はとある物を差し出す事にした。
「そ、そうだ、お土産があるよ」
「わーい! お土産お土産!」
「そんな気を使わなくていいのに」
「なんだろ~、楽しみ~」
春子達はそんな事を言いながら皆前のめり。
実のところ茜はお土産を買ってくる暇はなかった。それは宴の後、直ぐに帰国したから。だから何も買う暇はなかったのだった。
「あれじゃない? バンカー王国特産の羊の置物とか」
そして冬子だけがそんな事を言って細目で茜を見つめてくる。
それを横目に茜が取り出したのはセレナから貰った収納箱それを開けて出てきたのは黄金に輝く金貨。
「これ現地の子供に貰ったんだけどさ」
「ピッカピカじゃん」
「うわ~、綺麗」
「記念メダルみたいな?」
「そうそう、そんな感じ。キリカ金貨だって」
それはキリカが地下からくすねてきた本物の金貨だ。
「ずっしりしてる……本物みたい」
「まさか~……でも確かに重い」
「それにこの輝きは……」
「あはは、まっさかぁ……あんたこれ、本物じゃないわよね?」
「……そうだよ」
またもや一拍置いた茜の返答。そして冬子の否定疑問文に茜はどっちにでも取れるような曖昧な言葉。
「そうだよって何に掛かってんの!? ちょっとあんたこれ本物なら結構するけど!?」
「あ」
そう言って茜はおもむろに立ち上がる。
「雪花の治癒師の授業見学するんだった!」
「え?」
「じゃあ」
「あ、ちょっと!」
「またね~」
その場から立ち去る茜を、春子だけが笑顔で手を振って送り出すのであった。
「マジでこれ本物だったらどうする?」
「そんなはず……」
「でもあの茜よ? どんな伝手があるか分かったもんじゃないし」
うんうんと唸りながら春子以外は数日、頭を悩ませることになるのだった。
茜は雪花が実習する為の教室に来ていた。
百人程の収容できる教室が埋まる程の込み具合。
「――というように、明鏡共鳴、略して明共鳴は過度に使用するとその明共鳴の属性に飲み込まれる危険性があります」
と、多くの視線が集まる中、教鞭をとっているのは意外にも雪花だった。
雪花が良く学校に出向いていたのは教える立場にあったからなのだろう。雪花のヒーリングの才は群を抜いている。しかも更に国境なき救済団体で紛争地帯に赴き実務をこなしているのだ。その経験を活かし教鞭をとっているのだろう。
この学園では教師も生徒も関係なく実績がある人間が教えている。
「実際にそんな現象は今まで起きてたんですか?」
「はい、明共鳴を開花させているレゾナンス自体が稀ですが過去に一人、それで命を落とした人がいます。火の明共鳴を覚醒させたレゾナンスでした。その時は鉄球を溶かす事が出来るかどうかの実験をしていましたがその途中、自分の手から始まり腕、体と、炎になっていき全てが燃えて消え、骨も残らなかったと言います。唯一残ったのは脚だけでした」
「なぜ脚は燃えずに残ったのですか?」
「その時に安全の為に治癒師が傍にいたからです。まだ炎に包まれていなかった脚を掴んでヒーリングを施しましたが時既に遅しでした」
治癒師とは高度なヒーリングが出来る、雪花のようなレゾナンスの事。薬学や医術を駆使して治癒する医者とは一線を画す者達だ。
「なので治癒師は病院だけではなく、そう言った危険な場面、公共施設、紛争地帯で引く手数多! お給料もいい! 最高です! 一攫千金なんて狙わなくても良いお金が入ってきます! たとえ数億ウルドの報酬があっさりと消えてしまってもこの技術さえあれば食べていけます!」
雪花の目には涙。
数億ウルドの報酬が茜の使用したメテオライトキャノンの経費によって吹っ飛んでしまった。よほど悔しかったのだろう。
「はいはーい! 雪花さんは紛争地帯で国境なき救済団体の一員として派遣されていたと言ってましたけど、どんな患者がいたんですか?」
「主に手足を欠損した人とか、破片が突き刺さって血まみれになった人とかですね」
「うわぁ……」
「腕が見つからない場合はその場で血管や神経を縫合し欠損状態となります。破片などは他の器官を傷つけないように内側から押し出し除去します。重症患者は生きる事を諦める人もいるのですが私達は諦めず治療しましょう。諦めたらそこで命は終了です」
「諦めた人達にはなんて声を掛けたらいいんでしょうか?」
「声?」
その時、雪花の表情が苦虫を嚙み潰したようなくしゃりとした顔になる。
「奴等にはそんな優しい言葉必要ありません」
そして先程まで患者と呼んでいた人を「奴等」と呼び直す。
「何故なら、奴等は死ぬと思っているのでせめて最後にと……胸や尻を触って来るからです!」
「ええ!?」
「やだぁ」
「更に仕方なく、ズボンやパンツを脱がせることもあるのですが男は大抵皆バベってます!」
その雪花の言葉に女子生徒の冷ややかな悲鳴が響く。
バンカー王国での任務の時、茜がゆでだこになり焦った剣のバベッた様を見てさほど驚かなかったのはこの為だろう。見慣れているのだ。
「卑猥な言葉を投げかけてくる奴等は多数います。生命の危機を感じると子孫を残そうという生存本能の為、だそうです」
「そんなときはどうするんですか?」
「無視します。しつこかったら殴ります!」
「え? 大丈夫なんですか!? 怪我人ですよね!?」
「はい、治せるので」
「え」
「壊せば治せばいい、私達には簡単な事ですよ」
雪花は満面の笑み。
そんな物騒な事を満面の笑みで言い放つ雪花の表情には不気味な説得力があった。多くの実践を潜り抜けた雪花ならではのなせる笑みなのだろう。
「先生! 暴力はいけないと思います!」
微笑みと実体験で生徒を論破できたと思った雪花はそんな言葉の主をキッと睨みつける。
その生徒を認めた雪花は眉をひそめる事になった。何故ならその言葉の主は茜だったから。
容姿端麗な茜の中身は男。男性の患者の不遇さに居てもたってもいられず物申したのだ。
周囲にいた生徒も学園随一の美少女、茜の存在に気づき、どよめいた。
「か、可愛い!」
「可愛いのに非暴力も訴えるなんて!」
「その容姿に加えて性格もいいなんて神かよ!」
と、男子生徒の勘違いが口々に言語化される。
だがそんな事お構いなしに茜による雪花への茶々入れは続く。
「最後に胸くらい揉ませてあげればいいんじゃないですか!?」
「はぁ!? いいんです! 私がいる限り最後じゃないんだから! てかあんたが揉ませてあげればいいでしょ!」
雪花対茜の抗争。
更に雪花の言葉で男子生徒の視線が茜の胸に集まった。
「茜ちゃんの胸……」
「可愛い、性格よし、そしてこの豊満な……」
「さ、最強かよ……」
「けしからん……」
そこへ追い打ちをかけるように立ち上がった茜の胸に魔の手が迫る。
「ひぃ」
と、茜の小さな悲鳴。
その立ち上がった茜の後ろから脇をすり抜け突如手が伸びたのだ。更にその手は茜の胸を鷲掴みにした。
「む~、これはE以上はあるなぁ……」
それは唯だった。
唯もまた、治癒師の授業に参加していたのだ。そして茜と久々に出会い、隣に座っていたのだが、その意見に心と体を揺り動かされた唯は茜の胸を揉みしだいたのだった。
「ちょっ、唯!? なにをっ、あははっ、ちょっとくすぐったい」
唯はボロボロになった孤児院が改装される事になった為、ホテルで仮住まいだ。
更に市長に横領されたお金は全て戻って来た。加えて慰謝料も受け取る事となり、ホテル代も払ってもらっているのだった。孤児院にいる子供全員分。
「最後の患者の気持ちになってみたんだけど~、死ぬ前にこれは……天国かも!」
その光景に男子生徒は驚き、そして前屈みになる。
それに対し女子と雪花の目は冷ややかだった。
「け、けしからん……実にけしからん! もっとやれ!」
「参加して正解だった……」
「茜ちゃんはE以上だと……」
「……男子最低~」
「はい、そこ~、乳繰り合わないよ~。座って。あと男子は落ち着いて~マッチョメンを思い出して~」
皆気を取り直し、茜と唯も着席する。
「そう言えば茜ちゃんの夢見たよ?」
「え? どんな?」
「茜ちゃんが怖いおじさんたちの前で青い刀振り回してる所」
「え?」
これには茜も驚いた。
それは獄道組と対峙した時の事。そこで実際に茜は青桜刀を振り回していたのだから。
「うーん、もしかしたら唯は占い師とかできるのかも」
占い師。それは未来を見通す力を持つ者達の事。
中でもレゾナンスの占い師による未来透しはかなりの確度がある。唯はそれにも精通しているのかもしれない。アルドマン孤児院の院長であるクララもそんな事を言っていた。唯が見た夢はよく当たると。
「えー、そうかなぁ。でも人を助ける治癒師も興味あるんだよね~」
「確かに、優しい唯には治癒師は天職かもねぇ~」
「え~、そうかなぁ、ありがと」
「そこ! イチャイチャしない!」
雪花は持っていた教鞭を茜に向かって投げつける。いい加減、茜が邪魔になって来たのだろう。
それを茜が片手で止めて雪花を睨みつける。
「先生! 暴力反対です!」
「大丈夫。治せますからっ」
「お前……そればっかだなっ」
そんなこんなで雪花の授業が一通り終わった。
茜は唯と一緒に話をしたかったのだが、子供の世話があるようでホテルに戻ってしまった。
雪花が出てくるまで待つ茜なのだが、また一人になってしまう。
遠目からは男女問わず生徒の好奇の視線が突き刺さって来る。
「ん?」
だがその目の前を見知った人物が通り過ぎていく。
「剣!」
「え? 茜っ?」
ちょうどいい所に、と茜が近づくとどういう訳か剣は歩を早める。
「ちょ、なんで逃げるんだよ!」
茜は剣の腕を掴んで止める。
「別に何も……俺は補修があるから」
との事だった。
実は茜と剣はバンカー王国から少しぎくしゃくしていた。
それは船の上での事。茜が剣の背中を蹴り飛ばし、海に落とした時からだ。
ことこの事例に関しては光の事を笑った剣が悪いのだが、そんな事、剣には知る由がない。だが剣に避けられる状況は茜にとって好ましくはないだろう。何故なら茜は少女の姿になった事を笑われぬよう、剣に告白させる作戦なのだから。
「私……なにかしたかな?」
そして茜は剣の腕を更に引いて寄せる。意味ありげな言葉と共に。
剣はこんな言葉を美少女である茜に言われれば歩みを止めざるを得ないだろう。
「もしそうなら謝るよ……でもその理由がないと謝るものも謝れないよ」
茜はふくよかな胸の前に拳を作って小刻みに震わせる。更に頬を赤く染めて憂いのある表情。
完全に剣を罠に嵌める為の演技だ。
更に周囲には多くの生徒の視線。陰からは待ち人の雪花も顔を半分出して見守っていた。
これで別れ話を切り出され、男にすがる女子の完成だ。更に茜は美少女。これを振り払える男などいないだろう。
周囲からもヒソヒソ声が聞こえてくる。
「あの人、茜ちゃんの彼氏!?」
「あの茜ちゃんが追いかけてる!?」
「確かに……イケメンではあるかも」
だが剣が茜を避ける理由は大したものではなく、分かり切っている事だ。
「いや、お前あの時俺の背中蹴っただろ」
「なんだそんな事か。いやぁ~、突如蚊が止まってさぁ、剣が刺されると思ったらつい」
「ああ、蚊か。刺されたら痒いからな。そりゃ蹴り落とすよな~仕方ない、とはならないだろ」
「え~……だってずっと海パン履いてるから海好きなのかなと」
「別に、嫌いじゃないけど……数キロ泳がされた事もどうでもいいんだが」
そこで少し剣は言い淀む。
他に何かあるのか。
茜が首を可愛らしく傾げて促すと剣は何故か決意したように口を開いた。
「お前……光の事好きなのか?」
「え?」
突如投げかけられたそんな疑問。
それは自分で自分の事を好きなのかと問われる変わった疑問だ。
それで茜は合点がいった。
あの時、女である茜は男である光の事を話していた。その流れで剣は光の事を笑ってしまう。その後に訪れた茜の凶悪な蹴りと、海面とのご対面。
つまり剣は光に焼きもちを焼いていたのだ。
「それで私を避けてたの?」
「いや、その」
剣の心中を察した茜の言葉。
その答えを聞きたいような聴きたくないような剣の表情。
剣は飛空艇アシェットでルイスから茜を任せられた。運命の相手だと嘯かれて。
その相手が他の男の為に自分を蹴落とした事が剣の胸に引っかかっていたのだろう。
「別に私は光君の事好きじゃないけど?」
だから茜はそう明言する。
それは事実であり、茜にとってこの状況が続くことは好ましくない。
その一言で剣の曇っていた表情がみるみるうちに明るくなっていく。
「そ、そっか、良かった、あ、いや……これからどっか行くのか?」
「ルココに呼ばれてさ。雪花と遊びに。剣もいくか?」
「いや、補修があるし……女子三人はきつい」
「あはは、確かに」
そう言って茜は剣と別れ、雪花と合流しルココの家に向かうのだった。
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