茜は起き上がり、開け放たれた障子から足音の主を確認する。
雪花ではない。だが見覚えがある顔だった。
「あら、目が覚めた?」
「あ、お邪魔してます」
それは雪花の母、雪見だった。雪花と同じく肌はとても白いが、髪はとても黒い。
茜は立ち上がり、軽く会釈する。
「体調はどう? ここに来てからずっと寝てたけど」
「えーっと……」
立ち上がり体を捻ったり伸びたり、腕を回してみたりする茜。そして雪見に微笑えんだ。
「大丈夫みたいです。少し体がだるいくらいで、何とも」
「そう、よかった。お腹すいたでしょ? 用意しているから一緒に食べましょう」
そう言えば病院で食べた切りだ。お腹の中もすっからかんのようで虫が悲鳴を上げる寸前だった。
雪見の後についていくと雪花がもう既に席に着き、食事の最中だった。この時間帯だともう夕飯。白米が盛られた茶碗を片手に唐揚げを頬張っていた。
「あ、茜。やっと起きた」
「おー美味しそう」
食卓には大皿にサラダや唐揚げが積み上げられていた。
「食べて食べて~、いっぱい作ったから」
「いただきます!」
茜は早速用意された席について箸をとる。そして唐揚げを頬張りながら白米を掻き込んだ。
雪見も向かいの座り、美味しそうに食べる茜を見て満面の笑みだ。
「いい食べっぷりね。光君が返ってくると思っていっぱい作っちゃったから、いっぱい食べてね」
どう見ても雪見と雪花では食べきれない程の量。その理由は光の帰省を見越しての事だったみたいだ。
今まで茜は雪花と会う度に桜之上市に帰ろうと誘われていた。そして断った回数は数知れず。その度に用意してくれていたのだろうか。
その言葉に茜の箸が一瞬止まる。
「あいつ頑固だから、今回も駄目だったわ」
「そこを頑張って連れて帰ってくるのがあんたの役目でしょ!」
雪花はいけしゃあしゃあとそう吐き捨てる。反省する様子も悪びれる様子もないのは目の前に本人がいるからだろう。
だが今は男ではなく少女の姿。
雪花は雪見に怒られても自分の仕事は終えたとばかりに満面の笑みで唐揚げを頬張り続ける。
茜は頑固と言われて雪花を睨みつけるが雪花は意に介さない。だから茜は少し仕返ししてやることにした。
「光って?」
そんなすっとぼけた茜の言葉。首を傾げて演技までしている。
もちろん茜が演技をしているという事は雪花には分かる。
だから雪花は何かを察して茜を横目で訝し気に見つめた。なぜ自分の名前をさも知らないかのように話し始めたのかと。
「ああ、雪花の幼馴染なのよ。私達、親が同級でね」
「へ~」
茜はそれは知っていた。茜の母と父が雪見と同級だったのだ。
そこで茜はニヤリと笑い、雪花が身構える。
「雪花って光君の事好きだったんだ」
「んぐっ!?」
と唐突に茜はそんな言葉を抜かす。
雪花は身構えていたにもかかわらず、予想を超えたその言葉に喉を詰まらせ、唐揚げをポトリと落とした。
それを肴に、茜は何食わぬ顔で唐揚げを頬張ったのだった。
「え~、そうなの雪花? お母さん知らなかったわ」
雪見は隅に置けないなと、ニヤニヤしながら雪花を見る。
それは女子であれば言いそうなありふれた台詞。とても自然な流れで茜は雪花に斬りかかる。
だが雪花から見ればありえない、そんな台詞だ。
雪花は水を飲んでどうにか唐揚げを流し込み茜を睨みつける。
「ちょっと! あんた何言って――」
「でもそれはそうよねぇ、ずっと一緒にいるし、幼馴染だし?」
「違うわよ!? 全然あんな奴好きじゃないし!」
「あら、違うの?」
必死な雪花に雪見はつまらなそうな表情。
「なーんだ、つまんないの」
茜は口ではつまらないと言いながら、顔は笑っていた。
茜としても雪花とそういう関係ではないのだからこれ以上の追撃はしないのだろう。
全く意地の悪い奴だと雪花は茜を睨みつけるだけ。
「あなた、茜ちゃんだったわよね? 光君と会ったことあるの?」
「え? まあ、少しだけ」
自分が光だろと心の中で突っ込みながら雪花は茜を睨む。
そして落としてしまった唐揚げを拾い上げて鼻息荒く頬張った。
茜は飛空艇で光と会ったことになっている。だが意外にも、その事実に雪見は目を丸くした。
「ええ!? そうなのっ? 光君、元気だったっ?」
「う、うん、超元気でしたよ」
「そう、よかった」
光の様子は雪花から伝わっていないのか。予想外に喜ぶ雪見。
雪花はいつもの事で適当に元気だったとでも言ったのだろう。しかしそれは変わり映えのしない言葉。だから第三者からの視点が欲しかったのかもしれない。
人は主観を排除した客観性のある視点の評価を欲するものだ。
それは自分の評価もそう。
自分の事をどう思うかなどとは中々聞けないもの。だが茜は今、光とは全く関係のない少女の姿。
だから茜は一つ質問してみた。
「光君ってここではどんな人なんですか?」
これも全く自然な流れだった。
茜は姿が変わったことをいいことに何も臆する事なく自分の評価を尋ねることができるのだ。
直後、これが失策だった事を茜は思い知ることになる。
「光君はね、この町を救った英雄なのよ」
誇らしげに答える雪見。
その予想だにしない答えに今度は茜が目を丸くする。
英雄と呼ばれるにはそれ相応の成果を上げなければいけない。しかもこの町を救うとなれば茜が思いつく事象は限られている。
「それは……どういう意味ですか?」
答えは分かっている。だが茜は恐る恐る、質問を口にした。
雪見は目を細め、頬杖をついて懐かしそうに口を開く。
「四年前くらいにね……この町が天空都市とかいうのに襲撃されて」
四年前、天空都市の独自の技術である反重力砲により日和の国の桜之上市は半径一キロ程の施設と人が消えうせた。
だがそれは警告で、次は桜之上市を全滅させると脅されたのだ。
「もう少しのところでこの町が消し飛ぶところだったんだって。でもそれを光君が止めてくれたみたい」
「そう……ですか」
確かに過去、光は茜色の奇跡と呼ばれる大規模な共鳴放出を行った。そして反重力砲の制御施設を吹き飛ばしたのだ。
それを茜色の奇跡を放った人物が葵光だと知っているのは雪花とファウンドラ社一部のメンバーだけ。それ以外には口外しないよう口止めしていた筈だ。
何故バレたのか。茜がその原因をキッと睨みつけると、既に察していたのだろう雪花は顔を逸らす。
「いった!」
「ん? どうしたの雪花?」
「いやっ、いたいいたい! あはは何でも……ちょ、踵で踏むのはやめてぇ……」
とは茜が雪花の足を机の下で思い切り踏んづけたからだ。もちろん雪見には見えていない。茜を見る雪見だが演技力に定評がある。ニコリと笑って首を傾げるだけ。更に「変な奴だ」と付け加えて。
雪花は涙目になりながら茜の足裏に甘んじ続けたのだった。
「そう? 我が子ながら変な子ねぇ」
「ですね、あはは」
「あははは」
雪見が知っているのは雪花が口を滑らせたからで間違いない。しかも英雄として祭り上げられている。
茜本人は英雄と言われても嬉しくはないだろう。
茜本人から放たれた茜色の奇跡に実の母が巻き込まれ、死んでしまったのだから。
先程の悪夢もそうだ。英雄気取りと虚像の母に今でもなじられるのだ。それを考えると茜の足に更に力が入るというもの。
「だからね、光君が帰ってきたら、ありがとうって抱きしめてあげたいなって思ってる」
茜の母と雪見は同級であり友達でもあった。だから度々、茜は雪花の家に遊びに行く事があったのだ。
だから雪見は年頃の青年を抱きしめる事に何の抵抗もないのだろう。
雪花は茜と雪見を交互に見てハラハラしながら痛みに耐え、唐揚げを咀嚼している。
雪花は茜の心情は察している。英雄と呼ばれる事は嫌なんだろうなと。
だから茜の次の発言が気になってしまう。
「こう、ギューッと抱きしめてありがとうって――」
「やめた方がいいですよ」
そして雪花の悪い予感は的中したのだった。
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