現状が理解できない茜と老人。
ルココは茜を彼氏だと紹介した。だから老人は茜を頭から足までしげしげと見つめるのだが明らかに腑に落ちない点が一つ。
「おなごではないか……」
そう呟いて老人はルココを見る。それを追うように茜もルココを見つめた。
老人と茜、二人の非難がましい視線がルココを襲う。だがそれも想定内なのだろう、ルココはすまし顔でほざきだした。
「今の時代、ジェンダーレスですよ。お爺様」
「じぇん……だーれす?」
「私、この人と結婚します」
「な、な、なんじゃと!?」
「マジか!?」
「いや、お主が驚くでない! しかしそれはあまりにも性急に過ぎるのではないか!? ルココよ!?」
突っ込みを入れる老人はどうやらルココの祖父のようだ。
これでフォンが茜に謝った理由が分かった。ルココは茜を自分の彼氏に仕立て上げ、それを自分の祖父に紹介するつもりなのだろう。
ルココの意図は分からない。だが茜は自分の正体がバレたのではないとホッと胸を撫で下ろす。
ルココの祖父は改めてまじまじと茜を見る。
茜は夏服の学生服。豊満な胸を抑え込むように包む純白のブラウス、胸元には大きな赤いリボン。更に短いスカートと黒いニーソックスで身を覆っている。
「しかし……うーむ、見れば見る程めんこい顔をしてはおるが破廉恥な……短いスカートを履きおって、恥ずかしくないのか!」
「はぁ、すみません」
ルココの祖父は不満げでなんとか茜を批判したいのだろうが絞り出した言葉はそんな取るに足らない事。
何故怒られなければならないのか。自分も履きたくて履いているわけではないと、茜は口を尖らせて謝罪の言葉。
「茜、このお爺様は私の祖父よ」
「……ワシは天照蓮慈じゃ」
やはりこの老人はルココの祖父だったようだ。自己紹介をするのも憚られるのだろうが茜は名乗った。だからか礼節にのっとり、ルココの祖父、蓮慈は不服そうに茜同様口を尖らせてポツリと名乗る。
そこで茜は「天照」という姓に気づく。少し前にセレナと共に行動していた皇宮護衛官の男の名前も天照の性だった事を。更にルココと一緒にカフェをしていたところに重要な任務の途中であるにもかかわらず寄ったのも偶然ではないのかもしれない、と。
何か関係があるのだろうが茜はルココの言葉によって思考を途切れさせる。
「可愛らしい見た目をしているけどこの子、私よりも強いの」
「なんとっ」
ルココは戦闘技術全国大会で優勝している。それは身内であれば誰でも知っているだろう。そのルココよりも小さく儚げでどちらかと言えば庇護欲を掻き立てられるようなか弱い少女が負かしたとしたら蓮慈も驚かざるを得ない。
「誠に、お主がルココの男なのか?」
ルココよりも強い。それだけでルココの言葉を信じてしまったようだ。
こんな事で信じてしまうと詐欺に引っかかりそうだと、茜は呆れ顔だ。しかし茜はルココに口裏を合わせろと言われている。
「えー……はい、まあ」
だから渋々そう言った。そしてどういうつもりだと茜はルココを横目で睨みつける。
対してルココはといえば茜にウィンクを送り満面の笑みだ。
ルココが吐く嘘には理由があるはず。女が女を好きだという大袈裟な嘘までつく理由は得てして面倒な事に他ならない。更に茜はフォンを見て確信する。茜がどんな視線を向けてくるか分かっていたのだろう。この道場に入った時からずっと笑顔の仮面を貼り付けて剥がさない。
「ルココに勝る力の持ち主とは……まさかお主、そんななりをして、本当は男だったりせぬか?」
蓮慈の言う通り、全くその通りだった。
「うーん……半分正解!」
そして茜も躊躇なく曖昧に肯定する。
だが二人の思い描く男像にはズレが生じている事に蓮慈は気づいていない。蓮慈は茜が女装でもしていると思っている。
「成程のう、その妖艶な容姿……もはや妖の類よっ。しかしお主、男のくせにそんな恰好をして恥ずかしいとは思わんのかっ!?」
突然、蓮慈の鋭い指摘が茜の心を串刺しにする。
茜はあまりの心痛に突如膝から崩れ落ち、手を突いた。
「うぅっ」
そして今にも泣きだしそうな表情。だが涙は出ない。
茜だって好き好んでこんな恰好をしているわけではない。仕方なく学生生活を送らされているのだ。これも仕事だと割り切って。
だが実際に他人から指摘されると来るものがあるのだろう。
「茜?」
そんな茜の心情を知らないルココはただ口裏を合わせて演技してくれているのだろうと、「ナイスよ」と再度ウィンクを送って来る始末。
「お主、強いと申したな。であればわしを見事倒してみよ。ワシに勝てたならばお主をルココの男として認めてやる」
突如そんな事を言いだす蓮慈。壁に掛けてあった木刀を二本手に取り、一本を茜の足元に向かって投げて寄越す。これを使ってかかってこいという事だろう。
「三本勝負二本先取じゃ」
と吐き捨てて。
しかしいくら茜でも理由もわからずそこまでルココに付き合ってやる筋合いはないと「えー、やだ」と女子高生らしく軽くあしらった。
ルココもこんな展開になるとは思っていなかったのだろう。この場を抑えようと立ち上がる。
「お、お爺様、別にそんな事しなくても――」
「ほーう、成程のう。よくわかった、お主」
「ん?」
先程まで厳格な顔をしていた蓮慈の表情が一変する。というよりも表情が一切なく、何の感情もなくなった。更に視界が見えるか見えないかくらいまで細められた目で茜を見下している。
そして茜に対しあまりにも失礼な発言を吐き出した。
「エクレールグループの金を狙って這い寄って来た類の人間か」
「お、お爺様!」
茜の人格を否定する文句。それにルココが抗議しようとした時、蓮慈が何かを床に放り投げた。まるでゴミでもポイ捨てするように、雑に、複数の紙を束ねた何かの塊を。
「ワシも忙しい。ほれ、一万ウルドやる。これが欲しいのだろう? 持って失せろ」
それは一万ウルドの札束だった。女子高生のお小遣いには少々多すぎる金額。
それを見てルココの顔が真っ青になる。ルココは以前、お金で繋がる友達にはなりたくないと茜に言われていた。お金で関係を縛る奴は最低だと。
「お、お爺様! これはあまりにも――」
「ルココ!」
「え?」
茜は床に落ちたものを拾い上げる。それは一万ウルドの札束ではなく、最初に蓮慈が投げ出した木刀。
「このジジイをボコボコにしても文句言うなよ?」
茜は木刀を拾い上げながらも蓮慈を睨みつける。
その視線を受けてだろうか、蓮慈にも幾分か表情が戻って来た。むしろ少し楽しげな笑み。
「ほーう、一丁前に威圧してきおる……」
茜はそんな蓮慈に剣先を向け、口を開いた。
「私、金があればなんでもできるって思い込んでいる奴、嫌いなんだよね」
「ほほー、容赦はせんぞ小娘、いや男だったか? いずれにせよ、他人にこの家の事に口出しはさせん!」
「……私はルココの彼氏だから身内では?」
「ほざけ! ワシは認めんと言うとろうが!」
「なら、いざ尋常に」
「むぅ、来い!」
すると両社木刀を構え睨み合う。
「あ、そうだ」
その直後、意外な事にすぐに茜は構えを解いた。更に茜は首に着いた大きな赤いリボンを取り去り、ブラウスのボタンを上からひとつづつ外し始めた。
「お、お主! なんのつもりだ!? 既に試合は始まっているのだぞ!?」
「ああ、いや、あんたが女か男かこだわってるから確かめてもらおうと思って」
「確かめる?」
更に茜はボタンを外していく。女にはあって男には無いもの。それを示せば茜が男か女か分かるというもの。
蓮慈は歳を食っていてもやはり男。美少女である茜の白く細い指でボタンを外していく様は蓮慈の劣情を激しく刺激する。その奥に隠された青白い肌に釘付けだった。その指は留まることを知らず、細く美しい鎖骨からやがて柔らかな影で描く曲線が蓮慈の目に映し出され、更に黒色の下着がチラリと姿を現した。
「こ、これはっ」
更に前のめりになる蓮慈。だがそこで茜は素早く動く。
「隙あり! 面! 胴!」
「ぐはぁ、げほぉ」
前のめりになった蓮慈の頭、そして胴の部分を木刀で殴りつけたのだった。
「はい、二本先取、私の勝ち~」
続いて茜はそう抜かして勝利宣言する始末。ケラケラと笑って完全に遊んでいる。
しばらく頭を抑えて転がり込む蓮慈。それを尻目に茜はルココに挨拶をして帰ろうとする。
「じゃあ、こんなもんでい――」
「ま、待たんかいド阿呆が! そんな卑怯な手を使って何が勝ちじゃ! 貴様に侍魂は残っとらんのか?!」
「真剣勝負に待ったも卑怯もないんですけど~、侍ならあんたはもう喋ることも許されず、血の海に沈んでいるんだぞ」
言って茜はケラケラと笑う。
全くの正論に論破され、蓮慈はぐうの音も出ない。
「し、しかも二本先取だと言うのに一回で二本も入るわけなかろう!」
「えー、だって面倒だし、面と胴だけに……ぷふっ」
絞り出した言い訳も茜の低い沸点の笑いに持っていかれる始末。
「く、魅了を使うとは魔女め! 取り直しじゃ! 不服を申し立てる!」
「全く……往生際が悪いなこのジジイは、仕方ない」
二人は向かい合い構える。
「いざ尋常に」
「むぅ、来い!」
「あ」
という間の抜けた声で茜はまた構えを解いた。
「な、なんじゃい今度は……」
「そう言えば疑いは晴らしておかないと」
「疑い?」
「私は男じゃない、今からパンツ脱いで見せるから」
「な、なにぃ!? またしてもワシを謀る気か!?」
そう警戒する蓮慈だが、茜の両手は既に短いスカートの中に突っ込まれている。スカートはたくし上げられ茜の細い太ももが普段見られない所まで露出していた。
「な、な、な、まさか本当に!?」
「これはちょっと恥ずかしいから……ち、近くに」
「う、うむ」
少し照れる茜に蓮慈は鼻の下を伸ばし、ノコノコと前へ。
だがそれを見かねたのか、一人の影が二人の間に割り込んだ。
「お待ちください茜様!」
それはフォンだった。しかしそれは勝負に待ったを掛けるものではない。
「私めも確認致したく」
「フォン!? 貴様は下がっとれ!」
「爺様はどうかお下がりを! あなたが見てもどうしようもないではないですか!」
「なにを若造が知った風な! まだまだ現役じゃい!」
フォンも男。美少女である茜が男ではない事を確認したいということなのだろう。男は皆こうなのだ。
しかしながらその二人の喧嘩の種、茜の姿は既にそこにはなく蓮慈の脇、木刀は大きく振りかぶられていた。
「んなっ」
蓮慈も気づくがもう遅い。
「面! 胴!」
「げふぅ!? ぐはぁ!?」
「ついでに突きぃいい!」
「ぎぃゃあああああ!」
倒れて悶える蓮慈の尻にとどめの突きを刺して茜は「勝った」と腕を上げて勝利宣言。そんな泥仕合にルココは呆れ、「なにこれ……」と一言。
「フォンさん、ナイスカットインだった」
茜はフォンに親指を立ててウィンクする。
「え? フォン、あなたそんな打合せしてたの?」
「……ど、どうってことありません」
「あ、してないわねこの感じ」
茜は木刀でトントンと肩を叩いて余裕しゃくしゃくといった感じだ。
そして勝利者は景品となったルココとの関係を手に入れるのだ。
「ほら終わったぞルココ。これでお前は私のものだ」
「な、なんだかそう言われると少し照れるわね……でも、内容が内容だけにきゅんとしないわね」
ルココはそんな茜の言葉に少し頬を赤く染めるが表情は少し硬い。試合内容はグダグダで腕っぷしもくそもなかった。全て茜のハニートラップという汚い手で事が運んだのだからルココも釈然としないのだろう。
「ま、待て! 貴様ぁ!」
景品を掻っ攫おうとする茜に待てを掛けるのは他の誰でもない蓮慈。
木刀を支えにヨロヨロと立ち上がり、もう片方の手で尻を抑えている。
「なんだよ? もうあんたは死んだんだ。口を開くな」
「くぅう、三十年の時を経て伝説級のいぼ痔が復活したわい!」
「で? 真剣勝負に負けたあんたがなにを語る?」
「下の毛も生えそろっていない小娘が偉そうに!」
「は、はぁ!? そんなの今関係ないだろ!」
「ほう?」
それは茜が少し気にしている事だった。それを知っているルココは目を細めて茜を見つめるだけ。フォンはフォンで何か言いたげだったが無言をどうにか貫き刀していた。
どうにか起き上がる蓮慈。そして再度木刀を構えた。
再試合をやろうというのだろう。
「今度は戯れは無しじゃ。正真正銘の真剣勝負! 小細工も無し! 侍魂に掛けて!」
蓮慈の表情は真剣そのもの。
このままでは引っ込みがつかないのだろう。そしてよほどルココを茜に取られたくないらしい。
「仕方ないなぁ……いざ尋常に!」
「うむ!」
茜も腹をくくる。
策を弄せば命ある限り何度でも再試合となってしまう。だからと言って殺すわけにもいかない。仕方なく茜は正々堂々、勝負し勝とうと方針を変える。それがこの場を治める一番の近道なのだ。
「時に茜とやら」
「ん? なんだよ」
開始早々、蓮慈が話しかけてくる。
早く終わらせたい茜は面倒くさそうな反応。
「お主にはさっきああは言ったが、実は見えておった」
「見えたって、なにが」
「まだ生えてないんじゃな」
「んなっ」
それはまさに茜が気にしている事。
だが見えている筈が無い。茜が履いているスカートはファウンドラ社が開発した絶対に中が見えないそれ。つまりその発言は茜の反応に対する蓮慈の予想でありカマかけ。
であれば次の蓮慈の行動は決まっている。
「めえええん!」
作られた隙を突いた蓮慈の攻めと怒声のような掛け声。
反応が遅れた茜の頭上に木刀が迫る。
「ぐうぅぅうう!?」
茜はなんとか木刀を両手で掴んで受け止め、事なきを得た。だが体格で劣る茜にのしかかるように蓮慈の木刀が押し付けられ、潰されそうになる。
「おぃいいっ……侍魂はどこいったんだクソジジイ!」
「やかましい! かの二刀流の武士も遅刻し相手を焦らしたと謳われている! ワシは使えるものはなんでも使う! それが真剣勝負というものじゃろうて!」
またしても泥仕合の様相を呈してきた勝負。
二人はルココの為に戦っている。
だがそんなルココの表情は無だった。自分の為に戦ってくれていると分かっていても試合内容が酷ければこんな顔にもなるだろう。双方が互いに愚策を持って勝負に挑む、近年稀にみる泥仕合だ。
そんな折、無表情に驚きの色を差し込むある言葉が蓮慈の口から発せられた。
「貴様なんぞにこの婚姻は阻止させんぞ!」
「婚姻っ?」
それはルココが嘘をついた理由の核となる事象だった。
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