ズシン、ズシン――。
地響きが、朝栄家の社務所を激しく揺らす。体の小さい遥は、揺れが起こるたびに、体が浮き上がった。
三人は、最も守護の力が強い、セツカの部屋にいた。セツカは部屋の最奥で身を縮め、恐怖でがくがく震えていた。
「ジグモよ。私を殺しにきたんだわ……」
「大丈夫だよ、セッちゃん。あたしとお父さんが、絶対に守るから」
遥はそう言うと、迷いなく立ち上がった。
「あたしが追い払ってくる。お父さんはセッちゃんを」
「ありがとう。よろしくね」
遥と昭治は、互いに託し合うように微笑みを交わした。さっと襖を細く開け、遥は、一瞬のうちに廊下にすり抜けていった。
揺れる地面に足を取られつつ、うまく跳びはね、俊敏に二階に駆け登る。たったかたーっと、遥の部屋をいつもより余計に走りまわるペチカを飛び越え、ベランダから靴下のまま、勢いよく飛び降りた。
真下で、黒装束で全身を覆い、黒仮面を被った巨漢が、太い腕で地面を叩きつけている。
遥は空中で抜刀し、やつの腕めがけて、山茶花色の閃光を放った。しかしジグモは小さな影に気が付き、咄嗟に腕を引くと、間一髪、免れた。閃光が土をえぐり、砂粒が弾ける。やつは身を引き、間を取りながら、腰元から鎌を引き抜いた。そして、再び距離をぐっと詰め、遥の首めがけ、鎌を振りかざした。
――キン!
遥の長い朱鸞刀が、山茶花色の線を描く。その一瞬間に、鎌は弾かれていた。鎌はくるくる回転し、遠方の樹の幹に鋭く突き刺さる。ジグモは、さっと後退し、遥に向かってこぶしを向けた。
遥もまっすぐ背筋を伸ばし、凛と、太刀を構えた。彼女の周りの空気だけ、色が違うようだった。迷いなく、澄み渡り、それでいて、夏のように熱い。あの領域に指が触れれば、まっすぐに敗北させられるだろうという鋭ささえ感じさせる。
いや、何を馬鹿な。ジグモはふっと息を吐いて、腰を落とした。
「貴様が朝栄家の娘か。当主を引きずり出すには、お前を壊せばいいのだな?」
「お父さんは来ないよ。お父さんはセッショーが嫌いなの。だけど、一振りで殺しちゃうくらい強いから、戦いには出ないことにしてるの。それに」
遥はにっと、強く笑った。
「あたしは絶対、負けないから!」
ジグモのこぶしに力がみなぎる。こんな自分の腰の高さしかない子ども、陰陽刀から手を離させれば問題ない。
ドン! ジグモが、地面を叩いた。震波がまっすぐ、遥に迫る。しかし遥は、剣先を軽く地面に突き立てた。シン、と鈴のような音を響かせ、遥の周りに直径五メートルほどの山茶花が咲き誇る。それは、朱鸞刀から溢れ出す霊力の輝きが形づくったものだった。山茶花が咲く場所だけ、地面は揺らがない。遥は、堂々と立ち続けた。
だが―ジグモの目的は、足下を奪うことではなかった。ジグモの背後から、土が盛り上がっていく。木を丸ごと一本根こそぎ飲み込み、大蛇のような形を成して。そしてそれは、そのまま土の牙を剥き、遥めがけて伸びていった!
「ちょっと! 人んちの木を勝手に抜かないでよ!」
かんかんになった遥は、迫りくる大蛇を般若の形相で睨みつけ、高く飛んだ。大口の中めがけ、刃をまっすぐ突き立てる。土の刃が鋭いか否か、それが分かるより前に、朱鸞刀がジグモの力を無効化し、土はさらさら溶けていった。
だが。これが、ジグモの作戦であった。遥の刃は、大蛇の飲み込んでいた樹の幹に深く突き刺さってしまっていたのだ。大木は土の体を失って、地面に落ちていく。遥の力をもってしても、刀は簡単に引き抜けない。
仕方ない! 遥は一旦柄から手を離し、さらりと身をひるがえし、片膝をついて着地した。
即座に、頭上の影に気が付き、遥はハッと振り向いた。
武器をなくした遥の背後に、ジグモのこぶしが迫ってきていた!
なんて大人げない! 遥がむっと唇を尖らせ、身を反らそうとした、その時。
遥の前に、黄金に輝く、透明の壁が伸びた。
ジグモのこぶしが、巨大な体ごと弾き返される。バランスを崩したジグモに、シャンシャンシャンシャン! と音を立て、次々と黄金のガラスが落ちてくる。ジグモは素早く後退しながらガラスをよけるが、腕と頬とに浅い傷が刻まれた。鎮守の森の大木にどすんと背中を打ちつけると、彼はハッと、社務所の屋根を見上げた。土気色の喉仏に汗がにじみ、ごくりと波打つ。
遥も、ばっと振り返った。社務所の屋根から、赤く、鋭い閃光が差した気がして―。
しかし、そこには、何もなかった。目線を戻すも、ジグモもすでに、消えていた。
あの黄金の盾は、何? お父さんは陰陽術をそれなりに使えるけれど、あんな輝きは放たない。あんまし上手じゃないからだ。セッちゃんは、そういう力ではないと聞くし、そもそも封印されているから動けない。こうちゃんのお父さんは紫色の輝きを放っているから、絶対違うし。もしかして、こうちゃん? いや、輝きを放つほど上手だったら陰陽武士を志していないだろう。
だとしたら……ひかっちゃん? 普段は輝きを放っていないけれど、陰陽術はとっても上手だ。もしかしたら―! ……でも、ひかっちゃんならもっと、「助けにきてやったぜ! どうよ!」ってかんじでババーンと登場するはずだ。だから、そうだ、ひかっちゃんじゃない……。
だとしたら、一体、あれは何? 一体、誰が助けてくれたの……?
不思議でざわめく胸を押さえ、青い月を眺める遥を、甘い香りがくすぐった。むせ返るような、喉につっかえるような、頭の中を曇らすような、花の香り……。なんだか頭がふわふわして、眠たくなって……。
とろとろ瞼が溶けていくと、ふんわり、やわらかな毛並みが、顔いっぱいを包み込んだ。
このふわふわを、遥の頬は知っていた……。
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