陰陽醒戦ブライトネス!

-戦鬼伝×陰陽道外伝-
鈴奈
鈴奈

十五

公開日時: 2021年5月28日(金) 20:00
文字数:3,802

 一方、幸輝は、神宮団の少年に、黄色い閃光の先端を向け、構えていた。白光の陰陽刀を構えた男は、胸の傷の痛みか、幸輝の後ろで、ふらりと倒れた。

「大丈夫ですか!」

後ろを向こうとして、すぐに、敵に目を戻した。彼から、目を離してはならない。一瞬でも隙を見せたら、たちまち彼の毒牙にかかり、死ぬ! きっと同い年くらいの子だろうに、なんなのだろう、この、異様な雰囲気は……。幸輝はせいにしがみつくように、必死に、少年を見据えた。

しかし少年は、面白そうに自分の首に垂れ下がったロケットの中を見つめて、唇から微笑みをこぼしていた。

「なるほど。陰陽刀が鬼や鬼人の力に触れると、無効化するとは聞いていたのですが、無効化とは、刀を鞘に戻すように、その力を、能力の使い主の中に戻す、といったことのようですね。完全に封印されるわけではない、ということも分かりました。では、もうひとつ、検証させてください」

 少年の手のひらが、美しく開く。白百合の花弁が目を覚ますかのように。美しさに惹かれる気持ちを必死に握り絞り、幸輝は刀身を右手で押さえ、黄色い閃光を盾とした。突如、背筋がぞわっと震えた。周囲の森林から、少年の手のひらに、無数の灯が集まっていく。幸輝は、それが動物たちの魂だとは、全くもって分からなかった。ただ、その灯がおぞましくてたまらなかった。不安と懼れで心が埋め尽くされる。ごくり、と唾を飲み込むと、冷たい汗が、顎から落ちた。

少年は、まんまるな透明の灯を手のひらに浮かべて、「なるほど」と笑った。

「あなた方も他の陰陽師たちと同様、人間でありながら僕の力が通じないのですね。それでは、次の検証に移らせていただきますね」

 少年は灯から一本の長い棒を創り出すと、短いズボンの裾裏からナイフを引き抜き、棒の先端に絡ませた。少年はその槍の先端を、すっと幸輝に向け、再び口角をきゅっと上げた。

「間接的に刃を交えると、どうなるのでしょうか。無効化は、されるのでしょうか。それとも、されないのでしょうか?」

 彼の声が、空気に溶けて消えていくかと思われた、その微妙なタイミングで。少年が、軽やかに地を蹴り、駆けてきた。幸輝は、食いしばって、一度大きく口を開けると、ハッと、いらない気持ちと一緒に、詰まった息を吐き出した。背後には、傷ついた人がいる。だから、絶対に、負けられない。だから、基本を正確に、丁寧に、やる! 全神経を、少年の槍に集中させる。玄虎刀と、ひとつになる。太刀筋を整え、姿勢を正し、腰を落とす。黒い槍先が月光を受け、淡青色の一線を宙に描いた。カキン! 刃を受けると、幸輝は素早く手首をまわし、姿勢を斜めにかがめ、少年の腰元に斬りかかった。彼は柔軟に体を反らし、左手だけで軽々、槍を大きくまわした。

幸輝の左膝が、深く、すっぱりと斬り裂かれた……! 槍の刃が連れてきた血の粒が、ゆがむ視界に映る。思わず叫びたくなるのを食いしばって耐えるも、慣れない痛みで余計な力が入り、どうしたって太刀筋がぶれる! 少年は、固まったままの玄虎刀を下から払い上げた。あっけなく喉元ががら空きになり、あっという間に、距離を詰められた。仮面越しでも美しい、少年の微笑みに息を呑み、幸輝は、目を見開いた。少年の右手が、鋭く、迫ってくる。見えないほど、聞こえないほどひどく静かに、彼は、右腰から短刀を抜いていたのだ。無我夢中で、左足で地面を蹴る。スパッと喉に薄い痛みが走る。だが、深くはない。尻で着地し、即座に身を転がして、距離を取って立ち上がる。左膝の傷が、あつい。どんどん血が噴き出して、流れているのがはっきり分かる。喉だって、じんじんする。変な汗が次から次に、顔の毛穴に浮かび上がる……。

肩で息をしながら、痛みと恐怖を実感しながら。幸輝の胸にはただひとつ、一等星のような確信が瞬いていた。


――この子だ。この子が、シズクサマだ……!


シズクサマは、ぱっと槍から手を離すと、柄を淡い灯の粒に変え、宙にたゆたわせた。支えを失ったナイフを、羽を掬うかのように、手のひらに包み込む。汗まみれの幸輝の顔を、やわらかい眼差しで覗き込む。その、ひとつひとつの動作の全てが、この世のものとは思えないほど、美しかった……。

「なるほど。間接的だと無効化されないのですね。たくさんの情報をいただき、ありがとうございました。もう、これで十分です。それでは」

 なんと優雅な別れのあいさつ。しかし、それが撤退を意味するものではないと、幸輝は察していた。

シズクサマの背中から、無数の手が生えた。それはさながら蜘蛛の足か、磯巾着の手―いいや、悪魔の羽ともいえた。その全ての先端に、あらゆる刃物が握られていた。

彼の笑顔は、変わらずやわらかかった。それでも、月光に照らされる無数の凶器の影を受けて、幸輝は、自分が彼に殺されてしまう未来を予感した。

カラカラの喉に、唾を通す。だが、もはや体中から汗が噴き出し、水が足りない。

シズクサマが、唇をゆがめた。何か、楽しいことを思いついたように。

「あなたは、現代の陰陽武士の中でも優秀な方であるとお見受けします。あなたを始末すれば、僕の手で朝栄家を滅ぼすことを、ゆるしていただけるかもしれません」

 幸輝は、分からなかった。

どうして人を傷つけたいと、何かを滅ぼしたいと、こんなに嬉しそうな顔で語るのか―。

 シズクサマが、指揮者のように両手を掲げる。幾本の腕が、かちゃりと音を立て、空に伸びる。

 そして、一斉に、刃の雨が降り注いだ。幸輝は必死に刀を振ったが、たった一本で抵抗できる量ではない。腕が、脚が、頬が、次から次へと深くえぐられ、赤い血潮が噴き出していく。体中の傷が熱い。それでも、あきらめたら、確実に死ぬ! 奥歯を食いしばり、息さえ止めて、刃を払う。

雨が緩やかになったかと思うと、シズクサマは、静かに微笑みをこぼし、トンと地を蹴り、距離を詰めてきた。両手で握った黒い刃を、幸輝の首に振り下ろす。幸輝はなんとか受け止めたが、ぐっと押されて、手足が縮む。傷口が絞られて、血が流れ出す。


痛い。熱い。震えが止まらない。もうだめだ、あきらめたい……! 


――いや、だめだ! しっかりしろ、自分! 


自分の尻を叩く気持ちで、うなだれていた首を上げる。

シズクサマの勝利の微笑みが目前に迫る。あまりに純朴な表情に、幸輝の心は、ぞくりと震えた。


やっぱり、分からない。どうして、どうして……!


「どうして! 何のために、こんなことするんだ!」


幸輝の声が、天高く、星々の奥に響き渡る。

「そうですね……。僕は……」

深く、泉の奥に潜って、答えを探しにいくように―彼は静かな瞳を透き通らせた。一瞬、力が和らいだように思えて、幸輝は、痛いのをこらえ、ぐっと力んで押し返した。シズクサマは、素直にわずかに押し返された。

それでも、何かをしっかり掴んだのか。彼は、確かな眼差しで、ひたと幸輝を見据えた。


「――僕は、僕のために、やっているのです」


 それが、彼の、確かな言葉だった。確かな心だった。そしてそれは、幸輝にとって、体中のどんな傷より、痛みを覚えるものだった。

 こんなことをすることが、人を傷つけることが、自分のため? 人を傷つけたら、自分の心も苦しくなる。罪悪感に蝕まれて、痛くなる。それなのに、そんな痛みを伴う方法でしか、自分を生かす方法がないというの? 自分の居場所がないというの? 自分の道がないというの?


 そんな。そんなの、悲しい……!


「幸輝!」

 光が、叫んだ。黒装束の少年の背中から、長い腕が一本新たに顕現したのが―黒い刃が幸輝に迫るのが見えたのだ!

自分の声が、ひび割れた右鎖骨と左肋骨に響いて息が止まる。だが、光は、手首をまわして、思いっきり竜巻を吹き起こした。地面をえぐりながら、竜巻がシズクサマの体に迫る。彼が気付いた時には、もう遅かった。風のとぐろが彼の体を絡め取り、天高く舞い上げる。黒いナイフが、渦から零れ、力なく、雪のように落ちてくる。

「ありがとう! ひかっちゃん!」

 幸輝は、キッと上を見据えた。

 自分の体なんて、痛くたってどうでもいい。今すぐ、彼を、救いに行く! 

 決意を胸に、幸輝は陰陽刀を地面に突き刺し、跳んだ。

玄虎刀が、これまでにない、星のような輝きを解き放つ。

竜巻に足がつくと、幸輝はそのまま、風圧の壁を駆け上がった! 態勢を整えようと、必死に宙を掴もうとするシズクサマの左手を掴む。そして、玄虎刀を振りかぶり――スパン! 

シズクサマの黒い仮面を、斜めに一筋、斬った。

「いけない!」

水鬼が叫んだ。光の喉元から右腕を離し、全身全霊の力で捕縛紐を引っ張る。両手で押さえていた聡一郎の体が、引きずられ、ぐらりと揺れる。光がもがきながら水鬼の右手を睨むと、紫色の灯が儚くゆらめいていた。水鬼の抵抗を前に、聡一郎の力が、負けかかっている……! なんとかしなければ! 光が足下から、風の息吹を巻き起こす。だが、その動きに気付いたのか、水鬼の左腕が、ぐっと、光の肋骨を、胸の骨を、肩の骨を粉砕した。光の悲痛な悲鳴が、聡一郎の胸をえぐる。

「光! クソ! 光を離せ!」

聡一郎が紐を片手に巻きつけ、力を一層注ぎ込んだ。紫の光線が、一層色濃く水鬼の力を遮らんとする。しかし水鬼は抵抗をやめない。瞳を真っ赤に染め上げて、もはや、自分の腕ごとちぎる勢いで、紐を引っ張り続ける。

光の額から、ふ……っと角が消えた。人形のようにくったりと、力を失った。

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