陰陽醒戦ブライトネス!

-戦鬼伝×陰陽道外伝-
鈴奈
鈴奈

公開日時: 2021年6月11日(金) 20:00
文字数:2,655

「すまなかった……」

 聡一郎が、光に深く、頭を下げた。光は、噛み締め続け、血がにじんだ唇をひらいた。聡一郎の肩を起こそうとしたが、びくともうごかない。膝に置かれたしわだらけの両手の甲に、涙の雨が落ちて、畳に流れる。


 光がいない十数年。神宮団が襲ってこないことをいいことに、ぬるま湯に浸かった気持ちでいた。自分も病院で張っていれば、もっともっと警戒を強めていれば、セツカが紛れ込んでいたことや、点滴に毒を仕込まれたことを察知できたかもしれない。血だまりの中で固まっていないで、動いていれば、二人は助かったかもしれない。いいや、それよりもっと、もっと早く動いていれば。神宮団を、セツカを、叩いていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。光が、蒼龍を求めて旅発つこともなかったかもしれない。「凍結」されなくて済んだかもしれない。ずっと、幸輝と遥と、いられたかもしれない……。

 かつて、自分の口が、後悔するなと、前に進めと言ったくせに。色々な後悔が浮かんで消えない。

それでも、幸輝と遥は、もう、二度と、戻ってこない。もう二度と、会うことはできない。

「世界平和を謳いながら、日本中に守護符を撒き散らしておきながら、わしは結局、大切な息子夫婦さえ守れなかった。水鬼の奇襲に敗北して、弟子たちを全て失って……二人が残した大切な孫の命も、危うく、落とすところだった……。お前に偉そうなことを言い続けて、師匠だなんて呼ばせているが、わしは、そんなたいそうな大人じゃない……」

「そんな……!」

 聡一郎は、ますます低く、頭を下げた。濡れた瞼が、手の甲にぴったりくっつく。

「もう、わしにできるのは、お前たちを、陽とお前を、大事にしていくことしかない。お前は、帰ってきてくれた。時間は過ぎたが、これから、いくらでも、なんだってできる。鬼人への差別もない。好きなことをやってくれ。お前らしく、お前のやりたいことを、自由にやって、生きてくれ。この家の家事なんて、しなくていい。社務所や本殿の掃除も、しなくていい。朝栄神社にだって、お前は、行ってくれているんだろう。手入れを、続けてくれているんだろう。もういい。わしの言ったことなんて、もういっそ全部忘れてくれ。お前のおかげで、神宮団も消滅した。陰陽道も、終わりでいい。だからどうか、自由に、生きてくれ……」

「師匠、頼みます。頭を上げてください……」

やはり聡一郎は、頑として頭を上げなかった。また、深い沈黙が流れた。光が言葉を探していると、聡一郎の息を呑む音が、ごくり、と鳴った。そして、聡一郎が、重たい口を、開いた。

「……これを言ったら、お前を、苦しめるかもしれない……。だが…………お前の弟の連絡先を、わしは、知っている…………」

光の弟――伊達だて あきらは、大学に進学し、鬼の力に関する研究に着手していた。そして、聡一郎の守護符開発計画に、偶然、協力者の一人として加わっていたのだという。明は現在も、江河こうか大学の准教授として研究を続けている。

鬼や鬼人、陰陽道に造詣が深い明なら、光にあったことを理解し、受け入れてくれるだろう。ようやく、本当の家族と過ごせるのだ。

「だから、もう、ここにいなくたっていい。お前の生きやすい場所で、幸せに生きてくれれば、わしはもう、それでいい。だから、どうか、自由に生きてくれ……」

 光はもう一度、聡一郎の震える肩を手のひらで包んだ。かつては、がっちりと筋肉がまとわれていたはずなのに、今はただ、骨の硬さが指にこすれるだけだった。真下には、うなだれている、短く刈った白い髪の毛。あの大きかった人が、ひどく小さく見えた。

 光は、ふうとため息をついて、ティッシュを二枚、聡一郎の目のあたりに押し当てた。

「……お言葉ですけど、師匠。俺、すでに自由に生きてますよ? もう、師匠に出会ったあたりから、とっくに」

聡一郎が、赤い瞳をゆっくり上げる。光は優しく、にっと笑った。

「師匠も、直江さんたちも……幸輝も。俺の大切な人は皆、俺に、俺の生きたいように、自由にやれって言い続けてくれたんですよ? 俺は、俺の大切な人の思いを、大切にして生きていきたいんっす。それが、俺らしく生きること! 俺が選んだ、自由っす! だから俺は、影宮神社に居続けますし、朝栄神社も手入れしますし、陰陽道も、続けていきます! 全部、直江たちと、幸輝と遥が遺した、大切な場所っすからね! 明は別に、元気で生きててくれりゃあ、それでいいっすよ。まあ、いつか……死ぬ前にでも、ふらっと顔見れりゃ十分っす!」

光は、「アッ」とすっとんきょうな声を出した。

「あ、でもなぁ……。影宮神社継ぐのは、さすがに無理っすわ! 俺、そういう器じゃねぇし! 坊ちゃん差し置いて俺みたいなのとか、無理っしょ?」

「あいつは、だめだ。霊力も才能もからっきしない。どっちにしろ、わしの代で終わりにする」

「えぇ! そりゃ、だめっすよ! 坊ちゃん、この前、陰陽術練習しよっかなぁとか言ってましたし! あ、わっかりました! そんなら俺が、坊ちゃんを鍛えてみせます! 影宮神社を継げるように!」

聡一郎は鼻をずびっとすすり、「あいつは無理だ……」と繰り返した。

「いーや。だって、幸輝と遥の子どもっすよ? ぜってぇなんか強ぇ力隠し持ってますって……! 俺がゆっくりじっくり鍛え上げてやる! 楽しみになってきたぜ!」

 光がぴょんっと跳んで立ち上がる。うしし、と笑った目の縁は、すっかり涙が乾いていたが、まだわずかに赤かった。聡一郎は、手の甲で鼻水を拭い取り、餓鬼大将の顔で笑った。

「もうおねむか?」

「お? そういや、今日はあんま眠くねぇなぁ。色々動いたのに、おっかしーなぁ……。うし、ちょっくら散歩してきます!」

 赤いアルバムの、最後の頁を開く。遥の白無垢、幸輝の黒い羽織袴。朝栄神社で撮った、家族の集合写真の頁。光はそれを、仏壇脇にやさしく置いた。

 

大人になった幸輝を見つめて、光は――何故だろう。弟の話をしたからだろうか。

赤い目をした、とんがり頭の人形を思い出した。

 

 涙を流す誰かのために、力の限り戦うヒーロー。

 どんなに相手が強くとも、絶対にあきらめないヒーロー。

 

「お前って……ファイトマンに似てんな。幸輝……」

 

「ん? なんか言ったか?」

光はくるっと陽気にまわった。窓を開ける右手の石が、月光を受け、赤くきらめく。

「なんでもねぇっす! ンじゃ、師匠! おやすみなさい!」

「ああ。……光」

 角を伸ばし、窓の枠ぶちに足をかけたまま、光は、聡一郎を振り返った。

「ありがとう」

 光はにっと笑って、春の夜空に、飛び出した。

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