陰陽醒戦ブライトネス!

-戦鬼伝×陰陽道外伝-
鈴奈
鈴奈

十三

公開日時: 2021年5月28日(金) 20:00
文字数:3,565

 いつもより優しく微笑む光に、遥はなんだか、苦しくなった。ドキドキが鎮まらず、言葉がうまく紡げない。それでも……。遥はぱちぱち瞬きながら、震える唇を、小さく開いた――。


「ひ、かっちゃん……。顔……悪くないとか……可愛くなる、とか……もしかして、その、あたしの、こと…………」


 すっ……と息を吸い込んだ時。


「ハァッ⁉」と思いっきり、すっとんきょうな高い声が、金髪の脳天から突き抜けた。目鼻口が全力全開、額のしわが約四重。無意識にして究極の変顔が、遥の顔面にずいっと迫る。

「おま、ちょ、バッカじゃねぇのッ! 好き? はッ⁉ 俺が、お前を、好きなわけねぇだろーが! お前のことなんか、一生好きになんねぇよ! ぜってぇ! ぜってぇ! ぜってぇ! も、ほんと、フラフラしてんじゃねぇよお前、いっちょ前に! この浮かれぽんたんが!」

 早口で唾を飛ばしてまくし立てたかと思うと、遥の鼻をぷんとつまんで、ぷいっとそっぽに放り投げる。は、と目を上げると、光の顔はもうなかった。

「アッ! 激マブな娘、発見! うっひょ! 声かけねぇと!」

疾風のごとく、塵屑となる光の背姿を目に、遥はしばらく放心していた。


だが、しばし経って―ダンッ! 遥の屈強な足が、石畳を踏み割った。

真っ赤な頬がパンパンに膨れる。わなわな震えるこぶしは、血管が青く浮かび上がり、今にもはちきれそうである。周りの目も憚らず、「ンあぁ―ッ!」と叫んで、また、ダンッ、ダンッ!


「バカバカバカ! ひかっちゃんの女ったらし! やっぱしあんな軽い男、絶対無理! 何がフラフラすんなよ! 一番フラフラしてんのは、あんたでしょ! あたしはフラフラしないもん! あたしはこうちゃんだけだもん! ムカつく、ムカつく、ムカつく―ッ!」


 幸い、幸輝は一度トイレに入ると二十分はかかるので、聞かれることはなかった。セツカはどうでもよすぎて、毛先をつまんで、枝毛を探している。

遥は怒りのままに、石畳をどかどか踏み砕き続けた。奥歯をぐっと噛んでいるのに、じわっと、目が濡れそうになる。腕でごしっと瞼をこすり、どかどか、ダンダン、砕き続ける。右足周りの石が、跡形もなく、ただの粉になっていく……。

「あぁもう、ムカつく! ほんとに、ムカつく! あんなやつ、もう、目にも入れたくない! サイテー! サイテー! サイテー! サイテー! もういい! セッちゃん、行こ!」

 勢い任せで、ぐるんと振り返った、その時。鼻から、知らない人の腕にぶつかった。

「わぶっ」と鳴いて、どすん。尻餅をついて、背中の拵えが知らない人の脚にぶつかり、それが自分の頭にぶつかって、拵えが脇を通った人の足に引っかかって、姿勢が崩れて横に倒れて……。

もう、散々だ。


「大丈夫ですか?」


 透明な声、甘い香りに導かれて首を上げる。その人を目に映した、その瞬間。

遥の心臓は、止まった。羽の生えた赤ん坊に、長く、太い矢で、心臓を貫かれたようだった。


何故なら、見上げた先にいた彼が、とんでもなく綺麗な少年だったからである……!


遥はまごうことなきテレビっ子である。好きな芸能人やアイドルだっている。

だが、彼は、テレビで観たどんな芸能人より、綺麗なのだ。顔だちも、黒っぽいキレカジファッションを身にまとうスタイルも、静かだけどキラキラしているような雰囲気も、お腹が減るような甘い香りも、全部全部、綺麗なのだ。

まるで、鎮守の森の奥にある、澄んだ小川の水のよう……!

そんな彼が、ずっしりと重そうな紙袋を小脇に抱え、腰をかがめて、心配そうに遥を見つめている。あんまりにも遥が呆けているので、彼は悲しそうに眉をひそめた。

「どこか、お怪我を……?」

 そこで遥は、ようやく脈を取り戻し、ハッと息を吸い込んだ。なんとなく、同じくらいの年だろうな、と思って、「ううん、大丈夫!」と答える。いつもより若干、うわずった声で。

「そうですか。それは、よかったです」

彼が、天使のようににっこり微笑んだ。遥はもう、脳みそが蕩けて、ホワイトアウトするかと思った……。すっと、白くて綺麗な手が差し伸べられる。


お……王子様? 日本って、王子様が住んでいる国だっけ……?


心臓がバクバクしすぎて、頬が熱い。目の前がぐるぐるする。けれども、遥は必死に正気を保ちながら、彼の手を掴んだ。彼は細くて長くてしなやかな手腕をしているのに、まるで水でも掬い上げるように、軽やかに、するすると遥を立ち上がらせた。そして彼はさらりと微笑むと、「それでは」と軽く会釈し、踵を返して行ってしまった。

離れてしまっても、むせ返るような彼の香りがずっと自分を包んでいるようだった。並んで歩くスーツを着た男の人も、とっても綺麗だった。おそらく彼の父親なのだろう。こんな古びた街を歩いているような人たちじゃない。下々の民の生活を体験しにきた王族に違いない! 雑踏に埋もれながら小さくなっていく麗しき父子を目に焼きつけておきたくて、遥は必死に、首を、爪先を、ぐーんと伸ばした。

「はるちゃん? 何見てるの?」

 ひょっこりと、普通の顔が目の前に現れた。二十分間のトイレから無事帰還した幸輝である。

 なんだか、あまりに普通すぎる顔で、一気に現実に引き戻された気分になった。甘い香りも、顔のほてりも、心臓のバクバクも、風に流れて消えていく。

そこでようやく、気が付いた。


この世のものとは思えない、冬の冷たい水のように透明な、輝き溢れる、美少年……!


「あの子だ! あの子が、シズクサマだ!」

「えっ」とビックリ、目を点にする幸輝を放って、遥は急ぎ、枝毛を裂いていたセツカの手首を掴み、走り出した。雑踏を巧みにすり抜け、野良犬をひるませ、白い風の矢となって。

あの人たちは確か、五番目の脇道を右に曲がっていった。あのあたりは、さっき通った。古本屋が一番奥にあるだけだったから、五十メートルを五秒で走り抜ける遥の脚なら、まだ間に合う! 古本屋に入る前につかまえる!

「ちょっと、離してよ! 私を置いていきなさいよ!」

 あまりの速さに音を上げるセツカの悲鳴も届かぬまま、五番目の脇道を右に曲がる。まだアスファルトが塗られていない硬い土が、靴底にこすれ、ザリザリ鳴る。遥は、足を速めた。奥の道路に停まる黒い高級車に、あのスーツの男の人が乗り込もうとしている。待って、と叫ぼうとした時。

ぱたん、と扉が閉められてしまった。

音もたてず出発する車を目で追い、遥は、ぎゅっとセツカの手首を握りなおした。

「追いかけるよ! セッちゃん!」

「はぁ? バカ言ってんじゃないわよ! 車なんて追いかけられるわけ……!」

 言い切る前に、遥の爪先が、トンと地を蹴った。たちまち、砂埃が二人の後ろに立ち昇る。まるで地上の飛行機雲のように、一直線に、長く長く。道路に面したところで、きゅっと右に曲がり、さらに速度を上げていく。セツカは足が追いつかず、もうほとんど遥に引っぱられるまま、宙を漂っていた。


 そうまでして追いかけはしたが、結局突き放されてしまった。遥とセツカは、街の出口から東方向に行ったところの、三つめの信号のあたりで膝を抱えていた。

かたや、息を切らし、動くことさえできないほど、ぐったり滝汗を流す長髪少女。かたや、息も切らさず、唇を尖らせ、ただただ悔しげにぷりぷりしている短髪少女。

幸輝と光は、やっとの思いで、対照的な二人に追いついた。

「あぁん! 追いつけなかったの、悔しい! あとちょっとだったのに!」

「いや、車に追いつけたらお前、人間じゃなくて車だぞオイ……。っつーか、本当にそいつがシズクサマだったのかよ? セツカは見たのか?」

「見て……ないわよ……! 大体、顔、見たことないって……言ってんでしょ……!」

 セツカはぜえぜえし通しで、ほとんど声が出なかった。

「びっくりするほど綺麗で、王子様みたいだったんだもん! 絶対あの子だよ!」

「どんな顔だったの?」

「えっとね!」と自信満々に脳裏に浮かべようとすると―何故だろう。あんなに心を掴まれるほど美しかった少年の顔だちが、白い雲に覆われてしまったように、全く思い出せない。せめて、服装でも、スタイルでも、何かひとつ、特徴でも―。そう思うのに、そう思うたびに、白い雲がもくもく漂い、消えていく。隣にいた父親の姿さえ、ばっちり見ていたはずの車のナンバーさえ、もくもくと消えていく。残っているのは、鼻奥で渦巻く、甘ったるい香りだけ。

「思い出せない……」

 しょんぼりうなだれてしまった遥を、光の鼻が嘲笑った。

「お前よぉ、夢でも見たんじゃねぇか? 王子様とか……ぷっ」

「何よ! いっつもバカにして! この女ったらし! 野良犬!」

 ガツン! 光の足首が、車と並ぶほどの超速の足に思いっきり蹴りつけられる。あまりの痛みに悶絶しながら、光は哀れにひっくり返った。


 でも、もしかしたら、本当に夢だったのかもしれない。

あんな綺麗な男の子、この世にいるはずがないのだから……。

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