「そうよ、セツカ。やっと思い出せたようね。あなたの心に渦巻く、人間への憎しみが。
あなたは、鬼神様に近い思想を持っていた。だからこそ、鬼神様に傾倒し、強く、深く、信仰した。
鬼神様なら、この世界を滅ぼしてくださる。憎き人間に、制裁を与えてくださる。
あなたは自らの憎しみを、自らの存在全てを鬼神様に捧げると誓った。
その誓いは、この憎しみのように、底なし沼のように、深く、暗く、確かなものだったはずよ。
ねえ、そうでしょう? この憎しみは消えない。信仰も、あなたから消えていない。
さあ、鬼神様への誓いの言葉を唱えなさい。そして、自らの行いを顧みなさい。
あなたのすべきことは何? 裏切りという罪を犯した、あなたのすべきことは――」
――自ら、命を捧げること。
その時。
セツカの目の前の闇が、一筋に斬り裂かれた。まるで、朝日が湧き出してきたように。セツカの視界は真っ白になった。
だが、目をつむれなかった。微笑みを投げかけてくれるその顔が、あまりにも優しくて、温かくて。見慣れた人のはずなのに、神様みたいに見えてしまって……。
セツカと同じ闇に飲み込まれていた光も、彼から目を離さず、唾を飲んだ。
「昭治、さん……? なんだ? これも、マボロシかよ……?」
「いいや。僕は、マボロシじゃないよ。ね、神宮団の人」
青い月光が、昭治の眼鏡を妖しく輝かせる。その眼鏡が射抜くのは、遠くで小さくうずくまる、アダザクラだった。気付けば、空も土も森も館も崖も、全てもとに戻っている。朝日のような激しい輝きを放つ陰陽刀――『朱雀刀』で、アダザクラの幻想世界を一掃したというわけだ。昭治の強大な力に弾かれ、アダザクラは衝撃に耐えきれず吐瀉しているようだった。
二人は、涼しく微笑む昭治を見上げ、唾を飲んだ。昭治が鞘を抜いたのを、はじめて見た。
強いなんてものじゃない。こんな人に、誰も敵うはずがない……!
昭治は、刀を鞘に納めると、ぺたんと座るセツカの前に、ゆっくりしゃがんだ。
「セッちゃん、ごめんね。君の過去を、見てしまった」
光もきまり悪そうに、「俺も……」と小さく肩を縮める。
「別にいいわ。過去は過去よ」
「ありがとう。でも、ごめん。僕たちはきっと、こんなふうに君の過去を見ても、君の気持ちを、完全に理解することはできない。君と僕は――光くんもはるちゃんもこうちゃんも、みんな別々の人間で、違う心を持っているから、セッちゃんと同じ感じ方をすることはできないんだ。だけど、僕は知っているよ。君の憎しみがどんなに根深いとしても、君の心には、優しさがある。だって、いつも僕の花を、大切に育ててくれるでしょ。誰かの大切なものを大切にできるセッちゃんは、優しい子だ。僕は、そんな君の優しさを、信じてる」
昭治はセツカに手を差し伸べて、「触っていいかな」と顔を覗いた。セツカはこくりとうなずいた。昭治の左手が、封印の腕輪を掴む。そして、朝日のように温かい刃を、セツカの手首と腕輪の間に差し込んだ。
「光くん。君のお師匠さんに、ごめんねって、伝えておいて」
光が「えっ」と言う前に。昭治は、紫色の腕輪を、斬った。
カン! と鋭い音がして、ゴムで弾かれたような痛みが、三人の脳に弾け飛んだ。光がくらくらしながら目を開けると、セツカの手首にあった腕輪は、紫色のどろどろになって溶けていた。
こんなにあっさりと、師匠の力を破るなんて……!
もう一回、ごっくんと唾を飲み込む光に、昭治は優しく微笑みかけた。
「さて。あの人はしばらく、うまく動けないはずだよ。あとは、光くんとセッちゃんに任せていいかな? セッちゃんは、傷、大丈夫そう?」
「問題ないわ」
「あんなんなら、俺一人でも余裕だぜ」
「それはよかった。僕は、はるちゃんを助けに行かなくちゃ」
昭治が胸ポケットから、小さな式神を取り出した。刀と同じ朝日色の糸が、森の奥へと続いている。遥たちが最近こしょこしょ不審な動きをしているので、遥のポケットに式神を忍ばせ、仕事終わりに跡をつけてきたのだという。
「はるちゃんたちが戦っているのは、並の相手じゃない。長年の勘でね、ぴんときちゃうんだ。だから、君たちは連れていけない。すぐに片をつけて戻ってくる。それまで、頼んだよ」
少年少女は、深くうなずいた。
昭治が去っていくと、待ち構えていたように、アダザクラが、ぐらりと立ち上がった。
「ふふ……行ったわね。これであの男は、朝栄は終わりよ!」
「うるっせぇ! 終わんのはてめぇらだ! 行くぞ、セツカ!」
「名前呼ぶなって言ってんでしょ。汚い上に脳みそもないのね。刺すわよ」
セツカの額から、二本の細長い角が、頭を抱えるように伸びる。
右手に握るナイフの刃に、舌を這わせる。濡れた刃は、妖しい色を秘めていた。
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