遥は、安産だった。経過も順調だった。だが産後すぐは、守護術をうまく使うことができなかった。そのため、聡一郎の守護符を病室に貼り、幸輝と影宮の門弟二名が遥の病室について、万一の奇襲に備えた。もう数十年神宮団の奇襲はなかったが、警戒の壁は厚くしていた、つもりだった。
しかし、退院前日の深夜三時。聡一郎のもとに、病院から式神が飛んできた。
遥が吐血した、との知らせだった。いやな予感がした。聡一郎は、急いで車を走らせた。病院についた時、右の棟の二階から、幸輝の守護術―連翹の花が大きく咲いたのが見えた。
だが、聡一郎が二階に駆け登ると、治療室の前の廊下に、看護婦と医師数名、門弟二名の、無惨に斬り刻まれた遺体が転がっていた。彼らが囲む担架の上には、遥が。そして、遥を守るように、幸輝が力なく被さっていた。玄虎刀は、血溜まりの中に沈んでいた。
冷たい風が吹いていた。その窓の前に、長い髪をひとつにまとめた、看護服の女がいた。やつは、手も顔も服も靴も、真っ赤に汚して、ナイフを両手に握りしめていた。
大人になっていたが、分かった。細い目、すっとした鼻、真っ白な肌、額からのびた長い角。
彼女は、セツカだった。
光や雫が神宮団団長によって「凍結」されたのは、一九八九年の四月だった。セツカは「凍結」されることなく、圧倒的な力をつけ、虎視眈々と陰陽武士―つまり、幸輝と遥の暗殺を果たすため、それだけのために生きてきたのだろう。
青い月光を受けながら、セツカは、もう何もかも、全てが終わったかのような顔をしていた。
時間が、止まったようだった。すぐに、捕縛術を出して、セツカを捕えるべきだった。だが、聡一郎は、動けなかった。
ほんの一瞬の時間に、二人の微かな声が聞こえた。
「セッ、ちゃん……」
彼らは、彼女を呼んだ。そして。
「あり、がと……」
遥が、言った。
「おれたちの、大切な、陽、を……殺さないで、くれて……あり……がとう…………」
幸輝が、言った。
二人は、泣いていた。だが、微笑んでいた。聡一郎には、見えなかった。だが、分かった。
セツカが、穏やかに微笑んだからだ。
「バカよ、あんたたち……」
ふっと吐息が消えたかと思うと、セツカは、窓の外へ落ちて消えた。
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