光は本来小学六年生であるが、学校へは行かない。これまでもろくに通っていなかったし、勉強したり遊んだりするよりも、居候させてくれている影宮家のために何かをしていたかった。
そのため、光は日中、聡一郎の妻にくっついて、家事を手伝いながら過ごしていた。施設にいた頃やっていたので、洗濯を干すのはいっとううまかった。薄青色の空の下、かじかむ指を時々手のひらで溶かしつつ、五人分のシーツをそよ風になびかせる。
「あらあら、ひかるちゃん! またそんな薄着で!」
洗い上がったタオルと下着を運んできた聡一郎の妻が、籠を放って、どすどす中へ戻っていく。帰ってくるまで続きをしようかと籠の方に歩み寄ると、家の奥からどすどす音を立て、あっという間に戻ってきた。なにやら、ふっくらとした白い紙袋を抱えている。
「はい、これ!」
突き出された袋を受け取り、中身を取り出す。黒いミリタリージャケットだ。両肩と胸に大きめのワッペンが縫いつけてある。
「ほんとはクリスマスに渡す予定だったんだけど、寒そうなまんま放っておけないよ。一足早いプレゼントだと思って、さ、羽織ってちょうだい」
「……でも」
ついこの間、お小遣いを渡されて、この赤いパーカーを買ったばかりだった。服や下着など必要なものはもらったお小遣いで好きなものを買うように言われていたから、お小遣いとは別に物をもらうのは、なんだか悪い気持ちがする。
黒い温もりを抱きしめ、俯いたままでいると、聡一郎の妻が、そっとジャケットを引き抜いた。
「まあ……私が勝手に買ってきちゃったから、ひかるちゃんの好みじゃないかもしれないけど。新しいの買うまでの代用品と思って、羽織っててちょうだいよ」
肩と背中が、包まれる。肉厚な手が離れると、裏地がつるつる生地のために、滑り落ちそうになって、光は咄嗟に襟元を掴んだ。いつまでもこのままではいられないし、かえって返品するのも悪い気持ちがして、おずおずと袖を通した。聡一郎の妻は、ほっと白い息を吐いた。
「よかった、似合ってて! ほんとに、いつもありがとね。ひかるちゃん」
何と答えていいか分からずに、光はただ、俯いた。じんわりと、体の芯に温かさが沁みていった。
洗濯の後は、昼食の準備に取りかかる。この日は、カレーライスであった。光は、じゃがいもを洗って、にんじんを洗って、玉ねぎの皮を剥いて、肉を切った。聡一郎の妻が炒めたり煮込んだりしているのを脇で観察し、あと十分煮込めば完成というところで、漬物と取り皿、箸とスプーンを卓に並べ、社務所の受付部屋に聡一郎を呼びに行った。
聡一郎は影宮神社の神主であるため、朝から夕方まで、受付部屋に籠っている。参拝者はそういないので、ずっとそこで陰陽札の研究をしているらしい。相当集中しているのだろう、戸を叩いて声をかけても、返事が返ってくるのは毎度、十数秒後のことである。それからさらに一分くらいして、ようやくガサゴソ音がして、戸が開く。
聡一郎は、黒いジャケットに身を包む光を目にして、「あちゃー」と落胆の声を漏らした。
「かーちゃんめ! しばらく幸輝の上着貸してろっつったのに。驚かせる作戦だったのに、パァじゃねぇか。ったく……。ま、いっか。今度から外出る時は、それ着ろよ」
聡一郎はニッと笑って、大きな手のひらで二回、金色の髪をぽんぽん叩いた。
遠くなっていく広い背中を見つめ、光はきゅっと目を細めた。
聡一郎も、彼の妻も、直江たちも。皆、紙風船をやさしくぽんぽん上げるように、自分の心に接してくれる。温かくて、泣きそうになって―その反面、申し訳なさがつのる。
どうして、こんな俺なんかに……。
聡一郎が振り返ると、光は、哀しい眼差しを足下に沈め、立ち尽くしていた。
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