竜巻が消え、幸輝とシズクサマは、緩やかに落下し始めた。仮面を失ったシズクサマは、右腕で顔を覆い続けた。そして再び、無数の手を伸ばした。幾本もの刃が、幸輝を狙う。しかし、幸輝は、空中戦には慣れている。泳ぐように宙を掻き、至近距離に詰め寄ると、下からいっぺんに透明の腕を薙ぎ払った。腕は飛び散り、黒い刃が雨のように幸輝の肩を掠め落ちていく。
「シズクサマ! 手を!」
幸輝は背中の鞘に刀を戻し、シズクサマに両手を伸ばした。シズクサマは抵抗しようと、左手でベルトのバックルから小さな隠しナイフを抜き取り、振る。しかし幸輝は剣先をすっとよけると、シズクサマの左手首をぎゅっと掴んだ。そのまま引き寄せ、顔を覆う右手首もぎゅっと掴む。
「離して……ください!」
「離さない! シズクサマ、おれと一緒に行こう!」
シズクサマは、絶対に右腕を顔から離そうとしない。空中でバランスを崩しながらも、絶対に、顔を隠し続ける。そして、必死に幸輝の手を振り払おうともがき続ける。
だが、幸輝も、がんとして離さなかった。自分の手汗でぬるぬるするけれど、少し離れてはしがみつく。
あきらめるわけにはいかない。自分があきらめてしまったら、シズクサマを救うことはできない!
絶対に、シズクサマを救い出す! セツカのためもあるけれど、何より今は、彼自身のために、彼を救いたい。あんな偽りの笑顔じゃなくて、本物の笑顔にしてあげたい!
幸輝は力いっぱい、シズクサマを引き寄せ、心の奥に向かって叫んだ。
「ねぇ、シズクサマ! 誰かを傷つけて、何かを滅ぼして、苦しくないの? そんな風に苦しい想いをして生きる必要なんてない! 君の生きるところは、そんなところじゃない! お願い、一緒に行こう! おれたちと、一緒に……!」
その時。水鬼の右腕が、式神の紐を引きちぎった。たちまち、意識のない光の体を粗雑に残し、霧散する。式神を左手に巻きながら、脇差を構え、水鬼を仕留めんと駆け寄っていた聡一郎は、光の体が土の上に転がる前に、脇差しと輝きを失った紐を投げ捨て、光を抱きとめた。
だが、光の無事を確かめる暇はない。上空を見ると、幸輝と少年の間に、水鬼が、割って入っていたのだ。
大人の体の厚みに弾かれ、二人の幼い両手が離れた。水鬼の赤い眼光が、殺気を放ち、幸輝を刺す。
――まずい!
「幸輝!」
聡一郎は即座に印を切り、式神の紐を幸輝の腹に巻きつけると、凧のように引き寄せた。
水鬼はすぐに身をひるがえし、少年を羽織に隠すと、霧になって消え去った。
聡一郎は、左腕で幸輝を抱きとめると、「大丈夫か! 傷は!」と、巨大な顔を近づけた。
「だ、大丈夫。ありがとう……」
聡一郎の安堵のため息を額に受けると、幸輝の体に、疲労と痛みがどっと戻ってきた。あまりにいっぺんに来たもので、幸輝はがっくりと、白目を剥いて倒れてしまった。それでも息はしているので、命に別状はないだろう。聡一郎はもう一度ふうとため息を吹きかけた。
危ないのは、光だ。いくら鬼人であっても、水鬼ほどの鬼の力にやられたのだ。おそらく、体の骨は粉々になっている。下手したら、骨の破片が内蔵に突き刺さっているかもしれない。そこで戦闘している朝栄家の弟子たちや社務所内の朝栄父娘には悪いが、今は何より、光を医者へ連れていかねばならない!
聡一郎は幸輝を背中にまわして自分の背中にしょい込むと、式神を顕現させようと、光の背中から腕を引き抜いた。そのわずかな動きに、痛みを覚えたのだろう。光が顔をゆがめ、薄く、瞼をひらいた。浅く呼吸をしながら、霞む視界に、聡一郎と背中の幸輝を映す。
「……こう、き…………無事、かよ……」
「しゃべるな。無事だ。お前のおかげだ。本当に、助かった。命がけで助けてくれて、ありがとう」
「なんも、できなかっ、た……けどよ……。でも、大丈夫、なら……よかった……。なぁ、ししょ……。幸輝、大丈夫、なら……俺と、幸輝、おいて、遥んとこ、行って、ください…………。俺が、俺が、幸輝、守るから……式神くらい、出せるからよ……頼み、ます……師匠、頼む……遥は、俺の―」
光の指が、残らぬ力で、聡一郎のズボンに縋りついた。
聡一郎はその指をぎゅっと握り、やさしく揺らした。
「大丈夫だ。朝栄は強い。絶対に、やつらに負けはしない」
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