だが、迎えにきた光の背に乗り雪混じりの風に乗り、かくがくしかじか説明すると、光は眉間にしわを寄せ、「やめとこうぜ」と答えたのだ。
「敵の陣地なんて行ってよぉ。もし見つかって、戦いになったらどうすんだ。俺たちが勝手に動くことじゃねぇ」
「そうだけど……でも、セッちゃんをこのまま縛っておくなんて、かわいそうだよ!」
「師匠には師匠の考えがあんだよ」
「どういう考え?」
「まあ、そりゃ、なんつーか、はっきりとは言えねぇけどよぉ……。つーか、師匠は世界を平和にしたいって考えてんだぜ? そのために周りの人間を大切にしろって、お前もいっつも聞いてっだろ? そんな人が、何の理由もなしに封印術をかけ続けっかよ?」
たしかに、そうかもしれないけれど……。
それでも、幸輝はむかむかした。納得したくなかった。同時になんだか、光にも腹が立ってきた。
幸輝は、光の背中をぐっと押して、体を離した。凍てつく夜風と白い粒が、二人の間をすり抜ける。光はぐらっとバランスを崩した。慌てて幸輝の足を掴む。
「おま、押すなよ! あっぶねぇなぁ!」
「お父さんは結局、セッちゃんを疑って、セッちゃんを傷つけてるじゃん! お父さんの考えも知らないのに、その考えに従って、自分にできることをやらないって、そんなの、正しいことじゃないよ!」
「だから、師匠には師匠の考えが、って……! ちょ、いいから、押すなって……くそっ!」
バランスが取れなくなった光は、近場のトタン屋根に着地して幸輝を離した。ぐーっと背中を押し続けていた幸輝は、反動で、思いっきり尻餅をついた。光も、少しだけ降り積もった雪にすべり、ととっと足下をふらつかせる。咄嗟にわずかな雪を掴み、転倒を免れた。
「ったく、なんだっつーんだよ!」
べちょべちょの雪を足下に叩きつけると、額と眉間にしわを寄せ、首をまわして幸輝を睨んだ。だが、何人もの不良をすくみあがらせた光の睨みより、もっと強さのある眼光で、幸輝は光をぎっと睨んだ。二人の鼻と瞼と頬は、真っ赤になって冷えていた。
「ひかっちゃんはどうなのさ。ひかっちゃんもお父さんと同じで、セッちゃんのこと、疑ってんの?」
「俺は……世界を危機に陥れるようなやつには、厳しくあるべきだと思ってる。セツカは、神宮団だったやつだ。万一のことを考えた方がいい。師匠もきっと、そう考えてんだよ」
「は? なんだよ、それ……。結局、お父さんが言ってたこと、そのまんまじゃん」
幸輝は、ハッと白い息を吐き捨てた。不機嫌そうな細い目には、軽蔑が宿っていた。
「なんで? なんでひかっちゃんは父さんの言うこと聞くの? お父さんなんか、言ってることしっちゃかめっちゃかじゃん。偉そうにしてるくせに、水鬼にだって負けたじゃん。それなのに、へこへこ言う事聞いてさ。ひかっちゃんなんて、ただの、いい子ぶりっこの金魚のフンだね!」
「ンだと、てめぇ!」
ガッ! ムカつきに任せて、幸輝の胸ぐらを掴み上げる。
「師匠は、負けたんじゃねぇ! 俺とお前を守るために全力で戦って、生き残ったんだ! 相手を打ち負かすだけが勝ちじゃねぇんだよ! 何も知らねぇくせに、分かったような口きいてやがるてめぇこそ、クソ野郎だ! この、脳みそウンコ野郎!」
「なんだとっ!」
幸輝はまだ光より十センチも背が低かった。それなのに胸ぐらを乱暴に持ち上げられて、もうほとんど爪先が浮かんでしまっていた。
「離せよ!」
「誰が離すかよ?」
幸輝の額に一角を押し当て、メンチを切る。シャバい顔の威嚇も、ひ弱な両手の雑巾絞りも、なんの凄みもありはしないのだ。
しかし幸輝も負けはしない。鼻に細いしわを寄せ、ズーズー音を鳴らしながら、うーうー変な唸りをあげながら、じたばた光の足を蹴る。光も、ばしばし蹴り返す。
びしゃびしゃ、ばしばし! うーうー、んーんー! ギャーギャーと、鬼のいさかう声も混じる。
雪が激しく、二人のまつ毛に絡まり合う。きりのない攻防、鬱陶しい視界の白粒。イライラする!
「ンあーっ!」
幸輝はもはや怒りのあまり、脳みそのてっぺんまで血が上っていた。光の両頬に爪を立て、がっと握ってにょんと伸ばした。
「てめぇ!」
光も、プッツン! 空いている方の手で、幸輝の耳を掴み上げる。「ウンコ!」「クソ!」「フン!」。下品な罵倒言葉が飛び交う。頬をひっぱり、耳をひっぱり、足を蹴って、もつれにもつれて、めちゃくちゃ、ぐちゃぐちゃ、取っ組み合う。
やがて幸輝が、光にずるずるの薄い雪を浴びせてやろうと足を振り上げた時。
ずるっ! 足が、滑った。光は「あっ」と胸ぐらを引き上げようとしたが、だめだった。幸輝の手が、光の頬からつるっと離れ、その場にぐちゃっと尻餅をつく。薄雪でびしょびしょのトタン屋根が、ゴンと鳴る。二人のズボンは、ぐしょぐしょに濡れて、変色していた。
光は、幸輝からそっと、指を離した。ふうと白い一息を吐き、手を差し伸べようとした、その時。
幸輝は肩で息をしながら、光をぎろりと睨み上げた。真っ赤な顔はひぐひぐしていたが、珍しく涙は出ていなかった。
「なんだよ! ひかっちゃんは結局、お父さんに従って、お父さんの真似をしてるだけじゃん! おれは違う! おれは、おれが正しいと思うことをやる! 自分にできることをやる! 大切な人を笑顔にしていくのが、おれの道なんだ!」
光は、言い返そうと牙を剥いたが、何も、言葉が出なかった。白い息だけが、中途半端に宙を漂う。二人は、しばらく睨み合っていた。粉雪がはらはらと、二人の冷えた顔に染みる。
やがて、光がちっと舌打ちし、ハッと白い息を吐き捨てた。
「好きにしろ。俺はやらねぇ」
「いいよ。その代わり、お父さんにも、誰にも言うなよ。言ったらもう、ひかっちゃんとは絶交だからな!」
「言われなくても言わねぇよ! 師匠に余計な心配かけてたまっか。勝手にしろ、クソ野郎!」
光は、かじかんだ右手で乱暴に幸輝のコートの左襟を掴むと、そのまま再び雪空を飛び、影宮家の玄関前に、ぺいっと投げ捨てた。
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