陰陽武士の弟子になった幸輝は、四月にめでたく、陰陽刀を手に入れた!
陰陽刀は、日本刀と同様の材料や工程を要するが、三種の材料を清めるのに一か月かかり、刀剣の形となるのに二週間かかる。さらに三日かけて、天界の神獣を宿す儀式を行わなければならない。
儀式は昭治がひとり、朝栄神社の本殿に閉じこもって執り行った。四日目の朝、約束通り朝栄神社の本殿に入ると、八畳ほどのちいさな本殿は、金の装飾がそこかしこに施され、様々な花の天井絵がめいっぱい飾られていた。自分の家の本殿にさえ立ち入ることを禁じられていた幸輝は、その光景に心奪われた。
白装束の昭治は、中央で、椿の花に囲まれ正座していた。ぬるりと幸輝の方を振り向いて、力なく、幽霊みたいに手招きをする。
足音を立てないよう、すり足で近寄ると、昭治は目前の刀剣を献上台ごと持ち上げ、袴をすって、右を向いた。幸輝は向かい合い、正座した。漆黒の鞘に納まる、二尺一寸の刀を前に、喉がごくりと波打った。
「さあ、鞘を抜いてみて」
恐る恐る柄に触れる。ぎっちりと締まった新しい柄糸に、心までキッと引き締められた。背筋を伸ばし、ゆっくり、柄を握り、冷たい鉄の鍔に親指をかける。漆塗りのつややかな、だけどすこし粒粒の鞘を持ち上げ、刀の神聖な重みを、手の奥に染み渡らせる。トクトクと速い鼓動を聞きながら、すっと柄を引く。白銀の長い直刃が、ほの暗い本殿の中で閃いた。
「竹刀を持つように、両手で柄を握って。柄糸に霊力を流し込むイメージをしてごらん」
言われたとおりにやってみる。たちまち、浅く反れた白銀の刃文に、淡い黄色の輝きが流れ込んだ。刀身には、連翹の花模様が浮かび上がる。「もういいよ」といわれ、力を納めると、花模様はくっきりと、彫り込まれていた。
「丁寧に、僕の言うとおりにこなしてくれてありがとう。そして、おめでとう。それが、こうちゃんの刀、『玄虎刀』だよ」
喜びを胸に目を上げると、昭治の貧相な腹から、ぐう、と哀れな音がした。三日三晩、飲まず食わずの儀式だったらしい。それでも。
――やった! これでおれも陰陽武士だ!
幸輝はるんるん喜んだ。だが、世の中そう、甘くはない。
陰陽刀を扱い、一人前の陰陽武士となるには、様々な鍛錬が必要になる。まず、真剣を扱うための体づくり。剣道で鍛えられたため、基盤となる体の軸はあるものの、剣裁きや動作、間合いの感覚は剣道とはまた違う。そもそも真剣自体、竹刀とも木刀とも大きく異なる。体の動きに伴って刀が動くように―刀が自分の体の一部になるように、染み込ませなければならないのだ。毎週水曜日と土曜日、雨の日も台風の日も通い続けて早五か月、幸輝はようやく体得しつつあった。
だが、陰陽刀の放つ輝きは、まだほんの霞ほどであった……。
陰陽刀は、持ち主が霊力を流し込み、宿された神獣の力を引き出すことで、やっと本来の力を発揮することができる。神獣の力を引き出すと、刀身は輝きをまとう。その輝きは、神獣の力を引き出せれば出せるほど、強い。すなわち刀の輝きは、霊力の強さを表しているのだ。
同い年の遥は、四年前に授けられた真剣を、真昼の日光のように、煌々と輝かせている。凛々しく熱い、山茶花色の輝きを。
それなのに、自分は……。
いや。まだ刀を動かすことでいっぱいいっぱいで、うまく霊力を注ぎ込めていないのかもしれない。そう鼓舞してみたりもする。だが、もしかして、とも思う。もしかして、自分はそもそも、霊力がちょっぴりしかないのかもしれない、と……。
小学五年生にもなって、幸輝はじんわり涙を浮かべた。
「足りないのは、『心』かもしれないね」
人のいなくなった道場に幸輝を残し、昭治は一言、そう言った。霊力だけでは、陰陽刀に封印された神獣の力を全て引き出すことはできない。むしろ最も肝心なのは、神獣に「心」の強さを認められることなのだ。子どもは、未完成な存在だ。曖昧な心は、揺れやすく、変わりやすい。だが、陰陽武士になると決めたからには、子どもだろうとなんだろうと、自らの心をはっきりと、まっすぐに定め、そして、強く持ち続けなければならない。
「でも、おれ……誰かを哀しい気持ちにしたくなくて、誰かを救いたいなって思って、笑顔にしたくて……だから、陰陽武士になるって、ちゃんと、はっきり決まってて……」
「そっか。じゃあ、誰かを笑顔にするために、こうちゃんは今、具体的に何をしてるの?」
昭治が丸い眼鏡の奥で、にっこり微笑む。昭治の笑顔は優しいけれど、なんだか、重苦しい圧迫感がある。幸輝は声が出なくなった。深呼吸をして、ゆっくりと考えて、思いついたことは、「陰陽武士の稽古を……」だった。昭治は、微笑んだままだった。そしておもむろに、手首にかけていた巾着袋から、カチカチカウンターを三個取り出し、幸輝の前にごろりと置いた。
「宿題。次のお稽古までに、『ありがとう』の数をカチカチしてきて」
どうして「ありがとう」なのか分からなかったけれど……。幸輝はとにかく、うなずいた。
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