黒潮 -明日、世界が終わる日に-

今しかできないことがある
平木明日香
平木明日香

第2話

公開日時: 2025年2月17日(月) 23:08
文字数:1,875



 ◇




ルカの町は、業火に包まれていた。

黒煙が立ち上り、塩気を含んだ風が炎を煽る。

魚市場の屋根は崩れ、転覆した小舟が波間に揺れる。

大地には焦げた作物が散らばり、呻き声が、叫び声が、町全体に響いていた。


クロリスは、足元の瓦礫を踏みしめながら、ポポルと共に町の中心へと駆ける。

何が起こっているのか、それを確かめなければならなかった。


そして──目の前に、彼女がいた。


「……ロゼ……?」


燃え盛る町の中央に、ひとりの少女が立っていた。


彼女の髪は闇に溶けるように黒く変色し、

肌は透けるように青白い。

長い爪は血を滴らせ、瞳は、深淵のように真っ黒だった。


──まるで、別の生き物のようだった。


「……クロリス?」


微かに震える声が、少女の唇から零れ落ちる。


クロリスの胸が、激しく揺さぶられる。

その声は、確かにロゼのものだった。


「ロゼ……どうして……」


だが、クロリスが言葉を紡ぐよりも早く、彼女は、ふっと笑った。


「……私は……ロゼ……だった?」


その瞬間、ロゼの目から光が消え、殺意の波動が溢れ出す。

空気が歪むような圧力。


そして──彼女は動いた。




ドンッ!


突風のような勢いで、ロゼが跳ぶ。

彼女の影が月を背にして、クロリスへと落ちてくる。


「っ!!」


咄嗟に飛び退いた瞬間、ロゼの爪が空気を引き裂いた。

直後、背後の石壁がバキィッと砕け散る。


「ちょっ……まじかよ……」

ポポルが息を呑む。


──速い。


人間離れした動き。

さっきまで一緒に暮らしていたはずの少女が、まるで獣のように獰猛な動きをしていた。


クロリスは、ロゼの姿を正面から見据えた。

彼女の呼吸は荒く、口元から牙が覗く。

彼女の目は、もはや“敵”を見据える瞳だった。


「クロリス! 逃げるぞ!」


ポポルが叫ぶ。

だが、クロリスは動けなかった。


──ロゼを置いていくわけにはいかない。


彼がそう思った瞬間、ロゼが再び疾走する。

火花を散らしながら、直線的に突っ込んでくる。


「……ッ!」


クロリスは咄嗟に地面を蹴り、間一髪で回避した。

ロゼの爪が大地を切り裂き、土煙が舞う。


しかし──その刹那、ロゼが向きを変え、瞬時に飛びかかってきた。


「ぐっ……!!」


避けきれない。

クロリスは腕を交差させて防御する。

だが、ロゼの一撃は重すぎた。


ドガァッ!!


衝撃が腕を貫き、彼は吹き飛ばされる。

地面を転がり、背中を強く打ちつける。


「クロリス!!」


ポポルの声が遠くで聞こえる。

だが、体が動かない。


ロゼは、その姿をじっと見下ろしていた。

彼の血の匂いを嗅ぎ取り、舌なめずりをするように口元を歪めた。


「……クロリス……」


ロゼの唇が、かすかに震えた。

まるで、彼の名を思い出そうとするかのように。


「おい……頼むから……思い出せ……!」


クロリスが苦しげに呟く。

彼の視線は、まだ希望を捨てていなかった。


──彼女は完全に「影」になったわけじゃない。


クロリスの叫びが、ロゼに届いたのかどうか──。

その答えが出る前に、彼女の爪が再び振り下ろされた。



ガシャァッ!!


クロリスは地面を転がり、再び爪の一撃をかわした。

すぐさま起き上がり、息を整える。


──このままじゃ、やられる。


ロゼの戦闘能力は、もはや人間の領域を超えていた。

一撃の威力、速度、殺意の高さ。

全てが“異常”だった。


──だが、彼女を殺すわけにはいかない。


クロリスは、すでに傷だらけだった。

両腕には無数の切り傷が走り、息をするたびに肋骨が痛んだ。

ポポルが必死に何か叫んでいたが、もう聞こえない。


ロゼが、ゆっくりと口を開く。


「……殺す、殺さなきゃ……」


彼女の声は、まるで夢の中の囁きのようだった。


その瞬間、クロリスの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。


──「クロリス、いつか私たち、大きな町に行こうね!」

──「アクアに? でも、そんな遠くまで行けるのか?」

──「だって、私たちならできるもん!」


──それが、ロゼの夢だった。

──それが、彼女が生きた証だった。


だが今、そのロゼは、自分を殺そうとしている。


「……なら、お前を……止めてみせる……」


クロリスは、最後の力を振り絞った。

体中が痛む。

けれど、目を閉じるわけにはいかない。


ロゼが、再び襲いかかる。


バキィッ!!


クロリスは拳を握りしめ、全力でロゼを殴った。

衝撃が走る。

ロゼの体が一瞬だけ揺らぐ。


その刹那──。


彼の体の奥底で、何かが弾けた。




──青白い光が、クロリスの体を包んだ。


熱が、体を駆け巡る。

血が沸騰するような感覚。


そして、彼は悟る。


──これは「変異」だ。

──だが、普通の変異ではない。


彼の体は、崩壊するどころか──むしろ、浄化されていく。


クロリスは、【第3世代(ザ・サードバースデー)】として覚醒しようとしていた。


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