◇
ルカの町は、業火に包まれていた。
黒煙が立ち上り、塩気を含んだ風が炎を煽る。
魚市場の屋根は崩れ、転覆した小舟が波間に揺れる。
大地には焦げた作物が散らばり、呻き声が、叫び声が、町全体に響いていた。
クロリスは、足元の瓦礫を踏みしめながら、ポポルと共に町の中心へと駆ける。
何が起こっているのか、それを確かめなければならなかった。
そして──目の前に、彼女がいた。
「……ロゼ……?」
燃え盛る町の中央に、ひとりの少女が立っていた。
彼女の髪は闇に溶けるように黒く変色し、
肌は透けるように青白い。
長い爪は血を滴らせ、瞳は、深淵のように真っ黒だった。
──まるで、別の生き物のようだった。
「……クロリス?」
微かに震える声が、少女の唇から零れ落ちる。
クロリスの胸が、激しく揺さぶられる。
その声は、確かにロゼのものだった。
「ロゼ……どうして……」
だが、クロリスが言葉を紡ぐよりも早く、彼女は、ふっと笑った。
「……私は……ロゼ……だった?」
その瞬間、ロゼの目から光が消え、殺意の波動が溢れ出す。
空気が歪むような圧力。
そして──彼女は動いた。
ドンッ!
突風のような勢いで、ロゼが跳ぶ。
彼女の影が月を背にして、クロリスへと落ちてくる。
「っ!!」
咄嗟に飛び退いた瞬間、ロゼの爪が空気を引き裂いた。
直後、背後の石壁がバキィッと砕け散る。
「ちょっ……まじかよ……」
ポポルが息を呑む。
──速い。
人間離れした動き。
さっきまで一緒に暮らしていたはずの少女が、まるで獣のように獰猛な動きをしていた。
クロリスは、ロゼの姿を正面から見据えた。
彼女の呼吸は荒く、口元から牙が覗く。
彼女の目は、もはや“敵”を見据える瞳だった。
「クロリス! 逃げるぞ!」
ポポルが叫ぶ。
だが、クロリスは動けなかった。
──ロゼを置いていくわけにはいかない。
彼がそう思った瞬間、ロゼが再び疾走する。
火花を散らしながら、直線的に突っ込んでくる。
「……ッ!」
クロリスは咄嗟に地面を蹴り、間一髪で回避した。
ロゼの爪が大地を切り裂き、土煙が舞う。
しかし──その刹那、ロゼが向きを変え、瞬時に飛びかかってきた。
「ぐっ……!!」
避けきれない。
クロリスは腕を交差させて防御する。
だが、ロゼの一撃は重すぎた。
ドガァッ!!
衝撃が腕を貫き、彼は吹き飛ばされる。
地面を転がり、背中を強く打ちつける。
「クロリス!!」
ポポルの声が遠くで聞こえる。
だが、体が動かない。
ロゼは、その姿をじっと見下ろしていた。
彼の血の匂いを嗅ぎ取り、舌なめずりをするように口元を歪めた。
「……クロリス……」
ロゼの唇が、かすかに震えた。
まるで、彼の名を思い出そうとするかのように。
「おい……頼むから……思い出せ……!」
クロリスが苦しげに呟く。
彼の視線は、まだ希望を捨てていなかった。
──彼女は完全に「影」になったわけじゃない。
クロリスの叫びが、ロゼに届いたのかどうか──。
その答えが出る前に、彼女の爪が再び振り下ろされた。
ガシャァッ!!
クロリスは地面を転がり、再び爪の一撃をかわした。
すぐさま起き上がり、息を整える。
──このままじゃ、やられる。
ロゼの戦闘能力は、もはや人間の領域を超えていた。
一撃の威力、速度、殺意の高さ。
全てが“異常”だった。
──だが、彼女を殺すわけにはいかない。
クロリスは、すでに傷だらけだった。
両腕には無数の切り傷が走り、息をするたびに肋骨が痛んだ。
ポポルが必死に何か叫んでいたが、もう聞こえない。
ロゼが、ゆっくりと口を開く。
「……殺す、殺さなきゃ……」
彼女の声は、まるで夢の中の囁きのようだった。
その瞬間、クロリスの脳裏に、幼い頃の記憶が蘇る。
──「クロリス、いつか私たち、大きな町に行こうね!」
──「アクアに? でも、そんな遠くまで行けるのか?」
──「だって、私たちならできるもん!」
──それが、ロゼの夢だった。
──それが、彼女が生きた証だった。
だが今、そのロゼは、自分を殺そうとしている。
「……なら、お前を……止めてみせる……」
クロリスは、最後の力を振り絞った。
体中が痛む。
けれど、目を閉じるわけにはいかない。
ロゼが、再び襲いかかる。
バキィッ!!
クロリスは拳を握りしめ、全力でロゼを殴った。
衝撃が走る。
ロゼの体が一瞬だけ揺らぐ。
その刹那──。
彼の体の奥底で、何かが弾けた。
──青白い光が、クロリスの体を包んだ。
熱が、体を駆け巡る。
血が沸騰するような感覚。
そして、彼は悟る。
──これは「変異」だ。
──だが、普通の変異ではない。
彼の体は、崩壊するどころか──むしろ、浄化されていく。
クロリスは、【第3世代(ザ・サードバースデー)】として覚醒しようとしていた。
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