黒潮 -明日、世界が終わる日に-

今しかできないことがある
平木明日香
平木明日香

第3話

公開日時: 2025年2月19日(水) 23:22
文字数:1,919



 ──熱い。


 意識が暗闇に沈みそうになる中、クロリスの体を燃やすような熱が駆け巡っていた。

 まるで内側から焼き尽くされるような感覚。


 死にゆくのか?

 それとも、変異して「影」になるのか?


 ──どちらでもない。


 これは……"生き残る"ための、何かだ。


 ドクン──!


 心臓が大きく跳ねた。

 次の瞬間、冷たく重かった体に、異質な力が満ちていく。



 クロリスは、ゆっくりと目を開けた。


 視界がぼやけ、耳鳴りがする。

 だが、さっきまでの苦痛は嘘のように消えていた。


 「……俺……?」


 自分の声が、妙に響いて聞こえる。

 そして、すぐに違和感に気づいた。


 ──軽い。


 体が、異常なほど軽い。

 それに、どこも痛くない。

 あれほど深く抉られたはずの傷が、もう存在していない。


 クロリスは、おそるおそる自分の手を見た。

 皮膚が僅かに透き通るような色を帯び、血管の奥から"光"が脈打っている。

 指先を動かすと、妙にスムーズで、違和感を覚えた。


 「……なにこれ」


 それだけではない。


 視界がクリアになり、暗闇の中でも細かいものがはっきりと見える。

 耳を澄ませば、焚き木が爆ぜる音や、遠くの波の音までもが鮮明に聞こえた。

 手を握るだけで、指の節の動きが今までとは全く違うことが分かる。


 ──まるで、別の体だ。


 クロリスは、ゆっくりと立ち上がろうとした。

 しかし、思ったよりも強く踏み込んでしまい──


 ドン!


 「うわっ──!?」


 地面を蹴った瞬間、思いもよらぬ跳躍をしてしまった。

 体が宙を舞い、数メートル先の岩場に激突する。


 ──これは……俺の体なのか?


 異常な身体能力。

 今までとは違う「感覚」。


 クロリスは、しばらくその場に座り込んだまま、呆然と手を開いたり閉じたりしていた。



 「クロリス……?」


 震えた声が、耳に届いた。


 ポポルだった。

 彼は、信じられないという顔でクロリスを見ている。


 「お、お前……その体……」


 クロリスは、ポポルの視線を追い、自分の体をもう一度見下ろした。


 ──確かに、変わっている。

 以前よりも細く鋭くなった体躯。

 まるで"影"に近づいたかのような異質な感覚。


 「……変異、したのか?」


 クロリスは呟いた。


 だが、黒化はしていない。

 意識もあるし、記憶もある。


 じゃあ、俺は……?


 「わかんねぇ……でも、なんか……」


 言いかけた瞬間、体が勝手に反応した。


 ──何かが来る。


 クロリスは咄嗟に飛び退った。

 その瞬間、背後の瓦礫が鋭い爪で粉砕された。


 「チッ、避けたか……」


 低く唸る声。

 クロリスが振り向くと、そこには──ロゼがいた。



 ロゼの体には、先ほどと変わらぬ黒い瘴気が渦巻いていた。

 しかし、その瞳は、わずかに揺れていた。


 「クロリス……お前……」


 ロゼが、躊躇するように言葉を漏らす。

 彼女の中に、まだ"ロゼ"がいるのか?


 クロリスは、一歩踏み出そうとした。

 しかし、ロゼはすぐに顔をゆがめ、苦しげに頭を抱える。


 「……ダメ……だめだ……!」


 唸るように呟くと、彼女の体から瘴気がさらに濃く噴き上がる。

 その瞬間、ロゼの表情から、迷いが完全に消えた。


 ──そして、彼女は跳んだ。


 「くっ……!」


 クロリスの体が、反射的に動く。

 だが、ロゼの速度は、先ほどの比ではなかった。


 ドガッ!


 重い衝撃がクロリスの腹部を貫いた。

 次の瞬間、彼の体は宙を舞い、背後の瓦礫に叩きつけられる。


 「がっ……!」


 肺から息が漏れ、視界が一瞬暗転する。

 ロゼは、そのまま爪を振り上げ、追撃を仕掛けてきた。


 ──速い。


 しかし、クロリスの視界は驚くほどクリアだった。

 ロゼの動きが、"見える"。

 まるで時間が遅くなったかのように。


 「……ッ!」


 クロリスは咄嗟に身をひねり、寸前で爪を避ける。

 ロゼの爪は地面を削り、土煙を巻き上げた。


 ──俺は、戦えるのか?


 今の自分の体は、これまでとは違う。

 恐怖よりも先に、体が"動きたがっている"のを感じる。


 バキィッ!


 ロゼが再び踏み込んだ。

 クロリスは反射的に拳を振るう。


 拳と爪が激突し、鋭い衝撃が走る。


 「……ちっ!」


 ロゼが苦しげに後退する。

 クロリスもまた、拳を開閉しながら、自分の力に戸惑っていた。


 ──こんな戦い方、したことないのに。


 まるで、本能的に"この力"が馴染んでいるかのようだ。

 これは、本当に自分の体なのか?


 「……クロリス……お前……」


 ロゼが、ぎりぎりと歯を食いしばる。

 その瞳に、一瞬の"迷い"が戻った。


 「やっぱり……まだ、戻れるんだ……!」


 クロリスが叫ぶ。


 しかし、その言葉が届くよりも早く、ロゼは再び頭を抱え、唸り声を上げる。


 「うあああああああっ!!」


 闇が、さらに彼女の体を覆った。


 ──もう、時間がない。


 クロリスは、歯を食いしばる。


 ならば、俺の"力"で……!


 その瞬間、彼の腕が燃え上がった。


 青白い炎が、クロリスの体を包み込む。


 ──これは?


 彼の意識が、"何か"を理解し始めた瞬間だった。

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