「眠ぃ」
桜は大きく口を開き、気だるそうに欠伸をした。
制服の上着のボタンを全て外してるので、中に着ている赤のTシャツが見える。
早朝、通学路は暁学園の生徒達で賑わっているが、桜の周囲だけ不自然にスペースが空いていた。
無理もない。転校初日、了の件が広まっているのだ。
勿論、少女を助ける為の行動だったという事は皆わかっている。それでも『怖い』のだ。
これが長年共に過ごし、どんな性格か把握してれば、多少ギクシャクしても関係性は戻るのだが、初日からの停学では、マイナスイメージが強すぎた。
桜自身は特にこの状況に対して、全く気にしてない。小さい頃から親しき者以外には不愛想で、交友関係を広げたいと思う性格でもなかった。
只一つ後悔してるのは、むやみに暴力を振るわないという七瀬との幼い頃からの約束を、また破ってしまった事だ。
今回の件は七瀬も把握している。
「よくやった、桜くん」と、誉められたがそれでも約束を破ってしまった事にはかわらない。気持ちがモヤモヤとして、すっきりしない。
「んんっ、桜おはよー」
後ろの方で少女の声が聞こえた。
桜と呼ばれたが、自分では無いだろう。苗字ではなく下の名前で呼ぶのは、ここでは七瀬だけだ。
それに声のトーンから、友人に対して語り掛ける慣れ慣れしさを感じたのだ。
「あれ桜? おーい」
どんどんと声が近づいてくるが、気にせずに足を止めず歩き続ける。
「むぅータックルは腰から下ッッ!!」
「ぐふぁああああああ!」
背中に激しい衝撃を受け、足を取られて転ぶ。
手のひらを胸の下で広げ、受け身をとりダメージを最小限に抑える。
「誰だコラッ……っって誰ですか?」
アスファルトで前受け身体勢の桜の上に、茶髪ポニーテールの美少女が笑みを浮かべて、腰掛けていた。
「もぅ桜ってば照れ屋さんなんだから」
「だから誰だお前?」
桜の隣に並び歩きだす少女。
ふわふわしたボリューム感あるポニーテール。赤いフレームのメガネをかけていた。そして胸は七瀬には劣るが大きく、制服の上からでもその存在をしっかりとアピールしている。
「もぅおっぱい見過ぎだよ」
少女は笑い、うりうりと肘でわき腹を突っついてきた。
「ごめん……って同じクラスだよな確か?」
転校初日、一番最初に拍手して歓迎してくれたので強く印象に残っている。
「んーまだわからないか」
少女は少し残念そうに呟くと、桜の左腕にさり気なく自分の右腕を絡ませた。
「おいおいおいっ近いって! なに都会の子ってみんなこうなのか!」
一気に距離感を詰めてくるクラスメートに慌てるが、歩く度にぷにょんぷにょんと、張りのいい豊満な膨らみが腕に当たるので振り払おうとはしなかった。
(……都会すげぇーな……)
「今回の件、感動した。普通は見て見ぬふりだしね。わたし達クラスの誇りだよ」
なるほど。この過剰なスキンシップはその為か。
気を使ってくれているのだ。
彼女の優しさが、桜の心の壁を開いていく。
「名前なんだっけ?」
「えーホントに忘れてるんだ」
「初日の自己紹介、あまり聞いてなかった」
嘘である。一人一人クラスメートが自己紹介して来たが、全く聞いてなかったのだ。
友人つくる為に、ここへ転校してきたわけではない。
兄、一真を探しに来たのだから。
「少しかがんで」
少女が襟をひっぱってくる。
「はいよ」
素直に膝を曲げて重心を下げた。
ちゅっ。
唇に柔らかい感触。
「ななななななななにをするぅぅ」
不意打ちに顔が熱くなる。
七瀬以外の女性と唇を重ねてしまった。
(ごめん七瀬さん! これは事故だから)
「わたしよ、舞姫。七瀬姉のいとこの暁舞姫。小さいころ遊んだでしょ」
「あぁああああああ! お前かぁぁあ舞姫!」
思い出した。幼いころ夏休みになると七瀬の家に泊まりに来た従妹二人の内の一人だ。
「えへへへ当たりだよー」
「もしかして、コアも……ってなんだこの音……」
『ザザッザザザザ』
懐かしい思い出話は、上空から聞こえてきたノイズにかき消された。
転校初日、庭で聞こえたのと同じ音色が、桜の体を痺れさせる。
空を見上げると、そこには白銀色の門とお椀型の人工物が浮かんでいた。
「どうしたの桜」
舞姫は不思議そうに顔を覗く。
七瀬と同じく舞姫にも、あれが見えてないらしい。
チカチカと、車道から車のハイビームが二人の背に当たる。
歩道で立ち止まっている桜達を追い抜くと、ハザードランプを点けて停車した。
「桜先輩! 乗ってください」
綺麗にワックスをかけた黒い乗用車。後部席の窓ガラスから巴が顔を出した。
まだ遅刻する時間では無いが、何故か急いでる様に感じる。
「おぉ巴、じゃあ舞姫も一緒に」
「わたしは歩いていくので、桜は車に乗って」
背中を優しく押される。
「ありがとう舞姫先輩、桜さん事情は車内でお話しします。だから……」
(まぁ、いいか)
断る理由もない。
桜を乗せた車は、舞姫に見送られ静かに走り出す。
「生徒会の初仕事、がんばって桜」
手を振って、そう呟いた舞姫の言葉はエンジン音で桜には聞こえなかった。
「今から闘技場に向かいます」
「闘技場?」
桜はシートベルトを締めながら、巴の話を素直に聞く。
巴は頷き、車窓からも見える上空に浮かぶ門と人工物を指差した。
「先輩も見えてますね? あれは『地獄門』、そして『闘技場』。私たち生徒会はそう呼んでます」
スッと、巴はポケットから山吹色のカードを見せた。
「それってまさか」
巴のカードには、角ばった頭部に一本角に一つ目、四本の腕が描かれている。
色と絵柄は違うが明らかに同種の物だ。
「七瀬先生から聞いてます。理事長からカードを預かったと」
桜は、ポケットから黒いカードを取り出した。
「それは生徒会メンバーの証。そして鬼神に選ばれし使い手の印なのです」
「巴様、桜様、到着しました」
運転手が声をかけ、車は駐車した。
「ありがとう黒崎さん、さぁ先輩」
巴に促され桜は、車から降りる。
「どこだ、ここ?」
空気がひんやりしている。
外の景色は見えず、長方形の白線が並んでる。
「学園の地下駐車場です。こちらへ」
巴は、設置されているエレベーターの扉前で桜を呼んだ。
エレベーターに乗る二人。目の前に全身が映る鏡があった。
(巴は、七瀬さんよりも小さいんだな)
並んでみるとわかる。七瀬は桜の肩までの身長だが、巴は胸程の背丈だ。
桜の視線に気づき、恥ずかしそうに微笑する巴は、カードを鏡に向けた。
「先輩も一緒に、今から闘技場に移動します」
「おうっ?」
桜もカードを鏡に向けた。
『転送!』
グニャグニャと、鏡に映る景色が闘技場に変わる。
二人の体は粒子となると、鏡に映る闘技場に吸い込まれていった。
そこは現実から切り離された偽りの世界。
薄紫の空には、地獄門が浮かんでいる。
観覧席に転送した巴を出迎えたのは同じ生徒会の二人。
二年の神威隼人と一年の牛若丸了だった。
「あっ巴?」
こちら側にいるのが不満なのか、了は口を歪める。
「巴、一真さんの代わりは何処だ……?」
隼人が不服そうに自分に聞いてくる理由が、巴には痛い程わかった。
理事長から四人の生徒会メンバーに渡されたカードは、四色。
山吹、緑、蒼、白銀。
今この観覧席にいるのは、そのうち三枚を持つ。
「……私達が観覧席にいる……」
ならば今回、地獄門に選ばれたのは、ここにいない四人目という事になる。
「あれを見て……」
闘技場の中央に、黒い鬼神が仁王立ちしていた。
「まさか、あれは会長……?」
「鬼神ルシフェル……いや色が違う」
「……桜、先輩……」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!