時刻は、白髪少女と編入生が最悪の関係性のまま寮へ帰還した場面までさかのぼる。
この時、都丸千佳は頭のてっぺんからつま先まで不機嫌の状態にあった。
朝の散歩中にお姉様のメイドに出会えた僥倖も、もたらされた情報によってあっけなく吹き飛んだ。
ぽっと出の編入生がお姉様の屋敷から朝帰りだとおッ⁉
寮棟区の敷地を歩く間、彼女はずっと肩を怒らせていたのだった。
千佳はすでに変態淑女の編入生の噂を聞いており、お姉様のファンに交じって三つ編みの彼女の姿を直接目撃したこともあった。一見すると清楚そのものに見えたが、変態的行為をやらかしたのは紛れもない事実である。
その彼女がお姉様の屋敷で寝泊まりしたのだ。何も起こらぬはずがない。岬の関心がお姉様の妹のみにあるという発想は、この時の千佳の頭にはなかった。
般若もかくやの形相の千佳が、編入生の『朝帰り』の情報を友人らにぶちまけ、彼女はようやく落ち着きを取り戻すことができた。
(それにしても、子夜先輩もなんてタイミングで……)
お姉様の専属メイドに対して、ささやかな愚痴を胸中でとなえる。二人を送ることはお姉様からの指示として仕方がないにせよ、事前に知っていれば、もう少し身綺麗な状態でお会いできたというのに……。
理不尽なことを思いながら、千佳は三号棟の306号室へ引き返した。
今の千佳の容姿は、自身で嘆くほどひどいものではない。敷地内とは言え外に出るということで、寮母たちの目に配慮して最低限な身だしなみは整えてあったのだ。
高等科二年に進学する予定の少女としては背は低めで、ウエーブの入ったツインテールは、光の当たり具合で紫にも見える黒髪であった。髪色よりも漆黒のネグリジェは、裾にやたらと細かいレースがあしらわれており、和佐の着ているものとは異なり、腕も肩もむき出しになっていた。シスター蒼山から「シュミーズと変わらないじゃない」と注意を受けたため、防寒対策も兼ねて厚手のカーディガンを羽織り、裸足の下にはしゃれたサンダルを履いている。
なかなかに大胆な格好であり、容姿に自信がなければこのような服装は選ばないであろう。そして千佳が自信の所有者であることは一同が認めるものであり、自信に見合うだけの容姿を持ち合わせているのも、また事実だった。
もっとも、その自信も今では屈折した精神状態で曇りがちであり、サンダルからスリッパに履き替えたとき、洗面所の扉が開き、ルームメイトが面食らった様子で千佳の冴えない顔を見つめていた。
「どうしたのよ都丸さん? 浮かない顔しちゃって。らしくないじゃない」
「うげっ、リコ……」
愛らしさの欠片もない声を発し、千佳は現れた少女を見てのけぞる。何とも嫌そうな彼女の反応が、ルームメイトの反感を誘った。
「ちょっと都丸さん、いきなり人の顔を見て『うげっ』は失礼でしょ。さすがに私でも傷つくわ」
真面目くさって言い、リコと呼ばれた少女は両手を腰に当てた。
フルネームは赤城沙織子という。千佳と同様、高等科二年に進学する予定を控えており、気さくな性格である反面、妙に堅苦しい一面も持ち合わせていた。寮内の治安を守る寮生委員会に所属しており、後輩を中心に『沙織子おねーさん』呼びを徹底させている。
沙織子は千佳よりはだいぶ背は高いが、上部で結わえられた紅茶色の髪のポニーテールのおかげて、若干身長が嵩増しされているようにも見える。無骨なスウェット姿だが、これから朝食へ向かうのか、身だしなみ自体は整えられていた。
そのポニーテールのおねーさんが腰に手を当てたまま、ツインテールのルームメイトに再度問いかける。
「それで、朝っぱらから一体何があったのよ?」
「そうそう、聞いてよリコお! ほんッと、あり得ないこと聞いたんだから!」
キンキンと響く悲鳴で、千佳は編入生の少女の朝帰りの話を沙織子にも話した。おねーさんは他の寮生と異なる反応を示した。彼女にとって、編入生・上野岬の名は禁忌なものだったのである。
髪色に負けないくらい、沙織子の頬が紅茶色に染まった。思い出したのだ。二日前、その編入生が屋内プールのシャワー室で他の生徒に全裸で迫ろうとした光景を。鼻血を出して失神する直前の光景が、まざまざとよみがえった。
「はえーん…………」
気の抜けきった声を吐き出し、女子どうしの絡みに免疫のない沙織子は後ろへ倒れ込みそうになる。
千佳は仰天してルームメイトの身体を支え、のぼせ上がる彼女に甲高い叱咤の声を浴びせた。
「ちょ、ちょっとリコ⁉ そんなところでぶっ倒れるなんてやめてよね! ほんッと世話が焼けるんだから!」
「だって、都丸さんが上野さんの名前を出すから……」
「うちのせいにするなッ。こっちだって好きで言ってるわけじゃないのに!」
わめいてから、千佳は思い出したように畳みかける。
「それから、リコ。『都丸さん』はやめてっていつも言ってるでしょ! うちのことはちゃんと『ルチカ』で呼んで!」
「嫌よ。そんなあだ名で呼ぶなんて、人としての礼儀にもとるわ」
「自分だって『沙織子おねーさん』って呼ばせまくってるくせに!」
もっともな意見を述べてから、ルチカを自称する少女は本来の気の強さをさらに発揮させた。
「だいたいねえ、後輩の裸を見ただけで失神するようなリコが姉を自称するなんて、滑稽を通り越して不敬罪レベルなのよ。よくもまあ恐れも恥も知らずに、お姉様と同じ立場を気取れたもんだわ」
「ぬぁんですってぇッ⁉」
鹿毛色の瞳をくわっと見開いて、沙織子が千佳に凄む。恥じらったり怒ったりと、何とも忙しい彼女だが、おねーさんとしての立場を侮辱された以上、とうてい黙ってられなかったのだろう。
「私はちゃんと『おねーさん』としてすべきことは果たしてるわよ! いくら虫の居所が悪いからって手当たり次第に噛みつくのはやめなさいよね!」
「果たしてるって、十回中五回くらいはヘマやらかしてるじゃない! リコはおねーさんとして慕われてんじゃなくて、ズッコケ芸人として笑われてるだけなの!」
「はあ⁉ 今すぐ取り消して! せいぜい三回よ‼」
「大して変わってないし!」
以後、無意味な口喧嘩で空漠な数分を費やして、二人はそれぞれ肩を怒らせて玄関から姿を消した。沙織子は廊下へ出て、千佳は部屋に戻るかたちで。
千佳は苛立たしげにカーディガンを脱ぎ捨てると、シュミーズ同然の格好で自分の机に座り込む。変態淑女に負けず劣らず、同居人の存在にも腹が立つ。中等科に入った時から沙織子とはルームメイトとして共棲しているが、いまだに慣れる気配がない。
(だいたい、なんでリコは嫌いなうちとルームメイトになりたがるのよ? ほんッッッと意味わかんないし!)
それは千佳に限らず、二人を知る者であれば誰もが疑問に思うところであった。ワガママな千佳の監視というのが理由としてもっともらしく語られているが、当の沙織子はいまだにその理由について明言していない。
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