ライラック色の少女たち

人嫌いの白髪少女と変態淑女の編入生が織りなす、全寮制お嬢様学校の物語
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2.春山雪葉の回想

公開日時: 2022年9月11日(日) 00:00
文字数:4,088

 食堂で遅めの朝食を済ませた後、雪葉はふと思い立って私服から制服に着替えた。寮母の「私たちの出来ることをする」という言葉に触発され、とてもじっとしていられなかったのである。


 聖黎女学園の敷地は一本の道路を挟んで寮棟区りょうとうく学舎区がくしゃくに分かれており、学舎区は私服での立ち入りは禁止されている。たとえそれが休日であっても例外ではなかった。


 聖黎女学園の制服はライラック色の膝丈のワンピースに紺のボレロというものだ。胸元に臙脂色のリボンをあしらい、腰にはベルト。足元を飾るのは紺のハイソックスと黒のローファーであった。雪葉は制服の可愛さに概ね満足していたが、ニーソックスの着用が禁止されている点だけは不満であった。


 制服に着替え終えると、雪葉はすぐさま本棟を出て学舎区に駆け込んだ。少女の気分とは裏腹に清々しいくらいの五月の晴れ空であり、敷地外に広がる箱谷山はこやさんの緑も目にまぶしいほどだ。聖黎女学園は箱谷山の中腹を切り開いて設立された場所なのである。


 学舎区の正門を通り抜け、清涼な空気を突き抜けながら雪葉は屋内プールへ訪れた。とはいえ泳いでサッパリするという意図は初めから持ち合わせておらず、ローファーと靴下を脱ぎ捨てると、制服姿のままプールに通じる扉へ向かった。濃色のガラス戸から内部の様子を透かし見ていたとき、横切った一人が雪葉の存在を察知して扉を開ける。競泳水着の格好をした女性は、雪葉の顔見知りでもある水泳部の部長だ。


「おっ、雪葉ちんじゃない~。幼馴染ちゃんに何かご用事〜?」

「そうなんだ。さすがに今はまずかったか?」


 寮母同様、先輩相手にもタメ口の雪葉であったが、部長は一切気にした様子はない。

 伸びやかな声で対応してくれた。


「まだ午前練の始めだからね〜。呼び出す分には構わないけど?」

「ぜひ頼むよ。急ぎなんだ」


 それから一分後、呼び出しを受けた幼馴染が雪葉のもとへ現れた。


「雪葉じゃないか。どうしたんだ?」


 東野暁音ひがしのあかねは雪葉の幼馴染であると同時にルームメイトでもあった。クラスは別だが同学年で、背は雪葉よりは高く、肌は浅く日に焼けている。


 スイムキャップを競泳水着の肩紐に掛けているから髪型が丸わかりだ。チョコレート色の短髪は濡れて艶かしく額に張りついており、その隙間から黒々とした瞳が野性的な光をたたえている。


 水泳部に所属しているだけあって、競泳水着に包まれた暁音の肢体はしゅっと引き締まっていた。それと同時にくびれや小尻には少女らしいあどけない流線も確かに秘められている。胸の膨らみだけは発展途上であるが、逆上されるのを恐れて誰もその点を指摘しようとはしない。


 平時の岬なら今の暁音の水着姿にうっとりしただろうが、雪葉の方はそれどころではなかった。

 幼顔を必死にさせて訴えかける。


「みさきのことだよ。ゆきはたち、どうすればいいと思う……?」


 途端、暁音は疲れたような顔で幼馴染を睨んだものだ。


「……お前なあ。そんなことのためにいちいち私を呼び出したのかよ?」

「そんなことって何だよ! みさきのことだぞ⁉︎」


 小さな少女は吠えたてたが、短髪の水泳部員はむっとした態度を崩さない。


「まあ、変態な点はともかく、さっさと元に戻りやがれってのは私も思うぞ。いつまでもあんな調子じゃ文句の一つも言えやしない」

「あかねぇ……」


 雪葉はすがるような視線を投げかけたが、暁音は自分の主張を譲ろうとはしなかった。


「あいつのせいでお前の顔が負傷したんだぞ。簡単に許せるわけがないだろ」

「みさきのせいじゃない。ゆきはが自分からボールに当たりにいったんだ」


     ◇   ◆   ◇


 三日前の体育の授業のことである。

 聖黎女学園の体育の授業は一学年の全体にあたる三クラスが合同で行い、この日はバドミントン、バレーボール、ドッジボールの競技が選択できた。


 岬はこのときバレーボールを選択していたが、彼女のプレイスタイルは体育教諭の牛谷千世うしやちよ先生を怒らせた。


「おい上野。お前今すぐ授業を抜けろ‼︎」


 コートにいた全員が動きを止める。「小豆色の首領ドン」と恐れられる牛谷先生の怒声に、すでに涙さえ浮かべる者も現れた。ちなみに異名の「小豆色」は、常に身につけているジャージの色に由来する。


 その教師が立ち尽くす生徒たちにプレイを再開させ、さらに岬にこちらに来るように命じた。


 岬は首領の乱暴な指示に従った。

 怒号を恐れていない、というより初めから感情がないかのような足取りで彼女に近づく。


 陰気な態度を嫌う牛谷先生は苛立ちを募らせてさらに言い放った。


「協調性のきの字も理解できない奴に私の授業を受ける資格はない。保健室に駆け込んで頭でも冷やしてろ」

「なんでそんなことをする必要があるんですか」


 プルーン色の瞳に弱々しい光をたたえたまま、岬は熱を籠めて反論した。

 声を聞いた生徒は肝を冷やした。あの牛谷先生に口答えするなど何て命知らずなと思ったものだが、触らぬ神に祟りなしである。ぎこちない動きのままプレイを継続させる。

 命知らずの編入生は首領の体育教師にさらに食い下がった。


「あたしは真面目に授業に取り組んでます。追い出されるいわれはありません」

「それを決めるのは私だ。お前じゃない。周りの動き見ずに自分の都合だけでがむしゃらにプレイすることで、どれだけ相手の迷惑になってるかわからないのか? わからずに戻ろうってハラなら無理矢理気絶させて保健室にぶち込む」


 猛禽のように目を鋭くさせた千世だが、岬はなおも怯む色を見せない。

 現状を意図的に理解しようとしないまま、据わった目つきで問い返す。


「なんでですか? 相手に勝てればそれで味方に貢献できるじゃないですか」

「馬鹿か‼︎」


 千世が大喝した。体育館にいた生徒は残らず震え上がり、静まり返った空間にボールだけか乾いた音を立てて跳ねている。

 こわばった静寂に首領の大音声がさらに続いた。


「おい、誰かここにマット持ってこいや! この分からず屋、いったん沈めてやらないと気が済まん」


 荒々しく命じられて、まごつきつつも数人の生徒が体育館倉庫からマットを引っ張り出す。


 だが、生徒たちの行動は徒労に終わった。岬が突然「あたしは平気なんです! 問題ないんです!」と狂ったように喚き散らしたため、鬼教師がマットの到達を待たずに当て身を打ち込んでしまったのだ。外傷を一切与えず、意識だけを奪うという熟練の技だ。


 気絶した岬を担ぎ千世はぎらついた声で授業再開を命じ、本当に体育館を出てしまった。この再開の指示はすぐには果たされなかった。自分たちは何も悪くないのに居心地の悪い空気が一帯を充満していたからだ。


 牛谷先生に恐怖する生徒は多いが、これでも理不尽なことで注意をすることは滅多にない。このときも非が編入生の少女にあると誰もが疑わなかった。


 働き損の生徒が出したばかりのマットを再び倉庫にしまい、ここでようやく授業が再開された。


 だが、厄介ごとはこれだけでは終わらなかった。


 ドッジボールを選択した者の中に、白髪少女の一条和佐がいた。

 その他にも雪葉と暁音がそこにいた。


 幼馴染コンビの二人はともかく、和佐としてはこの選択は不本意なものだった。負傷する可能性が一番低いバドミントンを希望していたのだが、そこはすでに満員になっており、とはいえ不仲な岬と同じバレーボールを選ぶ気にはとてもなれない。そうなると消去法で決めるしかなかった。


 和佐は他の生徒たちと同様、夏用の体操着の姿で授業に臨んでいた。周りと同じ格好をしているだけに、かえって彼女の容姿が際立っていた。白い体操着を押し出す胸は質感と優美さに富み、普段は黒のタイツの履くことが多いが、今は青のショートパンツから艶やかな生脚が見てとれる。変態淑女でなくても彼女の美貌にのぼせ上がる同性は多そうだが、うっかり見惚れていると、容赦のない投球を食らうことになる。


 和佐はドッジボールの経験は少ないが、投球精度は見事なものだ。だが、あまり力強くぶつけると泣かれて非難の的になってしまい、かと言って逆に緩めすぎると相手チームに反撃の機会を与えることになる。お嬢様な見た目に反して運動神経は悪くない和佐は機敏に立ち回りつつ、絶妙な力加減の投球でチームを有利に進めていくのだった。


 事件はその途中で発生した。


 和佐が引き続き相手チームの数を減らすために速球を振るわせる。相手は和佐と浅からぬ因縁を持つ暁音だった。


 暁音は一方的な対抗意識を持って和佐の投球に備えた。美しいくらいに正確に狙いの定まった球だ。受け止めることくらい容易であったはずだった。


 だが、その球は暁音の手の届く前に弾けて転がってしまった。

 短髪少女の前に何者かが飛びかかり、衝突を庇ったからだ。


 その相手は顔を押さえてうずくまっている。


「……雪葉⁉︎」


 暁音は愕然となった。

 白髪少女の投げた球が幼馴染の顔面に直撃した瞬間を、彼女ははっきり見てしまったのである。


「うぅ……」


 直撃を受けた雪葉がよろめいて立ち上がる。暁音は即座に幼馴染の顔を確認した。球の跡が顔にめり込んでいるようなことはないが、右頬が血色と異なる薄ピンク色に腫れ上がっている。


 反射的に暁音は殺意の目を和佐に向けようとしたが、直前で思いとどまる。雪葉の方から顔面に当たりにいったのは明白であり、それを理由に白髪少女を咎めることはさすがにできない。和佐への同情からではなく、理不尽に責めようとする自分への戒めからくる態度だった。


 試合どころでなくなると、ここで岬を保健室送りにした牛谷先生が戻ってきた。雪葉はよろめきながら顔面を負傷したことを彼女に報告した。手際の良さから見るに、岬を追って保健室に向かう意図が明白すぎた。加害者にされた白髪少女は灰色の瞳に静かな光をたたえながら雪葉の後ろ姿を見つめている。


 事情を話した雪葉は同伴者に暁音を指名した。その必要があるのかという疑問はあるが、面倒ごとの後にさらに面倒ごとに見舞われたジャージの首領は極めて疲れ切った様子で、


「好きにしろ」


 とだけ答えたのだった。

 こうして二人の幼馴染もまた保健室に向かい、問題の編入生と会うことになったのだった。


 これが、岬のせいで雪葉が負傷したという、事の全貌である。

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