結婚式は夜景の見える最上階の大ホールで開催された。
新郎新婦に熱烈な拍手と祝福の言葉が捧げられたが、白黎会でない和佐と円珠にとっては、それらのものに対して強い関心はもたらさなかった。晩餐会に移ると、ほどほどに腹を満たして会場を後にする。
エレベーター前のロビーはちょっとした休憩所になっており、抜け出した二人は円形のソファーに並んで腰を下ろした。
「こういう場所に来ると姉様と初めて会った日のことを思い返しますね」
両膝にちょこんと手を乗せながら、円珠は懐かしむような口調で言う。
円珠が初めて白髪の姉様に出会ったのは小学校六年生のときだ。社交パーティに繰り出された円珠は、親の自慢のタネにされることにうんざりし、具合が悪いと言い訳してそそくさと会場を抜け出したのである。そして、ちょうど同じくパーティに出席していた和佐も喧噪に嫌気がさしてロビーにあった椅子に腰を下ろしていたのだった。
物憂げにたたずむ白髪の美少女の姿に、円珠は仮病から一転して本物の恋の病に落ちた。臆病な自分からは信じられないくらいに積極的に彼女へ近づき、この先もお付き合いしたいと願い、そのために進学先も聖黎女学園に変更した。編入試験は簡単ではなかったが、乗り越えることができたのはひとえに愛に後押しされた彼女自身の努力があったからこそだ。
円珠の言葉に刺激されて、和佐もここにいたるまでの遍歴を振り返る。
「まさかあの出会いによって私たちは今もこうして話しているのだから、運命というのはわからないものね」
「ですが、わたしは今、姉様のおそばにいられてとても幸せです。運命の神様がおられるのであれば、わたしはその方に心からの感謝の言葉を述べたい気分です……」
胡桃色の瞳を輝かせる円珠だが、白髪少女としては運命の女神に対する感情は複雑であった。
変態淑女を遣わせたのがもしその女神様だとしたら、是非とも責任の有無について問いただしたいものである。
「あ……あの、姉様ッ」
控えめだが緊張と覚悟をはらんだ呼びかけを円珠はした。
「どうかしたの、円珠」
「その、手をつないでもよろしいでしょうか……?」
和佐は意外そうな表情でおずおずと差し出された小さな手を見つめた。
悪い癖で、白髪の才智の美少女はこういうときでさえ手をつなぐことに対する意義や必要性を考えてしまうのだったが、妹であり友人でもある後輩少女に目算を立てることも愚かしい。
同じく腕を差し出し、ソファーの上で少女どうしの手による橋が架けられた。
「……意外とむず痒いわね」
「……はい」
円珠から伝わるぬくもりを、和佐はこれまた理知的な頭でどのように結論づけようか考えた。彼女の好意が精神と共鳴している……と素直に受け取るには少女の精神は気高すぎた。
しばらく甘酸っぱいムードが続いていたが、その空気は思いがけない方面から破られることとなった。
「あ、セレナだあ!」
少女より幼女というべき声だった。
五歳くらいの女の子が、無邪気な視線をまっすぐ和佐に向けている。出席者の子供が会場から抜け出したのだろうか。
呆気にとられて二人は無意識に手を離す。そこにさらに別の声が響いた。
「マナ、よしなさい!」
続けて現れたのは少女の母親と思しき人物で、フォーマルなドレスを着た四十がらみの女性であった。
奔放な我が子をたしなめようとするも、マナは和佐に向かって無遠慮に指を突きつけている。
「だって、このおねーちゃん。かみの毛白いもん! かみがたはちがうけど、ぜったいにセレナにちがいないわ!」
「もう、マナったら! すみません、うちの娘が失礼を……」
深々と何度も頭を下げ、娘の手を掴む。和佐の白髪に面食らう余裕もないようだ。
マナは「ばいばい、セレナ~」という呼びかけを残して母親とともにこの場を去っていき、奇妙な沈黙にとらわれた円珠は、感情に困った様子で隣の姉様に問いかけた。
「今の子、姉様のことをセレナさんと仰ってましたが……」
「『月の魔女シリーズ』の主人公の名前よ」
それは円珠にとっては未知の作品である。
興味が湧いて身を乗り出すと、和佐は白髪をかき上げて応じてくれた。
「『月の魔女シリーズ』は児童文庫の作品よ。主人公の望月セレナが黒ネコと白フクロウをお供に従えて様々な怪物と立ち向かうの」
望月セレナは物語開始時には十歳、ごく普通の小学四年生の女の子として生活していた。ところが怪物が突然現れ、セレナの目の前で親友が傷つけられ、そのまま連れ去れられてしまう。
途方に暮れるセレナ。そこに現れたのは人語を話せる白フクロウと黒猫であり、セレナが月の魔女の末裔であることを告げる。魔法具によって力を得たセレナはどうにか怪物を倒して親友を救うが、さらに強力な怪物が各地に現れたため、セレナは討伐のために友と親の元を離れなくてはならなくなる。
二体の使い魔と各地を渡り、セレナは徐々に力を付けていくが、そこに謎の少年が登場。少年はその強力な魔力こそが怪物を呼び寄せる原因であると訴え、セレナは自身の存在価値に思い悩みながらもさらに苛烈な闘いに巻き込まれることになる……。
大まかなあらすじを聞いた円珠は知らないうちに固唾を呑み込んでいた。
「……児童書の設定にしてはハードじゃないですか?」
「まあ子供騙しよりはよほどいいわ。それにしても円珠がこの作品を知らなかったのは少し意外ね」
「姉様がご存知の方が意外な気がしますが……」
「確かにそうね」
姉様の声からわずかな懐旧の念を、円珠は感じ取ったような気がする。
今度自分も読んでみようかなあと思った次の瞬間、ハッとなって腰を浮かせかけた。
「あっ、そう言えば、前に岬姉様に見せてもらった白フクロウのブローチって……」
「あれは間違いなく白フクロウの使い魔・アルバをかたどったブローチよ」
何事もないように姉様は応じた。
始業式を終えて寮に戻った際、円珠と和佐は編入生の少女からそのブローチを見せてもらう機会があったのだ。
あのとき岬は祖母からの大事な思い出の品だと言い、月の魔女のくだりは一切語られなかった。
その時は姉様もブローチの詳細に関して触れようとはしなかった。
「姉様はあの時すでに、ブローチの正体をご存知だったのですか?」
「知っていたけれど、わざわざ語る必要もないでしょう。祖母からの思い出の品があいつの手元に戻れば、私たちがこれ以上首を突っ込む必要もないのだから」
そうもいかないのだ。
そもそも、そのブローチ祖母からの賜り物だという話自体が嘘であることを円珠は知っていた。
岬姉様が自分にだけこっそりと教えてくださったのだ。
これは『初めて』の相手からもらったものであると。
どうやら姉様はまだ、その事実を知らされていないらしい。
「言ったら襲うかもね?」と岬姉様に警告された内容を、円珠は意を決して姉様に報告してみた。
怒るのではないかと、報告してから円珠は戦々恐々となったが、姉様は怒ることはなかった。
だが、やはり意外の念はあったようである。
「あの編入生、円珠にそんなことを話したの」
「はい……あの、ショックは受けられないのですか?」
「私が、なぜ? あの変態淑女が未経験だという方がむしろ驚くわよ」
「た、確かに……」
未経験、という言葉に円珠はわずかに頬を赤くさせる。
目の前の姉様も春山先輩に嫌がらせのキスをした過去を持っているが、そこに踏み込む勇気はない。
それに円珠自身も見よう見まねで熱烈なキスをしたことがあったため、あまり偉そうなことは言えなかった。
和佐が白髪をかき上げながら席を立つ。
「もういいでしょう。ここに来てわざわざ編入生の話をするのも野暮よ。喉も乾いたし、いったん飲み物を取りに戻りましょう」
「あの、わたしが持ってきましょうか?」
「いいの? では水でお願い」
円珠は頷き、座り直す和佐と入れ替わるかたちでソファーから立った。
円珠がこう言ったのは久々に姉様に尽くしたい気持ちが湧き上がったのもあるし、少し一人で考える時間が欲しかったからでもあった。
(姉様は岬姉様のことをどのようにお考えなのだろう……)
円珠としては、二人には是非とも仲睦まじくなってほしいと願っている。
姉様はいまだに認めていないが、これほど息の合う二人はいないだろうと確信していたのだった。
それにしても、岬姉様も岬姉様だ。『昔の女』の秘密を、あの方はどこまで隠し通すおつもりだろう。
そして、その過去の相手に対して現在はどのような想いを抱いておられるのか。
氷水と自分用のりんごジュースを手に持って円珠がロビーに戻ると、そこにいたのは姉様一人ではなかった。
見たことのない女性と向き合っており、姉様の美しいかんばせから緊迫した空気をただよわせていた。
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