籠に入った果物を冷蔵庫にしまってから、岬は申し訳なさそうな調子で先輩のかんばせをうかがった。
「こんな話を聞いてから言うのもあれなんですけど……」
「何かしら?」
「どうして、あれだけのことをしておきながら、一ヶ月もあたしと接触しようとなさらなかったんです? 会おうとしなかったあたしも大概ですが」
ここで瑠乃亜は予想外の行動に出た。冷却シートから湯気が出る勢いで顔を熱くさせると、声も立てずにそのまま布団にもぐり込んでしまったのである。
「せ、先輩、出てきてくださいよ」
頭まですっぽりと収まった毛布を揺すると、しばらくして縁にしなやかな指がかかり、紫檀色の髪に続いて黒真珠色の瞳が岬の視界に現れる。何だが地上を警戒するモグラのような仕草であった。
瑠乃亜は毛布に隠れたままの唇から恐る恐る声が漏れた。
「上野さ……いえ、岬は、私が会いに来ても良かったと思っているの?」
「うーん。良いかはともかく、したことについてはきちんと釈明してほしかったです。黙って距離をとるのはずるいと思いますよ」
口を尖らせてみせたが、内心、岬は先輩のことを初めて可愛く感じられた。外ではあんなに凛としたたたずまいを見せていたのに、自宅の中ではここまでしおらしくなるなんて。
見た目だけは変わらず美少女の先輩は、岬から目を逸らしつつ細々と弁解してのけた。
「最初は、岬があまりにも素敵すぎて、誰かに取られてしまう前に奪わなくては! としか考えられなかったのよ。でも、やってから岬がずっと喋らなくなった様子を見て、初めてあなたに悪いことをしたという気分になったの。それで学校で会うのが申し訳なくなってきて……まさか、それさえも岬を怒らせる要因になっていたとは思いもしなかったわ」
最後に「ごめんなさい」としゅんとした様子で付け加えられ、元々腹を立てていなかった岬だが、子供のような先輩の態度を受けて、ほったらかしにされた件は許すことにしたのだった。
謝罪が果たされると、岬は別のことが気になりだした。
「それにしても、先輩はなぜあのときあたしのことを襲ったんですか? 放っておけないという点はわかりましたが、そもそも同性どうしであんなことをするなんて普通思いつけませんよ」
「だって女の子を愛でる方がずっと楽しいに決まっているからじゃない!」
声と同じ勢いで、瑠乃亜は毛布を払いのけた。
すっと立ち上がると、呆気にとられる岬を完全に無視して本棚をまさぐり始める。
やがてプルーン色の瞳の前に突き出されたのは一冊のコミック本の表紙だった。
いくら瑠乃亜が大人びた美少女とはいえ、中学生が買っていいような代物ではなかった。全裸寄りの半裸な二人の女子生徒がシーツの上でもつれ合っているイラストだ。岬の顔の熱膨張は上手なイラストのせいもあるが、その二人の少女の雰囲気が、先月のホテルのバスタブでの情事を想起させたのだった。
「言っておくけれど、全年齢の本だからねッ」
力説されても反応に困る。この扇情的な表紙のコミックスの資金の出所を考えると、つい先ほどまで味わっていた感動も薄れてしまうというものだ。
微妙な表情を示す岬に、瑠乃亜はむきになって自身の性癖の正当性を主張した。
「じゃあ岬、答えなさいよ。私のような女と性格が最悪な不細工な男と抱き合わなければならないとなったらどっちを選ぶの⁉︎」
「な、なんでその二択しかないんですかあ」
岬は困り果てた。しかも、この子供じみた怒りを見せる先輩は都合の良い返答を聞かない限り、決して引き下がらないという態度を露骨に示している。
ぎらついている先輩の気概に、岬は疲労感とともに屈服の意を表明した。
「え、ええーっと、それはもちろん、先輩の方ですけど……あくまで、どっちかって言えばの話ですけど!」
声高に念を押した岬だが、そんなものは当然、好色の生徒会長に届くはずもなかった。
「本気で私を選ぶというなら今ここでそれを証明して。私に果物を口移しするというかたちで」
「はいぃ⁉︎」
岬の大声は驚きだけでなく憤りも多分に含まれていた。いくら病人でも何を言ってもいいはずがないが、当時の岬は押しの弱い性分であったため、こういった要求でさえ断りづらい。今まで頼みごとをしてきた相手はさすがにこのような無茶を言うことはなかった。
「ほーら、早く。減るものでもないでしょう?」
すでに精神をすり減らしつつある岬だが、下手に拒否をして先月の情事のことを言いふらされたらという危機感がふとよぎった。「……内緒ですよ?」とふてくされた口調で先輩の要求を受け入れた。
冷蔵庫からしまったばかりの籠を取り出し、大きな葡萄を一粒つまみ取る。
瑠乃亜は目をつむり、そして唇は薄く開けた。餌を待ちわびる雛鳥を思わせる動作だが、それを美少女が演じているとなると素朴な可愛さだけで済むはずがない。
発熱のせいもあるだろう。赤みを帯びた瑠乃亜のかんばせは色っぽく、岬は先輩のワガママも忘れて胸が騒いだ。
このまま言いなりになってしまって大丈夫かという不安は間違いなくあるが、そのまま吸い寄せられたいという思いも、この時点でどこかにあったのかもしれない。虫が自然と花の蜜に誘われるかのように。
岬は手にした葡萄を自分の唇に挟み込むと、うっかり飲み込まないように気を付けながら、みずみずしい紫の果実を先輩の口にまで運び込んだ。
果皮の弾力を、唇の震えとともに受け取った瑠乃亜は、瞳を細めて三つ編みの後輩を見つめた。こちらも無自覚にまぶたをきゅっと閉じており、そのいじらしさに、変態なジャージ少女の理性は呆気なく爆ぜた。
元々そのつもりでもあったが、果実ごと、岬の唇を奪い去る。
「んっ! んぅっ……」
セーラー服に包まれた肩を鷲掴みにされた岬は送ったはずの葡萄の粒を押し返された。艶やかな果実はすでにぬめりを伴っており、舌の上にその湿感に加えて温かい舌が重なった。
「んあぅ、れろ……ほら、みさき。もっと、べろ、だして……」
「ふあっ、んもっ……せん、ぱっ」
舌足らずな声の応酬を果たすと、岬は言われたとおりに舌を伸ばし、艶を広げた果実もろとももてあそばれた。岬の精神は舌で転がされた葡萄と何一つ変わらなかった。
(あたし……何やってるんだろ……?)
そういう想いは無垢な少女の中に当然あったが、逃げ出したいという気にはなぜかなれなかった。情事の秘密を共有させられたせいもあるが、それだけでないような気がする。
思考の脇見運転の結果、岬の舌の上から葡萄がなめらかに滑って宙を飛んだ。
「あ」と思う間もなく、哀れな果実は磨かれたフローリングの上に着地する。埃をかぶってはいなかったが、みみっちくそれを再利用する気など、先輩にあるはずがなかった。
「あら、逸れちゃったわね。まあいいわ」
落とした葡萄をティッシュで包んでゴミ箱に放り込むと、瑠乃亜はひょいと二粒目をつまんで口に含めた。
「はー、ふひはひはひはほほひははひ」
「あの、口にくわえたままじゃさすがにわからないんですが……」
「さあ、次は岬が襲いなさいって言ったの」
聞かなければよかったかもしれない。
先輩は一度外した葡萄を再び口に入れると、実に嬉しそうに唇を突き出した。
あれと同じことをするのかあ。先ほどと以前のディープキスを思い起こし、岬の全身は顔ごと熱くなる。さらに熱い展開をねだってくる先輩を見つめ、ほとんど「ええい、ままよ!」の心地で過去の快感を再現しようとする。
「んっ……!」
先輩の感じている声。似たような声は岬も散々発したことがあったが、先輩の唇からそれを聞くのは初めてだった。そう言えば、自分はもっぱら襲われる側で、逆の立場を演じることは今までなかった。
瑠乃亜は本当に後輩に主導権を明け渡そうとしているようだ。無抵抗を装い、岬の舌技にされるがままになっている。
岬の舌の動きは不器用だが懸命であり、演技でない吐息が瑠乃亜の興奮をさらに誘発させた。体調不良も相まって、先輩の反応にしだいに余裕がなくなっていく。
(あ、先輩が弱ってるの何かかわいい……)
先輩の反応を感じるたびに岬の内心も変容しつつあった。元から隠されていたのか、先輩によってその萌芽を植え込まれたのかは不明だが、心の中で秘められたつぼみは今まさに咲き誇ろうとしていたのだった。
「んふぅ⁉︎ み、みさき……⁉︎」
望みの展開にも関わらず瑠乃亜は狼狽を始めた。まさか大人しく、性に疎い岬がここまで激しく追い求めてくるとは予想できなかったのだろう。できなくて当然である。責め立てている岬当人でさえ、こうなるとは思ってもみなかったのだから。
その岬は、自分がされたときよりも激しく先輩の肩を押さえつけ、むさぼるようなキスを繰り広げていた。羞恥心も忘れ、先輩が慌てふためくのも意識せず、がむしゃらに舌で口唇をかき回す。
岬の激しい蠢動がようやく収まったのは、唾液が瑠乃亜の気管に詰まって盛大にむせたときだった。
「ううっ、けほ、げほっ……!」
「せ、先輩! 大丈夫ですか……?」
岬はようやく我に返った。そして自分のしたことを振り返って愕然となる。なぜあそこまで無我夢中に先輩を求めることができたのか、自分でも不思議でならなかった。
激しい咳が落ち着くと、瑠乃亜は紫檀色の髪を起こし、きらめかせて視線で後輩を見つめた。全体を薄桃に染めたかんばせは岬に対する驚愕と恍惚があり、それに加えて畏怖のようなものさえ感じられた。
瑠乃亜の口の中で鈍く弾けた音が響く。辛うじて鼓膜をかすめたような極小の音だ。どうやら葡萄の粒を噛み潰したらしい。
果汁をまとった舌で自身の唇を舐め取ると、瑠乃亜は笑顔になった。獲物のネズミの成長に感動をおぼえた猫の笑みである。
しなやかなポーズで岬の顔を覗き込み、嫣然とした視線を投げかけた。
「ふ、ふふ……やればできるじゃない。このまま終わりにするなんて、私、とても寂しいわ。今日は……というか毎日のことだけど、母の帰りが特に遅いの」
「親の帰りが遅い」のフレーズが何を意味しているかは岬もさすがに理解できた。理解したところで応じる義理はないはずだが、先ほどの自身の狂気が岬の理性的な判断を鈍らせた。
さらに絶妙なタイミングで、先輩はジャージのファスナーを下ろした。
インナーは着けておらず、汗ばんだ白い肌と黒いレースのブラジャーに包まれた二つのふくらみが見事だった。
岬は頭が茹で上がりつつあった。湯煙がかかったかのように視界がぼやけ、みずみずしい先輩の胸だけが岬の網膜に突き刺さる。
「岬……きて……」
耳元に覆い被さるように先輩のささやきが届く。
岬は脳が揺さぶられた。こんな危険なコト、やめるべきだと危険信号が灯っているのに、葛藤はさらに強くなっていった。
(ああ……もっと先輩の声を聞きたい。最後まで先輩の様子を見てみたい……)
震える指で先輩のむき出しの肩を掴む。先輩は目をつむり、上半身をピクッと揺らした。
弱々しさを装った演技だろうか。だが、唇が同じ唇のぬくもりに触れた瞬間、そのようなささいな疑問、どうでもよくなっていた。
「んあっ⁉︎ 岬、激し……!」
勢い余って少女二人は布団の上で横たわった。倒れた拍子で手を肩から鎖骨に移っていた岬は、手のひらにすべすべした肌の質感を知覚することができた。
プルーン色の瞳が一瞬、獲物を捕捉したようにキッと開かれた事実に気づいたのは、それを見つめていた瑠乃亜だけである。ぞっとするような後輩の視線に、誘いかけた先輩は自分がどのようにもてあそばれるのか期待で胸がはち切れんばかりであった。
そして、その時は訪れた。
「はぁ、はぁッ、はぁ、はぁッ……!」
一息ごとに岬の欲情が暴走し、先輩の悶絶も加速していった。色気に満ちたブラジャーとそれに包まれた胸を示し、さらに無垢な少女を官能に引きずり込もうと目論む。
「ああンっ、いいわッ! 岬……早く、私のすべてを味わい尽くして……‼」
頭に残っていたのは、先輩の色っぽい韻律だけである。何を告げたか、岬はほとんど聞いていなかった。ただひたすらに先輩の甘い息遣いを聞きたいがために唇をむさぼり、教わってもいないのにブラジャーの肩紐の下に手を滑らせ、薄汗の滲んだ肌を愛撫する。
(先輩の口の中、甘いなあ。なんか、くらくらしそう……)
岬の心に華が咲いた。弾けたように花びらを開かせた、鮮やかなピンクの華が。
後輩の少女はもはや、先輩を襲うことにためらいがなくなった。ただひたすら紫檀色の美少女を支配したいという渇望のために動く可憐な獣に成り果てていたのであった。
そして、自ら獣の獲物になることを望んだ瑠乃亜はブラジャーのホックを外した。勢いよく、と表現したくなるほどの弾力で二つのふくらみが揺れている。
「ほら、岬……こんなところにも小さな果実が付いているわよ……」
わずかな恥じらいもたたえて先輩がその場所に指を差す。岬は迷いなく、その禁断の果実にしゃぶりついた。グミのように凝り固まったそれを刺激され、瑠乃亜は甘美な悲鳴を吐き出してのけぞった。
岬の責めは日が暮れかかるまで続いた。先輩から「そこまで」という強いお達しを受けて、催眠術が解けたかのように岬は正気を取り戻した。
瑠乃亜は下はジャージのまま、上だけを完全な裸にして寝そべっていた。各所に唾液の痕跡がへばりついており、その有様を見て岬は愕然となったが、身体の中で名残惜しさがくすぶっていたのは確かであった。先輩の嬌声の余韻は今も頭の中で容易に再生でき、それを受けた感情は恥ずかしさよりも恍惚の方がまさった。
乱れた制服を直していると、ゆっくりと息を整えていた瑠乃亜が弱々しい視線で見上げてきた。
「ねえ、岬……これからも一緒にいてくれる?」
懇願の響きが強く、先ほどの情事を抜きにしても断る気にはなれない申し出である。
岬は先輩の顔を覗き込んで頷いてみせた。
「わかりました」
「それは依頼だから、引き受けるのかしら?」
意地悪な先輩だと岬は眉をひそめたが、要所要所でからかってくるのがこの人の性分だと諦め、初めて出会ったときの会長の言葉を剽窃してやり返すことにした。
「いえ、たぶん先輩がほっとけないからだと思いますよ」
口にしてから、案外これが正解なのではないかと岬は思うようになった。
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