ライラック色の少女たち

人嫌いの白髪少女と変態淑女の編入生が織りなす、全寮制お嬢様学校の物語
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3.先輩とのデート

公開日時: 2022年10月23日(日) 00:00
文字数:4,966

 その後、会長主導でプランが決定され、土曜日の朝に岬は支度を整え、待ち合わせ場所に指定された駅まで訪れた。


 この日は、あいにくの雨だった。しかも午後になると雨足がさらに強まるとの予報である。だが熊谷瑠乃亜の辞書には「雨天中止」という文字はないようで、岬も会長の意向に従って、私服や靴を濡らさないように折り畳み傘の下で身を狭めながら歩みを進めたのだった。


 岬の私服は春物の白のニットセーターに紺のキュロットスカート、そして水色のショートソックスというものだった。三つ編みをした黒髪の上にベージュのキャスケット帽をかぶせており、パステルピンクの愛らしいポシェットを肩にかけている。セーターに食い込む紐が、何も知らない少女のあどけないふくらみを浮き彫りにさせた。


 さながら「容姿は晴れ、実際の天気は雨、表情は曇り」といった様子で岬は駅まで訪れたが、改札口前で先に待っていた先輩の姿を見たとき、その表情が一気に晴れ上がった。


 自校の制服が『野暮ったい』と評価されていた事実が、このとき岬は初めて理解できたような気がした。学校で見る先輩の美しさは、実際の二割程度しか表明されていなかったのである。


 私服姿の熊谷会長は学校で見るときよりも遥かに洗練された美しさを誇っていた。日本人形めいた髪型をしているが、身につけているものは普通の洋服である。裾がシースルーになっている白のフレアスカートを穿いており、形のよい素足を洒落たミュールで飾っている。肩の部分が開いた緑色のカットソーは形の良い胸を窮屈げに押し出し、カットソーの上に駱駝(キャメル)色のジャケットを羽織っている。


 紫檀色の髪も相まって、岬はすぐに美しい先輩に気づくことができた。傘を畳んで近づくと、先に待っていた瑠乃亜はすでに岬の登場に気づいていてにこやかに手を振っている。


「会えて嬉しいわ岬。その私服姿、すごくよく似合ってる」

「ありがとうございます。瑠乃亜先輩の格好もとても素敵で……」


 謙遜抜きで岬は先輩の容姿を褒めたたえると、ふと会長の足元が濡れていないことに気づいた。お洒落な傘も生乾きの状態であり、自身の折り畳み傘の濡れ具合と比較して問わずにはいられなかった。


「あの……もしかしてずっと駅で待っててくださったんですか?」

「大したことないわ。でも、岬が時間通りに来てくれてよかった。あなたのような子、一人で待っていたら周りが放っておくはずないものね」

「それを先輩に言われましても……」

「私はいいの。言い寄られても突っぱねる技は心得ているからね。岬はそういうの慣れてないでしょう? だから私が守ってあげないと」


 ここまで言うなら、素直に先輩に任せた方が早そうである。


 岬は鄭重に礼を述べ、やがてホームに現れた電車に乗り込んだ。

 二両しかない電車だが、どうにか空いている席に腰を下ろすと、瑠乃亜は声を華やがせながら隣の岬に問いかけた。


「そう言えば岬、最初に会った際の依頼はどうなったの?」


 少女は歯痛をこらえた笑みで返した。


「テスト勉強の件はまだ先ですが、残り二つは先輩のアイデアを使わせてもらいました。ただその際、先輩の名前は出させていただきましたが」


 岬としては、先輩の顔を立てるのと自分の手柄にしたくないという思いを両立させるための苦肉の策であったのだ。勝手に会長の名を出した罪悪感に改めて胸の奥がちくちくとさせられたが、私服の会長は生真面目な後輩のアイデアをむしろ歓迎した。


「いい判断ね。こき使っていることを私に知れたら、奴らも迂闊に岬に頼みづらくなるでしょう」


 そこまでは岬は思いいたらなかった。依頼しづらくなった面々のことを考えると、善良の塊である岬はまたしても申し訳なさが清楚な顔に浮き上がりそうになるが、その表情を、ふいに瑠乃亜が覗き込んできた。


「か、会長……!?」

「瑠乃亜でいいって言ったでしょう。いい加減私の顔にも慣れてほしいものだわ」


 美しいかんばせの持ち主である会長は、その顔を引っ込めて改めて後輩少女に問いかけた。


「それで、岬は将来の夢とかはないの?」

「将来の夢……ですか?」

「あるでしょう。やりたいことの一つや二つ」


 岬は考え込んだ。いきなり言われても即座に思いつけるものではなく、強いて挙げるなら「誰かのためになりたい」ということになるが、それで先輩が納得してくれるとは思えない。


 悩んだ挙句、岬はずるい質問を会長に投げかけることにした。


「瑠乃亜先輩は、何か夢があるのですか?」

「そうね……」


 黒真珠色の視線が、窓の外の濡れた光景に向けられる。


「当面の目標はいい高校に入って母を楽させることかしら。うちの家、片親だからね」


 岬、驚いた顔で隣の先輩を見つめた。瑠乃亜は顔の向きを変えずに続けた。


「五歳のときに父が逃げ出してね。女手一つでここまで私を育ててくれたの。だから少しでも恩返しができればと思って」

「そうだったんですか……」


 岬の返事は沈痛をきわめた。何気なく尋ねた結果、会長のつらい過去を暴くことになるなんて締め付けられる心がいくつあっても足りなかった。だが、回顧を終えた瑠乃亜はしょぼくれている後輩を見返し、黒髪を撫でつつ慰めた。


「あら、上野さんが気を悪くすることはないわ。私が勝手に口にしただけだから。本当に嫌ならそもそも言うはずないでしょう」

「そ、そうですね……」


 なおも固い笑顔をとる岬に、先輩はさらに気さくげに言い放った。


「もう! せっかくのお出かけにそういう湿っぽい顔は無しよ。それにしても、こんな日に限ってこんな雨とはね……」


 それに関しては岬も自身の不運さに文句をつけたくなる。瑠乃亜のぼやきは車内の湿った空気に溶け込んで、そのまま目的地まで運ばれることとなった。


 移動は一駅だが、雰囲気は田舎から一気に都会に早変わりする。もっとも、都心の繁栄に比べれば規模はたかが知れているが、九割が田舎と言ってもいいこの場所にとっては若者が今どきの気分に浸れる貴重な遊び場であったのだ。


 駅前のデパートに入ると、瑠乃亜の希望で最初に大型書店に向かうことが決定された。岬としても異論はなかった。「守らないと」という先輩の意気込みとは逸れてしまうが、それぞれ行きたいコーナーへと足を進める。


 岬は雑誌と参考書の新刊を一通りチェックした後、そばにある休憩用のベンチで先輩の帰還を待った。長くはかからなかった。岬と違って、瑠乃亜は店舗のロゴの入ったビニール袋を提げていた。


「待たせてしまったわね。色々と見ていたら目移りしちゃって」


 その気持ちはよくわかるので、岬としても「大丈夫ですよ」と笑顔で先輩を受け入れることができた。せっかく本を購入されているようだから内容を聞いてみることにした。


「先輩はどんな本を買われたんですか?」

「『月の魔女セレナ』のコミック版の最新刊よ。発売日に手に入って嬉しいわ」


 漫画だったのは少々意外な回答である。隣に腰を下ろすと、先輩はさっそく袋の中身を取り出して、その本を見せてくれた。妙に分厚い印象を受けたが、どうやら付録入りの別箱と組み合わさった特装版らしい。


 子供のような顔の輝きで瑠乃亜はさらにその別箱も開封し、付録の内容を岬に提示してみせた。

 岬はプルーン色の瞳をしばたたかせながら問いかける。


「それは……ブローチでしょうか?」


 それも二つ。大きさは箱の割にはそれほどではなく、岬が親指と人差し指で円を作ればすっぽり収まることであろう。それぞれ、白いフクロウと黒ネコの姿が年代物のように彫られている。

 何とも言えない岬の反応に、瑠乃亜は紫檀色の髪を揺らして首を傾げる。


「もしかして岬、『月の魔女セレナ』を知らない?」

「すいません。不勉強でして……」

「原作は児童書だから無理もないけど……いちおう児童文庫としては人気の方なのよ? 私の年でも十分楽しめる内容になってるわ」


 熊谷会長は力説し、岬は凝り固まった観念を改めることにした。中学生が児童書を好んではいけない法がどこにあるというのか。岬はさらに神妙な態度でその児童文庫の内容を先輩からうかがった。


 主人公の望月セレナは十歳の普通の女の子だったが、赤い満月の夜に、白フクロウのアルバと黒猫のアーテルと遭遇し「実は、お前は捨て子で本来は魔女の末裔だ」を告げられる。セレナは最初、魔女としての生き方を拒むが、友達が怪物に攫われたのを機に、魔女の血を覚醒させることを決意する。最初の怪物を倒した後、それと比類する強敵が各地で暗躍している事実を知り、さらなる討伐に向けて、セレナは両親や友人のもとを離れ、二名のお供を連れて長い旅に出たのだった……。


 概要を聞き終えると、瑠乃亜先輩は突然、こんなことを言い出してきた。


「セレナのことを話したのは上野さんが初めてよ。記念として、このうちの片方を受け取ってちょうだいな」

「いや、そんな……悪いですよ」


 悪い以前にいきなり何を言い出すんだというのが正直な感想だった。


 そもそも何の記念なのか岬は本気でわからなかったし、だいたいアルバとアーテルのどちらがフクロウかネコかもまだ曖昧だというのに、その片割れを受け取るのは誰の何の得になるのだろう。


 むろん、それですんなり引き下がる瑠乃亜ではなかった。言葉すら発さず、黒真珠色の視線に見つめられただけで岬は早々に白旗を上げることとなり、白フクロウのブローチを選択した。理由はただ単純に黒ネコより珍しいと感じたからである。


「ふふ、ではアーテルは私のものね。真っ黒だから常に岬が手元にあると想像しちゃうわ」

「あ、あたしが黒ネコですか」


 もしそっちを選んだら先輩はどんなコメントを残すのだろうと思いながら、岬は受け取ったフクロウのブローチをいそいそとポシェットの中にしまい込んだ。


「じゃあそろそろ移動しましょう。岬はブティックとカフェどっちから先に寄りたい? 共に私の一押しがあるのよ」


 色気も食い気も当時は未成熟な岬であったが、悩んだ末に選択したのは後者だった。お昼にはまだ早いが、先輩と一緒に服を見て回る覚悟がどうしても湧かず逃げの道をとったのだ。


 瑠乃亜は後輩の選択肢を快諾し、揃ってデパートの外へと出た。


 雨脚は収まるどころか、さらに激しさを増していた。岬も瑠乃亜も自分の差す傘の下で身を縮め、それぞれスニーカーとミュールを濡らしながら繁華街の歩道を歩いていく。


「まったく嫌ね。誰の許しを得てこの楽しい休日に雨を降らすのかしら」


 天に文句を言うのは筋違いだが、残念な気持ちは岬も一緒だ。同じく傘を差す人々の集合体に揉まれながら、先輩に離れないようにと必死に隣につき従おうとする。


 事件はそのときに起こった。


 岬がふと脇に目をやると、大型トラックが前方から迫ってくるのが見えた。いかつい車体が歩道に乗り上がって人を襲う……などとなれば大惨事であるが、そのトラックは岬のすぐ隣の車道を通り過ぎるだけだった。だが、その時には事件はすでに終わっていたのだ。


 その大型トラックは人の代わりにアスファルトに広がっていた水溜まりを轢いた。濁った飛沫を巻き上げ、それはちょうど脇に立っていた岬の全身に降りかかった。


「…………」


 岬は茫然と立ち尽くす以外、何もできなかった。


 前輪と後輪の二段に分かれて派手な水飛沫を受け、傘を差しながら濡れ鼠と化した少女を見て、こちらもまた意識を空白にさせていた瑠乃亜が小さな悲鳴を上げた。


 お洒落な傘を放り投げて岬の肩を揺らす。


「ちょ、ちょっと……岬、大丈夫⁉ 濡れてない……わけはないでしょうけれど、ええっと、身体は寒くない⁉」

「だ、大丈夫です。大丈夫ですから……」


 動転する先輩をなだめた岬もまた、薄れた意識を取り戻した。セーターもキュロットスカートも靴下もスニーカーも半分以上汚され、服の下まで冷気が沁み込んでくるのを感じる。


 さすがに途方に暮れざるを得ない状況であった。


 これではブティックもカフェも堪能するどころではない。同じことを瑠乃亜も考えていたことだろう。


 親切な人が拾い上げてくれた傘を受け取ると、瑠乃亜は焦りの視線で賑わいの街並みをくるりと見回し、ある一点で止まった。


「決めたわ、岬……ひとまず、あそこに避難しましょう!」

「そ、そこって……!」


 思わず大声が出た岬だが、その反応に構っていられず、瑠乃亜は彼女の手を引きながらビジネスホテルへと駆け込んだのである。


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