視覚から暖まりそうな朝日で、一条和佐は目を覚ました。汗まみれの下着はすでに脱がされ、彼女もまた完全な裸体となっていた。
気づけば右手にぬくもりを感じている。岬の手だ。あの夜、彼女に襲われて、冴え冴えとした月明かりの下で二人同時に果てたのだ。倒れた際もずっと手をつないだままということか。
変態淑女には以前もベッドで襲われたことがあったが、そのときと比べれば清々しさは格段に上である。だが、狂ったような熱情が去った後だと、自分の盛り上がり具合が何とも恥ずかしく感じられた。冷静さを取り戻した白髪美少女にとっては、忘れられないと同時に積極的に思い出せない夜になりそうだった。
絡めた指をほどき、節々に痛みを感じながら和佐はベッドから離れる。
シーツは情交の後の濃密な匂いが立ちこめられているが、こればかりはさすがに言い訳のしようがない。もっとも、姉たちもこの状況は把握しているはずだ。そのために自分は岬のもとに遣わされたのだから。
脱ぎ散らかされたものを拾い集めて、ネグリジェの姿に戻る。それからシーツの上で大の字になっている岬を覗き込んだ。
こちらもいつの間にかラベンダー色のシュミーズが剥ぎ取られており、脱がした記憶自体は和佐にはあるが、そこまでの流れが曖昧になっていた。それほどまでの情交の激しさを思い返すと、顔と身体に新たな熱がほとばしりそうだが、やったこと自体に後悔はない。
変態淑女を取り戻した清楚な少女は一糸纏わぬ姿のまま、何事もないように健やかな寝息を立てていたが、やがて目を開けた。愛し合った美少女が早々にあられもない寝姿を覗き込んでいるが、まだ意識がついてきていないご様子。
和佐は穏やかな表情をとると、寝ぼけ眼のルームメイトに向かって声をかけた。
「おはよう、岬」
「……おはようございます」
眠たげに返事を寄越し、意識が覚醒するにつれてプルーン色の瞳も輝きを増す。
だが完全に目が覚めた瞬間、岬は白髪少女の見ている前で熱膨張の顔色をとり、その顔を枕で隠して身悶えた。
「……ちょっと、岬!」
窒息未遂の出来事を思い返して和佐は焦ったが、今の岬に死を選ぶ気がないということがすぐに理解して手を止める。
押し当てられた枕からは、悶絶のうめきが愛らしく轟いた。
「うう〜っ……絶対に女の子が出しちゃいけない声を出した気がするううう……ッ!」
顔を枕にこすりつけながら変態淑女らしからぬ苦悶を呈している。
和佐は手を自分の腰に当て、呆れたように言い放った。
「変態淑女に復帰したとは思えない有様ね。辱めに遭ったのはお互い様でしょう」
ここで岬はようやく顔を上げたが、頬は枕に色が残るのではないかと思われるくらいに赤い。
そして、白髪少女をまっすぐ見ながら興奮したていで何か言い出す。
「まったくもう、本当にびっくりですよ。あたしをここまでやり込めてくださるなんて。一体どんな英才教育を受ければそんなことが可能なんです?」
「英才教育って……」
和佐のかんばせに新たな呆れが広がったが、普段の編入生とのやり取りに回帰したような気がして内心安堵していた。もっとも、その感情を隠す余裕も今の彼女にはあった。
優美に白髪をかき上げながらベッドから離れる。
「馬鹿なことを言っていないでさっさと着替えなさい。いつまでも素っ裸のままでいるのは情けないわ」
「待ってくださいよ。今のあたしは全身がサビついたロボット状態なんですから~」
ぼやきつつも、岬は素直に和佐の言いつけに従って下着とシュミーズを身につけた。すでに一月分くらいの情交は果たしたわけなので、これ以上裸でいることへの執着はなかった。
扉を開けて風月が現れたのはそのときだ。
和やかな二人の雰囲気を見て面食らうも、すぐさま藍色の瞳を穏やかにさせる。相変わらず大人の微笑を浮かべているが、そこには二人に対する祝福がはっきりと見て取ることができた。
「お嬢様、岬様。おはようございます」
「子夜先輩、おはようございます」
鄭重に頭を下げてから、岬は風月の顔を見つめて首を傾げた。メイドの彼女と、その彼女の主人は最初から和佐と自分を引き合わせるために動いていたのだろうか。心を閉ざしている間に外では様々な策謀がうごめいていたようであるが、今となってはどうでもいいことであった。
穏やかな笑みを保ちながら、風月は主人の部屋を一瞥した。乱れたベッドにも視線を向けていたが、声に出してのコメントは特にないようであった。
「色々とおありのようですが、ひとまず岬様がお健やかそうで何よりです。湯浴みの支度は整えておりますので、まずは身をお清めになられたらいかがかと」
「ありがとうございます。黎明さまにもご迷惑をかけてしまいましたね」
「今の岬様の姿を見れば、ご主人様の労苦も報われるというもの。それでは浴室へ参りましょう。お嬢様もどうぞ」
「言われなくてもそうするわよ」
白髪をかき上げて和佐は毒づいたが、声は言葉ほどとげとげしくはなかった。
岬も白髪少女との入浴を歓迎した。変態淑女的な理由ではない。自分が傷心している間に何が起こったのか、彼女に尋ねておきたかったのである。
一条家の浴室は岬もすでに何度もお世話になっていた。実家のものよりかなり広く、和佐と一緒に湯船に浸かっても窮屈に感じることはなかった。
円珠との長旅はすでに聞かせていたため、和佐が話したのは紅金駅に帰還した後のことだ。
白髪少女は岬の実家に向かっている間にも姉とは何度も通信をしており、岬が周りから目を背け続けている状態を利用して、不意を突かせる作戦を打ち合わせたらしい。黎明と風月があえてそっけない態度をとってみせたのは、岬の心細さを誘発させ、白髪少女のぬくもりをより一層強く感じさせる狙いもあったわけだ。
「まあ、成功するかどうかは私しだいだったわけだけれどね。もし岬の説得に失敗したらと思うと、今までの努力が無駄になってしまう……。それだと黎明や円珠、そしてあなたのお母様に対して申し訳が立たなくなるというものだわ」
「そうだったんですね。一条さんにもご迷惑をおかけいたしました……」
湯船の縁に手をつけたまま岬はうつむいたが、和佐はそんな彼女に目をやりながら別の点で眉をひそめた。
「……もう名前では呼んでくれないのね」
「えっ?」
驚かれ、つぶやいた和佐はバツの悪さをおぼえて目を逸らす。
ためらわずに心を裸にできた機会は激しい夜とともに終わりを告げている。赤いかんばせを湯船に沈めようかとまで思案したとき、言葉の意味を飲み込めた岬が泳いで彼女に接近して清楚な微笑みを投げかけた。
「えへへ、そっちは大事な時のためにとっておきますから。特に夜とか♪」
「大した立ち直りの早さね……」
変態淑女の健在ぶりに、和佐のかんばせは安堵よりも呆れの色が濃く浮かんだ。
濡れた身体での秘め事は次回のお楽しみにとっておき、のぼせる前に二人は浴室を出てそそくさと着替えた。
着替えは入浴中に風月が用意してくれたらしい。岬は昨日に訪れたときの私服で、下着もちゃんと自分のものが返ってきた。和佐はいつもの純白のシルクブラウスに、濃紫色のハイウエストロングスカート、そして黒タイツといういで立ち。
白髪少女の生着替えをちらりと見ながら、岬は慣れた手つきで黒髪を三つ編みに結わえた。
脱衣所からダイニングまでは二人で一緒に向かった。
入り口から芳醇な匂いが立ちこめ、広々としたテーブルには和佐と同じ髪色をした白ドレスの美女が待機していた。岬が最後に見たときは冷ややかな印象を美しい顔に貼りつけていた黎明さまであったが、今は完全に拒絶感が消え失せている。
傷心した少女の笑顔を見て、黎明は音を立てて椅子から立ち上がった。長いドレスの裾を揺らしつつ、岬の前で潤んだ金の瞳を示す。
「岬ちゃん! ああ、よかった。元に戻ってくださって……!」
「黎明さま……」
危うく涙が伝染しそうになった。それだけ昨日の黎明は冷たい印象で、会うのが怖いとさえ感じられたのだ。下げてから上げるの反動が、岬の涙腺を大きく揺さぶったのだ。
キッチンから現れた風月の呼びかけで、岬と和佐は席に着く。オムレツにトーストとサラダ、そして濃厚なスープを見て岬は腹の虫を大きく響かせた。昨晩の夕食も一流ホテルのそれと遜色ないものであったが、激しい睦まじ合いで想像以上のエネルギーを放出してしまったらしい。
乙女の作法と健啖で食事を進め、その際、復帰した岬は聖花さまからの確認を受けた。
「エミリーからうかがいましたけれど、熊谷さんの件はわたくしに任せてよろしいのですわね?」
「はい、先輩のこと……どうか、お願いいたします」
神妙な表情で岬は頭を下げた。先輩を救いたいという想いに、もはや迷いはなかった。が、それでもこのような過重な責務を押しつけてしまうことに申し訳なさは拭えない。
シリアスな空気をたたえた岬に、黎明は励ましの言葉を投げかけた。
「どうか気にしないでくださいまし。ちゃんと報酬としてエミリーちゃんから『何でも言うこと聞く』という言質もいただきましたから」
「へえっ⁉」
途端に変態淑女が色めき立ったので、隣の白髪少女は絶対零度の視線を彼女の首筋に突き刺した。
その気迫に岬は肝を冷やすも、すっかり元通りに戻った調子の良さで和佐に弁解を果たす。
「だ、大丈夫ですよ。黎明さまなら無茶なお願い事はしないはずですし、それに一条さんだけに恥ずかしい思いはさせませんよ。あたしもきちんと一緒に恥ずかしい目に遭いますから♪」
「余計に不安よ!」
なおも抜き身の刃の視線をぶつける和佐に、押されているように見せかけてしっかりそれを受け流してのける岬。見る人によっては微笑ましい光景であるが、その一人に入っているはずの黎明さまはなんとも珍妙な表情をとって二人の間に小声で呼びかけている。
「あ、あのー……わたくし『恥ずかしいこと』とは一言も仰っていませんですけれど……」
「『まだ』を忘れておいでですよ。ご主人様」
主人をよく理解しているメイドが口を挟む。相変わらずの怜悧な口ぶりであるが、口元の笑みを見るに、お嬢様とそのご友人から醸し出される空気に影響されていることは明白だった。
メイドの様子を黎明もさとり、食事に戻りつつ二人のやり取りを見守ることにした。
やがて、岬を睨むのにも疲れた和佐はテーブルに向き直って溜息を吐く。その後に出た独白は幸い誰にも聞かれることはなかったが、もし耳に届いたら三方から居心地の悪い笑みを向けられたに違いなかった。
「そう……これが新たな日常ということね」
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