そして、編入生の少女からその『作戦』を聞いた雪葉は、二人が懸念した通りの反応をとったのだった。
「ゆ、ゆきはがあかねにぶっちう、だと……?」
「うん」
ぶっちうってなあ……と思いつつも岬は申し訳なさそうに頷いてみせた。
二人がいるのは現在、物置として使われている空き教室である。
放課後、岬は雪葉をそこへ連れ込み、昼食時に話した内容を彼女にも告げたのだった。
岬も自身の変態性については自覚があるので、人気のない場所でいたいけな美少女と二人きりであることの客観的評価も理解していた。
第三者に見られないように注意は払ったつもりだが、万が一のことが生じれば雪葉に潔白を証明してもらうしかない。
そのようなことを考えつつ、岬は神妙な表情で雪葉に頭を下げていた。
「ごめんね。雪葉のトラウマをえぐるようで申し訳ないんだけど、暁音をなだめさせるにはこれしか方法が思いつけなかったんだ」
まさに変態淑女ならではの発想だが、暁音が幼馴染とのキスを望んでいることは岬は知っていたのである。
和佐や円珠が最後まで成功を疑っていた作戦だが、岬としては勝算を確信したうえでのことだったのである。
入寮期間中の話にさかのぼるが、岬と暁音は敷地内の屋内プールでシャワーを浴びる機会があった。
成り行きも顛末も「とんでもない」の一言であったが、とにかくそこで岬は暁音の本心に触れることができた。キスしたいとは明言はしていなかったが、あのときの狼狽ぶりを見れば事実を認めたのも同然である。
暁音の本心について語ると、雪葉は素直な驚きを見せた。屋内プールの一連の出来事は把握していても、会話の内容まで聞かされてなかったのだろう。
「あかねがゆきはの唇を狙ってたって? 全然気付かなかったぞ!」
「そりゃあ気付かれたくなかったでしょうよ。でも、暁音は間違いなく雪葉とのキスをご所望してるはずなんだ」
「そっかあ、あのあかねがなあ……」
雪葉の反応を、岬はちょっと意外に感じた。
「暁音がキスしたいって聞いても、あまり引かないね?」
「えっ、う、うーん、そうだなあ……」
岬の指摘で雪葉本人も初めてそのことに気づいたようである。
「まあカズ嬢のような気色悪いのはあかねに無理だろ。ぶっちうしたいって聞いたときはビックリしたけど、それであかねの気が済むなら、どうにかやってみるよ。ぶっちう」
「うん。キス、ね」
どこまでも接吻の表現にこだわる岬である。
ともあれ、これで亜麻色髪の少女の協力を取り付けることに成功した。
別れる前に、変態淑女は念を押した。
「あっ、ちなみにキスするときは、あたしに言われてやったと思われないようにくれぐれも気を付けて。やらされ感が出てると、また暁音はふてくされちゃうからね。一番いいのは、暁音に余計なことを考えさせる前にガッ、と唇を奪っちゃうことだね」
「お、おう、わかった」
こまごまとした指示に圧倒されつつも、幼馴染との復縁を果たしたい雪葉は、三つ編み少女の作戦に改めて頷いて空き教室を出たのだった。
その後、雪葉は一人で白亜の大校舎を出て、学路をつなぐ大階段を降りていった。
箱谷山の森に覆われた道を歩きながら、彼女は意識を現在から過去へと遡行させていく。
彼女としては考えずにはいられなかった。三年前、嫌がらせのキスをした白髪少女との、最初で唯一の寮で過ごした時間のことを……。
◇ ◆ ◇
雪葉が初めて一条和佐と寮部屋で出会ったのは、入学式が行われた午後のことであった。
入学式は、在校生の始業式の翌日に行われた。堅苦しい式とホームルームが午前に終わり、昼食を挟んで、寮生委員会による寮の案内が行われる。それが済んで、ようやく初めて新入生一同は寮部屋とルームメイトを確認できるのだ。
張り出された部屋割りから雪葉の名前を最初に発見したのは暁音だった。
ルームメイトの名前を見て絶望的な声でうめく。
「げえっ! 雪葉はあの一条とルームメイトかよ! 最悪じゃん……」
新しい寮生活とは言え、生徒たちは初等科時代からほとんど変わっていない。
特に一条和佐は人嫌いの美少女で有名だったため、皆、彼女とルームメイトになることだけは避けたいと願ったものである。
だが、雪葉の反応は周囲と違って悲観的なものではなかった。
意外そうに鳶色の瞳を丸くさせていたが、やがてアドレナリン全開の表情で両手を握り締めた。
「へへっ、かえって面白そうじゃん。人嫌いのいちじょーと仲良くできれば、ゆきはの評判もウナギのぼり!」
「はあ……」
暁音は露骨に不安がったが、部屋割りの変更はルームメイトと会うまでは不可との説明を受けたばかりである。それゆえ一足先に三号棟の渡り廊下へ駆ける幼馴染を引き留めることができなかった。まさか、この時は人嫌いの少女が大それたことをするとは誰も思わなかっただろうし……。
軽い足取りで217号室に赴いた雪葉は、先に入室していた白髪の美少女とご対面した。
十二歳の幼さとは思えない美貌を放つ一条和佐は、すでにシルクブラウスとハイウエスト・ロングスカートに着替えており、学習机の椅子に腰を下ろして読書をしていた。勢いよく扉を開けた雪葉を、意図的に無視している。
もっとも、白髪少女の排他的な態度などに臆するような雪葉ではなかった。和佐の美貌に瞳も口も声も「おー」となって、足音を立ててルームメイトとなる美少女に駆けつける。
「お前がいちじょーか? 近くで見るとすっごい美人なんだな! ゆきはの名前は春山雪葉って言うんだ。よろしくなー」
気さくというより無遠慮な調子で、雪葉はおでこと鳶色の瞳を和佐に近づけた。
一方の和佐は、相変わらず無視を決め込んでいる。
「よーし、いちじょーとの友好を祝して、今からお前はカズ嬢と呼ぶことにする! いい呼び名じゃないか。そうだろ、カズ嬢?」
「……………」
どこまでも沈黙を守り抜く和佐。奇抜な愛称に対する反応すら示さない。
ここまで無視を徹底されると、さすがの雪葉も持ち前の気さくさが揺らぎ始めた。
「な、なんだよー。カズ嬢の呼び方が気に入らないってのか? だったら、もっといいあだ名を……」
言いながら和佐の肩に向かって手を伸ばす。
揺すって反応をうながそうとしたのだが、その目的は雪葉が想像していたよりも素早く、攻撃的な動きで達成された。
「私に触らないで‼」
勢いよく頭を上げ、和佐は今まで押し殺していた苛立ちを一気に噴出させた。
美しいかんばせを剣呑さが覆い、灰色の視線は苛立ちと敵意に満ちている。
物騒なルームメイトの第一声に、雪葉は全身に物理的なしびれをおぼえて立ち尽くし、しばらく声も出なかった。
そんな少女を尻目に、和佐は読んでいた本を机の上に放り投げた。
椅子から立ち上がり、忌々しげに自分の白髪をかき上げる。
「どうしてルームメイトという悪習が存在するのかしら。足手まといと同じ時間を過ごしたところで何一ついいものが得られないというのに」
「あ、あくしゅーって、ゆきは、そんなに汗くさいかー……?」
『悪臭』と勘違いし、雪葉はボレロの袖の匂いを嗅ぎ始めたが、和佐は扉に向かって歩き出したのを期に、慌てて道を譲る。譲らなかったら、そのまま突き飛ばされて尻餅をついていたかもしれない。
扉が閉まると、雪葉は今まで感じたことのない緊張感で大きく息を吐いた。
暁音や他の友人相手なら、悪態をつかれても即座に噛みついたに違いなかった。
だが、この不機嫌な少女相手だと、その勇気すら湧いてこない。
怒りよりも恐怖の方が遥かに勝り、腹を立てた暁音も中々に怖かったが、白髪の美少女に比べればささやかなもののように思われた。
かくして、初めてのルームメイトと出会ってわずか五分で雪葉の馴れ馴れしさは完全に萎えしぼんだわけである。夕食も入浴の時間も彼女と会うことはなく、代わりに心配して駆け寄ってきた暁音たちがルームメイトの変更を熱心に勧めてきた。
雪葉もそうしようかと考えたが、せめて一晩くらいは、と周りに意地を張った。
行く前にあれだけ大見得を切っておきながら、その日のうちに手のひらを返すのは情けなさすぎると思っていたし、それに怖いはずなのに、なぜかあの少女のことが放っておけなかったのだ。このときはまだ、雪葉は人嫌いの少女に対して気遣う余裕があったのだ。
そして、一声も交わせぬまま夜を迎えたとき、雪葉はある思いつきを実行しようとした。
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