ライラック色の少女たち

人嫌いの白髪少女と変態淑女の編入生が織りなす、全寮制お嬢様学校の物語
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3★.東野暁音の回想

公開日時: 2022年9月18日(日) 00:00
文字数:5,740

「また後でな」と幼馴染を追い返した後、暁音は水泳帽を被り直して水泳部の午前練に打ち込んだ。

 雪葉とのやり取りのせいで、暁音もあの時のことを意識せずにはいられなかった。

 雪葉としては体育館での災難が印象に残っているのかもしれないが、暁音にとっては、保健室に入ってからが本番だったのだ。


     ◇   ◆   ◇


 雪葉の負傷を保健室の先生に任せると、暁音は牛谷先生に搬送された岬に会いにいった。

 淡いグリーンの間仕切りカーテンの先にある白いベッドに、問題の編入生の姿がある。容姿の可憐さは暁音も認めるほどであるが、今の寝姿を見るとなぜか胸が締めつけられる。天使の寝顔と言うより死に顔を見せつけられたような気分だ。


(お前は以前はそんな奴じゃなかったはずだろ)


 変態だが、気さくで聡明な彼女の姿が懐かしく思えた。失ってから初め気づく良さというものだろうか。

 目を覚ましたとき、彼女の笑顔が戻ってくれれば……と柄でもないことを夢想してしまう。


 見下ろして数分、ベッドの中の編入生がまぶたをかすかに揺れた。

 やがてプルーン色の瞳が重たげに開かれると、混濁した意識のまま、艶やかな黒髪とともに頭と視線を暁音に向けた。


「起きたかよ、岬」


 憮然として呼びかけると、岬の意識は一気に覚醒したようだ。

 目をぱちくりと開け、それからゆっくりと上体を起こす。


「ここは……?」

「保健室だよ。牛谷先生のやり口は横暴だが、今回ばかりは文句を言える筋合いじゃないわな」


 岬は据わった目つき暁音を見つめた。あなたが横暴を語るの? という反応が露骨だったが、お互いそれについては無意識に言及を避けた。

 別の疑問を編入生の少女は口にした。


「それで、なんで暁音がここにいるの?」


 声に排他的な響きを感じ、暁音はきっとなってベッド上の少女を睨みつけた。


「何でだって⁉︎ お前のせいで雪葉が負傷したからこうして付き添いに来たんだよ!」

「負傷したの、あたしの方だと思うんだけど……」


 大真面目に応じる岬をそっちのけで、暁音は雪葉負傷の経緯を語った。

 最後まで聞き終えた岬は普段の彼女らしからぬつれなさで短髪少女に応じた。


「それは別にあたしのせいじゃないでしょ。雪葉が勝手に一条さんの球に当たっただけじゃない。なんであたしなんかのために余計な気を遣うのさ?」

「お前なあ!」


 ベッドに乗り上がり暁音は岬の襟首を引っ掴んだ。雪葉にも、それどころかルームメイトの和佐に対しても良心の呵責を感じていないらしい。いや、感じていながらそれを拒否しているというのが正確か。

 どちらにせよ、負傷した雪葉を蔑ろにする時点で牛谷先生に次ぐ制裁を編入生に与えなければ気が済まなかった。


「いつまでもウジウジしやがって! こうなったら頭ぶっ叩いて腐った根性を治してやろうか⁉︎」


 編入生の頭を旧式テレビに見立てて暁音は吠えたが、ここは保健室だ。

 あまりの声の大きさに保健師の女性が治療中の雪葉を差し置いて苦情を申し立ててきた。


「患者のいるところで何騒いでるの⁉︎ ここは口喧嘩の会場じゃないのよ!」


 暁音は不承不承に押し黙り、それに巻き込まれた岬は保健師に対して視線を送った。


「あ、先生。あたしはもう大丈夫になったようです。そろそろ授業に戻らないと……」

「牛谷先生は来なくていいと言ったわ。外傷はないとはいえ、病み上がりで無茶するものではないわ。黙っておくからこの際サボっちゃいなさい」


 不都合なことを言い残して、雪葉の治療に戻っていく。

 二人は一応は大人しくした。幼馴染の負傷が癒えるまで完全に手持ち無沙汰の暁音は、声を抑えて岬に聞きたいことを問いただす。


「で、なんでお前はそんなことになってんだよ?」

「教えるわけないでしょ」


 白髪少女の人嫌いが乗り移ったかのような、岬の反応である。保健師がいることをいいことに暁音の激情を誘うような態度を取り続けるらしい。


 気性の荒い彼女としては、こんな陰気な編入生など放置してやりたい気分だが、幼馴染の雪葉が彼女に懐いているため、手を打たないわけにもいかなかった。先ほどの顔面負傷のようなことが繰り返される前に、原因となる編入生の変異は早急に正される必要があった。


 暁音が唸り続けてどれくらいの時間が経ったか、治療を受けた雪葉が様子をうかがいに間仕切りカーテンの裏から姿を現す。応急処置らしい痕跡はないが、右頬の腫れは少し引いているようだ。

 暁音は幼馴染の容態を確認しつつ、別の気になることを尋ねた。


「先生はどうしたんだ?」

「ゆきはがみさきの様子を見たいって言ったら、ちょっと席を外すってさ」


 先生なりの心遣いと言ったところだろうか。

 いずれにせよ一時的でも声の制約が解けたことは暁音にとっては好都合であった。

 唇を薄く吊り上げながら岬を見る。


「これで心置きなく話せるな。こっちは聞きたいことはごまんとあるんだ」


 雪葉は幼馴染の好戦的な態度を止めなかった。彼女としても態度の変容の理由を知りたかったのである。


 黒い瞳と鳶色の瞳に突き刺されて、岬は顔を青ざめて身じろぎした。先生が退室して遠慮のなくなった二人に打ち勝てるわけがない。そもそも保健師の存在を盾にして追及から逃れようと考えている時点で岬の聡明さの欠乏を物語っていた。


「いやだ……そんな目で見ないで……あたし、そんなの話せない、話したくないよ……」

「みさき……そんな顔しないでくれよ。ゆきはたちが悪いことしてるみたいじゃん」


 無垢な視線に岬はさらにいやいやと黒いかぶりを振り続ける。気さくな少女らしからぬ弱々しい反応に雪葉は再び泣きそうになった。

「こんなの、岬じゃない」という思いは暁音にも当然あったが、別人のような気質と化した岬は、二人から逃れるためにさらに平時の彼女からかけ離れた行動に出た。


「あ、コラみさき! タヌキ寝入りするな!」


 苦し紛れか天然か、編入生の少女は黒髪ごとシーツにもぞもぞと顔をうずめた。

 そんな抵抗が見逃されるはずが当然なく、雪葉は靴を脱いでベッドに上がり込むと、四つん這いの姿勢でシーツのふくらみに影を落とした。


「寝て逃げるってんならゆきはが添い寝してやる! ずっとふさぎ込む姿を見せられるくらいなら、みさきに押し倒される方がずっとマシだ!」

「やめろ!」


 提案する方が必死なら、止める方も必死だった。幼馴染の少女が元変態淑女と身体を重ねようとするなど愉快な顛末におさまるはずがない。

 シーツを引っぺがされた岬も雪葉の発言には唖然としたが、表情に応じる意志がないのは暁音にとっては幸運といえた。


 雪葉は短髪少女に振り返って自分の無茶の正当性を主張した。


「だって! みさきが理由を話す気がないなら、せめて少しでも元気づけてやるしかないだろ! そのやり方は『ぶっちう』か『へんたい』しかないじゃんか!」


 断定された岬こそ気の毒だが、それだけ普段の彼女は変態性とは切り離せない間柄にあったのだ。今やピンク色どころか精気を一切持ち合わせない繊弱な少女は、さらなる逃亡経路を見出そうとプルーン色の視線をさすらわせる。

 混迷した事態にとうとう耐えかね、暁音はチョコレート色の短髪をがしがし掻きむしりながら叫んだ。


「ああもう、わかった! 雪葉の代わりに私が一肌脱いでやる」

「暁音⁉︎」

「マジかよ⁉︎」


 二人がそれぞれ驚きの反応を示すが、暁音は傲然と言い放ち続けた。


「雪葉だと岬に力負けする可能性があるからな。それに、屋内プールでの礼をするいい機会だ」


 始業式前の入寮期間に岬は屋内プールのシャワー室で全裸の暁音に襲いかかろうとしたことがあったのだ。編入生の変態性が全生徒に知れ渡るきっかけとなった事件であるが、まさかその報復戦をやるとは暁音本人でさえ予想していなかった展開である。


 緊張はあれど、一度口にした言葉を引っ込めるわけにもいかず、暁音は幼馴染と入れ替わるかたちでベッドに上がった。岬を仰向けにさせて馬乗りになる。


 力を入れて腹部に跨ったため、岬は苦悶の表情でうめき声を漏らした。


「先生がいつ戻ってくるかもわかんないし、さっさと済ませるぞ」


 暁音の言葉は使命感と自分に向けた覚悟の両方の意思が込められていた。その覚悟は、彼女の行動にも現れた。

 彼女は文字通り、一肌脱いだのである。

 体操服の上を脱ぎ捨て、さらにスポーツブラも取り払い、完全に上裸の姿で編入生を見下ろしていた。


 暁音の上半身は美少女と呼べるほどではないが、非常に均整がとれていた。ほのかなふくらみを描く曲線は愛らしく、競泳水着の日焼け跡が何とも色っぽい。

 岬はプルーン色の瞳を丸くさせながら少女の上裸に釘つけになっていたが、すぐさま変態淑女の頭角を潰して強がった。


「……やめてよ。こんなところでおっ始めるなんて何考えてるのさ。早く服を着てよ」


 編入生の抗議を無視して、暁音は上裸のまま彼女に肉薄する。


 キスまで秒読み、というところまで顔を近づけたとき、暁音の心臓がトクンと鳴った。岬はすでに唇を引き結んでおり顔を背けてささやかな逃避をはかっていた。


 普段の明るく華やかな岬がまるで許しを乞うように暁音に弱々しい視線を送っている。こんなことを思ってはまずいが「いじめてください……」と誘っているのと変わらなかった。


 背徳感に胸を騒がせながら暁音は変態淑女だった少女に顔をうずめた。難攻不落の唇を躱し、代わりに少女の首筋に唇を落とす。運動後にわずかに汗を帯びた少女の肌。「ばっちい」という思いが神経を青ざめさせたが、岬の反応を受けてすぐに払拭される。


「あン、やぁッ……」


 小刻みに揺れる岬の肢体。

 暁音は驚いて一瞬顔を浮かせるも、相手の反応に効果アリと判断すると、さらに舌を汗ばんだ首筋に吸いつけた。


「じゅる、ずっ、ずずっ……」


 幼児がスープをすするような音が鳴るたびに岬は甘い吐息を発しながら身じろぎを繰り返す。時たま暁音を押しのけようと手を伸ばすが、その都度手首を押さえつけられてしまう。


 そしてまた、首筋を舐め上げられる。


「みさきって、首がよわいんだな……」


 茫然と二人のやり取りを眺めていた雪葉が鳶色の瞳同様、口を丸くさせている。


 少女の発言を受けて、岬は暁音の幼馴染がこの光景を傍観しているのを思い出した。

「見ないで……!」と弱々しく訴えかけながら顔をシーツで隠しつつ全身を横たわらせる。その動作がすんなり決まったのは暁音が一時的に拘束を弱めた結果であった。


 その暁音もまた体勢を変え、横寝の姿勢なった岬の身体を背後から抱き締めた。

 体操着の布地にむき出しにされた胸の尖端がこすれ、その感触に暁音の方が先に危うい気分に堕ちそうになる。


「衰えたな、岬。まあ、不意さえ打たれなけれりゃお前を押さえ込むなんてわけもないんだけどな」


 以前、変態淑女に襲われたことを根に持っているだけでない。

 むず痒さを誤魔化す意味もあって、暁音の声は必要以上に熱がこもっていた。


 岬の変態性を呼び覚ますために、暁音はさらに手を打った。抱擁していた手の片方をさりげなく後方に回し、体操着をまさぐりながらブラジャーのホックを外したのだ。


 そしてそのままブラジャーの下に手を滑らせる。


「ひ、っ……⁉︎」


 興奮より恐怖の感情が、息吹となって岬の唇から吹きこぼれた。

 暁音はさらに責め立てた。背筋をピンと張る編入生に胸を密着させ、体操着を押し上げるふくらみをさらにこねくり回す。


「やぁ、んぅ、くふ……っ!」

「嫌がる割にほとんど抵抗がないな。やっぱり本当は変態に戻りたがってるんじゃないか?」


 揶揄しつつ、さらに暁音は編入生の胸を揉みしだいた。抱擁を解き、片手から両手で執拗に少女のふくらみに指を食い込ませる。自分にない量感に興味をおぼえ、夢中で弾力を堪能した点は暁音は否定できない。


 岬の苦悶混じりのあえぎは一秒ごとに官能の色が濃くなった。雪葉の視線も意識することができず、暁音の意地の悪い指摘を否定する余裕もない。


 上半身をくねらせ、細切れに息を吐き続けていたが、変局は唐突に訪れた。


 官能と醜態と屈辱に限界が訪れたのだろう。岬は乙女と思えぬ咆哮を吐き出し、とんでもない力で暁音の手を振り払った。勢いよく身体を起こす。

 岬の楚々としたはずの顔に獣に近い形相を感じさせ、暁音は一瞬息が詰まった。


 その形相のまま、編入生の少女はベッドのパイプを両手で掴んだ。「いやだ、いやだあ」と声を震わせながら、勢いよく頭を振り上げる。


「みさき⁉︎」

「おい、何しやがる! やめろ‼︎」


 静止の声もむなしく、鈍い音を立てて岬は自分の頭をパイプに打ちつけた。

 涙とうなり声を撒き散らしながら、狂気に身を任せて少女は二撃目を放つ。


 鉄製でないから、頭を打ったとしても外傷は皆無であろう。だが、正気を欠いた岬の行動は、実際の打撃よりも強く、暁音と雪葉の心を衝撃で打ちのめした。


 三度目の自傷は、暁音がさせなかった。岬を無理矢理引き剥がし、ベッドの中央に座らせる。

 盛大に文句を言おうとしたが、岬の顔を覗き込んで息を呑んだ。彼女の泣き方は尋常ではなかった。


 救いなどないと確信している絶望の顔だった。そこに涙がだらだらと頬をつたい、あふれ出た嘆きは、幼子の泣き声のように鼻にかかっていた。


「もうやだッ……もう触ってほしくないのに、皆あたしのこと犯そうとしてくるしさあ……こんな思いをするくらいなら、最初から本性なんか明かさなきゃよかった。いっそ、あのまま目なんか覚まさなきゃよかった……‼︎」


 そのまま膝に顔をうずめて泣き続ける。

 現在の羞恥も過去の絶望からも逃げ出し、ただひたすらに中で暴れ回る激情を発散させるしか彼女の頭にはないようだった。


 岬の苦しみの深刻さを目の当たりにして、暁音はこれ以上言葉を紡ぎ出すことができなかった。

 自分は悪くないと思いつつも、ひとまず「悪かったよ」と口にしようとしたとき、新たな嗚咽の音が岬のそれと重なった。


 泣きじゃくっていたのは雪葉だった。


「……ずっ、なんで、なんでこうなっちゃったんだよっ……! ゆきは、あのみさきが好きだったのに……‼︎」


 岬は答えない。

 ちょうどそこの授業終了のチャイムが遠くから響いたが、気に留める余裕のあるものはいなかった。


 ちょうど保健室の先生も所用から戻ってきたが、上裸になった暁音に面食らうのも束の間、重苦しいにもほどがある空気にかけるべき言葉を失ってしまったのである。

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