今年の聖黎女学園のゴールデンウィークは九連休だ。
世間は平日を二日挟んだ飛び石連休のところも多いが、そうはならなかったのは、ひとえに生徒たちの欲求に学校側が配慮した結果であった。
当然、そこに乙女たちを怠けさせる意図はない。
生徒たちは連休期間に課題をこなさなければならず、加えて、期間中の行動をタイムスケジュール表に記入して提出しなければならないのだ。
別に事細かに書く必要はなく、よほどのことがない限り深く追求されることもないため、ひどい話、捏造をしても構わないというわけだ。
それでも寮母に詮索されることを恐れて、自分から学びと実りのある過ごし方を選ぶ生徒も少なくなかった。
一条和佐のタイムスケジュールは「勉強」「睡眠」「食事」のみで埋まることはなかった。
九連休の真ん中に位置する五月二日。
この日の夕方、一条邸の玄関ロビーには三人の美女が集っていた。
「それではエミリー、準備はよろしくて?」
「風月に任せきりだからって、随分と気楽に言ってくれるわね」
エミリーと呼ばれた一条和佐は、自身の髪色よりも白けた視線を、同じ色の髪を持つ姉に投げかけた。
このときの和佐は、いつものブラウスとハイウエスト・ロングスカート姿ではなかった。グレーのパーティドレスを身につけ、スカートは膝丈、上部はオフショルダーとなっている。ドレスよりも濃いグレーのタイツをしなやかな脚に張りつけ、その足先をドレスと同じ色のシューズで飾っている。
和佐の姉である一条黎明は、長身な妹よりも背が高く、普段は全身をすっぽり覆う白のフリルなドレスを着込むことが多い。だが、今は違った。衣装の色はそのままで、フリルを一切使われていないタイトなロングドレスという格好である。妹と違って脚の露出は少ないが、代わりに上部はオフショルダーを通り越して背中まで大胆に見せつけるものとなっており、妹の端麗な肢体に艶めきを上乗せさせたような曲線美が余すところなく晒されている。
さらに黎明の白髪は、普段は腰の部分まで緩やかに波打たせているが、今はそれを頭の後ろにまとめており、仕上げに象牙色の薔薇のコサージュを飾っている。容量の多い髪だが、重たげな印象を一切感じさせないのは、ひとえにまとめ上げた人の妙技があったからであろう。
その妙技の持ち主が、この場にいる三人目の女性であった。
名は子夜風月。一条邸に住み込みで働く黎明の専属メイドである。
風月は主人の黎明と同い年で、背丈もほとんど変わらない。ただ雰囲気は大きく異なり、白髪のご主人様が柔和で包容力のある女性であるのに対して、青みがかった黒髪の風月は怜悧な印象が強い。黎明の瞳が金色の垂れ目で、風月が切れ長の藍色であることも対照性を浮き彫りにさせている。和佐の排他的な態度はないにせよ、微笑みの中でさえ敏腕上司を連想させるような鋭さがうかがえた。
その風月は、このときクラシカルなメイド服姿ではなかった。
黎明と同様、タイトのロングドレスを纏っており、色は濃藍。背中は開けておらず、袖はレースのシースルーになっている。彼女の髪にも薔薇のコサージュがあしらわれており、こちらは深淵から切り取ったような色合いをしている。
全身を宵闇で包んだかのような格好をしている風月は、珍しく持ち前の鋭気に翳りを見せていた。この美しい衣装を纏うことが本意でないことは明らかで、荷物係を押し付けようとする主人に対して慇懃な毒を吐いた。
「恐れながらご主人様、今の私はメイドではないのです。お荷物の管理はご自身でお願いいたします」
「もう、ふうちゃんったら、さっきからずっとその調子。それではせっかくの美しさが勿体ないですわよ」
そのまま頬っぺたを突っつきかねないような言い方で、白いドレスの美女がのたまう。
青いドレスの美女は、なおも苦々しげに言い放った。
「やれやれ、このようなドレスを着るくらいなら、ホールで給仕をしていた方が気は楽なのですがね……」
「そうは参りませんわ。今日のふうちゃんはあくまで招待客。『白黎会』のメンバーとして、式の欠席は許されませんもの」
白黎会は聖黎女学園のOGのみで構成され、黎明と風月は前々年度の卒業生の代表格であった。今回は七年前の聖花さまが結婚式を挙げるということで両名にも招待状が届けられたということだ。こうなると在校生の一条和佐がこの中では唯一の部外者に当たるわけだが、彼女は聖花の妹枠として特別に許可が下りたのだった。
そこには黎明の推奨もあったわけだが、喧騒嫌いの和佐がそれに素直に応じるのは珍しい。
出立の刻限が迫ったため、ドレスに着飾ったメイドは恨みつらみを中断し、ピンクのアルトラパンに白髪姉妹の二人を後部座席に座らせた。
風月自身は運転席に乗り込む。
黎明は隣の妹に自分の艶やかなドレス姿を見せつけた。
「ねっ、ねっ、エミリー。わたくしのドレスはどう? よく似合っているかしら?」
「今さら聞かれてもね……。まあ、何を着たところで花嫁より目立つのは確かではないかしら」
「ふふ、そうかもしれませんわね。ですがエミリーに気に入ってもらえて何よりですわ」
黎明にとっては、あの嫌味が誉め言葉に聞こえるらしい。
和佐は呆れて視線を正面に向き直した。
先ほどから黎明は妹のことを『エミリー』と呼んでいるが、どういう経緯でこの愛称が決まったのか、和佐にもわからない。
ただ、今となっては姉がそう呼ぶのはすでに自然のような気がして、むしろ急に「和佐」で呼ばれる方が違和感をおぼえるほどである。
白髪姉妹のやり取りをフロントミラー越しで見やりながら、青いドレス姿の敏腕メイドは車を会場の地下駐車場に搬入させた。
会場は十六階建てのホテルになっており、そこに立ち入れられるものは総じて社会的地位の高い者たちである。シャンデリアに照らされた広いロビーに三人が訪れると、和佐は煌びやかな人混みの中から見知った顔を発見した。
「やっと会えたわね。円珠」
「姉様!」
和佐の忠実な『妹』の声は歓喜に満ちあふれていた。
円珠は白黎会経由での参加ではない。新郎が円珠の父親の秘書を務めており、その父が祝辞の一人として出席することになっていたため、無理を言って同伴を頼んだのだ。むろん、姉様が参加すると聞いたからだ。
円珠のドレスは和佐たちのような大人びたものではなかったが、代わりに楚々とした愛らしさに満ちあふれていた。
淡い青緑色のワンピースドレスを身につけ、クリーム色の厚手のボレロが腕の包帯をうまく隠していた。
その円珠は、一瞬で姉様のドレス姿の虜になった。
あらわになった肩や鎖骨、タイツに包まれた膝から下の脚線美まで、変態淑女さながらに目に焼き付け、円珠は胸に手を当てて暖かな吐息をこぼす。
「はあ……姉様ったら、なんてこんなに麗しいのでしょう……。いつもの姉様のお姿も素敵ですが、このようなお召し物をされると、ときめき収まることを知りません……」
感涙でむせび泣くかと思われた円珠の反応。
和佐は「大げさね」と返しつつも、相手が変態淑女でないため、彼女の恍惚に対しては寛容であった。
「あらまあ、円珠ちゃん。あなたもいらしたのね」
「れ、黎明様……!」
姉様の「お姉様」からの呼びかけに、円珠の心臓はトランポリンを乗せたかのように跳び上がった。聖花さまの傍らには仏頂面の風月先輩もおられる。
彼女たちの美しさについては今さら語るまでもないが、彼女たちの美貌は円珠にとっては恍惚を通り越して畏怖と呼ぶべき代物であった。
柔らかな金の瞳で見つめられた円珠は、緊張をそのまま声に乗せた。
「は、は、はい! 社会勉強ということで父にお願いして参加させていただきました……」
「ふふ、そうですの」
意味ありげに微笑む黎明である。
「確かに円珠ちゃんの仰るとおりね。このような機会、滅多にありませんもの。わたくしも今からどのようなご馳走が出るのか楽しみで仕方がありませんわ」
ここにきて食い気が勝るのか。それとも単にこちらの緊張をほぐそうとしてくれているのだろうか。
白い髪とドレスのお姉様の態度に、円珠は真剣に思い悩んでしまった。
だが、結論を出す前に、聖花のOGに対して不穏な声をかけるものが存在した。
「おやおや、それではまるで私が普段から残飯まがいのものを押し付けているかのような物言いではないですか」
「そ、そんなわけありませんでしょう⁉ ふうちゃんのお料理も絶品ですし……」
予想外の攻撃に、黎明は本気でたじろいだ。
だが風月の方はドレスを着せられた恨みもあってか、鄭重な態度に毒々しさを込めてさらに言い返す。
「取ってつけたように仰ってくれて感謝いたします。それでは失礼」
「わーん! ふうちゃん待ってくださいまし~!」
そっぽを向いて歩み去る風月に、黎明が子供じみた悲鳴を上げて追いかける。
青いドレスの美女の肩に手を乗せて必死に説得を試みる白髪の美女を見つめながら、円珠は緊張を解くように息を吐いた。
「ふう……あのお二人、いつ見ても圧倒されちゃいますね……」
「本当にそうね」
和佐は無意識に声を固くさせ、姉のなめらかな背中を目で追い続けた。
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