ライラック色の少女たち

人嫌いの白髪少女と変態淑女の編入生が織りなす、全寮制お嬢様学校の物語
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4.日生円珠の回想

公開日時: 2022年9月25日(日) 00:00
文字数:4,236

 身体を重ねさえすれば変態淑女を立ち直らせられると考えていたのは暁音や雪葉だけではなかった。

 中等科三年に属する日生円珠ひなせえんじゅもその一人だったのである。


 円珠は一学年上の和佐と岬のことを「姉様」と呼び慕い、岬の変容について強く憂えた者の一人であった。身長は小柄で体格は華奢。栗色のミディアムボブと胡桃色の大きな瞳から、二人の先輩が本物の姉様でないことは明らかだが、両名との絆は強固なものであると円珠は確信している。


 彼女もまた、岬姉様を復活させるためにいかにして色っぽいシチュエーションに引きずり込むべきか画策していたが、幸か不幸か、それが実現されることはなかった。


 年上の友人である東野先輩と春山先輩から姉様が保健室で自傷したことを聞いたからである。

 さらに円珠は白髪の姉様からとんでもないことを耳にした。岬姉様を性的に追い詰めたとき、あの方は自分で首を絞めようとして意識を絶ってしまったというのである。


 身の毛のよだつ報告を立て続けに受けた円珠は別の解決手段を探るべく、和佐とともに新幹線に乗り込み、岬の実家を直接訪ねたというわけだ。


 新幹線に乗り込んだのは金曜日の放課後。二人は事前に準備して可能な限り早めの時刻に間に合わせたのだが、それでも目的の駅に到達したのは夜遅くのことであった。


 無茶も承知で来訪した二人を岬の母親は快く出迎えてくれたが、くたくたに疲れ切った二人は身体を清めた後にすぐに就寝に入ってしまい、岬の真実については翌日に持ち越されることとなった。


 初めての布団で一夜を明かした円珠は、この日、かなり遅い時間に目を覚ました。といっても午前八時過ぎのことであったが、円珠にとってはこれが平日ならば着替えと身支度と朝食をかなり急いで済ませなくてはならないという時間帯だ。


 隣の布団はさすがというべきか、すでに畳まれてあった。


 岬の部屋はとりわけ広くもなく、二人分の布団を並べるとかなり窮屈だったが、別室で寝ることを円珠は拒否し、和佐もそれを止めようとはしなかった。


 姉様の行方は気になるが、このときふと奇妙な感慨が円珠の心に湧き上がっていた。


(まさか、わたしたちが岬姉様のお宅にいるなんて……)


 しかも本人不在にも関わらず、その家で寝泊まりしているというのだ。

 やむなしとはいえ、なんとも奇妙な展開である。


 岬の母親が真相を告げる気になってくれたのは、数日に渡る和佐の交渉のおかげであった。その場面に、円珠はすべて立ち会っていた。


 母親を承伏させるのに、和佐はかなり難儀していた。彼女は自前の携帯端末を持っていたが、通話はシスター蒼山の執務室の電話を借り受けておこなっていた。岬の実家の電話番号を知っているのは彼女だけなので、教えてもらう代わりに交渉内容を回すことになっていたのである。実は、シスターも何度も上野家に連絡していたが良い返事を得られずじまいなのだそうだ。


 頼みの綱として受話器を託された白髪少女の横顔を、円珠は固唾を飲んで見守っていた。


「……やはり、どうあっても打ち明けてくださらないのですか。熊谷瑠乃亜くまがいるのあさんが関わっているのはわかっているのに」


 基本、学校内では(シスター相手でさえも)和佐は居丈高な口調を使うものだが、相手が相手だけに通話では鄭重な言葉遣いを心がけていた。


 熊谷瑠乃亜は岬の中学時代の先輩で、同時に初体験の相手とされている。容姿や性格については一切不明だが、彼女に関して知っていることもある。岬は先輩との思い出の品を敷地内の外れに埋葬し、同じものを見せた瞬間、血相を変えたという二点である。大型連休の帰省中に、先輩との間に何かが生じたのは火を見るより明らかであった。


 問題はその「何か」を岬も母親も一切語ろうとしないということだ。


 だが、これはこれで手がかりの一つになる。岬の秘密は親も知っており、それが外部にはとても漏らせない恥部であることは疑う余地もなかった。


 もっとも、岬を立ち直らせるためには恥部に踏み込むことは不可欠である。白髪少女は表情を硬化させながら年長の人物に非難の口調をぶつけた。


「娘さんの現状を憂えておられるなら、その問題解決のために尽力すべきではないですか。……え? 何の権限をもって家の事情に踏み込むのか、ですって?」


 和佐の口調に刃の性質がほとばしった。

 聞いていた円珠の方がその刃を首筋に当てられたような気分である。


 だが、同時に姉様の態度に感銘もおぼえたのも事実だった。最初は岬姉様を散々辟易なさっていたにも関わらず、今では彼女を立ち直らせるために誰よりも精力的に動いておられる。話によれば、姉様は岬姉様からはルームメイト解消まで宣告されたというのに……。


 そして、白髪の姉様の次の言葉は円珠だけでなく、シスター蒼山にも感銘を与えたのだった。


「……私は、岬の友達です。友達をあのままにすることを誰がどうして望むのですか」


 もしかしたら「岬のルームメイトです」だけでは母親の心を動かせないと踏んでの方便だったのかもしれない。だが社交辞令だとしても、和佐がルームメイトを「友達」呼びしたことは彼女の未来を長らく憂えた者たちからすれば感涙ものであった。


 和佐の表情がそれとなく穏やかになる。どうやら「友達」という単語で母親の心を動かすことに成功したらしい。結果だけ見ると、随分あっさりと終わったように見えるが、ここに行き着くまでかなりの日数と労力を要したのである。


 白髪少女はさらに交渉を優位に進めた。


「事情を話すのが長くなるのであれば、今週末にでもそちらの方面にうかがって直接話す場を設けたいと思いますが……え? 家にお招きしてくださると? それは非常にありがたいのですが、本当によいのですか?」


 何やら思わぬ方向に話が向かいつつあるようだ。「姉様が岬姉様のお宅へ……」と他人事ながらに感銘をおぼえていたが、ややあってその姉様が、他人事で済まされない返答を口にしていた。


「さらにわがままを申し上げることになりますが、来訪の際に同伴者を一名つけても構わないでしょうか? 寝る空間さえ貸していただければ、私は雑魚寝で問題ありませんので……。ええ、その彼女も岬を救いたいと願ってやまない者の一人ですので」


 通話しながら、和佐の灰色の流し目がその同伴者に向けられる。その光が、どことなくからかっているような愛嬌を感じさせて、円珠は思いがけず全身が熱くなってしまった。


(まるで、いつもの岬姉様が乗り移ったみたい……)


 と思わずにはいられない姉様の眼差しである。


 一度母親の心を動かしてからは、とんとん拍子に話が進んだ。シスター蒼山が「友達って偉大ねえ」と実に朗らかにつぶやくのを聞き流しつつ、和佐は金曜日の夕方に新幹線の予約も取り付け、そこで初めて同伴者に仕立て上げたミディアムボブの『妹』に謝罪したのである。


「悪かったわね。勝手にあなたを道連れにしてしまって。でも、あなたなら応じてくれると信じていたから」

「とんでもない。お声をかけてくださって本当にありがとうございます」


 円珠としては、姉様と二人きりで旅行に出かけられるだけで感無量であった。岬姉様の件も大事だが、気を張り詰めてばかりではこちらの神経も参ってしまう。いっときの気晴らしとして、移動中くらいはせめて楽しい思いを残したいものであった。


(……とはいえ、初日は観光気分どころじゃなかったけど)


 円珠の集中力は新幹線に乗ってから二時間が限度だった。最初は窓からの夕景を堪能したり、向かい席の姉様との対話に興じたりしていたものだが、微細な振動と長時間同じ姿勢を強いられたことで、見えざる睡魔の女神が円珠のまぶたを重く落とした。その呪縛は到着駅間近で姉様に揺り起こされたことで去ったが、何だか貴重な時間を無駄にした気がして、駅に着いてからしばらく円珠は落胆状態にあったのである。


 駅から家までの送迎は岬の母親自身が対応してくれた。和佐の白髪を見て当然の驚きを示したが、夜遅くということもあり自己紹介もそこそこに実用性重視の軽自動車に乗り込んだ。辿り着いたときにはすでに午後十一時を回っていた。


 夕食を摂らずじまいだったため、目を覚まして間もなく、お腹から食べ物を求める音が鳴った。姉様に聞かれなかったのは幸運といえたかもしれない。


 客人となった白髪少女は空腹の音のすぐ後にやって来た。


「おはよう、円珠。よく眠れたかしら」

「姉様⁉︎ はい、おかげさまでこのようにぐっすりまったりと……」

「私のおかげではないけれどね。まあ、この先何が待ち構えているかわからないから、体調が良くなってないとさすがに困るわ」


 優美な仕草で和佐は白髪をかき上げる。このとき彼女はすでに身だしなみを整えており、格好もネグリジェから私服へと着替えていた。白のシルクブラウスに濃紫色のハイウエスト・ロングスカート、そして艶やかな黒タイツの格好は、もはや和佐のプライベート時の制服として定着しているが、目が慣れるということはなく、いつ見ても円珠の心をときめかせていた。


 だが見惚れてばかりもいられない。円珠も急いで起き上がり、寝間着を脱ぎ始めた。姉様に繊弱な肢体を見せつけることになるのだが、その事実をどうにか忘れつつ、持ってきた若草色のワンピースにいそいそと袖を通す。


「ちょっと話があるの。顔を洗いながらでもいいから聞いてもらえるかしら」


 声と表情からして、朗報はとても期待できそうになかった。


 緊張しながら円珠は頷き、姉様と並ぶかたちで上野家の洗面台に訪れた。着くなり、和佐が言ったのはこうである。


「岬が今朝になって私の家に入ったそうよ」


 顔を洗おうとした円珠が驚いて姉様に向き直る。


「姉様のお宅に⁉︎ 一体どうして……」

「そこまでは聞いていないみたい。事情も知らないから黎明れいめいも困り果てていたわ」


 一条家の本邸は少し離れたところにあるので、紅金市内にしつらえた別邸が和佐の主な住居となっている。現在そこで暮らしているのは和佐の実姉である一条黎明いちじょうれいめいと、彼女に仕える優秀なメイドの二人だけだ。


 姉様が実の姉を呼び捨てにしているのはいつものことなので円珠はほとんど気にせず、岬姉様の不可解な行動に懸念を募らせていた。


「まあ、あっちは黎明たちに任せるしかないわ。先ほど岬のお母様が朝食の準備を整えていたところだから、終わったらダイニングに向かいなさいね」

「は、はい、姉様……」


 心に新たなわだかまりが生じた円珠であるが、不安げな顔をする『妹』をよそに、白髪の姉様は一足お先にダイニングへ向かっていった。


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