雪葉の爆弾発言には切れ者の岬でさえ驚きを禁じ得なかったが、すぐさま立ち直り、まずは彼女から事情を聞き出すことにした。
暁音との大喧嘩について聞くと、岬の中からお泊り発言の衝撃は完全に消え失せ、清楚の顔がみるみるうちに引き締まっていった。
「暁音がここまで強情張りだとは思わなかったよ。雪葉の期待には是非とも応えてやりたいけど、寮生の宿泊って……」
「できたとしてもお断りよ」
岬のルームメイトが扉を開けて玄関に現れる。
白髪をかき上げ、美しいかんばせはこの上なくうんざりしたようにしかめられていた。
白いネグリジェの美少女は、先ほど謝罪した件もすっかり忘れたかのように冷ややかに言い放った。
「ようやく落ち着けると思ったら何たることよ。そもそも、泊まる当ては他にもあったでしょうに、よりにもよってどうしてわざわざここへ……」
「一条さんが謝ったことで気を許したのでしょう。だけど、泊めるとなるとなあ……」
岬のつぶやきにも消極的な響きがある。彼女が雪葉の外泊を渋る理由は白髪少女よりは理性的なものであった。
和佐が雪葉に謝罪した件については、たとえ密室でも周囲に信じさせることは容易だろう。雪葉が証人になれば、どれだけ信じがたい内容でも聞いた人は納得せざるを得ない。雪葉の純真さにはそれだけの効力があるのだ。
だが、仲直りしたその日にお泊りとなると話は別である。
仮に雪葉が何もなかったと話しても、それを清純な交流と捉える人は少ないだろう。三年前に嫌がらせのキスをした少女と稀代の変態淑女と同じ空間で一夜を明かすのだ。何か裏があるのではと勘繰られるのは必至である。その辺りのさじ加減を岬は理解していた。
もっとも、それ以前に別室への宿泊が寮則で認められていない時点で、雪葉の願いを叶えてやることは岬には不可能だった。
だが、雪葉の気持ちを捨て置く気にもなれず、ひとまず無難な提案を投げかけることにした。
「とにかく寮母さんのところに行ってみようか。話を聞く限り、暁音が悪いのは明白だしね」
お泊りに応じてもらえず落胆するも、しっかりと頷いた雪葉であった。
寮母は各寮棟に一人ずつ配属され、仕事部屋はいずれも101号室に用意されていた。
三号棟の寮母はシスター蒼山と呼ばれる初老の女性で、夜の十時過ぎにも関わらず白の修道服とヴェールの姿で二人を出迎えてくれた。
「春山さん、一体どうしたというの? その顔は」
「どうやら暁音と派手な喧嘩があったようで。そして……」
説明したのは岬であった。
編入生の少女は、雪葉が激情のあまりに外泊宣言をしたことまで包み隠さず話すと、寮母は宿泊を認めない旨を表明してから、険しい顔で判断を下した。
「すぐに東野さんを連れ出しましょう。へそ曲がりもここまで行くと問題だわ」
雪葉を101号室に残すと、岬は自身の寮部屋へ引き返し、初老のシスターは雪葉のルームメイトを引っ張り出すために108号室へと向かった。雪葉との諍いで暁音はすっかりふてくされていたが、寮母の呼び出しとなれば逆らえるはずがなかった。
不服と緊張の感情を顔に浮かべながら、暁音は白い修道服に続くかたちで廊下を歩く。
ルームメイトを出迎えた雪葉は、出迎えられた幼馴染と同じくらい顔をこわばらせた。
気まずい雰囲気をたたえる二人を椅子に座らせ、寮母は静かな口調で切り出した。
「それで? 喧嘩の原因は一体何なの?」
「それは……」
露骨に言いにくそうな暁音の態度だが、穏やかだが締めるところは締めるシスターの前では無力である。
岬も言っていた、入学式で円珠の役に立てなかった不甲斐なさを打ち明け、話しているうちに、暁音の中でも『なんでこんなことに……』という気分になった。つまらない意地で円珠を避けていたら、いつの間にか幼馴染との大喧嘩に進展していたなんて。
シスター蒼山はさらに雪葉から情報を聞いた。彼女が驚いたのは一条和佐が三年前のことについて謝罪したことだ。
白髪少女の強情ぶりに長らく振り回されただけあって、彼女の心変わりは寮母にとって嬉しい誤算である。
「まさか、一条さんが春山さんに謝るとはね。それで、東野さんは一条さんと同じことはできないというの?」
痛いところを突かれ、短髪少女はムキになって反論した。
「……一条は別に自分から頭を下げたわけじゃありません」
「それならなおさら春山さんに頭を下げておくべきではないかしら。そうすれば東野さんは一条さんより『上』ということになるわけでしょうし」
優しい言い方がかえって曲者である。
シスターは暁音の対抗意識を完全に把握しており、彼女のその感情を刺激するために、あえてこのような提案をしたのだった。
暁音は完全に納得したわけではないが、寮母の目算通り、和佐と同列に思われるのは我慢ならず、幼馴染に対して深々と頭を下げたのだった。
まさに社交辞令の見本だが、暁音も雪葉もそのことには構っていられなかった。
「……ごめん」
「……いいって」
ぎこちない態度で復縁を果たすと、シスターは手を叩いて二人の注意をうながした。
「さあさ、終わったのなら明日に備えて早く休みなさい。こんな理由でルームメイトを解消してしまったら確実に後悔するわよ」
こうして二人は108号室へ帰され、それぞれ無言のままベッドにもぐりこんだのである。
このまま無事に終わらないだろうとシスター蒼山は予想していたが、それは正しかった。
しかし、その予想は寮母本人がまったく想像もつかない展開で実現されたのだった。
消灯時間も過ぎ去り、暁音は夜中に目を覚ました。
ベッドから起き上がり、隣のベッドに収まっているルームメイトの顔を見下ろす。
心が揺れるような出来事が続いても、雪葉の寝つきの良さは変わらない。
初等科の児童めいた精神が引っ込められると、そこには天使の寝顔が浮かび上がっていた。
暁音の胸が騒ぎ、次第に息苦しさをおぼえた。
雪葉のファーストキスが憎き白髪美少女に奪われてから、暁音はずっと幼馴染の唇に接吻を続けている。当然、本人には内緒である。
雪葉にバレたらそれこそ距離をおかれる原因になるだろうが、暁音としては止めることができなかった。
これこそが、幼馴染である自分たちをつなぐ唯一の手段だと信じており、喧嘩をした夜も、日課と化した儀式を怠るつもりはなかった。
何度しても慣れないキスであるが、今夜は特にためらいが長かった。
五分以上立ち尽くし、眠れる幼馴染に対して声にならない疑念をぶつける。
(よりにもよって、あいつの部屋に泊まろうって考えたのか? それくらい、私のことを憎んでたってのか……?)
返事はない。当然である。そうでなければ困るのだ。
それでいながら、暁音は都合のいい回答を小さな眠り姫に求めている。
(一条の野郎に唇を奪われて、私がどれだけショックだったかわかってるのか? どっか遠くに行っちまうと感じて、一体どれくらい絶望したか……)
それを理解してくれるものは誰もいない。何せ、暁音自身が自分の胸の内を知られることを拒否しているのだから。
変態淑女の編入生と異なり、外見と内面のギャップを楽しむ気概は、頭の固い少女にはなかった。
(一条だけじゃない。卒業して大人になっちまえば雪葉に言い寄ってくる奴は必ず出てくる。そして、そいつらが私からすべてを奪ってくんだ……)
暁音の憂鬱は深刻である。
今までは、大人になったことまで考えたことはなかった。
だが、岬との出会いと、それによって起きた数々の出来事が、暁音の思考の幅を広げることとなった。
新たに開かれた世界は、少女にとって都合のいいものばかりではなかった。
(どうせ全部奪われるくらいなら、いっそ、私が……)
黒々とした瞳を潤ませながら、傷心の短髪少女は一時でも心を満たそうと、幼馴染の寝顔に自分の唇を落とし続けた。
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