ライラック色の少女たち

人嫌いの白髪少女と変態淑女の編入生が織りなす、全寮制お嬢様学校の物語
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2.二人の姉様

公開日時: 2021年12月12日(日) 00:00
文字数:4,509

 数分後、何人かの寮生に支えられながらリコと呼ばれた少女は大浴場を後にした。背中からルチカ様の罵倒をたっぷり受けながらの退場であった。


 騒動が収まると、和佐と円珠は洗い場に戻り、それぞれのペースで身体を洗い清めた。その後の湯船はリコの鼻血のせいでかなり入るのがためらわれたが、それでも一通りは堪能し、二人が去ってから十数分後に、和佐と円珠も大浴場を出たのだった。


 和佐はゆったりとした純白のネグリジェ、円珠は花柄の可愛らしいパジャマにそれぞれ着替え、籐で作られたベンチに並んで腰を下ろす。先に姉様がドライヤーで髪を乾かし、円珠はネグリジェに負けない白髪がたなびく様子を静かに見つめている。


 横合いから声がかかったのはそんな時である。


「お二人とも、ご一緒だったんですか?」


 現れたのは清楚を思わせる黒髪の少女だった。腰までの長髪を二つの三つ編みにして前方に垂らし、プルーン色の瞳は純情と愛嬌を同時に感じさせる。後は寮部屋でくつろいで寝るだけの時間帯だから、服装もTシャツにショートパンツというラフなものであった。


 和佐はドライヤーを切ると、新たに訪れた少女に対してわざとらしく視線を逸らした。その際、小声で胸中の想いを口にする。


「……危ないところだったわ」


 聖黎女学園内において、上野岬うえのみさきの名を知らぬものはいないだろう。遠方から編入された高等科一年の少女で、二週間前から和佐のルームメイトにおさまっている。ルームメイトを追い出し、中等科の三年間を一人で過ごしてきた和佐とって、久々の同居人というわけだ。


 和佐にとってすべての災厄の始まりとも言えた。だが最近では、彼女とのやり取りを続けているうちに敵意もだいぶ薄らいできていたが、それでも警戒すべき相手であることには変わりはない。


 黒髪三つ編みの少女が清楚の皮を被った変態淑女であることは、すでに学校中に知れ渡っており、他の寮生たちからすれば、こちらに被害が及ばぬよう、変態淑女が白髪美少女のみに好意を向け続けてくれることを願うしかなかった。和佐は別に少女たちの望みを叶えてやる義理はないが、下手にルームメイト解消を言い出して編入生から想像もつかないような反撃を喰らうことだけは避けたい。


 人畜無害を装いつつも、いざというときの機転は頭脳明晰と謳われた和佐を凌ぎ、自身の貞淑を守るために、和佐は乙女たちの人柱に甘んじるしかなかったのである。


 変態淑女と名高い少女が円珠の隣に小尻を乗せた。ミディアムボブの気弱な少女は、二人の先輩に挟まれるかたちとなった。


 ルームメイトの生乾きの白髪を見ながら岬がわざとらしい悔しさを込めて言う。


「ああもう、惜しかったなあ。もっと早く駆けつけてれば、二人の生着替えや、それどころか湯上がりたての二人の艶姿を拝むこともできたというのに……」


 和佐は大きく息を吐いた。ルームメイトの編入生は、自身の性癖を語るのにまったく恥を感じないらしい。変態淑女の変態淑女たるゆえんであるが、聞いている側からすれば、疲労感と警戒心が募るだけである。円珠でさえ、心を弾ませる先輩に対して身構えたほどであった。


「そう言えば、さっき沙織子さおりこおねーさんが鼻にガーゼ詰めながらヨロヨロと出てきましたよ。誰が一体あの人の前でけしからんことをしたんでしょうね?」


 円珠は息を呑んだ。けしからんかどうかはともかく、その心当たりが円珠にはあまりにもありすぎた。


 一方、もう一人の当事者であるはずの白髪少女は、編入生の発言になぜかピンときていないようである。


「沙織子おねーさん……?」

「ほら、先ほど湯船で鼻血を出したリコと呼ばれた先輩のことで……」


 ご丁寧に円珠は解説したが、これはまずかった。和佐が表情を変え、それに気づいた円珠も自らの失策をさとって凍りつく。

 和佐が大浴場にいたことを、編入生の少女はまだ知らなかったのだ。


「……どういうこと?」


 岬はプルーン色の瞳を物騒にきらめかせた。


 円珠は思わず怯んでしまったが、岬が問い詰めようとした相手は、円珠のさらに向こうにいる姉様の方であった。


「もしかして、一条さんは湯船で鼻血を流した沙織子おねーさんを実際に目撃したんですか? だとすると、大浴場で湯浴みを堪能されたことになりますが……」

「だからなんだと言うの」


 どうせどこかで情報を耳にするだろうと判断し、和佐は開き直りの態度を示した。むろんそれは、変態淑女の少女を納得させるものではなかった。


「だから、じゃないですよ! それじゃあ一条さんは皆に見られてる中でそのネグリジェの中身を晒したことになるじゃないですか⁉」


 変態的な表現に顔をしかめるも、極上の肢体の持つ美少女はルームメイトの悲鳴に対して否定しなかった。


「さすがにタオルを巻いたまま身体は洗わなかったわ」


 清楚を装ったルームメイトは完全に打ちのめされた。


 彼女は入寮早々に変態的才覚を遺憾なく発揮してしまい、寮母から大浴場の使用を禁じられていたのだった。脱衣所で髪を乾かす場面に出くわせたのもこれが初めてのことなのである。


 衝撃からどうにか立ち直ると、岬は天井を仰ぎ、極めて残念そうに想いの丈をぶちまけた。


「うわあ、あたしも見たかったなあ! なんでルームメイトのあたしが一度も一条さんの裸を見れてないんですかーっ‼」


 編入生の奇声を受けた少女たちが、さすがに冷ややかな視線を向ける。

 寮母に密告されたらマズいと思い岬も大人しくなったが、なおも未練がましい様子で和佐のネグリジェにチラチラと視線を送っている。


(……少しでも寄り添おうと思ったのが間違いだったかしら)


 和佐は溜息を吐く。


 岬に裸体を見られずに済んだのは、どうにかその場面を作らせないように神経を尖らせた成果であった。制服に着替える際も寮部屋のトイレに立てこもって行なう徹底ぶりで、もし邪魔をするようなら「シスターに訴えるわよ!」と事前に釘を刺してある。それを恐れてか、今のところ変態淑女の編入生に聞き耳すら立てられていない。


 むろん岬が変態的欲求を諦めているとは思っておらず、現にその変態淑女はルームメイトの裸体を間接的にでも堪能しようと、大浴場を共にした円珠に(さすがに周囲の目を気にして声を抑えながら)問い詰めていたのだった。


「ねえ、円珠は一条さんの裸を見たんだよね⁉ どんな感じだった? 生々しい感想を是非とも聞かせてほしいな⁉」

「み、見てません! 姉様のお身体をじろじろ眺めるなんて、お、おそれ多い……」


 円珠は半乾きのミディアムボブを勢いよく振った。後輩少女の言葉に嘘はないが、その顔色はのぼせた沙織子おねーさんに匹敵するくらい真っ赤である。岬の言葉に触発されて、裸で洗う姉様の姿を想像してしまったらしい。


 完全にあたふたしてしまっている円珠に、その姉様が助け船を出す。


「円珠をいじめるのはやめなさい。円珠、あなたもこの女の妄言にいちいち乗せられないで。たとえ金切り声を上げても無視すればいいの」

「そ、それは……」


 気の優しい円珠にはなかなか難しい注文であった。反対側の三つ編みの先輩にも配慮しなければならなかったが、最終的には白髪の姉様に従う意思を示して岬を悔しがらせた。


「くうッ、こっちは円珠のお悩み解決のためにあれこれ考えてたっていうのに……」

「あなたが勝手に首を突っ込んだだけじゃない」


 無慈悲に言い放ち、和佐は籐のベンチから立ち上がった。

 付き合いきれないとばかりに脱衣所を後にすると、残された円珠は、申し訳なさそうに姉様のルームメイトの顔を見上げた。


「あの、岬姉様。申し訳ありませんでした……」

「いやいや、こっちこそごめん。一条さんの裸を見れない悔しさで、つい円珠の気を悪くするようなことを言っちゃった」


 円珠は黒髪の先輩のことを『岬姉様』と呼ぶようになった。変態淑女の血を暴走させる点は玉に瑕だが、愛想の良さと見た目以上の聡明さが円珠の心を惹きつけたのだ。かつては白髪の姉様をめぐって『恋敵』として彼女と対峙したこともあったが、今となってはただの笑い話に過ぎない。白髪の姉様と同様、円珠は編入生の姉様のことが大好きになっていたのだ。


 円珠から第二の姉様と認められた編入生の少女は、実に気前の良い調子で当事者として思い悩む円珠に微笑みかけた。


「えへへ♪ 円珠は気にしなくていいんだよ。一条さんも言ったとおり、あたしが好きで問題に関わってるだけだもん。まあまあ、バッサリ解決してあげるから大船に乗ったつもりで待ってなさいって」


 楽観的ともとれる発言だが、円珠は基本、変態以外の事柄に関しては岬姉様の言葉に全面的な信用を寄せている。だが、円珠としてはやはり乗り気な先輩に対して申し訳なく思った。自分の問題で先輩たちを巻き込んでしまうのはやはり気が引けた。


 気後れする『妹』に、岬はプルーン色の瞳に優しい光をたたえた。


「円珠は優しいね」

「そ、そうでしょうか……?」

「そうだよ。でも、問題解決は一条さんも望んでることだし、丸く収めることができれば一条さんも少しはあたしに気を許してくれるかもしれないでしょ? あたし自身の利益もあるわけだから、円珠は本当に気にしなくてもいいんだ。それとも……」


 岬の唇が意味ありげに吊り上げられる。


「……それでも納得いかないなら、問題解決の見返りに円珠に何か要求しちゃおっかな? 一条さんにも、誰にも言えない、二人きりの秘密のコトを……」


 円珠の全身が一気に発熱した。


 清楚の笑顔が小悪魔のそれに変わる。唇に当てられた人差し指に意識を吸い寄せられそうになり、すんでのところで円珠は思いとどまった。そのまま帰ってこなかったら、変態淑女の先輩に何されるかわかったものではない。肌色ピンクの世界の相手をする覚悟はとてもなく、お誘いから逃れるためには、岬の躍進ぶりを素直に応援するしかなかった。


「申し訳ありません。見返りに関しては……辞退させていただきます」

「あらら、それは残念」


 本当に残念そうに笑うと岬も籐のベンチから立ち上がった。本当に冗談ですよね……と円珠が胸を騒がせている間にも、編入生の先輩は三つ編みをはらりと流し、着ているものをすべて脱ぎ捨てていった。


 冷めかけた熱が再びよびがえるようだった。他の寮生と比較して、岬の身体つきは明らかに抜きんでていた。さすがに姉様には負けるだろうが、腰までのストレートな黒髪も、白い柔肌に包まれた肉づきも素晴らしい。可憐でありながら艶麗でもあり、小悪魔な要素が先輩の内面だけではないことがよくわかる。


 正直、彼女が相手なら毒牙にかけられるのも悪い気はしないのではないか。


 またしてもとんでもないことを考えていると、いつの間にかタオルで前を隠しただけの岬がベンチに接近していた。周囲の状況がわからないくらいに呆然としていたらしい。


「えへへ、円珠にならいくら見られてもいいよ?」

「ふぇあッ⁉ いえッ、岬姉様、これは……!」


 しどろもどろに弁解しようとする円珠を差し置いて、岬はご満悦な足取りでシャワーブースへ向かっていく。


 しばらくして、円珠は盛大に溜息を吐いて寮部屋へと引き返した。溜息は自分に対してのものであった。

 まったく、変態淑女の姉様や鼻血のおねーさんに呆れてばかりもいられない。

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