ライラック色の少女たち

人嫌いの白髪少女と変態淑女の編入生が織りなす、全寮制お嬢様学校の物語
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3.東野暁音の変異

公開日時: 2021年12月19日(日) 00:00
文字数:2,782

 後輩の純心を散々にもてあそんだ編入生の姉様は、シャワーブースで存分に肢体を清めてから、水色のナイトウェアに着替えて脱衣所を後にした。


 聖黎女学園の寮は、様々な施設に繋がっている本棟と、そこから伸びる四つの寮棟で構成されている。岬の寮部屋は三号棟の217号室であった。


 黒髪をたなびかせながら部屋に戻ると、純白のネグリジェを纏った白髪少女は学習机の椅子に腰かけ、難しげな本を読んでいた。ページを目で追いながら、珍しく和佐の方から編入生の少女に呼びかける。


「随分と遅かったじゃないの」

「えへへ、一条さんの入浴シーンを想像したらのぼせちゃいましたあ♪」


 和佐は深い深い溜息を吐いた。


「……他人の思考などどうでもいいと思っていたけれど、こうして表明されると到底いい気分にはなれないわね」

「やだなあ。きちんと円珠の問題についても考えてましたよ」


 実に調子のよい清楚な編入生である。不埒さを罵っても疲れるだけなので、白髪少女は本から顔を上げて硬質な視線を岬に投げかけた。


「考えたというからには、何か一案くらい思いつけたのでしょうね」


 偉そうな物言いだが、これでも初めて会った頃と比べて、かなり敵意は和らいでいる方である。円珠の姉様に恩を売りつける絶好のチャンスであるが、鋭い一瞥に対して岬は苦笑して肩をすくめてみせた。


「いえ、暁音あかねがああも頑なだと、手がかりなどとてもとても……」

「はた迷惑な女ね。勝手に機嫌を悪くして円珠に迷惑をかけるなんて」


 強情ぶりはあなたも負けてませんけどね……という感想は、岬は言わないでおいた。


 東野暁音ひがしのあかねは高等科一年の少女で、円珠の親友の一人である。キノコアザラシで有名な『海洋生物KINOKO』シリーズを通じて交流を深めており、気性はお嬢様学校の乙女らしからぬ少年っぽさがあるが、後輩に対する面倒見は良い方であったはずだ。


 円珠の話によると、その東野先輩が急に距離を置くようになったらしい。


 理由は一切話してくれず、一方的に円珠を避けているのだという。白髪少女が「はた迷惑」と評するのも無理もないことであった。


 お手上げの岬に対し、和佐は引き続き問いかける。


「彼女の幼馴染はこの状態に何て言っているの」

雪葉ゆきはも困り果ててますよ。どんなに問い詰めても口を割ろうとしない」


 春山雪葉はるやまゆきはは東野暁音のルームメイトであり、幼少期からの幼馴染とのことだ。彼女もまた円珠の一学年上の親友で、キノコアザラシの熱狂的なファンでもある。性格は高等科の生徒らしからぬ幼さがあるが、今では徹底的にすねている暁音の方がよほど大人げないように見えた。


 幼馴染どうしの絆の深さは、岬も知っていた。その雪葉にさえも、暁音は事情を打ち明けていないのだとという。


「うーん、となれば、よっぽど深い理由を抱えてるってことでしょうか?」

「どうかしらね。人というのは案外子供じみた理由でも頑なに心を閉ざしたがるものよ」


 かくいう和佐も見た目に反してかなり子供っぽい一面を見せたことがあるが、暁音を批判する白髪少女の表情には自己を省みる様子はとても感じられなかった。


 岬も自分の椅子に腰を下ろし、今後の方針を練った。


「やはり暁音から直接引き出すしかなさそうですね~。いざとなれば身体でわからせてやれば」

「冗談だとしても本気でやめて」


 和佐のげんなりとした反応を、岬は意外そうな顔つきで迎えた。


「いやあ、もちろん冗談ですけどね。でも、ちょっと驚きました。そこまで暁音のことを気にかけておられるんですか?」

「まさか。ただ円珠の友達である以上、傷ついたら円珠に申し訳ないと思ったまでよ」

「一条さんは円珠には優しいんだから」


 からかうように岬は微笑み、話を元に戻す。


「明日、雪葉と一緒に暁音に問い詰めてみますよ。まあ、円珠のためというなら一条さんが暁音を説得してくれた方が手っ取り早いと思うんですが……」

「嫌よ。なぜ、私がそんなことを」

「いやいや、だって一条さん、暁音のクラスメイトじゃないですか」


 聖黎女学園は各学年三クラスに分かれており、和佐は暁音と同じ二組に属している。ちなみに岬と雪葉は一組だ。平時の暁音であれば、いつ幼馴染が変態淑女の毒牙にかかるか気が気でない状態だろう。


 和佐は本を閉じ、その手に自分の吐息を被せた。


「別に好きでクラスメイトになったわけじゃないわ。それに私と暁音の関係はあなただって知っているでしょう」

「もちろんご存知ですが、ご本人に堂々と言われるとちょっとなあ」


 編入生のぼやきを、和佐は鄭重ていちょうに無視してのけた。


 東野暁音の和佐嫌いは聖黎女学園の間では非常に有名である。だが、その経緯について深く知る者は少ないだろう。編入して間もない岬は、数少ない知っている者の一人に属していた。


 三年前、春山雪葉のファーストキスが奪われた。奪った相手は岬の目の前にいる白髪の美少女である。和佐はルームメイトとして押し付けられた雪葉との共同生活を認められず、入寮初日に嫌がらせのキスで追い出したのだった。


 幼馴染がトラウマに遭って暁音が怒り狂うのは当然のことだが、さらに厄介なのは、暁音が密かに雪葉とのファーストキスを狙っていたという点だ。好意の有無に関わらず、白髪少女はその幼馴染の初めてを奪ってしまったのである。どうあがいても取り戻せない現実が、暁音を憎しみへと駆り立て続けたのであった。


 その和佐は本を棚にしまい、椅子から立ち上がってこう言った。


「まあ、私もあなたに問題を任せきりにする気はないわ。円珠の話を聞いて、心当たりを一から洗い直してみるつもりよ」

「お願いいたします」


 それから二人はそれぞれの時間を過ごし、ベッドに入る。円珠……というより暁音の事情は厄介そうに感じられるが、それ以外はいたって平穏な夜であった。


 部屋の明かりも消され、頭以外を毛布にうずめた岬だが、プルーン色の瞳が閉ざされたのは半分だけだった。身体は疲れ切っていたが、意識は冴えていた。


(何かがおかしい……)


 岬の違和感は、目の前の問題や学校生活とはまったく別のところにあった。せっかく念願のルームメイトとの同棲が継続されたのに、このモヤモヤは一体どういうことであろう。


 春山雪葉に仕掛けたのと同じ嫌がらせのキスを受けた岬は、むしろそれを歓迎し、そのまま白髪少女にルームメイトを認めさせたのだった。


 それ以来、色事も厄介事も様々体験してきたが、和佐が少しずつ歩み寄ってからは、その両方が一気に途絶えてしまった。むろん厄介事が減るのは喜ばしいことだが、美少女と身体を触れ合える機会が失われるのは岬にとっては死活問題である。


(うう、円珠の問題が先なのはわかるけど、一条さんと何もないなんて物足りないよお……)


 おかしいのはお前だと突っ込まれそうなことを考えながら、湯けむりに濡れるルームメイトの裸体を妄想しつつ、変態淑女は眠りに落ちるまで身体をもじもじさせていたのだった。

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