ついうっかり、なんてことはまあよく有る。
別に事件になるような大事にしたかったわけではない。
ただ……せいぜい、軽い脅しになれば良いなあと思っていただけだ。
そんな理由で春音は若年であろう組員を襲撃した。
一応無差別襲撃じゃなく、相手は選んでいる。
こっそり会話を盗み聞きして、春音への襲撃に反対しない旨を口にしていた者を選んだ。
そこまではまあいい、いや良くはないが、まだ良かった方だろう。
最大の問題は……その組員がまあ特別な立場だったこと。
(まさか……二次団体の令息が三次団体に下積みしに来てたなんて、ヤバい相手を病院送りにしちゃったなあ)
極道社会はピラミッド型ともマトリョーシカ型とも言える社会だ。
まず母体となる一次団体、会やら連盟やらの類いが頭に有る。
その内に直系団体と呼ばれる二次団体、そこから組内に三次団体、更に四次団体……と、上部組織が内々に下部組織を内包する形。
で……春音が襲撃してしまったのは二次団体組長の令息。
三次団体組員としての預かりになっていたとはいえ、そんな相手をボコボコにしてしまえば組長は当然激怒。
監督不行き届きと怒りを買ってしまった三次団体側は必死になって下手人を捜すわけだ。
(……で、警察沙汰になっちゃいました、と……)
極道は本来警察に通報などしない。
そんな事をすれば普段しているあんな事やこんな事がお巡りさんに知れ渡るかもしれないからだ。
そんな弱みがあるからこそ春音だって「警察には言えまいフハハのハ-!」と襲撃を選んだのだが。
まあ、上からのお叱りで尻に火のついた彼らは警察をも頼り、ものの見事に目論見は外れたわけだ。
(どーしよ、このままじゃ捕まるかなあ……あっちから手を出してきたくせに……やだなあ)
ペットボトル麦茶を飲みながら、春音は公園のベンチで足を振る。
せっかく引退の迫る先輩たちに代わって副部長まで上り詰めたというのにこれだ。
少し軽率がすぎたかと反省しつつも、これ以外の選択肢が何か有ったのかは疑問符が浮かぶ。
幸い……下手人が自分であることは知られていない。
顔は隠していたし、襲撃に使用したバットはホームレスの焚き木にあげたので問題なし、燃え尽きれば指紋もルミノール反応も無意味のはず。
だが……襲撃の命をこちらへ伝えていたことをあのヤクザが口を滑らせたらどうなるか……。
まあ容疑者最有力候補になってしまうだろう。
(ま……別に大学だって殆ど惰性みたいなもんだったけどさ……)
惰性みたいなもんだったけど、と言っているように……大学へ執着がないわけではない。
別に授業が好きなわけではない、大卒の学歴を得て何をしたいという目標が有るわけでもないのだ。
しかし、友人や先輩と過ごす時間は大好きで、そこから離れるのは避けたい。
(アレも欲しい、これも欲しい、どれも欲しいなんて通用しないのは分かってるんだけどもさ)
もし取捨選択の必要性が出るならば、何を選び何を捨てるか。
そのチョイスは自分自身で決めなくてはいけない。
いつ襲撃が来るかも分からないことに警戒しながら大学に残るか、そうして皆にいつか迷惑をかけるか。
それか自主退学で潔く学校を諦める……だけではなく、自供してしまうのも手ではあるだろう。
そうなれば若くして前科者、別に家族への愛着はないので彼らに勘当されるであろう可能性はどうでも良いのだが……。
まあ、周りに好き勝手言われるのはシンプルに嫌だ。
(うーん、悩ましい……!?)
考え込む春音。
その肩が突如叩かれる。
思わず体を跳ね上がらせるが……後ろにいたのは厚志だった。
「なんだ、あっくんか……おはよ」
「なんだじゃないでしょうなんだじゃ……! ……ここで話すのもダメか、とりあえず……僕の家まで行きましょう」
厚志に腕を惹かれ、春音は家へ連れて行かれる。
普段ならそれこそロマンスを感じてしまうものだが、今は状況が状況。
明らかに厚志が事情を察している時点でロマンスもへったくれも有りはしない。
「ねえあっくん……叱られる?」
「やっぱり叱られるようなことをしたんですね」
「……しちゃった、って言ったらどうする?」
「叱りますよ」
「だよねえ」
どうやら、お説教は避けられないようだ。
出来ればお手柔らかに頼みたいところだが、自分の行動が原因で怒られる身としては何も言えまい。
そんな事を考えているうちに厚志はどんどん進み……気付くと稲葉邸の前にいた。
「へえ……おっきな家」
「褒められたものじゃありませんよ、こういう……反社会的な金で得た建物なんて、あと家はこっちです、そこは事務所なんで」
事務所の大きさに驚嘆する春音に苦笑しながら、奥へと案内する厚志。
家に関しては存外普通の大きさだ。
その一階居間に案内され、春音はソファーに座る。
「で……やったんですよね? 田村さん……」
「……やっちゃった、私をマトにしろって組長が怒ってるって聞いて、警告のつもりだったんだけど……その相手がまさかのお坊ちゃんでさ」
春音の言葉を受け、厚志は「やっぱり、もう……」と自らの顔を手で押さえる。
兎にも角にも、どうしてこうなったのか……分からなくてため息が出てしまう。
いったい何が彼女をそこまでさせたのだろうか?
「あの……またなんで襲撃を? 僕に言ってくれれば良かったじゃないですか、それか警察に言うか……」
「だって……家の力を借りたらあっくんが組に借りを作ることになるし、警察に言ったら結局隠しておきたい誘拐の話に行くでしょ?」
「……つまり、僕に迷惑をかけたくなかったと?」
厚志の問いかけに、春音は「そうそう」と頷く。
一方の厚志は混乱のあまり「曹操も劉備もないですよ!」と意味不明な言葉を漏らしながら目をせわしなく動かしている。
まさか自分のためだったとは、完全に予想外だったのだ。
「なんでそんな僕のためになんて……」
「この間と同じ、大事な……友達だもの、あなただって逆の立場ならこうしたでしょ」
「それはまあ……はあ……本当に、ここしばらくで自分が大切に思えないって言った時に貴女が怒った気持ちがよく分かるようになりましたよ」
ため息をつき、眼鏡を整える厚志。
一方の春音は「じゃあこれでお相子ってことで」と笑っている。
和気藹々とした様子だが……いつまでも笑っている場合ではない。
今後の方針をしっかりと話し合わなくては。
「で……貴女はこれからどうすると?」
「うーん、あっくんに迷惑をかけたくないし……学校に万一……っていうのも嫌だし、かといって自供するのもあっちが悪いから嫌! いっそ自主退学して高飛びでもしようかな」
高飛び、ワガママ丸出しの理論でそう考える春音に厚志は少し呆れた。
一応これでも妥協に妥協を重ねた結果なのだが。
しかし、厚志は首を左右に振って春音の考えを否定する。
「逃亡なんてすればそれこそ相手は真相に気付きますよ、そうなれば警察に追われることは間違いありません、指名手配だってあるかも」
「ううん……そういう逃亡生活は確かに面倒くさいかも、じゃあどうするの?」
「そうですね……迷惑をかけることを恐れないようにする、とか?」
迷惑をかけることを恐れないようにする。
そう言いながら厚志は春音をじっと見つめる。
こういう時、一番頼れる人間が目の前に居るだろうと言わんばかりに。
「父の力を借りるのはそりゃあ癪ですよ、それに父へ組へ借りも出来てしまいます、でも……言ったでしょう、僕は我が身可愛さなんてありませんから、いっぱい迷惑をかけてくれて良いんです」
迷惑をかけてくれて良い、笑顔でそう言うと厚志は春音の手を握る。
剣道胼胝のある春音と違い、とても綺麗な手だ。
その温もりに春音は少し笑みを浮かべる。
そして……。
「うちの組で貴女を保護させてくれませんか?」
厚志からの予想外すぎる言葉に目を見開くのだった。
稲葉組での保護、それはつまり……ここで暮らすということ。
実質的な同棲の誘いともなるその言葉に流石の春音も顔を赤くし……。
厚志もまた、自分が何を言ったか理解して頬を赤らめるのだった。
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