春音をマトにすること、春音に倒された刺客はそれを諦めた。
厚志の力尽くでの説得に応じたというのも理由だし、二人の姿を見て遠い青春を思いだしたのもある。
だが……当然、親はそれを良しとしない。
当たり前だろう、女子高生に負けて帰ってくるヤクザなど組員の名折れ、組の評判に傷が付く。
厚志も春音も一々言いふらすような人間ではないため露見してはいないが、このままではいつかバレてしまうかもしれない。
そうなれば……組の名に傷が付くのは避けられないだろう。
それを恐れた組長は、組員達にこう命じたのだ。
田村春音を襲撃し、彼女を人質に稲葉厚志を袋叩きにせよと。
そんな格好の悪い真似……組員達は本当は断固として反対したかった。
だが……ヤクザにとって親は絶対、神のようなもの。
ならば表だって逆らうことなど出来まい。
……そう、表だっては。
「それで……私に告げ口?」
「応とも、流石に稲葉組の息子に言いに行くのは無理だからな……これが出来る限界だ、まあ後は何とかしてくれや」
手を振り、去って行く組員。
その背を見送り……春音はどうしようかと思い悩む。
まさか大学の敷地内で急に声をかけられるとは思わなかった。
しかし、そういえば厚志を攫ったのも大学内でだったので、彼は潜入が上手いのかも知れない。
何はともあれ……情報を得たならここからは対処だ。
まずは厚志に相談するとしよう。
春音はそう考え……しかし、足を止める。
ここで厚志に相談して稲葉組へ借りを作らせてしまえば迷惑がかかるかもしれない。
となれば……。
「よし……やっちゃいますか!」
ここで警察に言うのも考えたが……それはやはり因縁が出来たきっかけである厚志誘拐に話が及び、彼の学生生活に迷惑がかかりかねない。
かといって他の者に協力を仰ぐのも気が引ける。
ならば……どうするべきかは一つしか無かった。
……そして翌日。
稲葉邸二階、厚志の私室にて……。
窓から差し込む光に顔をしかめ、厚志は静かに目を開く。
(ふう……今日もいつもと変わらない気だるい朝、か……)
部屋のベッドで上体を起こし、眼鏡を掛ける厚志。
その耳に……何やら騒がしい声が聞こえてくる。
窓から階下を見ると……そこでは、何やら真剣な表情で話し込む父と……そして、警察がいた。
とうとう警察のがさ入れが始まったか?
そう考えるが、警察は一礼して去って行く。
どうやら強制捜査の類いではないらしい。
少し残念に思いながら携帯を取りだし、ニュースサイトを見る。
そこには……暴行事件の速報が掲載されていた。
「……暴力団員、深夜に突如襲撃……襲撃犯は不明……? この組、稲葉組と敵対している……この間の……?」
さっきのさっきまで眠い目を擦っていたが、流石の厚志もこれには仰天。
目をひん剥きながら、二度見、三度見くらいの勢いで目をせわしなく動かす。
しかし一切読み間違えではない、本当に襲撃は起きたようだ。
もしや、この間拉致された件の返し……?
そう考えるも、組員にこの間のことを知っている者はいないはずだ。
……知っているのはただ一人。
「まさか……いや、そうとしか……」
向こうとしては「自分達の誘拐未遂により返しが行われた」なんて心当たりを口にすれば警察にその場で捕まる。
だから誘拐が行われたことを知っている組員はいないはず。
ならばやはり……。
「一人しか居ないよなあ……」
……何がどうしてこうなったのか理解できず、頭が痛くなってくる。
何はともあれ、話は学校に着いてからだ。
厚志はそう考えて気持ちを切り替える。
とりあえずはシャワーでも浴びてこよう。
そんな事を考えながら、厚志は着替えを片手に部屋を出るのだった。
よもや……ええよもや、この時は思いもしなかった。
この出来事が後々二人、結ばれる切っ掛けになるなんて……。
毛ほども思っていなかった……。
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