最初の仲間、落雁玉兎が協力したいと申し出た時……。
それはもう有栖は驚いたものだ。
大人しく自己主張がない女の子……そう感じた相手が、髪を脱色し、逆立て、スカジャンを纏い……。
それはもう見事なまでのヤンキールックでやって来たのだから。
一人称まで「アタイ」に変え、慣れないなりに必死でヤンキーぶろうとする彼女を見て困惑する有栖に、玉兎は「形から入るタイプなんですよ」と笑っていた。
その時の有栖は自分が与える影響というものを実感し、大いに戸惑ったものだ。
しかし、何はともあれ仲間が増えるというのは良いことだろう。
真白の今後活動するなら頭数は増やすべきだという進言もあり、有栖は彼女を受け入れた。
親ですら救いをもたらしてくれなかった玉兎にとって、それがどれだけの救いであるかなど想像に難くないだろう。
初めて得た自分を受け入れてくれる居場所、それが羅美吊兎叛徒だったのだ。
だから……玉兎はその居場所をくれた有栖のためならなんでもできる。
そう、なんだって……。
「やっとだ、やっとあのクソジャリに復讐ができる……!」
「復讐ね……自業自得じゃん、バカみたい」
「うるせえ……! へっ、あの頃は俺様にへーこらしてたお前が……偉そうな口をきくようになったな! あんま調子のってっと殺すぞ?」
玉兎を誘拐した顔見知り、それは元彼だった。
あの日有栖にたたき伏せられた男……。
その片腕はぶらりと下げられ、力が入っていないように見える。
鉄パイプを振りかざす反対側の腕とはまさしく正反対だ。
そんな男を見ながら、玉兎は鼻で笑う。
男がとても哀れに思えたのだ。
「殺す? できもしないくせに……」
「あ……?」
「私を人質にしなきゃ戦えない臆病者、それが人を殺す? バカみたい」
挑発し、あざ笑い……玉兎は男のプライドを踏みにじっていく。
男にとっては図星となる痛すぎる正論で男をなじる姿は、まるで恐ろしい蛇のようだ。
男は苛立ちと同時に、得体の知れない恐怖を感じた。
「やめろ、黙れ!」
「ほら、床を殴った……それがお前の臆病さの象徴!」
「やめろ、やめろ……!」
「お前は私にも有栖さんにも永遠に勝てない、お前は負け続けるのよ!」
「やめろ……!」
「虚仮威ししかできず! 虚勢を張るしかない哀れなお前は!」
「やめろおおおおおぉぉぉっ!!!!」
叫び声と共に、再度振り下ろされる鉄パイプ。
それは玉兎の頭に命中した。
男は思わず……鉄パイプを床に落とす。
ドアが開いたのは、その直後だった。
「約束通り、一人で来たぞ……! 無事、か……? あ……」
「あ、ああ……違う、こんな……ただ人質にするだけだったのに、違う……!」
男が泣き叫び、有栖が呆然と口を開く。
そんな中、玉兎は薄れゆく感覚で小さく笑みを浮かべていた。
全ては狙い通りだと感じたのだ。
(……あの人は、無限の可能性を持っている……私が足を引っ張って、それを終わらせるなんてあってはいけない……それくらいなら私は……帝釈天のため己を火にくべた捨身慈悲の兎のように……自らを捨てる……だけ……)
「ち、ちくしょう! 殺人の前科なんて持つつもりは……!」
「……!? お前、お前……お、おまえ……おまえは……! それしか言うことはないのか!?」
男の言葉に有栖が激昂する。
元恋人を殺め、出てくる言葉がこのていたらく。
そんなのは有栖には理解できなかった。
筒本よりも下劣な人間が存在するなど信じられない。
今、有栖の中には激しい怒りがあった。
だがその奥底から……一筋の哀しみがこぼれ出す。
金づるにするためだったとしても、かつての恋人だったはずなのに。
悼みすらしないのか、そんなの……あんまりにも程が有るじゃないか。
そんな哀しみの蒼が、怒りの赤に混じり出す。
その瞬間、有栖の体が蒼い光を纏い始めた。
(……ああ、あの時見た光……綺麗だ……見える、あの光に……幼い子供がいる……分かる、私も……その一部に……哀しみで鍛え上げられた刃のようなその力に……)
自分の行く末を理解した玉兎は、自分を月に向かった兎のようだと感じ、微笑む。
そして安らかな気持ちの中で息を引き取った。
行く末を見られないのが残念と思っていたが……しかし、そうでもないと分かって安心したのだ。
それと……有栖の手が勝手に動いたのは同時だった。
「……!? あ、ああああぁぁぁっ!!!!」
叫びと共に何かが歪む。
空気?
床?
壁?
違う、この場が、空間が……それ自体が歪んでいく。
幾つものねじれができ、それが球状の形を形成していく。
そしてそのねじれができた場所が消えていくのだ。
まるで存在を奪われたかのように。
「ひっ……! な、なんだ……! なんなんだこれぇ!?」
そうなったのは男も例外ではない。
男のいる場所がねじれに呑み込まれると……男はまるでぞうきんを絞ったかのように捻じ切れた。
そして、血や臓器を噴き出しながら……しかしその血や臓器すら完全な無となっていくのだ。
有栖はそれを呆然と見つめた後、自らをかき抱く。
男が消滅したのと現象の終息は同時だった。
有栖はこの瞬間察したのだ、どうやったかなど分からない、だが自分の殺意と哀しみが男を消したのだと。
「ち、違う……何の光だった、あたしの力じゃない! 何の光だった!?」
パニックを起こしながら、有栖は頭をかきむしる。
そして……緊張の糸が切れたのか、一際大きく叫ぶと倒れ込んでしまった。
まるで自分を守るかのように……。
その後、突入した真白が気絶した有栖と死んでいる玉兎を発見したことで有栖は病院に搬送。
無に帰した男は鉄パイプの指紋から犯人と断定され、指名手配となった。
それから数日後……。
真白は、有栖の通院している精神科へ向かっていた。
有栖は妹を喪った事によるPTSDで精神科のお世話になっているのだが、気絶で搬送された後になぜだかこの病院へと移動することになった、そして面会謝絶の状態が続いていたのだが、ようやく会えるようになったのだ。
「有栖ちゃん、おはよう! やっと会えて嬉しいよ!」
「ああ、真白……へへ“アタイ”も暇してたんだよ、ほら座って! ……おい? なんだよ、そんな呆けて……」
「いやその……アタイ、か……ううん、何でもない、座らせて貰うね」
椅子に座りながら、真白は医者の話を思い出す。
曰く目の前で起きた事件のショックから、有栖の記憶から事件のこと……そして玉兎のことがすっぽりと抜け落ちていたという。
代わりに、穴埋めされた記憶は一部玉兎の行動を自分の行動とする形で補完されており……その同一視によるものか、有栖は一人称など一部が変わったらしい。
無理に矯正を行ったり、記憶を引きずり出そうとすれば精神が崩壊する可能性すら有る。
非情にデリケートな状態であるが故、面会謝絶の状態が続いていたという。
「しかし、喧嘩中に倒れるとはアタイも焼きが回ったかな……」
「はは、そうかもねえ……これを機に控えめにするのも良いかも」
「……それは……ああ……考えとく」
歯切れの悪い返事をしながら、有栖は目を逸らす。
それを見ながら真白は今後どうなるかを静かに察した。
さて、退院後……真白の予想は大当たり、有栖はより激しく世直し活動を行うようになったのだ。
記憶を無理矢理封じ、つぎはぎした状態なのだ……となればその心中には孔が有る。
その埋まらない孔を埋めるため……また、罪悪感の行き先を探すために、有栖は無謀とも言える捨て身の活動を繰り返した。
服の下はいつだって傷まみれ、どんな拍子に体が壊れてもおかしくない状態……。
そんな状態で足掻く有栖を羅美吊兎叛徒の面々も親も主治医もみな心配していた。
……さて、そんな状況で心配するのは本当にそれらの面々だけだろうか?
答えはノーだ。
彼女を心配する者はもう一人居た。
それが……。
「……古里、大丈夫か?」
「あ、すいません社長……すぐ警備に……」
「いやいい、今は私的な用事だからな、そこで話そう」
私的な用事、そう言って鹿野山は有栖の父を会社内の私室へ連れて行く。
どうやら呼ばれたことは一度や二度ではないらしく、父は慣れた手つきでコーヒーを煎れ始めた。
その香りに鹿野山は目を細める。
「はい、いつものブラック」
「ああ、ありがとう、さて……本題だが、最近有栖はどうだ?」
「……最近、いつも以上に無茶をするよ、この間なんて子供がいるからって火事の現場に飛び込んで火傷をして帰ってきたんだ」
「そうか……」
鹿野山は何故そうなるのか、その原因を考える。
勿論、記憶が一部削れた事による虚無の話、それを埋めるために無茶をするのだろうという話は聞いているが……。
しかし、それに拍車をかけているものというのは何か一つ確実に存在する、そう考えたのだ。
「……無茶をできる状況こそがいけないのかもしれないな」
「無茶をできる状況……?」
「ああ、有栖はたとえば私のように家名を気にするという事がないだろう? 私は喧嘩なんてしようものなら家名に傷がつくと爺さんが生きていた頃には口を酸っぱくして言われてきたからな」
鹿野山の言葉に、父は「そういえば学生時代から優等生だったな」と思い出す。
成績優秀、品行方正、並の男よりも男前な女……。
完璧王子……そんなあだ名で彼女が呼ばれていたことは、今となっては懐かしい話だ。
「でも、そんな私も心には狼のような激情を持っていたんだ、だが……足にはいつも家名という硬い紐があった」
「狼を縛る硬い紐……魔法の紐グレイプニル、か……」
「ふふ……じゃあ私はフェンリルか? 私よりも有栖に似合いそうだが……ん、まあそれはさておき……有栖には行動を縛る紐が必要だ」
「紐、か……」
行動を縛る紐、そう言われても父には何も思いつかない。
関係は以前のようにこじれてはいないが、それでも自分が有栖を縛れるとは思わないのだ。
そう考えていると……鹿野山が父の両頬を手で押さえる。
コーヒーカップの温もりが残る手だ。
「お前一人で頑張る必要なんてない」
「鹿野山……」
「ふ、苗字呼びか……」
鹿野山は少し思うところがあるのか、目を閉じて笑う。
そして……ゆっくりと父の唇を奪う。
コーヒーの味がするキスだ。
「……これからは、名前で呼び合わないか?」
「……それは……」
「私が有栖というフェンリルを縛るグレイプニルになるよ、だから一緒に頑張ろう」
手を握られ、父は顔を赤くする。
正直な話……父も鹿野山を少なからず思っているのだ。
妻が行方不明になって以来ずっと酷い目にあってきたが……。
そんな自分を何度も支えてくれたのが彼女だ。
有栖が聞けば、数年ぶりにまた驚かしてしまうことになるが……だが、悪くはない。
共に頑張るというずっと忘れていた感覚を思い出し、頬が少し火照るのを感じた。
そして翌月……。
晴れ渡る空の下、二人は港区にある結婚式場で式を挙げた。
水族館の近くで海もよく見えるこの式場は、かつて最初の妻と結婚した思い出の場所。
式が終わった後は、二人で海沿いを歩いたという。
そんな思い出話を聞きながら、有栖は式場内を落ち着かない様子でキョロキョロと見渡す。
父は友人関係があまり広い方ではないので、父の友人よりはアジトに顔を出している関係で見知った顔となっている有栖の友人の方が多く来ているのだ。
その中には当然、真白もいる。
「有栖ちゃんおはよう、正装似合ってるね!」
「あ、ああっと……あー……お、お褒めにあずかり、うれし……光栄ですわ、真白……」
「……? ………………ぷっ、何それ?」
「わ、笑うなよお前……! これからはアタ……くしも令嬢だから、言葉遣いって奴に気を遣おうと思ってん……ますのよ!」
肩を怒らせ、顔を歪めながら言葉遣いを必死で正す有栖。
その様子に皆笑顔になっているようだ。
羅美吊兎叛徒は玉兎の死後あまり明るい話題に恵まれなかったが……。
今回は久々に明るい雰囲気で笑い合えているようだ。
「そういうとこから頑張るんだね、有栖ちゃんは」
「おうとも……ですわ、私……形から入るタイプ……です……のよ……?」
呟きながら、ふと有栖は頬をさする。
涙が伝っていたのだ。
形から入るタイプ、そう言った時……誰かを思い出したはず。
だが一瞬でそれを忘れてしまった。
誰の顔なのかもう思い出せもしない。
有栖がその事を考えていると……そこへ鹿野山がやってきた。
まだお色直し前らしく、いつものスーツ姿だ。
「おはよう、今日は来てくれてありがとう」
「あ、鹿野山のおば……いえ、お、お母様……」
「ふふ、ぎこちないな……それはさておき有栖、お色直しを手伝ってくれないか? ベールガールもするんだろう?」
「あ、うん……ええ、わかっ……りましたわ、行くとし……ましょうか」
鹿野山に言われ、ぎこちなく控え室へ向かう有栖。
一方……鹿野山はすぐに向かわず、羅美吊兎叛徒の面々に向き直る。
そして彼らへと頭を下げた。
「これからのこと、よろしく頼む」
鹿野山の言葉を受け、羅美吊兎叛徒の面々は見つめ合う。
そして口々に「これで良いんだよね」「そうだよ、恩人のためだもん」と笑いあう。
……真白を除いて。
実を言うと、数日前彼らのもとへ鹿野山がやって来て、深々と頭を下げながら頼み込んだのだ。
有栖を縛るグレイプニルとなりたいこと、そして有栖が安心できるよう、彼女が抜けても立派にやって欲しいこと、またその為に援助をするという申し出を。
その申し出に恩人がこれ以上無茶をしないためと一同は快諾……。
有栖が抜けるならいる意味が無いので有栖と一緒に普通の学生に戻るつもりの真白以外は、残って有栖の後を継ぐことになったというわけだ。
「ま、頑張ってね」
「ええ、真白さんも有栖さんと仲良くやってくださいね」
「うん、それに関してはご心配なく」
応援に笑顔を返し、真白は控え室の方を見る。
何処に居ようと何処へ向かおうと、真白のスタンスは変わらない。
有栖のために生き有栖のために死ぬ、有栖のために動き有栖のために傷つける。
ただそれだけの存在だ。
その内面を誰かが知ればきっとこう言うだろう。
人の中に生まれた怪物と。
しかしそんな自分が真白は誇らしかった。
有栖のことしか考えていないからこそ、有栖のために常にいられるのだから。
それは何よりの誇りであり喜びなのだ。
「あ、来ますよ新郎新婦が!」
羅美吊兎叛徒の誰かが声を上げて、視線が一点に集中する。
出てきたのは新郎新婦である鹿野山、そして有栖の父……。
その後ろには、ベールガールとして有栖も一緒にいる。
華やかな雰囲気の中、あげられていく結婚式……。
こうして、有栖は古里有栖から鹿野山有栖へ代わり……。
伝説の二人はただの学生に戻ったのだった。
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