リーゾ村の夜は明け、次の朝……。
有栖は体にのしかかるプレッシャーを感じながらうなり声を上げた。
寝苦しい、重い、暑い……。
まるで体に何かが乗っているかのような感覚。
その重量感に有栖は汗をかきながら瞼を開いた。
「ん……ん……?」
寝起きでよく見えないが……。
誰かが上に乗っている気がする。
それを、有栖は真白が上にいると解釈して目を閉じながら息を吐いた。
「真白……今日はそういう気分じゃありませんわ……それに、他の人もいるでしょ……上からおどきなさいな……」
「……」
しかし、声をかけられた真白と思しき人物は何も返さず、どきもしない。
そうなれば、当然有栖もイライラしてくる。
重い、暑い、良いことがない……寝起きでそんな状態に耐えきれる者はいないのだ。
有栖は不愉快そうに顔をしかめると、大きな声を上げた。
「真白! そういうのはまた二人きりの夜にしますわ、だからとっととどきやがれっつってんですわよ!」
「え、有栖ちゃん呼んだー?」
「え……?」
部屋の外から声が返ってくる。
ドア越しの声だ……。
どうやら真白は外にいるらしい。
同じく外からは「やっと起きたか」「まあお疲れでしたからね」という声もする、恐らくシャハルとオノスだ。
つまり……今、この部屋のメンバーは自分しかいない。
……ならば、上に乗っているのはいったい誰だ……?
「だ、誰だテメー! アタイの上に乗ってんじゃねえ!」
叫び声を上げる有栖。
彼女はそのまま目を見開くが……。
上に乗っていたのは、予想だにしない存在だった。
「やあやあ、おはよう、ずいぶん遅いお目覚めだね」
「翼の生えた虎!? しかも喋る!?」
「おっと、わざとらしく大声上げても無駄無駄……今、防音結界張っちゃったからね」
虎はそう言うと、上に寝っ転がったまま有栖の顔を覗き込む。
そしてニヤニヤと笑った。
虎の表情は有栖にはよく分からないが……しかしそれでも、ニヤニヤしていると思える。
「ふふ……見れば見るほどアイツそっくり」
「あ、アイツ……? アンタは何者なんだ、何が目的でここに?」
食えるなら食っている、殺れるなら殺ってる、そう解釈した有栖は落ち着きを取り戻し、静かに問いかける。
その様子を見て虎は「ふふん」と笑みを深くした。
何故だろうか……その様子が、有栖から見てもどこか知った顔のように思えてくる。
勿論、虎の友人などいないのだが……せいぜい虎なんて、小学生の頃に遠足で行った東山動物園で見たことがある程度だ。
もしかすると、その虎の生まれ変わり……?
などと考え、一度あっただけの虎が自分を覚えているわけなどないだろうと考えを吹き飛ばす。
何はともあれ、今はこの虎に対応するのが先決だ、雑然とした思考は傍らに置いておこう。
そう考え、有栖は虎をしっかりと見つめる。
その目を見て虎はうんうんと頷いた。
「いい目だ、その胆力もアイツと同じか……」
「アイツって誰で、アンタは誰なんだ?」
「おっと、口には気を付けてね、何せ私は今あなたの生殺与奪を握ってるわけだし」
「違うな、殺しても構わないって腹づもりなら、上に乗って起きるのを待つなんてせず殺してるはずだ、アンタは目的があるんだろう?」
目の前で大きく口が開かれるが、有栖は首を左右に振って否定する。
その様子に、虎は思わず噴き出しながら口を閉じた。
何が面白かったのかは分からない。
もしかすると、勘違いなのだろうか……そう思うが、堂々とした表情は崩さずに見つめるだけだ。
「アイツっていうのは、この世界の勇者だよ、あなたはそれにそっくり」
「勇者……?」
「そうそう、だから私はわざわざ顔を見に来たの、勇者の大親友として……この窮奇様がね」
「窮奇!? アンタが転移能力者の窮奇!?」
窮奇、中国に伝わるという翼が生えた虎の見た目を持つ怪物。
その名を冠する女は、どうやら見た目もまた伝承の窮奇と同じらしい。
今までどこからか聞こえてくる声でしか知らなかったが……こうして対面してみると、まさしくそのままじゃないか、と言いたくなってしまう。
しかし……。
「勇者の大親友? 魔物のアンタが?」
「え、そっちの世界じゃおかしいの?」
「ああ、そっか、こっちじゃ魔物って人種の名前だもんな……別に勇者と敵対するわけでもないのか」
「そそ、この窮奇……対の力を持つ勇者と普通に大々々々親友だったから、力合わせて色々したなあ……世界的に起きている出生率低下現象の秘密を探ったりとか……」
どうやらこの世界では、勇者と魔物は絶対的に敵対するわけではないらしい。
そう言われるとなんだか不思議に思えてくるから先入観というものはあるのだなあ、と感じてしまう。
しかしそうなると疑問に思うのは、何故ここにわざわざ来たのか……だ。
「で……その勇者の大親友様が何をしに来たんだ?」
「いやね、あなたはあの書物を読んだんでしょ? 死した者の遺せし物を」
「アタイを見てたのかよ……趣味わりいな」
「そう言わないでよ、覗き見する必要があるからしてるんだしさ、で……今ならこの忠告を聞いて貰えるかなってやってきたわけよ」
覗き見されていたことに悪態をつく有栖。
しかし窮奇は気にした様子も無く有栖をいなし、本題に移ろうとする。
忠告……これまた物々しい響きだ。
「忠告? 忠告ってなんですの?」
「プシュケーには行っちゃダメ、そっちへ行くくらいなら真白を連れて私と来なさい」
「は……?」
「疑えって書いてあったんでしょ? プシュケーは疑うべき場所だよ」
どうやら当面の目的地、プシュケーには行って欲しくないらしい……。
それが何故かは分からないが、冗談や脅し文句ではない、本気の言葉だとうかがえる。
彼女の声色が打って変わって真剣そのものだからだろうか。
「……理由は?」
「今話して信用して貰えるか分からない、国につけば色々見せてゆっくり話せるけど」
窮奇の言葉に有栖はじっくり考える。
彼女は本気で自分を案じている可能性もあるし、そうではない可能性だってまた然り。
ようは、プシュケーにつくと自国にとって不都合な出来事が起きるから、騙して連れて行こうとしている……そんな可能性もあるのだ。
あの日記に世界を疑えと書いてあった以上、有栖にとって彼女もまた疑わしい世界の一部である事に変わりはない。
今胸を張って信用できると言えるのは、真白くらいだ。
そんな状況でこの誘いに乗るのは、あまりに軽率すぎるだろう。
ならば今は……まず筋を通すことから優先し、自分の目でプシュケーを確かめてから誘いに乗る、それが一番のはずだ。
「……悪い、今は乗れねえな、アタイはアンタ達も疑う必要がある、あの日記には世界を疑えって書いてあったんだ」
「世界をね……なるほど、私はその言葉の意味が分かってるけど、今は信じて貰えそうにないしな……分かった、じゃあ一度プシュケーを見ると良いよ、それで現実を知ってからこっちに来ると良い、その時は歓迎するからさ」
「ああ、その時は……もしアンタが嘘じゃなくて、本当にアタイを信用していると理解できたら、その時はよろしく頼む」
有栖の言葉に頷くと、窮奇は手を振りながら転移していく……。
それを見守り、有栖は息を吐いた。
ようやく重い者が上からどいてくれたのだ。
開放感がある……なんと言えば良いのだろうか、虎の体重は意外と馬鹿にならないのだな、とこの短時間で一気に思い知った気がする。
この体重に勢いがあれば、そりゃ虎は猛獣だ……。
そんなことを考えていると、有栖の耳に窮奇の声が聞こえてきた。
「一応常に見守っているから、また何かあれば助け船を出すよ、じゃあね……私に似たあの子にもよろしく」
私に似たあの子、その声にハッとすると同時に部屋のドアが開く。
そして、中に有栖が入ってきた。
ニコニコしながら……しかし、ベッドにこびりついた虎の毛を見て顔をしかめている。
「有栖ちゃん、いつまで寝て……うわっ、何この毛、黄色い猫……?」
「その……野良猫が窓から入ってきましたのよ」
有栖はそう言うと、伸びをする振りをして真白の耳元に顔を近づける。
そして「二人きりの時に詳細を話す」と言うと、ドアの外へ向かっていった。
そして……ふと脳裏に、窮奇の言っていた私に似ているという言葉がよぎる。
それで有栖は自分が窮奇に感じた既視感を理解した、彼女は真白に似ているのだ。
何故似ているのかまでは理解できないが……他人の空似なのか、意味があるのか……いずれにせよ彼女達はそっくりな雰囲気を持っている。
そう思考すると同時に、有栖は窮奇が自分を勇者の対だと言ったのを思い出す。
つまりそれは魔王なのだろう。
窮奇は魔王で真白に似ており、有栖は勇者に瓜二つ……。
この奇妙な符合は何なのだろうか……。
そう考えながら、有栖は食卓へ向かっていく。
しかし当然ながら答えが出ることはなく、思考は延々同道巡りをするのだった。
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