「さて……何故ここに居るか、分かるね」
「はい……わたくしが、街中でキレ散らかして暴れたからですわ……」
衛兵詰め所にて、肩を落として椅子に座る有栖。
そんな彼女と机を挟み、衛兵隊長が相対する。
彼はすっかり冷静になりしおらしくなった有栖に、どこか拍子抜けしているようだ。
それくらい、今の彼女は弱々しく見える……言うなれば燃え尽きた状態だろうか。
もしくは羅美吊兎叛徒の仲間には情事などでハッスルした後、終わってみると途端力尽きてしまうという者がいたが……その状態に近いのかもしれない。
「事情はツレの方達から聞いたよ、犯罪を許せない気持ちは私達もよく分かる、だからこその衛兵だ……でも、大人が来たならそこからは大人に任せないといけない、分かるね?」
「はい……やりすぎましたわ……」
「その心意気や、連行に抵抗しながらも店長達以外は傷つけなかったことは買っているから、あとは落ち着きを身につけて大人の言うことを聞くこと……いいね?」
「ええ……」
相変わらず肩を落としたままの有栖。
そんな彼女と衛兵の間に沈黙が生じる。
その時、詰め所がノックされた。
「失礼します、ご注文頂いた者ですが」
「ああ、どうぞ!」
「……?」
ドアが開き、中に入ってくる男性。
その手には肉と野菜……そして米らしきものが入った丼が握られているようだ。
しかも肉と来たらご丁寧に油で揚がっており、更には卵とじになっている。
流石にこれは有栖も面食らわずにはいられなかった。
「え……カツ丼……?」
「ああ、この料理は君の故郷にも有るのかな? 昼がまだだと聞いたからね、出前を取らせて貰ったよ」
「え、ええ……あの、なんというか……これもしかしてわたくしの自費だったり……」
「いや、これは奢りだよ、安心して食べていい」
衛兵の言葉に少し安堵する。
元いた世界の取調室では、カツ丼は基本取り調べを受ける側の自費だったのだ。
肉の怖い話を聞いた後なので少し躊躇いは有るが……だが食べないのももったいない。
公的機関が出前を取るような店ならば変なものは使っていないと信じ、ここは厚意に甘えるとしよう。
有栖は両手を合わせると「いただきます」と言ってカツ丼を食べ始めた。
「ん……美味しい……!」
「それは良かった、とりあえず拘留はしたが今回は厳重注意処分ということで、夕方には外に出て良いから、ゆっくり反省するんだよ」
「はい、ふぁふぁりまふぃたわ」
「口に含んだまま喋らない、ちゃんとよく噛んで食べるようにね」
口に含んだまま喋る有栖を諫め、衛兵隊長は部屋を出て行く。
後には一人、有栖だけが残された。
そんな寂しい部屋で日差しを浴びながら……有栖は静かに食事を続ける。
反省すると同時に、ただ反省をし続けるのも集中が保たないので、せっかくだからカツ丼について考えることにしたようだ。
(……これ、確実にカツ丼ですわよね……卵とじになった豚カツと、野菜にご飯……肉の厚さがすっごい……噛めば噛むほどジューシーで、肉汁が飛び出してくるこの感じ……肉汁好きにはたまりませんわね……そして卵……卵の湿り気で少しふやけた衣は良い具合に食べやすく、また卵の味とタレの味が染みることで衣まで味たっぷりの飽きさせない造りになっていますわ……そしてご飯は野菜がクッションになることで熱すぎずかといって冷たくもなく、舌が火傷しない程度の食べやすい暖かさを保っている……間に挟まれた野菜、恐らくキャベツかしら……ご飯とよく合う程よい無個性さ、それでいて噛むと広がる甘みはご飯自体の甘みとも合わさって、肉と衣の脂っこさを良い具合に緩和する……ご飯をかっ込む手が止まりませんわね、まるでご飯をかき込むマシーンとなったかのような気分ですわ……!)
脳内でマシンガントークを繰り広げながら、有栖はカツ丼を一心不乱に貪る。
これはもう食べるなどという生やさしい形容ではない、貪るという形容こそ相応しい食べ方だ。
そんな状態で食事を終え……有栖は合掌すると息を吐いた。
全ての命に感謝を忘れず、両手を合わせてごちそうさま。
日本人なら誰もが学ぶマナーだ。
有栖はこういう所にそれなりにはこだわる。
もっとも、それなりになので食べながら喋ったりもするのだが。
そういう点はより令嬢らしくなれるよう改善中だ。
(……令嬢らしく、か……親父、母さん……心配してっかな……)
窓の外……空を見上げて有栖はため息をつく。
思えば、別世界に来たというのに太陽や星は変わらない……不思議なことだ。
そんな世の不思議に想いを馳せ、これだけ不思議なのだから今から家に帰れても良いのに……と考える。
だがそんな願いは届かない。
(……ふと思ったけど、もしかしてカツ丼って同じように飛ばされてきた奴が広めたのか……?)
ふと、転移者が自分達以外にいる可能性を思いつく。
転移者が他にもいるのなら、元の世界に戻れる可能性もどこかに有るかもしれない。
そう思うと少し希望が湧いてくる、そして同時に……。
(……あの人も……ここにいるのかな……)
もう一つの希望を抱き、有栖は息を吐く。
都合の良い希望だ、妄言だ……そうは思っているのだが。
それでもどうしても考えずにはいられない。
自分にとって手が届かなくなってしまった人……遥か遠くへ行った人。
その顔を思い浮かべ……少しだけ感傷に浸るのだった。
「なあ、アリスはどうしてあんなに怒ってたんだよ?」
その頃真白達は、昼を逃してしまったお詫びにと朧から喫茶店に来ていた……ちなみに当然朧の奢りだ。
しかしそんな中、疑問に耐えきれなくなったオノスが真白へ質問をする。
そんな彼女に真白は「あー」と言いながら誤魔化しの言葉を考え……。
しかし、思いつかなかったようで首を左右に振った。
「一応、本人は隠してはないけど触れられたくない部分だから……本人には言わないでね、マジモンの地雷だからさ」
「地雷……?」
「魔法使いの人達が、魔術で作る踏んだら作動するトラップですよ」
「そうそう、それそれ……それくらい触れちゃいけないってこと」
そう念を置き、真白は息を吐く。
そして内心で有栖に謝罪をした。
だが本人は絶対に言いたがらない以上、関係を円滑にするためにも自分が言うしかないのだ。
「有栖ちゃんね……お母さんが3人いるの」
「3人……? 再婚ですか?」
シャハルの問いかけに真白は頷き、フロートドリンクを飲む。
この話をするときには、飲みながらでもないとやっていられないのだ。
舌に広がるアイスとオレンジの味が良い具合に心を落ち着かせてくれる。
そう感じ、真白はグラスから口を離して息を吐く。
「……有栖ちゃんの最初のお母さんは、ある日蒸発したんだよ」
「蒸発……?」
「神隠しとも言うね、9年前……7歳の時に急に消えた……何の前触れもないし、目撃情報も無いままに……」
有栖の母は、愛知から出たこともないような人のはずだった。
だがある日前触れもなく失踪し、愛知中のどこを探しても痕跡一つみつけられず……。
結局失踪は迷宮入り、当時は現代の神隠しとして大きな話題になったのだ。
それにより有栖の父は心を病んだ……そこにつけ込んできたのが第二の母親。
それが最悪の女だった……。
「最悪の女……?」
「えーとさ……美人局って知ってる?」
美人局、それは夫ないし恋人と示し合わせ、悪い女が金をだまし取るためにする詐欺行為だ。
二人目の母は、あろう事か父の弱った心に付け入り、再婚までこぎ着けてからその本性を露わにした。
本来の恋人であり、真白の組に属さない別の組に属するヤクザである男と共に古里家から金をむしり取り始めたのだ。
別の組である以上、手を出せば抗争になるため真白からは何も出来ず、歯痒い日々を過ごしたという。
そんな中でも、唯一の癒やしは存在した。
「二人目の母には連れ子がいてね、その子は本当に良い子だったの、現実なんて何も知らない良い子で……そして、哀れな存在だった、現実なんて何も知らないままでいられれば……あんな事起きなかったのに」
有栖の妹、美羅は何も知らない子供だった。
両親の罪も何も知らなかった、何も……。
だがある日、気付いてしまったのだ。
今となってはきっかけが何だったのかすら分からない、本当にある日、前触れもなく唐突に……。
小さな幸せは奪われてしまった。
「良い子だったんだよ、本当に……だから命が奪われることになった、よりにもよって親の手で」
美羅は両親の罪をどう思ったか?
それは勿論……恥じたに決まっている。
彼女はごく普通の女の子だったのだから。
だから……危機感が足りなかった、夢を見すぎていた、性善説を信じ込み誰もが優しい部分を保っていると思っていた。
だから……両親の罪を糾弾し、怒り狂った母親に弾みで殺されたのだ。
「有栖ちゃんは、ほんとショック受けてたな……」
「じゃあ……アリスさんは子供を虐げる親がトラウマで……?」
「そういうこと、結局羅美吊兎叛徒を組織して不良になったのも、行き場のない子供達を受け止める場所になったのも、全部アレがきっかけだったからなあ……力を行使して罪を裁ければ、手をこまねいていなければ美羅は死ななかったのに……って」
目を細め、フロートを再度飲む真白。
しかし飲み過ぎたようで、もう氷しか残っていない。
手を挙げて「もう一杯」と注文すると、真白は深くため息をついた。
そして頭の後ろで手を組む。
「今でも責任感じてるんだろうね、消えない傷なんだよ、心の傷って生の傷と違って癒えないもん、だからさ……まああんま触れないでやってよ、お願い」
「ええ……分かりました、そうしましょう」
「おう、オレも異存なし、ところで……3人目の母はどんな人なんだ?」
「3人目? ああ、あの人は普通にいい人だよ、大企業の社長で……お父さんの幼馴染みなんだけど、入り婿した事で彼女の娘になってね、まあいい人だからこそ彼女に恥じない存在に……って気負ってるんだけど」
苦笑しながら、3人目の母について語る真白。
表向きの建設業において上得意である彼女が善人だということはよく知っている。
だからこそ、有栖も早く彼女の元へ帰りたいのだろう。
1人目の母や美羅と違い……唐突に幸せが奪われることも、彼女とならきっと無いのだから。
そう考え、真白は笑みを浮かべる。
有栖が幸せになってくれることこそ、真白の最大の喜びなのだ。
さて……そんな有栖のすぐ近くで、幸せどころか恐怖のどん底に落とされている者が一人いた。
(待って待って待って……奢るとは言ったけど、デザート、ジュース、おかわり……!? ええええ……)
朧だ、どうやら彼女は財布を見ながら青くなっているらしい。
別に払えない金額ではないのだが……。
中間管理職の懐には若干厳しい。
(ふ……ふふふ……中間管理職の金欠も安く見られた……いや、これは中間管理職の給料が高く見られた……? 兎に角、見積もりが甘いなあ、もう!)
しかし奢ると言った手前、もう撤回とは言えないだろう。
せめてこれ以上追加注文されることがないようにと祈りながら朧は財布を懐にしまう。
その様子を見た真白は笑みを浮かべ……メニューブックを黙読するのだった。
本当に頼むつもりなのか、ただのからかいなのかは分からない。
しかしその明らかに分かってやっている様子に、朧は中間管理職の悲哀をまた一つ感じるのだった。
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