モストロ国特務軍人機関、通称群狼部隊……。
情報収集のスペシャリストである彼らの元には、若き隊長である朧の尽力もあり、多くの情報が集う。
下手をすればモストロの国立図書館よりも多くの情報が得られるのではないかとされる場所……。
だが、彼らの存在は秘中の秘とされ、家族などの近親者にすら秘匿される。
そのため、多くの情報は彼らの拠点にてほぼ死蔵に近い状態で眠ることとなるのだ。
「勿体ないなあ……この知識で商売すら出来るのに」
特務軍人の一人……朧と同じ狼の魔物、大岡雅は資料の詰まった棚を見ながら狼の耳を傾けた。
学生時代はモストロ国立学園を首席で卒業、その豊富な知識と情報収集能力から窮奇直々にスカウトされた才女だ。
彼女は、そういった過去から情報の数々が埋もれる事に思うところがあるようだ。
「あっ、大岡先輩」
「ん……? ああ、新人の……えっと」
「戌亥紘です、あはは、まだ覚えられてませんよね」
戌亥紘、つい先週特務軍人となったばかりの若者だ。
弱冠16歳にしてパルクール大会にて好成績を出したパフォーマーで、後援を行う代わりに非常勤の特務軍人となった少年。
そういった特殊な身の上のため、彼とは顔合わせの時に出会って以来となる。
「戌亥くんは何をしに来たの?」
「ええと……今日は本業もなくて、特務部隊の仕事もないオフなんです、普段は運動をしてるんですけど……折角だから体を動かすだけじゃなくて、たまには勉強しようかと思って」
「へえ、それは良いことだね」
褒められたことに照れ笑いを浮かべながら、戌亥は無造作に本を手にする。
無作為に手を伸ばして取った書物、そこに記載されている情報を調べてみる……そんなちょっとした遊びのような感覚だ。
子供の頃はみな、目に映るもの全てを独自の発想で遊びの道具にしたが……彼は今まさにその感覚なのだろう。
石と枝があれば砂地に的を描いて、そこに石を投げる遊びをしたあの感覚……忘れずいられるならば、それはとても良いことだ。
「何の本を手にしたの?」
「ええと……んんん? これは……隊長の愚痴ノート……?」
「……そういえば、私物を無くしたって言ってたわね……とりあえず仕舞いましょっか」
「そうですね……」
忘れ物ですよというメモを貼り付けて机に置くのも考えたが……そうすればこのノートが二ページくらい文字で埋まりそうなのでやめておこう。
そんなことを考えながら二人はノートを仕舞った。
そして、今度こそと別の書物を取り出す。
それは……。
「ええと……おにぎりの作り方、より良いおにぎりに関する研究録……?」
「へえ、中々家庭的な物もあるのね、これ……何が理由で調べたのかしら」
大岡に促され、戌亥は中を覗く……。
最初に目を引く見出しはこうだ。
初代王ドゥンも愛した、伝統ある料理おにぎり!
だが、この時点で二人は疑問符を浮かべる。
「食糧史の本は読みましたけど……米が世に出たのは100年ほど前なんですよね?」
「ううん……私もそう聞いているけど、実際は違うのかしら?」
話し合いながら首をかしげる二人……。
初代王の時代とは今の世から年数を確認する手段すら失われて久しいくらい昔の時代。
その時代には米などまだ存在しなかったはずなのだが……。
だが、この本には初代王の好物として記されているようだ。
果たしてどこまでが本当なのか、眉唾物ではあるが……とりあえず二人は内容を読んでみることにした。
「ええと……そもそもおにぎりという食べ物のレシピはどこから来たのか……?」
「歴史上最初に確認されたおにぎり、それは窮奇王の発言だった……?」
知った名前の登場に顔を見合わせる二人……。
まさかここで、現国王である窮奇の名が出るとは思わなかったのだ。
確かに彼女が歴史上に現れた時期は米とほぼ同じ頃だが……。
書かれている内容はこうだ……。
かつて、隆盛期のプルミエによる無差別かつ無軌道な侵略が行われていた時代……。
彼らは世界各地を戦火で包んだが、颯爽と即位した窮奇王により敗戦。
王家一族郎党の敗死を告げた後に、戦争終結を打診した。
その後、各領地から反旗を翻され次々に独立させることとなったプルミエは疲弊。
農業や畜産を任せていた領地を手放すこととなったため、一気に飢餓に見舞われることとなった。
その状況を憂いた窮奇は援助を申し出るもプルミエ側は固辞。
恐らくは借りを作ることで国家が隷属状態になってしまうことを恐れたのだろう。
それにより飢餓は一向に解消されず人食いにまで発展したが……そこで突如世界に現れた食べ物、それが米だ。
米を育て、収穫したら炊いてご飯にする。
そんな今や当たり前の文化が突如として登場。
しかし、当時は畜産の再開もまだだったため米だけを食べており、人々は段々とその味に飽きてきた。
そんな話を聞いた窮奇が送った書状がこれだ。
「川と海を行き来する鮭という魚を焼いて骨を抜き、ほぐしたものを塩をまぶした米に詰め、そして乾燥させた海草に包んで丸めると良い、おにぎりという料理で初代王の好物だ、か……」
「感謝しつつも何故か米のことを深く知っている窮奇様を恐れたプルミエ高官は、おにぎりを初めとする簡易的に出来る米料理のレシピを受け取りつつもそれを秘匿、数年後には秘密裏に窮奇様へおにぎりを贈呈した……か」
読み上げる二人……その後ろで、机に何かを置く音がする。
振り返ると……そこには窮奇がいた。
ご丁寧におにぎりも一緒だ。
「きゅ、窮奇様!?」
「やあやあ、お仕事お疲れさま……ああいや、戌井くんはオフだったかな?」
「は、はい!」
返事をする戌井の隣で、まさかサボって資料漁りに付き合っていたとは言えず半笑いで目をそらす大岡。
そんな彼女の気持ちを理解しているのか、窮奇はまるで猫のように笑いながら机を降りた。
そして、伸びをすると尻尾も張って……息を吐く。
「気持ちは実によく分かるよ、まあ程々にね……差し入れに私の手料理を持ってきたから、これでも食べたらちゃんと仕事に戻るんだよ」
「は、はい、申し訳ございません!」
謝罪する大岡に頷き、窮奇は部屋を出て行く……。
その背中を見ながら、戌井は思った……。
窮奇様って人間形態は一切とらないのに、料理出来たんだ……と。
「ううん……なんというか、見透かされてるわね……」
「ははは、そうですね」
「しょうがない、魔王陛下御自らの手料理を賜るなんて栄に浴したんだもの、早く食べて仕事に戻りますか……あなたも一緒に食べましょ」
「では……喜んで頂戴致します!」
椅子に座り、感慨深げにおにぎりを手に取る二人……。
よほど作り慣れているのか、おにぎりは綺麗な三角型だ。
出来たてらしく、握るだけで海苔越しに暖かな温もりが伝わってくる……。
まず一口囓るとしよう。
すると、口の中へ米の温もりとともに程よく塩の利いた味が広がった。
程よい塩気は米の甘みを引き立てる。
そう感じながら、歯に張り付いた海苔を舌ではがしつつ大岡はおにぎりを見た。
噛み切った断面から見える中身は、鶏のお肉だ。
鶏肉を焼き、細かく切って甘めのタレをかけた物。
その傍らにはスライスされたネギも入っている。
一食で米、肉、野菜を食べられるようにという気遣いなのだろうか。
感慨深さから、大岡は温かく湿った息を吐く。
そして……勢いよくおにぎりの肉へかぶりつくのだった。
その頃、有栖達は……。
とある街で食事をしていた。
食卓で楽しそうにおにぎりへかぶりつく真白。
普段はテーブルマナーにこだわる方だというのに、おにぎりを食べるときだけは全く違う。
そんな様子を見ながらオノスは首をかしげた。
「なあ……お前おにぎり好きなのはよく分かるんだけどさ、なんでそんなに好きなんだ?」
「んー? ふぉれふぁ……んむっ、それはねえ……ふふっ」
おにぎりを飲み込み、ニコニコ笑いながら有栖を見つめる真白。
その笑顔を見ながら有栖は顔を赤らめた。
この話をすると、少し恥ずかしいのだ……。
だが、いっそ自分から言った方が恥ずかしさは少ないのかもしれない、そう意を決した有栖は静かに口を開いていく……。
「……きっかけは、小学校4年生の時……運動会ってえスポーツ大会でしたわ」
「スポーツ大会? 走ったり泳いだりでもすんのかよ? でも……それが飯とどう関係すんだ?」
「私、その……弁当を作りましたのよ、でもまあ……そのまあ……色々事情があって、うちじゃ基本料理してんのは親父でしたの……それに当時は味覚もまだ治ってなかったから……だからその、まあ……簡単に言うならその、ホントに酷い有様で……」
有栖はそう言いながら、子供の頃初めて作った料理を思い出す。
卵焼きは焦げ、ウインナーは逆に生焼け……サラダの野菜は無茶苦茶なざく切りで、散々としか言いようがない有様だった。
味覚の不調からロクな味付けが出来なかったのもあって味も散々……一口食べた父が笑顔を凍らせて悶絶してしまうほど。
料理上手な両親のもとに産まれたというのに、自分は何故こんなに料理が出来ないんだと不甲斐なさに泣いたものだ。
そんな自分へ父が「まずはこれからやってごらん」と教えてくれたのがおにぎりの作り方。
父の作った鮭ほぐしや焼き鳥、唐揚げに梅干し……そういった物を、塩をまぶした米に詰めて丸めていく。
初めての成功は、半分以上父の功績だったとはいえ楽しい物だった。
そんな理由から、有栖はこれでもかとおにぎりを作りたいとせがみ……。
運動会にて、お弁当を持っていくと約束していた真白と大量のおにぎりをシェアして食べたのだ。
「思い出の料理なんだよね、私にとって……だから大好きなんだ、つい童心にかえっちゃう」
「なるほど、味だけではなく当時の思い出も楽しみながら食べているんですね……素敵だと思います」
素敵だ、そう言うシャハルに真白が照れ笑いする。
有栖との思い出、それに起因する自分のあり方……。
賞賛されるのは悪い気分ではないのだ。
そう考える真白の隣で、有栖もまた顔を赤くしながら頬を掻いた。
「その……帰ったら、また沢山作ってやりますわよ」
「えへへ……ありがと有栖ちゃん!」
味覚が戻り、食レポも重ね……有栖は料理の腕がかなり伸びている。
そんな彼女が作るおにぎりは、きっと昔より味が上がっているのだろう。
そう考えると同時に「でもね……それでも、一番のおにぎりは、あの日食べた塩味の強いおにぎりかもしれない」と真白は内心で笑う。
実を言うと、有栖の作ったおにぎりには一つだけ塩気の強い物が混じっていた。
父の介入がない、有栖一人でこっそり作った塩おにぎり……。
真白は見事にそれを引いたのだが、だがこれがむしろ有栖が自分のために慣れない料理を頑張ってくれたと感じて……味はさておき、気持ちがとても嬉しかったのだ。
そんな気持ちは内心の秘密としながら真白は微笑む。
有栖はその内心を察しきれないが……一方で、シャハルは「何か隠し事をしているな」と何となく察するのだった。
世界を越えて愛される日本の味、おにぎり……。
窮奇が何故それを知っていたのか、初代王は何故おにぎりを愛好していたのか……。
そんな謎が存在することもしらず、真白はおにぎりを頬張る。
そして……中に入っている焼き鳥を見て「おっ、これ一番好きなんだよね」と笑うのだった。
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